先日五島美術館の茶会へ行った
掛物はこより切
紙縒コヨリ切は藤原佐理筆
歌切れだが
中古三十六歌仙の一人の歌
名前は忘れてしまったが
説明された五島の名児耶先生が
中古三十六歌仙です解りますね
と仰った
中古三十六歌仙というのがある事だけしか知らない
それに三十六歌仙は
ただいま勉強中
それが済んだら中古に行こうぞ
今日は百人一首の28番
みなもとのむねゆき
小倉百人一首 28番
山里は
冬ぞ寂しさ
まさりける
人目も草も
枯れぬと思へば
源宗于
源 宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳 –
天慶2年11月22日(940年1月9日))は、
平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。
光孝天皇の皇子是忠親王の子。
娘に閑院大君がいる。
官位は正四位下・右京大夫。
三十六歌仙の一人。
894年(寛平6年)源姓を賜与され、
臣籍降下する。
丹波権守、摂津権守、三河権守、相模権守、信濃権守、伊勢権守などの国司を務めるなど
地方官を歴任し、
また兵部大輔、右馬頭を務めた。
天慶2年(939年)正四位下・右京大夫に昇進したが、翌年に没した。
「寛平后宮歌合」などの歌合に参加、
紀貫之などと交流があった。
『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集。
家集に『宗于集』がある。
『大和物語』に右京大夫として登場する。
《ウィキペディアより》
茶の湯・茶道ランキング
掛物はこより切
紙縒コヨリ切は藤原佐理筆
歌切れだが
中古三十六歌仙の一人の歌
名前は忘れてしまったが
説明された五島の名児耶先生が
中古三十六歌仙です解りますね
と仰った
中古三十六歌仙というのがある事だけしか知らない
それに三十六歌仙は
ただいま勉強中
それが済んだら中古に行こうぞ
今日は百人一首の28番
みなもとのむねゆき
小倉百人一首 28番
山里は
冬ぞ寂しさ
まさりける
人目も草も
枯れぬと思へば
源宗于
源 宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳 –
天慶2年11月22日(940年1月9日))は、
平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。
光孝天皇の皇子是忠親王の子。
娘に閑院大君がいる。
官位は正四位下・右京大夫。
三十六歌仙の一人。
894年(寛平6年)源姓を賜与され、
臣籍降下する。
丹波権守、摂津権守、三河権守、相模権守、信濃権守、伊勢権守などの国司を務めるなど
地方官を歴任し、
また兵部大輔、右馬頭を務めた。
天慶2年(939年)正四位下・右京大夫に昇進したが、翌年に没した。
「寛平后宮歌合」などの歌合に参加、
紀貫之などと交流があった。
『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集。
家集に『宗于集』がある。
『大和物語』に右京大夫として登場する。
《ウィキペディアより》
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