山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

越後・信濃路の旅:第8日(最終回)

2016-11-17 03:54:55 | くるま旅くらしの話

第8日<10月22日:土> 天気: 晴れ後曇り

 <行程>

道の駅:道の駅:あがつま峡→(R145他)→道の駅:中山盆地[群馬県吾妻郡高山村]→(R145・R291)→沼田城址散策[沼田市西倉内町]→(R120)→(金精峠経由)→(R120・R119・R293)→(R293・K)→道の駅:はが[栃木県芳賀郡芳賀町](泊) 走行199km

 <レポート>

 吾妻峡の情景

 新しい道の駅には新しい匂いがする。道の駅:あがつま峡にはそのような雰囲気が漂っていた。昨日15時過ぎに此処に着いてから、ゆっくりと温泉に浸った。この道の駅には日帰り温泉施設があって、天狗の湯との名前が付けられていた。道の駅の物産販売所の名前も天狗となっており、この地は何か天狗というのに所縁があるのかもしれないなと思った。詳しい詮索は止める。

     

新しい道の駅:あがつま峡の景観。芝生の広場の向こうに見える建物の右手は天狗の湯。左は物産販売所てんぐ。山間地の中にこれだけの平地を確保するのはなかなか難しいことだったと思う。

 朝起きて、しばらく道の駅の周辺を散策する。この道の駅は直ぐ下を流れる吾妻川の上にあって、かなりの広さがある。駐車場の他にドッグランのスペースを含めた広場があって、子どもたちも遊べるような遊具も幾つか並んでいた。孫たちを連れてきたらさぞ喜ぶだろうなと思った。この辺りは吾妻峡の入口に当るのであろうか、直ぐの上方には、八ッ場ダムが完成した暁には湖底に沈む(?)ことになるという川原湯温泉が近い。一体どのような景色になるのだろうかと思ったりした。

 沼田城址を訪ねる

 先日その場所を探しあぐねて探訪を断念した沼田城跡をもう一度訪ねることにした。ここまで来れば沼田は近いのだ。中之条町から国道145号線を辿れば、沼田に出ることが出来るのである。この国道は日本ロマンチック街道などとも呼ばれているのだけど、ドイツのロマンチック街道というのになぞらえて名付けられたようだが、本場のそれを通ったことがないので、何がロマンチックなのかはさっぱり解らない。

 旅をしていて、訪ね先が見つからないというのは、何といっても屈辱感が否めない。くるま旅の場合は、どうしても駐車場に拘らざるを得ないので、この屈辱を味わわざるを得ないこととなる。沼田城跡は今は公園となっているというので、先日は軽い気持ちで行ったのだが、見事空振りとなってしまった。今回は先日辿ったのとは違う別の道を行こうと思っている

 沼田の街が近づいて、しばらく先日と同じ道を行ったのだが、途中から誘惑に負けずに、頑固に思った道を行くことに決めて進む。何やら曲がりの多い道をしばらく辿っていたら、沼田公園の入口近くにある駐車場に着くことが出来た。どうってことないほどあっけない感じの到着だった。先日のあのギブアップは何だったのかと呆れ返る思いがした。

 駐車場に車を入れて、今は公園となっている城跡を散策する。真田昌幸やその一族があれほどこだわった沼田城というのはどんなものだったのか、そのような想いを膨らませながらの散策だった。しかし、もう幾つも真田家に係わりのある城を見て来たせいなのか、感動は薄かった。というのも、名胡桃城から始まって、松代城、上田城、小諸城と見て来たのだが、松代城を除けば皆同じような立地形状の場所に建てられているからである。この沼田城も下方に利根川の流れる急崖の上に造られており、戦国時代の戦のニーズに巧みに応える工夫がされた城郭となっていた。現在の城跡の様子は、うっかりすると急崖の上にあることなど忘れてしまうほどの、健康的な公園広場となっていおり、戦の厳しさを偲ぶものなど皆無という感じだった。しばらく、地元の人たちがジョギングしたり、散策している中を歩いた。沼田城の印象は思っていたよりも小さなものだった。

     

沼田城址公園の本丸辺りの景観。ここには天守閣も櫓も何も残っていない。明治の初めの頃の対応が不足していたのかもしれない。残念なことである。

 

 日光の秋探訪は先送り

沼田城跡の探訪を終えた後は、予定では関越道に入って帰途につくことにしていたのだが、一日帰宅を延ばして、ここから山越えで日光に出て、栃木県の北を通る国道294号線経由で帰ることにした。沼田市のメイン市街地は崖の上の丘にある。日光へはその丘の上を走る国道120号線を行くことになる。あの有名な尾瀬の入口に向かう道でもある。その入り口のある片品村の方へ向かってしばらく走ると、吹き割の滝というのがある。東洋のナイヤガラなどと書かれた看板があるけど、ナイヤガラには遠く及ばす、東洋にはもっとスケールの大きな滝も幾つもあるだろうと思いながら傍を通り過ぎた。吹割の滝はもう何度か訪れている。

 道は尾瀬の入口を過ぎて、次第に高度を増す。栃木県との県境の金精峠を越えれば、あとは下りとなり奥日光へと向かうことになるのだが、金精峠の少し手前には丸沼高原というのがあり、ここは標高が1500mほどはあるのだろうか、かなり紅葉も進んで目立つようになっていた。道の脇にスキー場があり、多くの車や観光バスが駐車場を埋めていた。リフトもフル回転しているようで、スキー場には未だ雪は積もってはいなかったが、草の上をスキーを履いて滑っている人たちが何人か見られた。ここでしばらく昼食休憩とする。

     

丸沼高原スキー場の景観。この辺りは高地とあってか、四辺の山も紅葉が始まっていた。

     

紅葉の中に身を沈めて暫しの休息をむさぼる我が愛車SUN号。早やオッドメーターは21万キロを突破している。

 実はこの道を通ることにしたのは、日光の紅葉を見て帰りたいと思ったからなのである。特に期待しているのは竜頭の滝なのだが、さてどんなものだろう。この辺りとさほど変わらないように思うのだが、山奥の気候は判らない。昼食の後、金精峠に向かう。峠の下にあるトンネルを潜ると、今までの山道の景観が一変して、奥日光の山々を俯瞰しながら下る道となった。幾重にも曲がりの続く道は、運転にもかなり気を使う。対向車が少ないのが救いでもある。しばらく坂を下り続けて、中禅寺湖が近くなりだした。間もなく竜頭の滝の上部にある駐車場に来たのだが、超満車の状態で全く止める余地なし。下の方へ行けば何とか車を置けそうな場所があるのではないかと思いながら下ったのだが、目ぼしい場所は全て車で埋め尽くされていて、全くのお手上げ状態だった。もうやむを得ない、竜頭の滝は断念する。それに思ったほど紅葉は進んでおらず、10日ほど早い感じもした。

 そのあとは観光地日光の大渋滞に巻き込まれる。中禅寺湖畔の道路はどこまで行ってもノロノロの大渋滞で、せっかち性分の自分には大迷惑だった。それにしても日光というのは凄い集客力を持っている大自然なのだなと思った。東照宮などの観光地は下方の街の方にあるのだが、中禅寺湖から上は大自然しかない。偶々今日は土曜休日とあって、家族連れなどのマイカーが多かったのかもしれない。紅葉を見るのなら、自分たちのような気まぐれ気分での来訪は許される筈も無く、予め計算した予定を立てて来なければ無理なのだというのを思い知らされたのだった。

 この日は栃木県の芳賀町まで足を伸ばし、そこの道の駅で今回の旅の最後の夜を迎える。

註:旅は翌日を持って終了しましたが、今回の旅のブログへの投稿は今回をもって終わることにします。馬骨拝)

 

 

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