山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第14日)

2008-09-27 06:06:29 | くるま旅くらしの話

14日 <57()

朝から雨。どうやら今日は終日雨のようだ。勢堂氏との約束で、明日お宅を訪ねることにしているので、今夜は富山に近い宇奈月の道の駅に泊まろうと考えている。日本海に沿って走るR8に点在する道の駅に立ち寄りながら、ゆっくり西上()するつもりでいる。

8時少し前出発。昨日来た道を戻って柏崎でR8に。あとはこの道を黒部市まで直進するだけである。R8に入ると直ぐ、正面に雪を冠した山が見えてきた。何という山なのか分らなかったが、多分米山ではないかと勝手に判断する。米山は米山甚句にも唄われている名山だ。その山の麓の海側を走るR8の傍に、道の駅:米山があった。休憩に立ち寄る。

雨は今の所は小止みの状態である。トイレの近くに野草類を売っている所があり、そこにシラネアオイの鉢が幾つか並べられていた。拓はこの花が大好きで、函館山で自生の花を見た時からの大ファンなのだ。しばらく眺めている内にどうしても欲しくなり、1,500円の奴を一鉢ゲット。ついでに雪割草も一鉢。家に持ち帰り我が家の野草園に植えて仲間を増やしてやるつもり。我が家の野草園は、日除けも完備しているので、育ててゆく自信はある。今年の春も春欄を初め、ニリンソウやカタクリ、それにイカリ草やクモマ草など、もちゃんと花を咲かせてくれている。雪割草というのはオオミスミ草のことらしい。これで来年は、少し賑やかな早春を迎えることが出来るだろう。

米山を出た後は、杜氏の里と名のつく道の駅:吉川に寄ろうと向かう。ここはR8から少し内陸部に入った所にあるのだが、道を間違えてしまい、広い田んぼや森の多い里の中を迷った末にようやく発見。ここで1時間ほど休憩。山菜などをゲット。邦子どのはエビネを一鉢買っていた。隣の建物に杜氏関係の資料が展示されていた。この町から全国とは言わないが、かなりのエリアに酒造りに出かけているとのこと。地酒も売られていたが、このところ飲み過ぎの嫌いがあるので、買うのは自粛した。

再びR8に戻って、次の道の駅:能生に着いたのは、11時半頃だった。かなり雨が降っている。この道の駅は海産物の販売所が、駅の建物の脇に併設されていて、地元の魚貝類やカニなどをゲットすることが出来る。それが楽しみで寄ったのだが、今日はカニが一番の売り込み商品らしく、どの店もカニ、カニと、カニ一色に近い状況だった。拓ははっきりいってそれほどカニに魅力は感じない。

しかし、邦子どのは大好物なのである。昼飯時近くだった所為もあり、カニ(松葉ガニ)を買うお客さんが多い。店の一番端に休憩所があり、見ているとプラスチックの丸い大きな桶の中に、買ったカニを幾つも入れて家族連れの人たちがぞろぞろ入ってゆく。行って見ると、何とそこで大勢の人が黙々とカニを食べているのだ。カニの一斉食いである。これじゃあ我々も参加しないわけには行かないのではと、邦子どのに声をかけてカニを食べることにした。

雨降りはかなり激しくなっているのだが、そんなことにはお構い無しに、皆黙々とカニにかぶりついている。さすがの邦子どのもこの光景を見て少しためらいがあったようだが、やはりカニの誘惑には逆らえず、出かけていってカニをゲットしてきた。獲れたてのものではないので、実際食べてみると、スカスカの所も多くて、見た目よりは不満が多い。邦子どのはカニの身を引き出すのが得意で、それを貯めて食べる主義である。その具を車の中に持っていって昼食にすることにしてSUN号へ。鯖の串焼などを作って売ればいいのにと思うのだが、ここには焼き物は皆無である。拓はお付き合いで足を2、3本食べただけ。

昼食の後、明日の勢堂氏のことを考え、住所と地図の確認をしようと地図を探したら、何と持参してきたのは東北と関東地区の分だけで、他の地区の分を忘れて来てしまっていた。東北の地図には、新潟県までは載っているが富山県は載っていない。凡その場所は出発前確認していたので、イメージとしては見当がついているのだが、やはりいざとなれば地図がないとどうしようもない。富山の後に信州や飛騨の方面へ行こうとすれば、そこの地図が必要なのに、うっかり忘れて来てしまっていた。SUN号にはナビを付けていないので、地図がなければ、あとは勘を頼りとするしかない。何処かで富山の地図だけでも買う必要がある。

しばらく休憩の後出発。40分ほどで親不知ピアパークという名の道の駅に到着。ピアパークというのは、どういう意味なのか。最初はピアとビアと間違えて、どうしてこのような所にビールなのかな?などと疑問に思った。調べれば何のことはない、難所の親不知を北陸高速道が通っており、その橋脚の下にこの道の駅が造られている。英語で橋脚のことをピアというらしい。とんだお笑いである。この道の駅にも魚介類が販売されているが、能生とは比べものにはならず、パスして次に向かう。

次は富山県との県境近くにある市振の関という名の道の駅である。この関所がどのような役割を担っていたのかはよく分らないが、越後と越中との境にあるのだから、軍事や経済上での何らかの重要な位置づけであったのは確かだろう。何しろ江戸時代というのは、この狭い日本を300余の小国家が集って区分統治をしていたのである。その時代が終わってから、未だ150年も経っていないのだ。あらためてそのことに気づくと、驚かずにはいられない。この道の駅に着いた頃は雨も少し小ぶりとなってきた。売店で地図を探したら、丁度欲しい情報の入ったものが見つかった。これで明日はもう大丈夫である。

直ぐに富山県内に入って、宇奈月に向かう。宇奈月といえば、黒部渓谷の入口にある温泉で有名な所だが、今日お世話になろうとしている道の駅は、それよりもかなり手前にあり、近くに温泉があるかどうかは分らない。富山県は日本でもリッチな県の様だ。名目上の所得は東京などの大都市圏には及ばないが、住宅を初め生活のベースとなるものについては、遥かに上を行っているし、又この大自然に囲まれていれば心も豊かになるのではないかと思う。立山連峰の厳かな峰々を仰いで育てば、自ずと精神の健全性も培われるのではないか、などと勝手な想像を巡らしながら40分ほど走り、黒部川の橋を渡って左折して、間もなく目的の道の駅に到着した。15時だ。少し早すぎる到着だが、今日の泊りはここに決めている。

道の駅構内には、「宇奈月麦酒館」というのがあって、どうやらここで地ビールの製造と販売を行なっているらしい。これは良い所に来た、と早速館内に入ってみる。「宇奈月ビール」というのが商品名らしいが、案内のパンフの説明によれば、ここのビールは本場ドイツの品評会でも入賞しているとか。飲んでみないと分らないが、来て早々ビールというわけには行かない。いつものように情報を求めて付近を散策するのは拓の役割。温泉はないかと案内板などを見てみたが、勿論この構内にはなく、隣は友学館という名の博物館のような建物が建っていた。2kmくらい離れた所には保養施設のようなものがあるらしい。そこへ行けば温泉があるのかもしれないが、今夜は我慢することにして動き回るのをやめる。

夕方になると、麦酒館のバイキングとビールを求めて三々五々人が集まってくる。我々にはバイキングなどは不要で、ジョッキのビールだけが欲しいのだが、持ち出すわけにも行かないので、我慢することにした。だが、我慢は効かず、邦子どのが売店へ行って3種類の缶ビールを買ってきた。

     

 地ビールの一つ、宇奈月ビール。なかなか味わいのあるビールだった。

トロッコ、カモシカなどと商品名が書かれていた。今日も日本酒でいいやと思っていたが、目の前にあるとそうはいかない。少し飲ませてもらったが、なるほどここのビールは、ドイツのビター系のようだ。黒ビールとまではいかないけど、褐色系の色合いをしており、ほんの少し苦味があって、拓の好きな味だった。これなら2Lくらいは直ぐにいけるなと思ったが、そのようなことすれば糖尿君が黙っているはずがない。残念だけどコップ一杯ほどで、諦める。

雨は降り続き、夜の間も止むことはなかったようである。

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