新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ゆったりパリ旅⑨

2011年11月15日 | ’11 パリ個人旅行

定刻通りに9時40分に関空に着き、残った€を両替して、スーツケースの宅配を頼み、身軽にして大阪経由で帰ることにしました。関空→福岡を変更したのは、途中下車で大阪市立美術館の「岸田劉生展」に行きたかったからです。

しかし、いざ天王寺に着くとそんなに時間がありません。伊丹空港発→福岡が3時20分。せっかくのゆったり旅をエピローグであわただしい旅に切り替えるには少し抵抗がありました。というより、なかなかペースが切り替えられなくて、結局透明エレベーターの中から美術館の森を見ただけで終わりました。

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パリの辛い記憶を書こうか書くまいか、ずいぶん考えましたが、やっぱりパリの事実として書いておきます。

オペラ座の開場には少し時間があったので、すぐ傍のレストランのテラスでオニオンスープを食べていました。歩道に張り出したテーブルの2列目で。

その時「!!!」と何かの言葉が発され目の前で、ボーイさんがアラブ系の老人を突き倒して、その老人は仰向けに倒れ、ワイングラスが割れて歩道に飛び散りました。ボーイさんは見向きもせずに店の中に入っていき、布巾を持って出てくるとワインで汚れたテーブルを拭きました。足元でその老人は立ち上がろうにもふらふらして立ち上がれないでいます。テラスで軽食を取っていた客はびっくりして固まってしまっていました。ボーイさんは冷ややかな顔で老人の襟首をつかむと、飛び散ったガラスの上を、片手でずるずるとまるで荷物を引きずるかのようにビルの壁際まで引きずって行きどさっと置きました。

見ていて震えが止まりませんでした。誰も止める人はいません。外国人の私はおろおろするばかりです。どんないきさつがあってこの暴力に及んだのかは見てはいません。ひょっとしたらお客さんに何か物乞いをしたのかもしれません。でもそれが日本だったらまずは口で注意するはずです。このお洒落なパリで暴力による冷たい「排除」が起きるとは。まるで人を物としか見ていないようなその行動に恐ろしさを感じました。そのあとはせっかくのオニオンスープももう喉を通りませんでした。

夫が「倒れた時に後の鉄柱で頭を打ったかもしれない、少し脳振盪を起こしているようだ・・・、後で病院に行くにもお金がいるだろう・・・」と、倒れている男の人のところに行ってユーロ札を手に握らせました。老人はお札を掴むのがやっとの動作でした。あの後重篤な状態に陥っていないことを祈っています。

ショックだったのは、テラスのお客さんはフランス人が多かったと思いますが、その人たちは何にも言わず何にもしなかったことです。その暴力に対して非難もせず、ただ見逃しているということは、このようなことが日常的に行われていることなのでしょうか。

華やかなパリの日向と日陰を見たようで、楽しい旅の途中にもちらちらとその老人の顔が浮かんでとても辛い気持ちになりました。フランスの複雑な移民問題を垣間見た思いでした。楽しかった旅の思い出とともにこの記憶はずっと残ると思います。

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今度は楽しいエピソードを。Cimg7849_2

パリの地下鉄をつなぐ地下道は、地上の道路みたいなもので迷路のようです。でもここに楽しみがあります。そこにはバイオリン、ギター、アコーディオンと楽器を一生懸命に奏でる人たちがいることです。そして必ず前にはお金を投げ入れる箱が置いてあります。たまには地下鉄の電車の中で乗客は演奏者と一緒に盛り上がることもあり、にぎやかな「地下鉄のメロディ」になります。

地下道で、30代半ばの女性が素晴らしいバイオリンを弾いていました。全身で表現している姿を見てプロだと感じました。パリの人は慣れているのでさっさと通り過ぎてしまいます。もったいないのでゆっくり歩いて通り過ぎましたが、こんな素晴らしい音楽をタダで・・・と思うと申し訳なくなって急いで引き返して10€を置くと、にっこり微笑んで急いでポケットにしまい、何度もうなずきながら弾いてくれたのがエルガーの「愛の挨拶」でした。後ろ髪を引かれる思いでを振り返ると又にっこり微笑んでくれました。音楽を通してちょっと心が触れ合った瞬間です。地下道の通路が共鳴箱の役割を果たし、ずーっと聞こえていました。素晴らしい音をありがとう!

やっぱりパリは、地上も地下も芸術で満ち溢れています。 

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