藤原俊成 フジワラノトシナリ
和歌・歌人148
面影に花の姿をさきだてて幾重越え来ぬ峰の白雲
またやみん 交野カタノのみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの
むかし思ふ草の庵の夜の雨に 涙な添へそ山時鳥
夕されば野辺の秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里
思いあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
永久2年(1114)~元久元年(1204)年11月30日。91歳 。
権中納言俊忠の子。
初め顕広。
54歳以後俊成。
63歳の出家後は釈阿。
通称五条三位。
正三位皇太后宮大夫に至る。
五十代頃から六条家の藤原清輔に拮抗して歌壇に指導的地位を占め、75歳で『千載集』を撰出。
六百番歌合など多くの歌合判者となり、歌学書
『古来風体抄』を著して、新古今時代の有力歌人の養成に貢献した。
家集に『長秋詠藻』。
久安百首など13種の百首など十三種の百首歌を残す。
『詞歌集』以下に入集。