山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

馬骨桜咲く!

2010-04-25 03:48:27 | 宵宵妄話

守谷に越してきてから間もなく満6年を迎えます。只今連載中の九州・山陰エリアの旅は、丁度越してきた年の晩秋にかけての旅でした。この6年間の世の中の移り変わりは激しく、予想もしなかった不況の連鎖が断ち切れずに続いています。気がつけば我が身は老化には逆らえず、あと何回春を迎えられるのか、桜の花を何回愛でることが出来るのかなどと思いつつ、大して無理もしていないのになかなか痛みが消えてくれない腰をさすりながら、庭や畑の除草などに勤しむこの頃です。

今日は桜の話をしたいと思います。我が家の庭の真ん中には、5年前の春の旅で、秋田県の阿仁町(今は北秋田市阿仁町)から連れて来たオオヤマザクラの木が一本植えてあります。毎年東北の春を訪ねているうちに、オオヤマザクラがすっかり好きになり、庭のある生活を始めるときには、是非とも庭のど真ん中にこれを植えたいと考えていました。山桜は、葉が先に出るということで、ソメイヨシノなどと比べて花が目立たない感じがしますが、その分花に落ち着きがあるように思います。オオヤマザクラは普通の山桜よりも花の色が濃くて、楚々たる濃艶さ(このような表現が適切かどうかわかりませんが)を覚えます。山道を通っていて、思いもかけずその花に出合ったときには、通過してしまうのが勿体なくて、思わず車を停めて花に見入ってしまうほど、魅力を感ずるのです。

その苗木が欲しくて、守谷に越して以来、近隣の植木屋さんやホームセンターなどを万遍なく見て廻りましたが、どこにも思った苗は置いてありませんでした。それで、東北の旅に出かければどこかに必ずそれがあるだろうと考え、引っ越してきた翌年の春に、思いを込めて旅に出たのでした。ところが東北のどこの店に立ち寄っても、置いてあるのは枝垂れ桜やソメイヨシノの苗木などで、目当てのオオヤマザクラは見つからなかったのです。

諦めかけて、阿仁町の郊外を走っている時に植木屋さんを見かけて、一度通り過ぎたのですが、もしかしたら?と何故か気になり、珍しいことに引き返して、そこで訊いて見たのでした。かなり大きな苗木屋さんで、杉の苗などを大量に育てていたようでした。桜などは見当たらず、やっぱりダメなのかなと思ったのでしたが、何と、あるというのです。オオヤマザクラですよ、と念を押したのですが、勿論ビクともしない大丈夫の返事でした。いヤア、嬉しかったですね。案内して頂いた場所にはいろいろな苗木がありましたが、その中に細くてか弱そうな小さな桜の苗木が何本かあり、それがオオヤマザクラだということでした。値段を訊くと何と1本たったの500円というのです。10本くらい買ってしまいたいと思いましたが、植える場所がありません。庭に1本だけ植えて、あと3本を田舎の畑に植えようと計4本を買いました。

旅から戻って、早速庭の真ん中に選んだ1本を植えました。幹の太さが直径2cmほどの細さで、高さも1m足らずの小さな苗でした。無事に育ってくれるか、大丈夫かなと心配もありましたが、その後順調に生育を続けてくれていて、5年後の現在では幹周りが30cmを超え、樹高も4mを超える大きさとなりました。狭い庭ですので、このまま伸び続けると近い将来大ごととなる可能性も有ります。

普通の賢い家では、庭に桜の木を、しかもオオヤマザクラなどを植える人はいないと思います。農家ならまだしも、都市化されている住宅地では、桜などを植えれば、葉は散らかるわ、虫は集まるわで、近所迷惑の大ごとになるのは必定と考えるのだと思います。1本の樹木すらも植えず、芝生に鉢植えを並べるという家も多いようです。それはそれで、合理的な暮らし方だと思います。批判する気持ちなど少しもありません。

でも私の場合は、植物が大好きで、樹木も大好きなのです。どんなに手入れが大変であろうと、自分が生きて面倒を見ることが出来る間は、樹木や野草や花たちとは、できる限り自然のままで付き合ってゆきたいと思っています。20坪にも満たない庭ですが、10本以上の大小さまざまな樹木が植えてあり、野草も何種類か招来しています。それでも招かれざる客(=雑草たち)があっという間に蔓延って広がるので、それを退治するのが、私の専門の役割となっています。

さて、何故庭に桜なのかといえば、これには大きな夢がかかっているのです。花の宴というのをやってみたい。それが夢なのです。花見の宴ではなく、花の宴なのです。これは桜でなければならず、どこかへ出かけていって宴をするのでもなく、我が家の庭で(出来るならば)緋毛氈などを敷いて、そこに春の山菜の肴などを並べて、親しき友と桜を愛でながら、一献を交わしたいのです。他愛ないように思われるかもしれませんが、馬骨の見る夢とはそのようなものなのです。その夢の実現のためにオオヤマザクラを捜し求め、植えてようやく今年に至ったのでした。

ところがです、この桜が何時までたっても一輪の花も咲かせてくれません。他所の家(農家など)の桜の木は、小さくても立派にたくさんの花を咲かせているのに、我が家の桜は来る年も来る年も葉っぱばかりなのです。もう4mを超える高さなのに、です。このままで行けば、花の宴を催す前に、私も友もあの世に行ってしまいそうです。

何時まで経っても花を咲かせないこの桜を、思いあぐねて「馬骨桜」と呼ぶことにしました。馬骨などと言う呼び名は、ある種の狷介(けんかい)な性格を内包していることに気づかれると思いますが、狷介さを持つ人の多くは、世にいう出世や成り上る可能性の少ないケースが多いようですし、私自身もそのことを自認しています。言い換えれば花の咲かない人生といったところでしょうか。花の咲かない馬骨桜は、正にそれに相応しい植え主に出会ってしまったということかも知れません。

というようなことで、今年もダメかと諦めていたのですが、今朝(4/22)「もしかしたら、あれは花では?」と家内が騒ぐので、見てみましたら、たくさんの葉っぱに混ざって、花らしきものがみえるではありませんか!確認しようと双眼鏡を取り出して覗いてみましたら、おお!間違いなく花なのでした。桜は五弁です。五弁の花びらが薄く紅色に染まって付いていました。いやあ、感動しました。これは何と呼べば良いのか、処女花とでも言うのでしょうか。嬉しい限りです。馬骨桜などと呼んだのは、ちょっぴり申し訳なかったような気分になりました。馬骨の方は70年近く経っても一向に花を咲かせていませんが、この木は10年足らずで花を咲かせたのですから、立派です。比較になりません。

さて、とは言っても花の宴までにはもう少し時間がかかるようです。只今確認できるのはたった3個の花弁だけなのです。これでは盃に花びらを浮かべるのは無理というものです。来年か、再来年になるのか、生きている間にどうやら1回くらいは夢の実現が叶いそうです。

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」は、西行法師の名歌の一つですが、夢が叶った後には、更にもう一つ欲張って、この花の下でPPK(ピン・ピン・コロリ)といきたいものです。

ブログを続けている限りは、恐らくこれからもこの季節になると、この桜の話が出てくることになるのではないかと思います。

   

初めて開花したオオヤマザクラの花。園芸種の桜よりも花びらの色が薄くて、思ったとおりの楚々たる風情を湛えていた。嬉しいの一言です。3m近い梯子をかけて、おっかなびっくりの撮影でした。

 

 

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