山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第7日

2010-04-10 01:47:27 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第7日:11月23日(火)

行程:道の駅:酒谷~ 霧島神宮 ~ 道の駅:霧島 ~ 道の駅:ゆ~ぱるのじり ~ 西都市:風土記の丘 ~ ⑥道の駅:日向 〔泊〕       <221km

飫肥の女子衆は働き者だ。朝6時半にはもう駅構内にある地場農産物加工場の灯りが点いて、作業が始まったようである。男衆たちも軽トラを駆って畑で採れた野菜などを運んで来て売店に並べている。開店は8時半だというのに1時間前にはもう全ての品揃えが終わっているようだ。今日もいい天気だ。出発前に例の木立ダリアの花を撮る。そのあと野菜を少し買い入れて出発。今日の予定は少し遠いが、霧島神宮辺りへ行って、韓国岳や高千穂峰などの霧島連山を見てみたい。それから先はあとで決めることにして。

R222を直進して都城へ向かう。途中の山道には飫肥杉の植林が見事な箇所があった。その昔はもっともっと豊かな杉林が広がっていたのであろうか。最近は何処の地方でも山の手入れが利かなくなって、荒れる状況が続いているとのことだが、この辺はどうなのであろう。

都城はこの辺の交通の要所らしく、多くの道が交差して入り組んで走っている。少し迷いながらR221に入って高原町でR223へ左折し、霧島方面へ向かう。霧島バードラインとも呼ばれているから、この道は多くの鳥たちの姿や鳴き声が聞かれる森の道なのであろう。お池という湖の脇を通る頃から登り坂が続き始めた。勿論初めて通る道である。確かに森の中ばかりを走っており、樹木以外は何も見えない。かなり経ってようやく眺望が開けるようになった。直ぐに霧島神宮に到着。折角だから参拝することにして、麓の駐車場に車を入れる。本殿まで少し遠そうだが、近い駐車場はかなり混んでいるようなので、我慢して歩くことにする。

参道を10分ほど歩いて本殿に到着。来た時からかなりの人出である。何かイベントがあるらしい。入口の鳥居近くで中学生らしい集団が何やら演奏会のようなものをやっていた。指揮者の女性の先生だけが、やけにノリまくってタクトを振っているのが面白いと思った。生徒は皆冷静だ。演奏の他にも、薙刀や弓袋などを持った人がゾロゾロと大勢歩いている。幟が幾つも立っていて、見ると「ほぜまつり」と書いてあった。今日は勤労感謝の日で休日だ。それで何かイベントでもあるのかなと思った。

「秋だ祭りだ!ほぜまつり」というキャッチフレーズの案内ビラがあったので、配っている人に「ほぜまつり」とは何かを聞くと、ほぜとはこの辺りの方言で「豊穣」のことをいうのだそうだ。つまりほぜ祭りとは、豊穣祭のことで、昔からこの地では今年の豊穣を感謝し、来年の豊穣を祈って霧島神宮の神様にその気持ちを伝えるために、いろいろなスタイルで郷土芸能などを奉納するらしい。なるほど、なるほど。それで弓矢や薙刀など他の小道具を携えた人がたくさん往来していて混んでいるのだ。見物人よりも奉納に係わる人のほうが多いように思った。

   

何という名の舞いなのか、武道なのかよく判らないけど、本殿の前で次々と奉納のイベントが進んで行った。

参拝を済ませて本殿近くの境内で奉納されている「俵踊り」というのを見た。どうやら田起こしから稲刈りまで、そして収穫した米俵を担いで踊るまで、季節を越えた一連の実りのプロセスをスタンツ(寸劇)風にアレンジした踊りのようなものだった。農村の人たちの芸はかなり細かくて、例えば田起こしの場面では、牛に鋤を引かせる様子を演じるのだが、牛の糞まで転がすという演出なども含まれていて、どっと大笑いだった。最後に俵を担いで踊るのであるが、さてこの地方は、今年は本当に豊作だったのだろうか。踊りに参加した人たちの表情からは不作の影は見えないように思った。12時半頃車に戻ったのだが、その頃には人出は益々増えて、駐車場は全て満杯になっていた。

   

奉納されている伝統踊りの中で、一番印象に残った「俵踊り」の一場面。牛に鋤を引かせて田を耕しているところである。

腹が空いたので、近くにある霧島の道の駅に行き、食事にすることにした。道の駅からの眺望は素晴らしかった。桜島までも望むのは無理だけど、遠く錦江湾方面に続く平野の眺望が眼下に広がり、振返ると霧島連山がすぐ近くに望まれる。温泉もあるらしい。改めてゆっくり来たいなと思った。名産の黒豚入りのカレーライスなどを食べる。

しばし休憩して、さてどうするか。地図を見ながら西都市にある風土記の丘という所へ行ってみることにした。西都市には西都原古墳群というのがあるが、昔そこを訪ねたことがあり、埴輪の置物を買った思い出がある。その埴輪は今度の引越しの前に壊れて(壊して)しまって今は無い。

先ほど来た道を戻って、高原から県道29号線で野尻へ抜け、R268へ。近くに野尻の道の駅があったので様子見に立寄る。温泉もあってなかなか良さそうだったが、今日は泊るには早い時間なので予定通り西都方面に向かう。高岡からR10に入り暫く走ったが、一般道では時間がかかりそうなので、東九州自動車道路を使うことにした。宮崎西ICから入り、西都ICで降りて西都市へ。風土記の丘に15時ごろ到着。昔来た時の記憶は定かでないが、何か別の世界に来たような気がした。広大な公園風の敷地には幾つかの古墳とそれらを包むように幾つものコスモス畑が作られており、満開の花が風に揺れていた。夢のような景色である。今頃、もう12月近いというのに広大なコスモス畑を見られるなんて思っても見なかった。古墳のことなどはしばし忘れて、花畑の景観を楽しみながらの散策であった。いい所だ。古の人たちがここに眠っておられるその理由が分かるような気がする。それにしてもお墓をこのようにいじり回してしまっていいのだろうか。ご先祖様に申し訳ないような気もした。

   

西都市郊外にある「風土記の丘」のコスモス畑の景観。古墳群の拡がる中に広大なコスモス畑が、幾つも作られていた。見事な景観である。

もう暫くここに居たい気もしたが、泊るわけにはいかないので、2度目になるけど、今日も先日泊った日向の道の駅近くのお船出の湯に行って泊まることにして出発。

少し暗くなりかけた頃、お船出の湯に到着。この妙な名前は、よく分からないがその昔何とかいう神様がこの場所から船出をして何処かに向かって旅立たれたという神話から名づけられたらしい。記紀などの本は殆ど読んでいないので、よく分からない。先日の日の出の素晴らしさからは、そのような伝説があっても不思議ではないような気もする。日向とは、真に日本の国らしい地名だ。

先日は温泉に入らなかったので、今日は是非とも入ろうとさっそく入浴。なかなかいい湯だった。駐車泊のことを受付に聞くとOKとのこと。先回は遅かったので黙って泊ってしまったが、今回は大丈夫。一杯やって就寝。ああ、今日も結構走ったなあ。

コメント
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