〔これは6年前の記録です〕
第6日:11月22日(月)
行程:道の駅:日向~ 鵜戸神宮 ~ 飫肥市:飫肥城 ~ 道の駅:酒谷〔泊〕 <130km>
明け方の4時頃外に出てみると、北斗七星やカシオペア座の星々が大きく煌いていた。北極星も迷うことなくあれがそうだ!と直ぐに確認できた。久しぶりに澄んだ美しい星空を見ることができて感動一入であった。それからもう一度寝床にもぐりこんだのだが、6時過ぎになって珍しく邦子どのが先に起き出したので驚いた。どうやら日の出の写真を撮りたいらしい。駐車場の下が海で、水平線が僅かに赤くなっているのが望まれる。水平線近くに薄い雲の層が黒く山のように邪魔をしているが、あの辺りから日が昇るのであろうか。日向の名に相応しい日の出が見られそうである。昨日は暗くてよく分からなかったが、明るくなるにつれて、ここはなかなか眺望の素晴らしい所であることが分かってきた。駐車場の近くの木々の下には、ツワ蕗の群れが凛とした黄色の花を咲かせていた。晩秋から初秋にかけての海岸近くの林などに多く見られるこの花が好きだ。
そうこうしているうちに日の出となった。海の果ての一箇所が赤く染まり、暫くするとポコンと太陽が顔を出す。日向の日の出だ!邦子どのは何回もシャッターを切っていた。拓も2,3枚。果たしてどのようなレベルの写真が撮れたのか、楽しみではある。
日向の海の日の出。水平線の彼方に雲が広がっていたが、その上に光り輝く太陽が浮かび上がってきた。厳かな日の出である。
我々の他にもう一台昨夜からここに泊った人がいて、同じように写真を撮っておられた。邦子どのが話しかけたらしく、拓も何となく話しに加わる。お聞きすると、福岡からお見えになっているとのことであった。巨樹に関心をお持ちのようで、椎葉近くにある神社の御神木が倒れたのを知り、わざわざそれを訪ねられたという。その樹の根元にあった苔を神社に断って採って来られたとか。その一部をおすそ分け頂いた。Yさんとおっしゃるその方は、福岡市は室見川沿いにお住まいとのことだった。拓たちも昔福岡に住んでいた頃を思い出し、懐かしさと共に親近感を覚えた。あれこれ旅や写真の話などをする。楽しい出会いのひと時であった。再会の機があることを念じてお別れして出発。
今日はとにかく先ずは鵜戸神宮へ行くことである。日向という所は宮崎県では北部にあたり、県都宮崎まで70km近く離れている。ひたすら南下を続け、宮崎市内でR10と別れてR220に入り、青島を過ぎ青い海と白い波が眩しく輝く日南海岸を暫く走って、ようやく鵜戸神宮に到着する。今回の旅は、ここが最南端拠点の予定である。
「鵜戸さん参りは、春三月よ~」というシャンシャン馬道中唄、といってもこの一節しか知らないのだが、鵜戸神宮といえばこの唄の頭の文句だけが突出して記憶されおり、拓には全く未知の世界なのである。神宮というからには一般の神社などより歴史や由緒ある所なのであろうか。神宮、大神宮、大社、神社などと神を祀る社の呼び方にいろいろあるようだが、どのような違いがあるのか良く分からない。神様にも格や序列があって、尊称が異なるのであろうか。とにかく鵜戸神宮というのだから、格も高い神社なのであろう。
R220を左折して細い道を海に向かう時には、長い距離だと離合がめんどうだなあと心配したが、直ぐに駐車場に着いたのでホッとした。車を降りてさっきからシクシクなっていた腹具合の調整にトイレに直行。いざという時には、神様よりもトイレの方が最優先というのが人間の本性である。鵜戸神宮は、駐車場から急坂を登り下って、とんでもない海岸の崖っぷちにあった。今まで見たどのような神社よりも変わった場所である。洞窟の中に本殿があって、いかにも神秘的である。何やいろいろと由緒やいわれが書かれていたが、よく分からない。とにかく敬虔な気持ちになれるのは確かである。
鵜戸神宮入口の門。この右下は海が迫る断崖となっている。その断崖の中腹辺りに神殿が設えてある。
本殿の直ぐそばに、海に突き出た亀石という巨石があり、そこに穿たれた桝形がある。そこに土を焼いて造った運玉という直径1cmくらいの丸い玉を投げて上手く入れば願が叶うという。男は左手、女は右手で投げるのが決まりだとか。拓はそのようなことには滅多に係わらないが、邦子どのは存外軽薄でやりたがる。なかなか来ないので振り返るとやっぱりその運玉投げにチャレンジしている。どうせ失敗ばかりだろうと見ていると、なんと何回目かにちゃんとその桝形の中に運玉を入れているではないか。一人ジャンプして手を叩いて喜んでいるのは、あれがもう直ぐ還暦を迎える奴なのかと呆れかえった。それにしても何の願をこめたのであろうか?存外、宝くじのようなものなのかもしれない。
亀石に穿たれた運玉入れの穴と注連縄。邦子どのは見事にここに一発投げ入れたのには驚かされた。それほど強運とも思えないけど、これから運河向いてくるのかな?
この神宮に来た甲斐があったなと思いつつ再び坂を登り下って駐車場へ。ここには九州に住む人たちを中心とする何百万という善男善女が訪れたのであろう、石段には磨り減ってへこんでいる箇所が幾つもあった。
さて、これからどうするか? 13時半になっている。日南市には初めて来たので案内も何もよく分からない。NHKの朝ドラで「わかば」というのをやっており、飫肥の町が舞台となっている様なので、飫肥市というのがあるのかと地図を見てみたのだが、そのような市はなくて、日南市の中に飫肥があるのを知ったというのが出発前の拓の知識レベルなのである。とにかく飫肥まで行って飫肥城などを見て、適当な場所があればそこで泊ってもいいなと考えて出発する。南の方に少し走り、油津で左折してR222へ。油が少なくなっていたのでスタンドで給油。給油していると急に空腹を覚えた。車だけが腹ぺこなのではなかった。気がついてみれば14時を過ぎているのに昼食が未だだった。近くにあったちゃんぽんのチェーン店にて食事を済ます。飫肥城到着15時。
飫肥城入口。(何という門なのかその名前は忘れた)あまり大きくない、簡素な感じの城郭だった。
飫肥城脇にある駐車場にSUN号を停めて市内散策。さっそくお城の中や、その付近の屋敷町、更には商工者の住んでいた地域などをじっくりと歩き回った。藩校振徳堂も訪ねた。何人もの要人を輩出した学問所は、素朴で松下村塾のたたずまいとよく似ていた。明治時代活躍した外交官小村寿太郎はここで学んだ人らしい。城下町としての風情は津和野よりも上ではないかと思った。
飫肥藩の藩校、徳振堂の景観。質素な建物だが、ここで学んだ人たちの静かな情熱のようなものが伝わってくる感じがした。
この飫肥の町と油津を含めて、どうして日南市などというつまらない呼称にしたのか、失望するばかりである。新しい街づくりの姿勢として選んだのであろうが、都市の名は歴史に根づくものである方がしっくり来る。日南だなんて南の外れほどの軽いイメージで、つまらない平凡な名だなと思うのは拓だけであろうか。
市内を歩いていると、家々の庭先にダリヤ風の美しい花を咲かせている小木が見られた。関東では見たこともない花である。もう冬間近かだというのに、このような花が今を盛りと咲いているのは、やはり南国ならではのことかと羨ましく思うと共にこの木を持ち帰って植えることは出来ないだろうか?などと無謀なことを考えたりした。旅に出ると、このような思いにとらわれることがよくある。無理をしても結局は上手くゆかないことを知っているくせに無理をしたがるのである。木々にとっては大迷惑のことなのであろう。
街中の屋敷の庭先に咲く木立ちダリアの花。高さが3mほどもあり、その大きな花は青空に映えて、印象的だった。(このあと、大分県でこの花の苗木を見つけて家に持ち帰り、5年経った今でも毎年晩秋にはその花を楽しんでいる。茨城県南部辺りが北限のようだ)
街のスーパーで食材と一緒に地元産の焼酎を一本買う。TVドラマ「わかば」のPRの札が掛かっていた。この地も焼酎の名産地の一つなのであろう。今夜一杯やるつもりである。1時間半ほどの散策を満喫して戻る。どうやらここに泊まるわけには行かないようだ。R222を少し行った先に、道の駅:酒谷というのがあるので、そこへ行って泊まることにした。20分程で到着。山の中である。
少し早く着いたので、近くを散策する。隣接して公園のようなものがあり、駐車場の脇に先ほどの花の木があった。邦子どのが近くにいた人にその名を聞くと「木立ダリア」というのだそうだ。なるほど、さもあらんという名である。公園の丘の向こう下はダム湖となっているらしく、遠くに湖が光っていた。
車に戻ったが、道の駅の売店などに働いている人の車以外で駐車しているのは我々だけのようである。夜になればきっと寂しい場所となるのであろう。邦子どのが耐えられるのか少し心配が脳裏を掠めたが、知らん振りを通すことにした。これから先、又移動するのは勘弁してもらいたい。 18時には夕食を済ませて早めに寝ることにした。(心配するようなことは何もない一夜であった)