山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

10連休の仕事

2019-05-06 11:12:39 | その他

 昨日で長い長~い連休が終わった。令和の時代も一週間を迎えようとしている。過ぎてみれば時間の経つのは何と速いことか。馬齢を重ねるにつれて時の流れが加速化してゆくのはなぜなのか。そのようなことを思いながら今日を迎えている。

 さて、この連休は自治会の仕事も休みとなったので、少し自分のことをしようと考え、去年から気になっていた一冊の本をつくることにした。昨年の初め頃、某出版社の無料出版作品募集に応募して見事に外れた作品があり、それをパソコンの中に仕舞っておくだけではつまらないと考え、この際自分で本をつくって見ることにした次第である。

自分は、今まで旅を終える度にその記録を冊子として残しておくようにしており、既にその冊子は30冊を超えているので、簡単な本を作る自信は多少あるのである。本格的な本と言えるレベルではないのだけど、それでも思いを形に表して見ることで次に進める感じがしたのである。

その本というのは「くるま旅で人生の宝もの探しを」という題で、サブタイトルとして「我が人生の宝もの探し」と名づけることにした。20年近くくるま旅をして来ているのだが、この辺りで一区切りして、くるま旅が自分にとってどのようなものだったのかを確認してみたいと思ったのである。結論からいえば、それは「人生の宝もの探し」だったということになる。

人は誰でも宝物を保持していると思う。宝ものとは自分が生きて行くのを支えてくれる力の源泉となっている様々な出来事、出会いである。この世に生まれ出でて以降、人は誰でも数多くの宝ものに支えられながら成長し、自分という生き物を育てて来たのである。宝ものを失ったら、人は生きる力を弱めてしまうし、新しい宝ものを手に入れれば、新たな活力を増すことができるのである。

老人となって思うのは、その人生の宝ものというのは、例えば仕事の世界をリタイアしたりすると、次第に新しい宝もの探しから遠ざかることになり、既存の宝ものの持つ力が弱まり出すということなのだ。つまり、出会いや出来事への係わりのチャンスが少なくなってゆくということである。内に籠り平穏な暮らしばかりを味わっていると、人の感性は弱まり、心身の活力が失われてゆく様に思えるのである。

これを脱却する方法は幾つもあるのだと思うけど、とにかく何らかの目的を持って、その実現に打ち込むということが大事ではないか。それはその人自身が見出し、取り組めばいいことなのだから、とやかく言うことではないのだが、自分の場合はくるま旅こそが宝もの探しの最上の方法だと思っている。

旅はそれが車であっても無くても、非日常の世界に飛び込むことで様々な出会いやできごとに満ちている。否応なしに刺激の世界を味わうことになる。だから感性は動き出し、心に活力がもたらされるのである。これは老を重ねるほどに必要な取り組みではないか、そう思っている。

今回の本は、そのような自分の思いを伝えておきたいと考え作ったものである。内容としてはくるま旅が人生の宝もの探しのツールとして優れているという理屈と、それから自分自身が宝ものと考えている旅で拾ったエッセーを何篇か披歴することにした。北海道から九州までの各地で出会った出来事などを16篇取り上げて書いてみたのだが、まだまだ紹介しなければならないものが数多く残っている。これらはいずれ別の形でまとめてみたいと思っている。

本の出来は正直あまり良いとは言えない。原稿をA5サイズで書いてしまったので、それをB5に拡大して印刷したら、いつもと少し違う感じの出来上がりとなってしまった。取り敢えず30部作ったのだが、さて、どなたに贈ればいいのか少し迷っている。販売できるレベルではないし、読んでもらえればそれでいいと思っている。とにかく丸3日かけてつくり上げることができホッとしている。

 

どうにか出来上がった本の表紙。部屋が暗くて画像が不良である。

 

 

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