村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

みつね

2015-02-01 21:43:38 | 三十六歌仙

いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる(後撰19)



凡河内躬恒

凡河内 躬恒おおしこうち の みつね
貞観元年(859年)? - 延長3年(925年)?)、
平安時代前期の歌人・官人。
姓は宿禰。一説では淡路権掾凡河内利の子。
三十六歌仙の1人。
官位は六位・和泉大掾。

寛平6年(894年)2月に甲斐権少目、
延喜7年(907年)1月に丹波権大目、
同11年(911年)1月に和泉権掾、
同21年(921年)1月に淡路権掾に任ぜられるなど、
地方官を歴任。
延長 3年(925年)、
和泉から帰京して後まもなく没したという。

歌人としては三十六歌仙の1人に数えられ、
延喜5年(905年)に紀貫之・紀友則・壬生忠岑と共に
『古今和歌集』の撰者に任じられる。
歌合や賀歌・屏風歌において活躍し、
宇多法皇の大堰川行幸(907年)、
石山寺御幸(916年)、春日社参詣(921年)などに
供奉して和歌を詠進した。
官位は低かったものの、
古今和歌集への58首をはじめとして
勅撰和歌集に194首入集するなど、
宮廷歌人としての名声は高い。
家集『躬恒集』がある。
《ウィキペディアより》



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