村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

落葉

2014-11-27 23:56:24 | お勉強
ふりいでし雨ぬれそめし 落葉かな 万太郎


朝方まで雨が降っていたようだ
玄関の戸を開けると
その雨で
木の葉がたくさん散っている
茶色のかさついた白木蓮の大きな葉や
色づいた紅葉があちこちに散らばり
敷き石の上は落葉で賑やう

昼は出かけるが
夜は木曜稽古
帰ったら掃除しよう


午後は
9月10月と病気で休み
二か月ぶりに○○研究会へ行く
ご心配をお掛けしたS先生にお目にかかると
手を握り合いお互い涙をこぼした


床には蓮月の短冊がかかる

年の暮れに
うつばりの
ススも心の塵ひじも
はらいて清き
年の暮れかな
蓮月


蓮月とは
大田垣 蓮月
寛政3年1月8日(1791年2月10日) - 明治8年(1875年)12月10日)は、
江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。
俗名は誠(のぶ)。菩薩尼、陰徳尼とも称した。


写真のお菓子は
菓子部製 試作
銘を何とつけようかな





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狩野探信カノウタンシン

2014-11-27 00:45:08 | 村雨庵 稽古 
今日の掛物は
狩野探信の寒山拾得

狩野探信とは

1653年~1718年 
狩野探信【かのう たんしん】
 江戸前・中期の画家。江戸の生まれ。
狩野探幽の子で、名は守政。
狩野派は、
室町中期から明治初期まで続いた日本画の代表的な流派で、
狩野正信が始祖。
時の動きに敏感に対応して勢力を伸ばし、
徳川幕府の成立とともに江戸への進出をはかった。
一六一七年に、一六歳で幕府の御用絵師となったのが探幽。
二一年には鍛冶橋門外に屋敷を与えられたので、
のちに、鍛冶橋狩野家と呼ばれた。
探信は
七四年に跡を継いだが、父ほどにはふるわなかった。
現在の外神田一丁目(当時は松永町)に、
拝領屋敷があったとされる。
≪千代田区環境協会のホームページより≫







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