山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

モーターホーム(≒キャンピングカー)の有用性

2011-04-30 07:01:53 | その他

    今回の大震災では、大勢の方が避難所暮らしを余儀なくされ、大変な寒さの中でプライバシーも何もあったものではない窮屈で不安な日々を何日も続けられ、ようやく春が本格化したとはいえ、1カ月半を過ぎた今でも、先行きの見えない暮らしを送られている方が少なくありません。

このような突然の、まさに天から降って湧いた災厄を目の当たりの出来事のようにTVで観たのは初めてのことでした。2001年9月11日のアメリカニューヨークでの同時テロの航空機のビル突入事件も強烈でしたが、あれは人災であり、今回の大津波はそのスケールが全く違います。まさに未曽有の出来事です。

この大事件の今までの流れを見ていて、その後人災である福島第一原発の事故をも含めて、ある日突然避難をしなければならなくなったときに、どうすればいいのかということに、改めて思いをめぐらさないわけにはゆきません。今もし我が身に、我が家族に、突然大災難が降りかかり(最も可能性が高いのは原発事故だと思いますが)どこかへの避難を強制されるような事態が起きたとしたら、自分たちは一体どうするのだろうかと考えてみました。県や市の指示に従い、用意されたバスなどに乗って所定の避難所に向かうことにするのか、それとも自分で別の道を工夫して身を守ることにするのか? 

勿論自分たちは後者を選びます。但し、道路が随所で分断され、車が全く使えないような場合は不可能となり、その場合は県や市もバスを走らせることは不可能ですから、その時はもうお手上げであり、運を天に任せるしかありません。

別の道を選ぶというのは、幸いなことに私どもには旅車があるということで、これを利用して安全圏まで脱出し、その地でしばらく様子を見ながら過ごすことにしたいと思うのです。今回の大震災で避難された中にも同じような手段をとられた方が何人かおられるのかも知れません。旅車はその車を運転できる条件(道路の通行が確保されていること、燃料が充足されていることなど)が満たされていれば、自分で目的地を決めてそこに向かうことができます。旅車には、旅くらしをするための居住条件が揃っており、現地に行って水と電気とトイレさえ確保できれば、長期間の滞在も可能です。

今回の避難所での暮らしのあり様は、もう何といってよいのか、高齢のお年寄りが厳しい寒さの中で、あまりにも激変した生活環境に耐えられずに命を落とすといった話を聞いたりすると、いざという時の避難のあり方というのは、命がけで考えておかなければならないものなのだと、改めて思い知らされたのでした。バスなどの車で避難しても、避難所での暮らしは体育館や校舎内の教室など、暖房も断熱もままならぬ、大自然の為すがままの厳しい環境の中で過ごさなければならないわけですから、2~3日の短期間なら何とか(しの)ぐことができても、それ以上となるとこれはもう想像する以上の過酷さなのだと思います。又そのような環境を避けて、車の中に留まって過ごしていても、燃料が無くなれば同じ状況になってしまうし、更にはエコノミー症候群というような体調の不具合も発生するということになってしまいます。

もしこれが車ではなく旅車(=モーターホームキャンピングカー)だったらどうなのでしょうか。旅車で同じ町内の皆さんと一緒に暮らすために避難所に行ったと仮定した場合の話です。恐らく相当期間は暮らしの居住空間としては今までの普段とそれほど変わらずに活用するのが可能のように思います。仮に燃料が底をついても、身を横たえるベッドと布団は確保されますので、寒ければその中にもぐって暖をとることができます。しかし、水や電気・ガスそれにトイレなどのライフライン機能に関しては、それらのストック分を使い果たしてしまったならば、基本的には体育館などの避難所と同じとなるでしょうが、眠りだけは確保でき、これが何よりも健康のベースとなるように思います。

しかし、旅車の場合は、実際はそのようなことは起こらないのです。なぜなら、そのような団体で避難する場所へ行かなくて済むからです。もっと条件の良いエリアへ行くことが可能なのです。守谷市であれば、関西・中国・四国・九州方面や北海道へ一挙に行くことができるのです。そして、そこでいつもの旅くらしと同じ暮らしを確保することができるのです。

旅くらしと言うと、大変贅沢な暮らしぶりを想像されてしまいますが、移動のための燃料・交通費を除けば、食事代などは在宅よりも少ないくらいで、真に質素なものです。移動するのを少なくすれば、コストはさらに減るのです。このような考え方で、北海道で動き回らず気に入った場所に腰を据えて避暑暮らしをしているくるま旅の人を何人か知っていますが、非常時の避難もそれと同じようなものと考えて良いように思います。そして避難先で、被災状況の変移を良く見ながら、これから先の対応をじっくり考えればいいと思うのです。

このような考え方は、なかなか一律に行くものではなく、職業、家族構成、兄弟・親戚関係、知人・友人関係等々によって旅車の活用などとても考えられないということかもしれません。でも、一時的には相当に有効のように思います。旅車の強みは居住性の良さにあり、それはどんなに高級な乗用車にもない特性だと思います。世の中の多くに人たちは、様々な思いや目的をもちながら車を購入し使っているのだと思いますが、私は今回の大災害の被災状況を見て、避難という現実の厳しさを知り、車で必要なのは、いざという時は旅車の機能なのではないかと思ったのでした。

キャンピングカーは、週末や夏休みなどのレジャー用の車でちょっぴりリッチな連中の使うもの、というようなイメージが出来上がってしまっているようですが、これは違うのではないかというのが私の考え方です。確かにこのイメージ通りの車もあると思いますが、より多目的に使えるのがこの車なのだと思うのです。そういう意味でキャンピングカーという呼称に問題ありと思っています。やはりこれは本来の英語の「モーターホーム」と呼ぶべきでしょう。つまり自走機能を持った家であり、動く家ということなのです。キャンプなどの限定された使い方だけではなく、家の機能を持った使い方の可能な車なのです。ですから旅にも使えますし、在宅の場合では書斎や個室にもなりうるのです。

このような車の持つ機能を活用する視点を持つ人が、日本には少ないようです。(諸外国に多いのかどうか判りませんが、日本人は高級車志向の人が結構多いようですから)私は、車庫に高級車を飾って、時々中に入り込んで自己満足に浸ることなどよりも、1台のモーターホームを確保し、普段はそれを書斎や個室として活用し、時には小さな旅に出かけ、時間があり余る世代となったら、ゆっくりとくるま旅を味わうという、そのような活用の仕方が人生をより豊かなものにするに違いないと考えています。そして、避難を要するような災害時には、我が身と家族を守るツールとして活用できる、その1台としてもモーターホームの重要性を感じています。

今回の大震災の被災地における救援・支援ボランティアでは、恐らくモーターホームは相当の活躍をしていると思います。被災地での救援・支援ボランティア活動は自己完結的な対応が基本となり、救援・支援者は自らが寝食の場を用意しなければならないのだと思いますが、モーターホームはその条件を自ずと兼ね備えています。その意味では私は条件が整っており、ボランティア活動に参加すべきなのですが、事情があって参加を控えています。残念ですが、やむを得ないと思っています。

私はくるま旅くらしを志向・提唱する者として、キャンピングカーではなく、モーターホームという呼称にこだわって来ていますが、今回の大震災という出来事を通して、改めてモーターホームというもののポジション(位置づけ)の重要性が上がったように思っています。

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