山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第13日)

2008-09-26 04:12:29 | くるま旅くらしの話

13日 <56()

昨夜の泊りは何台かのキャブコンやバンコンもあって、この道の駅が結構利用されているのがわかった。我々の隣には札幌から来たらしいOX(横浜モーターズ製のキャンピングカー)が泊っていた。好い天気である。昨夜は真夏並みの気温だったので、オートバイで来てテントに寝た若者達も、寒さ無しで熟睡できたことであろう。この道の駅は駐車場の広い割にはトイレが小さく古くて、何かアンバランスの感がする。

さて、今日は何としても寺泊の浜焼きをゲットしたい。その後は、少し先にある道の駅:良寛の里和島というところへ行き、良寛様の足跡等を知りたいと思っている。それから先のことはあまり考えないで、先ずは出発。

昨日の道を寺泊に向かって行ったのだが、朝が早い所為か、駐車場はまだ混んではいなかった。8時前なので、店はまだ開いていないのではないかと思って行ったのだが、何軒かは既に開店していて、お客さんも結構来ている。駐車場は、かなりの収容能力があるのだが、昨日はここが満車だったのだろう。今日もこの後、混むに違いない。店を覗いて、昨日の売れ残りかもしれないが、来るのが早すぎたので、文句は言わないことにして、鯖の串焼、カレイの串焼などをゲットした。目的が達せられれば長居は無用と、直ぐに出発。この間わずかに15分だった。

海岸線の道から内陸に向かって左折して、少し迷いながら和島の道の駅に着いたのは8時半頃だった。少し早すぎた嫌いがある。勿論まだ店などは開いていない。

   

道の駅:良寛の里わしまの景観。良寛の里というテーマパークの中心的存在となっているらしい。

この道の駅は「良寛の里」と名づけられた、和島村(今は長岡市)の小型テーマパークの中に造られており、まさに里というのに相応しい環境にある。朝も早いので来訪者は殆どいない。ここでゆっくり過ごすことにして、一息入れたあと、付近の散策に出発。

近くには、歴史民族資料館や良寛様の記念美術館などがある。先ずは歴史民族資料館へ。和島村の歴史や生活の有り様などが詳しく展示されていた。次に記念美術館へ行ったが、ここは有料で良寛様の書などが展示されているらしい。原書を見ても解らないので、ここはパス。この村が何故良寛の里なのかといえば、それは良寛様晩年の面倒を見た木村家というのがここにあり、良寛様のお墓もそこの菩提寺にあるからということらしい。

ガイドの資料も何も持ってこなかったのだが、昨日の国上寺の五合庵だったかの解説で、木村家のことを覚えていたので、それでは歩いて探してみようと見当をつけて行ってみることにした。拓の直感は結構当るのである。村のお寺や神社というのは、大抵は杉や欅、榎や松などの大木に守られている小高い箇所に多い。高台から展望してみるとそのような箇所が幾つかあって、どれがそうなのかちょっと迷ったが、右手の少し大きな森がそれらしく思われた。近くに集落もある。ということで、行って見ると、お寺ではなかったが、やっぱ良寛様ゆかりの神社だった。すぐ近くにお寺もあった。

   

隆泉寺本堂。田舎にあるごくありふれたお寺の一つである。偉ぶらない良寛様に相応しいお寺のように思えた。

隆泉寺というお寺が木村家の菩提寺である。良寛様の墓を中心に、左手に実弟由之の墓、そして右手に木村家の墓が設えられてあった。般若心経を誦して参詣する。木村家というのは、心底良寛様を尊敬されていたのだなと思った。人と人との結びつきは、時代を超えてその力強さ、素晴らしさが伝わってくる。良寛という人物も時代を超えて人々の尊敬を集め得る立派な方であったに違いない。禅僧の功徳は、説教ではなく実践にあり、良寛様はまさに行いを以てその道を示されたのだと思う。本物だ。

   

良寛禅師墓。墓碑には、良寛様を慕った村人たちの思いが籠められているようだった。

隆泉寺近くにある先ほどの神社は、宇奈具志神社といい、ここは昔出田の宮と呼ばれていたらしい。そこも良寛様ゆかりの社であるらしく、なにやら説明の看板があった。参拝をして戻ると、鳥居の前に手づくりの和絵ローソクを製造販売している店があり、このようなローソクは飛騨の古川ばかりかと思っていたのだが、そうではないことが分って、認識を改めた。記念に中程度の大きさのものを2本買う。

12時前に車に戻って、一休み。道の駅には結構車が増えていたが、良寛様の墓まで行くような人は、居そうも無さそうだ。歩いてこのようなことをするのは我々だけなのかもしれない。車の便利さだけに溺れてしまうと、手抜きの世界しか見えなくなるような気がする。やっぱり手足を動かして、停まって見ることが発見には不可欠な条件のように思う。まだここを去る気になれず、時間もあるので、昨日採ってきた蕗を煮ることにした。湯がいてから皮をむいて、その後で味付けして出来上がり。上等の出来上がりだった。ついでにアケビの芽茎も湯がく。これらは今夜の肴となる予定。お昼は今朝ゲットした鯖の串焼。若狭の浜焼きには少し及ばないような気がするが、ウメ~。文句は無い。いい加減な昼食だ。一杯やりたいところだが、さすがにそれは控える。

近くに神戸ナンバーのバンコンが停まっており。邦子どのが声をかけると、川西市からやってこられた山崎さんご夫妻で、これから北海道に向かうとの話だった。うらやましい。名刺を交換し、この夏の北海道での再会を期すことを約して別れる。

今日は高柳という所の道の駅で泊ることに決め、14時に出発。良寛の里和島は良い所だった。今度こちらに来るときには、また立ち寄りたいと思った。あれこれ良寛様のことを思いながらR116を20分ばかり走ると、道の駅:ふるさと西山公苑というのがあったのでちょっと立ち寄る。ここは、かの宰相田中角栄氏の出身地らしい。彼の日中国交回復の偉業を讃える為なのか、駅の構内に中華風の妙な建物があった。行って見るとこの町と姉妹都市だかの提携をしている中国の何とか言う町との交流施設だとか。彼の地の物産品などが展示販売されていたが、あまり活気は無かった。何だかわざとらしい感じがする施設だった。直ぐ出発。

柏崎市郊外で左折してR252に入って高柳町方面へ。1時間ほど走ってじょんびの里という妙な名の道の駅へ到着。かなり混んでいて、車を上手く停められそうな場所がなく、少し迷った。ここも小さなテーマパークのような所で、特に子供の遊び場が多いらしく、今日は土曜日なので家族連れで賑わっているようだ。しばらく我慢すれば車も減るだろうと、様子を見ることにした。

邦子どのは、こどもの日用にと得意の紙工作で、風車(かざぐるま)を幾つか作って、子供に出会ったらプレゼントしようと思っていたらしいのだが、和島の道の駅ではそれらしき子供が見当たらず、残念がっていた。ここには丁度喜んでくれそうな子供たちがいるようだ。早速近くの親子を捕まえて、風車を渡していた。柏崎辺りから来たのであろうか、小学校低学年と幼稚園くらいの姉妹は、そのプレゼントをとても喜んでくれて、親はそれ以上に恐縮して、邦子どのは満更でもなさそうだった。彼女のいつもの手である。

そうこうしている内に暗くなりだしたので、併設されている寿楽の湯という温泉に入りに行く。65歳以上は100円引きという。拓が老人扱いの恩恵を受けて温泉に入るのは始めての出来事だった。有難いような、情けないような複雑な心境である。あと5年も経てば、気取っていないでそれが当然という顔になるのかもしれない。

夜半から雨が降り出した。明日からは、又、雨となるのかもしれない。じょんびの里の「じょんび」というのはこのあたりのことばで、ゆっくりくつろぐという意味らしい。人出が多くてはじょんびは無理のようだが、夜になると全く静かになって、雨の音だけが天井を叩いている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南東北・佐渡・飛越信州の春... | トップ | 南東北・佐渡・飛越信州の春... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事