山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

クルマユリに逢いたい

2020-07-20 08:18:21 | くるま旅くらしの話

今年こそ夏は北海道へ行くぞと、自治会の仕事から解放されて心に決めていたのに、思いもかけぬコロナ禍のため今は断念せざるを得ない状況となってしまいました。それでも諦めきれず、今頃の彼の地に咲く花を時々思い出しています。その中で今一番逢いたい花があります。それは道東の別海町にある、別海町生活環境保全林「ふるさとの森」に咲くクルマユリの花なのです。

 クルマユリ(車百合)の花をご存知でしょうか? 似た花にコオニユリ(小鬼百合)やオニユリ(鬼百合)がありますが、クルマユリはこれらの仲間で、対生して付いている2段目の葉がぐるっと荷車の車輪の様に丸くなっているので、直ぐに見分けることが出来ます。オニユリは大型に育ち葉の元にムカゴがつくので直ぐに判りますが、クルマユリはコオニユリと同じかもしくはそれよりも小ぶりの立ち姿で、寒冷地を好むようで、北海道では山林の下地に生える小笹などの中に点在して咲いていることが多いのです。

    

クルマユリの花全景。上から2段目の対生している葉が、車輪のように丸くなって生えているのが特徴。花はコオニユリによく似ている。

 夏の北海道の旅では、涼しい道東エリアを目ざす人が多いのですが、私たち(家内と一緒)は、いつもその中の別海町を目ざします。別海町は根室市に隣接する牧畜と漁業の町で、面積は1,320㎦と広大で北海道では平成の大合併までは足寄町に次いで2番目の広さでした。現在は道内5番目の広さとなっています。町の大半は牧場で、人口約13千人に対して飼育されている牛の数は約115千頭といいますから、人口の8倍以上となっています。勿論これは全国一の数値であり、牧場の多い北海道の中でも随一の牛飼いの町ということになりましょう。

 その別海時町へ行くようになったのは、20年ほど前にくるま旅をしていて、町の中にある「ふれあいキャンプ場」に立ち寄った時に、何人かの旅仲間の人たちとの出会いがあったからなのでした。別海町には海側の尾岱沼地区にもキャンプ場がありますが、私たちがその後定宿するようになったのは、町の中心部近くにあるキャンプ場の方で、その時知り合った仲間と毎年ご一緒することを楽しみにするようになったからなのです。キャンプ場に隣接した小高い丘の上には温泉施設(=郊楽苑)があり、旅の者にとっては長期滞在も可能な条件を満たした場所なのでした。それ以降ほぼ毎年このキャンプ場を訪れることになり、長い時には約1カ月も滞在することがありました。別海町は農業の限界地帯といわれた根釧原野を開拓した地であり、農作物の自然の中での生育・栽培は困難で、牧草くらいしか育たなかった場所なのです。それゆえに牧畜が盛んとなった訳です。最近は地球温暖化の影響などで暑い日も多くなっていますが、ここの夏は冷涼な日が多く、時には冬の着衣が必要となるほど寒い日も混ざっています。どんなに暑い日でも朝は霧が出て涼しくて避暑に向いている場所なので、ここに来ないではいられなくなったという次第です。

 前置きが長くなりましたが、大体8月の初め頃にここへやって来ることが多く、先ず1泊した翌日の朝には、自分一人でいつも決まったようにクルマユリに会いに行くことにしていました。というのもキャンプ場の東に隣接してふるさとの森というのがあり、ここには森の中に散策路がつくられていて、滞在期間中には時々早朝散歩をするのを楽しみとしていました。そして訪問の翌日には必ず歩くことにしていたのです。

 このふるさとの森の入口から散策を始めると、径の直ぐ左手傍に濃い橙色の花を咲かせたクルマユリが微笑んで迎えてくれるのでした。いつも同じ場所に静かに佇んでいるその姿には、何ともいえぬ風情があって、心は絶対的と言っていい安堵感に満たされるのです。

 この嬉しい楽しみが何年間か続きました。別海町を必ず訪ねる理由は他にも幾つもあるのですが、もしかしたら自分の心の奥深い所で、この花に逢いたいという衝動のようなものが働いているのかもしれません。

 ところがある年、2年ほどのブランクがあって北海道を訪ねた時、この地のこの場所に来てみたら、何といつものあの橙色の温かい微笑みが迎えてくれなかったのです。一体どうしたことなのかと、辺りを懸命に探して見たのですが、見つかりません。よくよく見てみたら、どうやら前年辺りにこの地で植樹祭のようなイベントが行われたらしく、周辺の樹木が伐られ下草が刈られたようで、いつもの環境とは違ってしまっていたのでした。繊細な彼女たちはどこかへ消え去ってしまっていたのです。植樹祭などに名を借りて何ということをしてくれたのだと、憤りを覚えずにはいられませんでした。

 でもこの森の中には他にも何本かのクルマユリたちがいる筈なので、その先の径を辿って探しました。しばらく歩いてようやくあの橙色の花を見つけた時は、本当のホッとしました。それにしても何だかクルマユリたちが急に少なくなってしまっている感じがして、落胆の思いが強くなりました。人間という奴は常に進歩や変化を求める性質があるのかもしれませんが、この頃はそれがとりわけて増長して、何か大切なものを破壊し失い続けているような気がしてなりませんでした。もしかしたらクルマユリたちもその犠牲となっているのかも。

 コロナ禍の只中にいて何処へも出かけられないのが残念です。今年はあの場所に、もしかしたら一旦消え去ったあのクルマユリが戻って来ていて、静かに微笑んでいるのではないか。その様なことを想いながら過ごしているところです。

      

いつも決まった場所で来訪者に微笑みかけていてくれたクルマユリの一株。これは2011年8月1日に撮影したもの。

 

 

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