山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

山陽・山陰の道ふらり旅: 第8日

2009-10-31 03:20:07 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:インフォメーションセンター川本→石見銀山世界遺産センター駐車場→石見銀山遺跡散策⇔温泉津温泉:薬師の湯→道の駅:キララ多岐(泊)

川本の朝は江の川からの霧が一帯を包み、晴れという天気予報とは無関係の様相だった。8時半頃から霧は次第に晴れて、やがて青空が覗き出した。住み慣れないと判らない天気である。
今日の予定は、石見銀山遺跡を見聞した後、温泉津温泉に入り、少し離れた道の駅:キララ多岐まで行って泊まる、と考えている。少し早めに行った方が良かろうと、9時前に出発。石見銀山までどの道を行くのがベストなのかはっきりしない。狭い道は避けることにして、県道32号を行くことにした。ところが途中予定していた、県道31号につながる県道46号は、とんでもない細道で、その交差点には曲がらず直進するべしの矢印標示があった。どこかに新しい道でも出来たのかと行く内に、何とR9まで来てしまった。かなり遠回りした感じだが、道は広いので文句は引っ込めることにした。大田市郊外から県道31号に入り、7キロほど走ると世界遺産センターの駐車場に到着。大田市からの県道は立派な道だった。
世界遺産センターの駐車場は、無料で石見銀山遺跡観光の拠点となっている。ここからバスに乗って大森や代官所跡という所まで行くのだが、我々は歩いて行くことにする。その前に腹拵えをする。
銀山遺跡の中間位に位置している銀山公園まで1km強の下りの山道は、里の秋を実感させてくれるいい歩きだった。間もなく五百羅漢のあるお寺に到着。ここは中には入らず、外から拝観しただけ。まずは左手の龍源寺間歩という所まで歩くことにする。小さな川に沿ったその道は、昔ここが一大鉱山だったことを少しも感じさせない、静かな山里の雰囲気しかなく、どこにその様な跡があるのか気づかないほどだった。しかし散策路の一番奥の龍源寺間歩という坑道に入ると、その印象は一変した。
間歩(「まぶ」と呼ぶ)というのは、坑道のことだという。初めて聞く言葉だった。銀鉱脈のあった仙山という山には6百余の間歩があるという。その一つの龍源寺間歩は、観光用に坑道を拡大して見せるように作られている。百米以上の長さがあり、途中から外へ通り抜けられるように作られている。元々高所閉所恐怖症の気のある自分には、坑道などは敬遠したい場所なのだが、その昔の人たちが働いた様子を知る為には、一度は入って見る必要がある。
いやあ、とんでもない現場だった。見学用坑道の脇に幾つかの細い坑道があり、それが本物の坑道なのだ。縦が1mと少し、横が50cm足らずくらいの広さしかない。人間一人が辛うじて身を転換させることができるスペースである。石炭炭坑の坑道とはかなり違う厳しさだ。これはとんでもないことだったのだなと、改めて何度も思った。
坑道を出た後、直ぐ下に匂い袋を売っている店があり、そこの店主の話では、標準的な間歩の大きさは縦4尺、横2尺だったという。その狭い道を数百米もタガネやノミを使って掘り進んでいったというのだから、凄まじい。これ以上劣悪な労働条件はあるまい。銀には毒性もある。暗闇の中で打ち砕いた石の粉塵を吸って、まともに命を長らえることができる人間などいる筈がない。殆どの人夫が短命だったという。現代の感覚では、考えられない過酷さだ。複雑な気持ちで山を下ったのだった。
ゆっくり歩きながら銀山公園まで戻り、その後は大森の町並みを代官所跡まで、相棒とは別行動で散策する。お寺の数が多いのは、当たり前だなと思った。町並みの中に何やらその昔の役人の居宅が幾つかあったが、人夫の悲惨さを思うと、覗く気にはなれず、ほんの一粒の銀を1日の賃金として与えて(どこかのガイドのおばさんは、今の金額では日に7~8千円の高級取りだなどとノーテンなことを言っていたが)人間を使い棄てにした、大久保長安やその配下の連中を尊敬するわけにはゆかない。又彼らを使い捨てにした徳川幕府の一統も尊敬の対象外である。馬の骨はそう思うのである。
些か歩き疲れて、代官所跡まで辿り着き、やがて遅れてやって来た相棒と、帰りはバスで世界遺産センターまでもどる。バスの本数はかなりあり、交通アクセスは整備されているなと思った。
車に戻り一休みする間もなく、温泉津目指して出発。温泉街は道が狭く、駐車場が心配だったが、行ってみると街の入口に公共の駐車場があり安堵した。そこに車を置き、少し歩いて薬師の湯という古い湯に入る。湯船がたった一つでカランも数個の素朴な造りだが、湯の方は千年来の源泉掛け流しの本物である。今日の銀山跡散策を巡る様々な複雑な思いを湯気と一緒に消えさせる。いい湯だった。その昔の銀山で働く人たちもこの温泉津の湯で身体と心の疲れを癒やしたに違いない。
温泉津を後にしてR9に戻り、多岐町(今は出雲市)の道の駅を目指す。50分ほどで到着。少なくなった水の補給ができるかが心配だったが、ここには水汲み場があり、助かった。何やらやっている内に、辺りが暗くなり夜がやって来たようだ。日本海側はTVの映りが悪いが、ここもやっぱりダメだった。しかし、TVを見るまでもなく、食事の後は眠りが待っている。明日は土曜日。さてどうするか。夢の中で考えることにしよう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山陽・山陰の道ふらり旅: 第7日 | トップ | 山陽・山陰の道ふらり旅: 第9日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事