山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第6日

2010-12-04 02:16:31 | くるま旅くらしの話

 第6日 <10月28日(木)>

          

【行 程】 道の駅:萩しーまーと → 萩市内・光国本店(菓子舗) → (R191・262) → 道の駅:萩往還<バッテリー不調のためJAFに救援依頼> → (R262・R9) → 山口市郊外イエローハット(バッテリー交換) → (R9) → 瑠璃光寺(山口市) → かんぽの宿湯田(入浴) → (R9・K61他) → 道の駅:あいお(山口県秋穂町) (泊)  <108km>

 

今日は良い天気のようで、朝6時半過ぎに起き出して外に出ると、青空が広がっていた。萩の周辺には小さな小高い山が幾つもあって、それらの山々にはびっしりと樹木が茂っているのが印象的だ。樹木の中心は松のようにも思えるけど、立ち枯れしているのが多く、松にとっては厳しい環境になっているのかなと思った。昨日訪ねた松蔭神社にある松下村塾という命名も、そこが松本村という所だったことから来ているとのこと。ということは少し昔の明治の頃までは、この辺一体の山には松の木が多かったのだと思う。松の木というのは、土壌が肥沃化すると枯れ易くなると聞いており、この辺りは中国大陸から偏西風に乗ってやってくる、何やらの化学物質がもたらす酸性雨によって土壌の肥沃化が進み、息切れした松に松食い虫などが取り付いて、枯らしてしまっているのかも知れない。中国地方に来ると、来る度に山の中に枯れた松が増えるのを見て、いつもその様なことを思うのである。

 

さて、今日は萩を後にする予定である。足掛け4日も費やして萩の街をウロウロしたので、一応は満足したことにしたい。まだまだ訪ねたい場所は幾つもあるし、本当に萩を知るためには、名のある所ばかりではなく、知られざる裏通りや山の中の細道などを歩いてみる必要があると思うのだが、今のところそこまで入れ込んで調べたりするニーズはない。明治の胎動となった人々を生んだ町の面影を、一応はつかむことが出来たように思う。

 

邦子どのが何やら萩名産の夏みかんを使ったお菓子を買いたいというので、9時からの開店まで道の駅にて過した後、その光国本店とか言うところまで向う。近くのスーパーに車を止め買物をしている内に、念願の菓子を手に入れた邦子どのが興奮気味に戻ってきた。その後、道の駅:萩往還に向う車の中で、そのお菓子の作り方などについて、店の人から聞いてきた講釈が始まったけど、その様な食べものにはあまり関心のない自分は、単純にああ、これは学んだことのおさらいをしているのだなと、適当なる相槌を打ち続けたのだった。

 

道の駅:萩往還は今回3度目の来訪となる。今日はこれから山口市の瑠璃光寺を訪ねた後、湯田温泉のかんぽの宿に立ち寄り湯をして、それから秋穂(あいお)町にある道の駅:あいおに行って泊る予定でいる。時間的にかなり余裕があるので、ここで旅の記録の整理などをして昼近くまで過すつもりでいる。いい天気で、車の中に居るのは勿体ない気がするけど、ソーラーが活躍している今の内にパソコンを使うのが電源管理上一番安心である。電気というものを、もっと効率的に貯めておけるツールを、どなたか考え出して頂けるとありがたいと思う。使わない電気は貯めない限りそのまま無駄に消えてゆくというのは実に大きな損失だと思う。今のような重量の大きいバッテリーでは、旅車にたくさん積むことはできないし、外部電源を使えるような環境には殆どなっていないので、この問題はくるま旅くらしでは一番悩ましい。とにかく節電するしかない。ソーラー発電は天気次第だから、雨や曇りの日が続けば、お手上げなのだ。その様なことを考えながらしばらくパソコンに向かい、一段落したので少し早めだけど出発することにした。

 

ここで、一大トラブルが出来(しゅったい)したのだった。邦子どのが助手席に坐り着いて、さて出発!とエンジンキーを回したのだが、これがかからない。何度やってもダメなのである。その内にウンともスンともいわなくなってしまった。いやあ、こりゃあ参ったね。一昨日も一度エンジンがかからずにあせったことがあったのだが、その時は運よく作動してくれて難を逃れたのだったが、あまり深く考えることも無く、ちょっと機嫌が悪かったのだろうと、その程度にしか考えず、そのまま放置していたのである。とにかくどうしようもないので、JAFを呼ぶしかない。電話をして救援を依頼した。30分ほどで到着するとのことだった。

 

待つこと15分。この間にバッテリーを覗いて見たら、3個あるうちのメインのものが液も少なくなっていて、接続部分に白っぽい粉がふいていた。こりゃあ、ダメだなと思った。ここ数年バッテリーを自分でチエックしたことがなかった。メインバッテリーはもう5年ほど経っている筈だ。2個あるサブの方はソーラーを取り付けた3年ほど前に新しくしているので、まだ大丈夫だと思うけど、メインの方は何の手当てもしていなかったので、寿命が来てしまったようだ。思ったよりも早くJAFの人が駆けつけてきてくれて、チエックをして頂いたら、やはりメインのバッテリーがダメになっているとのこと。丁寧に清掃をして、電圧を計って頂いたのだが規定値には満たず、交換が必要とのこと。容量の大きいバッテリーなので、萩には在庫している所が無いかも知れないという話なので、山口まで行って専門店を探すことにした。応急にエンジンを掛けて頂き、とにかく山口市内に向うことにする。JAFにはいつもお世話になっており、このような時には真に心強くありがたい。親切丁寧な対応に深謝、多謝。

 

それから後の運転者の心理は、一言でいえばヒヤヒヤの連続である。とにかくエンジンを切ったり、エンジンが停まったりしてしまったら一巻の終わりで、その場所でもう一度JAFにお願いするしかない。萩から山口までは坂道ばかりの連続で、慎重な運転を心がけ続けた。ようやく山口市内に入ったのだが、直ぐに見つかると思った専門店がなかなか現れないのである。R9はバイパスとなっていて、もしかしたら旧道の方にその様な店があるのかもしれない。迷いながら10kmも走った辺りにようやくイエローハットがあるのを見つけた。在庫が無かったときのことを考えて、念のためエンジンを掛けたままにしておいて、店の人に交換をお願いする。幸いなことにOKとのこと。やれやれである。いやあ、反省しきりである。旅に出る前には、バッテリー以外の部分は入念に点検整備をしてもらっているのに、何という手落ちだったか!これからはしっかりと見るようにしようと改めて心に誓ったのだった。

 

30分ほどで交換完了。14時になっていた。まだ時間は十分あるので、来た道を戻って瑠璃光寺に行くことにする。瑠璃光寺は五重の塔が美しい。以前に来たのは何年前だったろうか。もう5年以上も経ってしまっているような気がする。案内表示に従って行って見ると、以前の駐車場とはかなり違っていた。場所も以前は確か最初に鴬張りの石畳とか言うのを歩いて五重の塔に向ったように記憶している。あの時よりはずっと広くきれいになっていて、ここが人気スポットであることを証明しているようだった。

 

先ずはお寺に参詣して般若心経を唱える。その後は五重の塔の写真などを撮りながら、ゆっくりと境内の中を散策した。その昔の西国の雄だった大内氏のことをもっと知らなければいけないなと思いながら、家に帰る頃にはすっかり忘れ果ててしまうのがいつもの自分だけど、今回もまた同じ結果となるのかもしれない。境内に建っている大内弘世公が馬上に跨った像を見ながら、又同じことを思った。確か大内氏に引導を渡したのは、毛利氏だったのではなかったか。歴史の変転は、今の時代とは無関係のように思えるけど、やっぱり知ることは興味深い。少し離れた鴬張りの石畳という所にも行って、足を踏み鳴らして音が響くのを確認した。とてもウグイスというわけには行かないけど、確かに鈍い反響があって、恐らくその昔であれば、今よりは遙かに周辺が静かだったであろうから、随分と評判になったのであろう。いい時間だった。

 

     

 

山口市にある瑠璃光寺・五重塔。この池に映る姿が美しいのだが、今日は少し風があって、いい写真が撮れなかった。ここに来ると、毛利の前の時代の歴史の雅のようなものが漂うのを感じるのである。

 

1時間ほどで瑠璃光寺に暇を告げて出発。次は温泉に入るつもりである。かんぽの宿というのに立ち寄り湯が出来るのを調べておいたので、そこへ行くことにしたのだが、住所までは調べなかったため、これがなかなか見つからない。湯田温泉というのはそれほど大きくも無いと思うし、かんぽの宿というのは全国各地にあって、大抵は分かりやすいように案内板などが掲出されているので、行けば分かるだろうと高を括っていったのだが、湯田温泉外の中心道路を往復しても見つからない。諦めかけてR9に出ようと十字路を曲がって少し行った途端に、案内表示が目に飛び込んできた。ヤレヤレである。とにかく見つかったので大急ぎ入浴の準備をしてフロントへ。お一人様500円也。ま、普通の値段である。ここも温度の低いお湯だったが、よく温まってまあまあの温泉だった。小一時間ほど入って、先ずはリラックスする。何といっても今日はとんだトラブルを招来して反省しきりである。反省はお湯に流して気分転換が何よりも大切、などと自分に言い訳をしてお湯を出る。

 

さて、後は今日の宿を予定している秋穂町の道の駅に向うだけ。小郡町を通り抜け、R2沿いに行くと案内表示があったのでそれに従って秋穂町に向う。秋穂と書いてあいおと読むのは難しい。秋という字をあいと読むのは、例えば宍道湖の湖畔に秋鹿と書いてあいかと読む道の駅があるので知ってはいたけど、穂をおと読むのは気づかなかった。赤穂というのがあるから、あれと同じなのかも知れない。地名にはそれなりの謂れの様なものがあるのだと思うが、さて、秋穂とはどういうところから来ているのだろうか。なかなか興味あることである。そんなことを考えている内にたちまち道の駅に到着。

 

まあ、想像していたよりも遙かに小さな道の駅だった。駐車場も狭くて、普通車の所に止めるのは難しいので、道路の向側にあるもう一つの駐車場の少し大きいエリアに車を停めることにした。道の駅は小さいけど、ここの県道の車の通行量はかなりのもので、ひっきりなしに車が通過して行く。スピードを落とさないままの直線道路なので、横断には神経を使う。泊るのがこの道の駅で本当に良かったのか、チョッピリ反省したが、後悔先に立たずである。とにかくお世話になることにした。

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