村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

薄もみじ

2014-11-06 22:16:11 | 茶の事
昨日の稽古の時
やってきたお弟子様が 
「木戸が堅くて閉まらない」と訴える
慣れているわたしが
レールから外れてしまった木戸を持ち上げて
何とか元に戻そうと ジタバタ木戸を動かしたが
無理だった

荷物の配達の人が木戸を開けた時
戸が外れてしまったようだ
鍵の掛からない戸はなんとなく心細い
まして開けたままだと
不用心だが


稽古が終わるまで戸は開けたまま
夜中には戸をレールから外してまって
紐で結わいておいた



梅干と 
皺くらべせん 
はつ時雨 
一茶


雨が降っている
その中、戸を直しに
外注修理部が来てくれた
ジャッキで持ち上げて
戸をはめた

これで 安心


午後は予約の病院へ行ったが
12月まで来なくともよいとのこと
ほっとした
宮島に旅行へ行きたいのですがと伺うと
どうぞ何でもできますよとのお答え

これも良かった


写真はさわわさん手作りの金団
「薄もみじ」
そういえば去年も届けてくれた
嬉しい









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塵を拂う

2014-11-06 00:53:28 | 村雨庵 稽古 
今日は村雨庵の開炉
いつもと同じく「関」の軸でも掛けようかと思ったが

今日の掛物は
明堂宗宣の「拂塵」
塵チリを拂う

煩悩を払い心を清め茶に向き合おうとの思いである
自分の部屋の塵はたまるばかりだが・・・


明堂と名の和尚様は現在もおられるが
今日掛けたのは
江戸時代の明堂和尚だ

明堂宗宣ミョウドウソウセン
江戸後期の臨済宗の僧。
大徳寺四百二十九世。
丹波生。
明堂は道号、宗宣は諱、舂米子・返照山人と号する。
森川曽文に学び、卓抜した画技で知られる。
墨竹を得意とする。
天保8年(1837)寂、70才。
≪美術人名辞典より≫

また≪兵庫県篠山市のホームページ≫には
大徳寺 明堂和尚
「我一休にあらず、半休なり!」

明堂和尚臨済宗の名刹で、
茶道でも有名な大徳寺、
京の北、紫野の在り、
その山内には千利休、
小堀遠州などが草案を結び、
茶の場と切っても切り離せない寺である。
文化11年(1814)12月17日、
この大徳寺の429世として明堂和尚が迎えられる。
和尚は明堂宗宣と称し、
明和5年(1768)篠山藩老田塩家に生まれる。
のちに大徳寺東溟和尚に参禅し、臨済宗を極めた。
さらに一休禅師にゆかりの深い、
滋賀堅田の祥瑞寺の住持も兼ね、
その風貌は一休禅師によく似ていたといわれる。
しかし、明堂和尚は
「我は一休に遠くおよばず、半休にて足れり」
と自ら半休道人と称し
常日頃から茶の湯を好み、
詩を作ることや書画を画くことを楽しみにした。
その中でも墨で竹を描くことを最も得意とし、
竹のすがすがしさを終生愛した。
明堂和尚の画き残したものが篠山の地に何点か残っているが
禅僧らしい何の屈託もない素晴らしいものである。
天保8年(1837)9月25日、70歳にて世を去るが、
死に際して「殺活自在 茲七十年 不会仏法 罪過弥天」の遺偈(遺言)を残している。


明堂和尚の軸をいくつか持っているが
その文字も絵も好きだ
かの有名な大徳寺418世宙宝宗宇との
合作の掛物なども拝見したことがあり
茶掛けとして中々である

上記のように
「常日頃から茶の湯を好み」とあり
納得した





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