山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

イカリ草の話

2008-04-15 05:59:28 | 宵宵妄話

  休養などといっても、言葉遊びなので、要するにくるま旅くらし本来の話から大きくズレた時には、その心の内は休養ということにしたいと思います。ま、どうでもいいことなのですが。今日はタイトルに休養を使うのをやめました。

 昨日は、佐渡から連れて来た(おばちゃんの好意で、強制的に)イカリ草の花を紹介させて頂きましたが、今日は、3種類のイカリ草の内、最も一般的なイカリ草をご披露させて頂きます。そのイカリ草というのは、何年前か正確な時は忘れましたが、春の東北の旅の終り近くに、秋田県の峰浜の道の駅(今は八峰町となっている)で、余りに立派に咲き誇っているのを見て感動し、無理かなと思いつつ、ついに買い求めてしまったものです。

 その時はマンション住まいだったので、花が終わったあとのケアに苦労しました。ベランダというのは、野草たちにとっては恐らく地獄の世界なのだと思います。旅に出かけて置き去りにしてしまうと、誰も水をやる人がいなくなって、カラカラになってしまうことなどがあり、多くは買い求めた人の、その時だけの楽しみに終わり、翌年はその野草の命の芽吹きは無いことが多いのです。それを乗り越えて、今でもこの地で花を咲かせてくれています。地植えになったので、もう彼らを悩ますことは無いことでしょう。

 ところで、イカリ草の花を見るときは、というよりも全ての野草の花を見るときには、花めがね(=虫眼鏡=拡大鏡)が必携です。野草たちの花は、それが実に不思議なのですが、拡大鏡で覗くと、普段私たちが見ている花とは相当に違った世界を見せてくれます。百年一日の如く草花や樹木の花を見ている人が殆どですが、真に勿体ない見方だと思います。千変万化の不思議な世界を知ってしまうと、もう病み付きとなってしまって、春の野山を歩き回りたくなるのです。

 物事の本質を知るためには、人間の目の機能には限界があり、普段私たちは、花によらず全てのものごとの、ほんの一部しか見ていないような気がします。少し脇道に逸れたところで、今日の話は終わりです。

 

  

我が家の標準的なイカリ草の花。まだ咲き初めなので彼女たちの艶やかさもあまり目立たない。あと数日すると、この辺りは一段と輝く空間となる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする