山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第29回>

2018-06-23 05:49:13 | くるま旅くらしの話

【今日(6/23)の予定】 

別海町ふれあいキャンプ場 →(R243・D・R244・D)→ 野付半島ネイチャーセンター(原生花園散策)→(D・R244・R272他)→ 中標津町郷土資料館 →(R272・D)→ キャンプ場(泊)

 

【昨日(6/22)のレポート】 天気:曇り後晴れ時々雨

<行程>

別海町ふれあいキャンプ場 →(R243・R44・D)→ 根室市自然と歴史の資料館 →(D・R44)→ 道の駅:スワン44ねむろ →(R44・R243・R244)→ 標津町歴史民俗資料館 →(R272・D・R243)→ 別海町ふれあいキャンプ場(泊)

<レポート>

 朝起きた時は相変わらずの霧に覆われた空だったが、散歩から戻り朝食の後しばらくすると青空が見え出し,一気に快晴となった。久ぶりの明るい天気に自分たちも明るい気分になった。昨日の愚痴が天に届いたのかもしれない。

 さて、今日は図書館通いを止め、近隣の根室市と標津町にある郷土資料館等を訪ね回る予定でいる。最初は根室市にある自然と歴史の資料館を訪ねることにしている。ここは9時半が開館時刻となっているので、朝食の後に少し思うことがあって、米子市在住の知人に手紙を書いた。それが済んで、9時半頃根室に向けて出発する。

 快晴の青空の下、時代な牧場が幾つも広がっている大平野の中の道を走るのは真に気分爽快だ。内地では到底味わえない景観だ。まだ見たことのない多くの知人たちに、できるのならこの広い北の大地の気分を持って行って見せてあげたいものだ。そのようなことを考えながら1時間ほど走って根室市花咲にある自然と歴史の資料館に到着する。建物は花咲小学校の隣にあって、小学校の建物は個性的で印象に残るものだった。資料館も同じように建てられているようだったが、中に入るとまるで資料の缶詰館のような雰囲気で、廊下の両側の棚には、様々な書類や資料がびっしりと詰められて続いていた。そのような廊下を通って展示室の方へ行くと、こちらの方は存外に狭くて、二つほどの部屋にこの地の動物たちの標本とそれから縄文遺跡からの出土品、クナシリ・メナシの戦いに関するアイヌの人たちが築いたチャシの紹介資料、幕末ロシヤのラスクマンの根室来航の若干の資料などが展示され、民具や漁具なども少し並べられていた。明治以降の開拓の歴史に関しては殆ど関係資料も説明も見当たらず、少しがっかりした。

 根室市は、戦前までは北方4島へ行く交通の基地として、或いはカニや鮭等の豊かな漁業資源を扱う場所として、栄えて来たのだと思うのだが、それらについての紹介は殆どなかった。他の場所に行けばそれらが見られるのかもしれないけど、今回はここだけにしておくことにして館を後にする。

 お昼の時間が近づいていたので、近くの道の駅に寄り何か食べることにする。途中風連湖の脇を通りかかったら、すぐ傍の水辺に丹頂のつがいがいるのを見つけて、写真を撮ろうと車を止める。邦子どのの話では、ヒナもいてその親が子育ての最中なのだという。ヒナは2羽いたのだが、その内の1羽は亡くなってしまい今は1羽だけが育っているとのこと。これはこの地でこれら親子を見守りながら写真をとっている方から聞いてきた情報だとのこと。いつものことながら、感心した。その後は道の駅に行き昼食休憩。

風連湖にはタンチョウが定住しているらしい。この2羽の傍にヒナが1羽いるらしいのだが、それをキャッチするのは難しい。

 1時間ほど休んだ後、次の訪問先の標津の資料館に向かって出発する。標津まではナビによると80km近くあるので、少し時間がかかりそうだ。標津へは途中から海岸沿いを走る道を行くことになる。先ほどの広大な平原ではなく、右手にはまだ寒さを残している大海が控えている。今日は穏やかなようだが、冬の厳しさは自分などには想像もつかないほどだと思いながら、走っていると先ほどまでの晴れの天気はどこへ行ったのやら、俄かに雲が立ち込め雨が降り出した。どうやら今日は穏やかな晴天とはゆかない天の機嫌の様である。不安定な天気の下を走って、標津の資料館に着く。ここはポー川史跡自然公園の中にあって、資料館というよりも開拓村や遺跡等を中心に展示したりしているようである。センターの中に入って見ると、やはり縄文から始まる各時代の遺跡についての説明やアイヌ文化等についての解説等が中心に為されており、明治以降の開拓の歴史については極めて簡単に終わっていた。公園の中に開拓時代の建物などが展示されていたので、多少は往時のことを思い浮かべることはできるのだが、資料の方は殆ど手に入らず、辛うじて邦子どのが会津藩について書かれたものがあるのを見つけて買って来てくれたので、この地の開拓が会津藩と係わりが深いことを知った次第である。しかしその内容はまだ読んでいないので、これからの課題となる。根室エリアは仙台藩と会津藩二つに分けて開拓が開始されたという紹介がどこかにあったと邦子どのが言っていたが、これもおって確認することにしたい。

 標津の後は、資料館の見学等は止めることにして、中標津で給油を済ませ、その後中標津のスーパーへ寄って買い物を済ませ、キャンプ場に戻る。天気は相変わらず不安定で、キャンプ場に着いた途端にまたまた雨が降り出したと思ったら、直ぐに止んで今度は猛烈な西日が射しこんで目が痛くなるほどの天気となった。なんだかんだしている内にようやく夜を迎える。

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