山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第102回>

2018-09-04 06:11:36 | くるま旅くらしの話

【今日(9/4:火)の予定】 

道の駅:真狩フラワーセンターに終日滞在予定(台風の通過を待つ)

 

【昨日(9/3:月)のレポート】 天気:曇り後時々雨

<行程>

東大沼キャンプ場 →(D)→ 留の湯 →(D・R5他)→ 七飯町歴史館 →(D・R5)→ 道の駅:なないろななえ →(R5)→ 道の駅:くろまつない →(R5)→ 道の駅:ニセコビュープラザ →(D)→ 道の駅:真狩フラワーセンター(泊)

<レポート>

 東大沼キャンプ場は四方を大きな樹木に囲まれた林間の中にあり、駐車場も大木に囲まれているため、地デジのTVは受信できないし、BSも樹木の枝ぶりをよく観察してアンテナを向けないと映らない。どうにかBSだけは見られるように場所を選んで設定しているのだが、BSはどういうわけなのか天気予報は殆ど報道されておらず、台風が近づいているときなどは、困惑することが多い。ま、ネットでの受信はどこでもほぼ大丈夫なので心配は無いのだけど、情報量が少ないのでうっかりすると見落とすこともある。今度の台風はかなり勢力が強いらしく、北海道もその影響を免れないようなので、安全な場所へと避難を考えなければならない。このキャンプ場はこのような場合、樹木が災いするのである。というのもこの辺りの樹木は風に弱いからである。土地がやせている所で育っており根を張るのが脆いようなのだ。何年か前に台風に見舞われたあとここへ来たことがあるのだが、エゾマツなどの大木が何本も根こそぎ倒れていて、その処理にチエンソーが唸りを立てて稼働しているのを見たことがある。どこかのキャンプ場では、大木の下になって亡くなった人もいると聞いている。

ということで、今日は移動中心の1日となる予定である。月曜日なので、資料館等の大半は休館日となっているのだが、その中で七飯町の歴史館だけが開館されているのは、誠にありがたいことである。予定としては、先ず近くにある留の湯に入って汗をおさめた後歴史館を訪ね、そのあとは取り敢えず黒松内町の道の駅を目指すことにしている。

9時過ぎに出発して10分ほどで留の湯に。このキャンプ場に来た時は必ずと言っていいほどここに来て湯に浸ることにしている。昨日は遅かったので止めにしたのだが、朝風呂も悪くない。ここには二つの入浴箇所があるのだが、自分達はいつも安政の湯というのに入ることにしている。柔らかく心の中までも揉みほぐして疲れをとってくれる感じのする湯で、浴槽に手足を延ばすと、生きているのを実感できるような温泉なのだ。料金の500円也を少しも高いとは思わない湯は、北海道の中でもここだけのような気がする。今日もたっぷりとその気分を味わった。朝一番に近い時間の入浴は、却って疲れを呼び戻すとも考えられるのだが、出たあとゆっくりと汗を納め着替えを済ませば、決してそのようなことはない。

すっかり清々しい気持になって、そのあと七飯町の歴史館に向かう。この大沼公園も七飯町の一部なのだが、歴史館は町の中心部の役場の近くにあるようで、それは大沼公園からは山一つ越えた反対側となるようである。いつも函館新道の高速道で通過してしまっているので、七飯町の中心街がどこにあるのかも知らず、訪ねるのは今日が全くの初めてなのである。今日は函館新道には入らず、その横のR5をそのまま直進する。少し行くと道の両側に立派な赤松の並木が続いているのを不思議に思った。あとで知ったのだが、この道は赤松街道とも呼ばれ、何かの記念樹として随分昔に植樹されたらしい。内地でもなかなか見られなくなっている立派な松並木だった。

直ぐに町の中心部に着いて、歴史館は直ぐに判った。立派な建物なので驚いた。昨日の函館市の博物館とは雲泥の差がある。何だか大都市函館の凋落とこの七飯町の活気を比べ見る感じがした。あちらは有料、こちらは無料なのである。中に入るとこの町の歴史を世の中に広く知って貰いたいという意欲の伝わる展示解説がなされているのを感じた。中央に暮らしの象徴としての茅葺の家が作られており、その周辺にこの町の四季ごとの暮らしの解説とその季節ごとに係わりの深い民具や農具等が展示されており、解りやすかった。その向こうのコーナーにはこの町の歴史とおもな出来事等が順を追って解説されていた。この地は函館に隣接しており、歴史は古い。江戸時代の中ごろから定住する和人もいて、アイヌ等を介しての交易に係わっていたということである。しかしこの町の発展は、戊辰戦争の最後の函館での戦いが終焉した後の開拓から始まっているようである。

七飯町歴史館。歴史館という名称を冠している建物は少ない。この町の意欲のようなものを感じさせる堂々たる建物だった。

その核となっているのは、明治政府が設けた開拓のための四官園(東京、七飯、札幌、根室)の一つがこの地に設けられたことにある。この官園は、一口にいえば、洋式農業技術センターであり、外国人指導者を招いて、欧米式の農業の在り方を学ぶ基盤としたものだった。七飯の官園は、農業、牧畜、林業、養蚕の広範に渡る、製造・加工までに至る経営内容を含むものであったということで、それらのことについて詳しく紹介されていた。このようなことを初めて知ったのだが、この官園がその後の北海道の開拓に果たした役割と貢献は実に大きなものだったに違いない。東京や根室のことは殆ど何も知らないし、札幌のこともクラーク博士のことや農学校のこと走っていても名前だけのレベルであり、ここへ来て初めて官園なるものの存在と考え方を知ったのだった。拝み小屋に始まった開拓は、これらの施策によって、新たな力を得たのであろう。大いに勉強になった。1時間ほど見学した後、歴史館を後にする。

そのあとは、ひたすら台風から遠ざかれる安全な場所を目指すだけである。先ずは近くの道の駅:なないろななえに行って軽く昼食を済ます。先ほど歴史館へ来る前に山川牧場近くの店で入手したローストビーフのサンドイッチを食する。これは邦子どのお気に入りの格別のサンドイッチで、自分もそれに合わせて食べることにしたのだが、正直なところ自分としては十勝や摩周の豚丼の方が好みなのである。邦子どのは大満足のようだった。今度来た時は、これはもう邦子どのに自分の分も譲ることにしようと思った。

そのあとは、天気が悪化して風が出て来て白波の立っている噴火湾沿いのR5をひたすら走って、黒松内の道の駅に着いたのは、15時過ぎだった。ここに泊ってもいいと考えていたのだが、その理由の一つに、この道の駅では邦子どのの好物のピザパイがあり、今日はもう終わりに近づいているので手に入れられないので、明日それをゲットしてからもっと北の方へ向かおうと考えていたのだった。しかし、店の人に訊いて見ると、明日は休みだという。それじゃあここに泊る意味は無いと考え、少し足を延ばして真狩の道の駅まで行ってしまおうと決める。真狩村は羊蹄山の西部にあり台風の風向きを考えると避難には有利という判断である。反対側にある京極町の道の駅は駐車場が坂の状態にあり、その上に風が当たったのでは溜まったものではない。

ということで、それから1時間余りひたすら走り続けて17時少し前に道の駅:真狩フラワーセンターに着く。考えてみれば3日前にここを出たばかりで、それが帰り戻ったということになる。もうほくほく祭りのジャガイモ掘りも終わって、道の駅に泊る車も殆ど居ないようだ。今夜も静かな夜を送れるなと思いながら錨を下ろす。そのような気分だった。それにしてもこの台風の狂気は何時になったら収まるのだろうか。明日はとにかくここにじっとしていて、通り過ぎ去るのを待つしかない。

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