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新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「英雄たちの選択」……渋川春海

2024年01月18日 | 本・新聞小説
BS「英雄たちの選択」で『天のことわりを見抜け!渋川春海 改暦への挑戦』の録画を正月気分が抜けた頃やっと見ました。
地味~なタイトルですが、年の初めにふさわしい清新な番組でした。
渋川春海は別名・安井算哲を名乗る幕府お抱えの囲碁棋士でもあります。
自分で天体観測をして、あらゆる資料を読み、日本独自の暦作りをめざしますが、失敗と挫折の苦節20年。
この番組の出演者が作家冲方丁(うぶかたとう)さんで、春海への思い入れが深く熱かったのでとても印象に残りました。

中学では「江戸時代に暦を作ったのが渋川春海」とテスト用の無味乾燥な記憶をしていました。だから冲方さんの解説を聞いて大きく心を揺すぶられました。
もっと詳しく知りたい・・・と本を購入。

タイトルも著者名も四角張って引いてしまいそうですが、とにかく一気に読めて、読後が爽やか!

春海のサポートが徳川光國、保科正之、酒井忠清・・・と、この辺りも面白いところです。そんな恵まれた中での一大事業でした。

『武家の手で文化を創出し、もって幕府と朝廷の安泰をなす』という保科正之の願いどおりに、それまでの宣命暦、授時暦、大統暦の誤謬を指摘し、大象限儀で観測した自分の暦「大和暦」の正しさを証明したのです。それを「貞享暦」と呼ぶ勅命を賜り、改暦実現となったのです。

17世紀中頃。関孝和も主要な登場人物で、この頃の算術がかなり発達していたのには驚きでした。
『勾の二乗に、股の二乗を足すと、弦の二乗に等しい』
なんともう、三平方の定理があったのです!びっくり、びっくりです。明治維新で急激に科学が発展したのではなく、この頃からの基礎があったのだと思われます。 

これで春海は幕府初代天文方になりますが、国立天文台の職員の方は今でも「渋川先生」と呼ぶそうです。


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今度こそ松平春嶽が主人公!

2023年11月27日 | 本・新聞小説
幕末の小説には必ず登場する松平春嶽。徳川一門でありながら開明的であった春嶽が、小説やドラマで主人公になることが少ない気がしていました。
なぜ?そして偶然見つけたのがこの本です。
★ 葉室麟『天翔ける』

越前藩主と言いながらも生まれは御三卿の田安家。徳川の血が流れている家門大名です。早くから開国論者でしたが、同時に尊王でもあったので朝廷と敵対したわけではありません。国内外の緊迫した状況の中で幕府を守るために公武合体、雄藩連合とその都度模索していきます。
大きく影響を受けた橋本左内、横井小楠の具体的な思想が分かりやすく書かれており、坂本竜馬の訪問は大政奉還へとはっきり舵を切りました。
この時の小御所会議の場面が秀逸です。(春嶽+山内容堂)対(岩倉具視+薩摩)のやり取りの場面が詳しく書かれて、その歴史的意味がはっきりと納得できました。
将軍慶喜に対する春嶽の覚めた観察眼がなかなか面白く、慶喜像を一番納得させてくれました。
権勢欲がなく奸智を巡らさず、誠実に調和を図りながら政権交代に大きく貢献した春嶽の一生を描いた小説です。


★ 辻原登『発熱』
2000年、日経の連載小説で初めて辻原登さんの小説に出合い印象に残っていましたが、何となくまとめて読んでみたいと思うようになり文庫本を取り寄せました。
というのも、著者の知的視野が広くクラシック、漢詩、絵画、古美術、焼き物、国内外の文学・・・が至るところに散りばめられ、読み進めながら豊かな気持ちになったからです。

ウォール街で名を知られた凄腕のトレーダー天知龍。暴走族上がりで少年院にいた身寄りのない彼に手を差し伸べたのが亡き母の美しき友人。その支えがあって東大からニューヨークへ。

無届で米国債の運用をしている邦銀の行員を、龍は巨額の債権を空売りして合法的に叩きのめします。そんな生活に嫌気がさし、異常な夢から覚めたように日本に帰国します。

そんな辣腕の彼に誘いの手がかかります。戦後日本の既成権力集団に挑む戦いです。
手始めに不良債権にまみれた証券会社を自主廃業させ、政府系銀行を潰しにかかります。
権力集団の反撃は苛烈で、そこに見え隠れする謎の女性が、母の友人であり龍を陰で支えた女性と同一人物でした。20歳も年上の彼女を思慕する龍。
トップクラスの人間相関図に恋愛感情も絡んで、複雑な糸がサスペンス風に解きほぐされていきます。
金融の世界を理解するのは私にはハードルが高く、完全に理解できたという感じがありません(-""-;)
芥川賞受賞作家というだけあり、細部までも繊細な感覚で見つめ、それを美しい日本語で表現するところに大いに心が引かれました。








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葉室麟『星火瞬く』

2023年11月09日 | 本・新聞小説
ロシア人で歴史上の人物という記憶しかない「バクーニン」が、葉室麟さんの手になれば一気に読んでしまう歴史小説になっています。
明治維新前夜の横浜ホテルで遭遇した人物達が絡む話ですが、その登場人物が当世のAクラスばかり!

一度は日本から追放されたシーボルトが、開国した日本に入国を許されて息子を伴ってやって来るところから物語は始まります。ストーリーテラーは息子アレクサンダー・シーボルト。若く繊細で柔かな視点がフレッシュです。

ロシアの思想家バクーニンがシベリア流刑地を脱出、箱舘を経て横浜ホテルに現れたのです。
そのわずか数ヵ月の横浜滞在中に交流するのが小栗忠順、勝海舟、清河八郎、高杉晋作、オールコック、ジョセフ・ヒコ(浜田彦三)。
ロシア軍艦の対馬占領や公使館焼き討ち事件に絡み登場人物はもっと増えて15~6名。まさにキラ星です。その複雑な糸をほぐす様に維新前夜の動きが興味深く味わえます。
登場するジョセフ・ヒコは吉村昭『アメリカ彦三』で感動の一冊になっています。
幕末の動乱期に幕府を支え近代化を目指す小栗忠順の言動が興味深いところで、もっと取り上げて欲しい人物です。



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葉室麟『墨龍賦』『暁天の星』

2023年10月14日 | 本・新聞小説
Dr.Kさんの本の紹介がなかったら、こんな格張ったタイトルの『墨龍賦』を選ぶことはなかったでしょう。主人公は絵師「海北友松」、「かいほうゆうしょう」と読みます。

ずっと前、桃山時代の絵師「海北友松」の評価が海外で高まっているという新聞記事を読んでいました。耳新しい名前がそれ以来心に残っていたので早速飛びつきました。

友松は単に絵師だけではなかったのです。近江浅井家は信長に滅ぼされました。家臣の海北家も同時に滅亡したのです。友松は仏門に身を置きながら、武人の魂で家の再興に煩悶する葛藤の日々でした。
その間に出会う安国寺恵瓊、明智光秀、斎藤利三、狩野探幽・・・などとの交流はさながら群像劇的な趣があり、読みごたえのある歴史小説です。

友松の絵に関してはタイトルの表記のみが多く、その都度スマホで検索すると、狩野派とは違う手法の素晴らしいものでした。狩野派や等伯ほど展覧会でも取り上げられていないのが不思議なほどです。
友松は桃山時代の最後の巨匠として活躍しますが、息子・友雪も時代を代表する絵師になり幸せな晩年だったようです。
頭の片隅から気にかかるものが取れてスッキリ。心が軽くなりました。

⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐⭐
『暁天の星』は陸奥宗光が主人公です。
坂本龍馬は陸奥の才能を早くから見抜き、陸奥も龍馬を尊敬し慕っていました。万国法に詳しかった龍馬が生きていたら、きっと諸外国と渡り合い不平等条約の改正に努めていたに違いないと心の支えにしています。

薩長政権への反対勢力という立場でしたが、留学後はその間違いを悟り、立場を変えて外務省に入ります。井上馨や大隈重信とは違って、陸奥は政略を仕掛けて外交を行おうとしていました。
条約の改正には、清やロシアに勝って外国に認められることが不可欠という思いを深くしていきます。清国との駆け引きをしながら、他方ではイギリスとの交渉を急ぎました。
『不平等条約の改正はまずイギリスと行うこと。イギリスはおのれの利がなければ動かない。日本がイギリスに与えることができる利は、イギリスがもっとも警戒しているロシアの南下を防ぐ盾となること』というカミソリのような考えでした。
隣国との戦いを避けたい明治天皇からの視線は冷ややかなものでした。睦奥にとっては辛いものでしたが、国家というものは誰かが悪人になって支えなければならない、自分は間違っていないと思います。

今まで、陸奥宗光は外務大臣として欧米列強と対峙して不平等条約の改正に尽力したと思っていたのは表面的で、裏側は決して単純で美しいものではなかったのです。
日清戦争後の講和会議が始まる場面で絶筆。著者は病のため66歳の生を終えました。


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『斎王の楯』・・・琵琶湖から空堀に水を引く

2023年09月01日 | 本・新聞小説
近江の石工、穴太衆の力強い生き方が新鮮で魅力的でぐいぐい読み進むうちに、主人公·匡介が琵琶湖から大津城の空堀に水を引く場面に入りました。
匡介の経験と知恵を絞った大がかりな土木工事にワクワクしながら読むうちに、ふと???。
サイフォンの原理からして不可能では・・・。大津城の堀は琵琶湖より10mほど標高が高いのです。
その部分に引っ掛かって先に読み進めません。疑問が払拭できずに中断・・・。文芸小説を自分の変なこだわりの目で見ていいのだろうか・・・。このこだわり方の自分につくづく嫌気がさしました。
サイフォンの仕組みを利用した金沢城の噴水の仕組みを調べると、起点になる池は一番高いところにあります。だから途中の低い所から高い所へも水を動かせるのです。琵琶湖とは条件が違うのです( -_・)?
読み飛ばせばいいのに深みにはまってしまい、しばらく放置・・。

が、登場人物はそれぞれに個性的で魅力的。気を取り直して又読み始めました。

「好い人」達が力を合わせて苦難を乗り越え、話が出来すぎの感があるのに、妙に新鮮に感じられたのは、その道の最高を極めようと全身を研ぎ澄ます職人気質にあったのです。

関ヶ原の時代に、武士でなく石工と鉄砲職人が主役。とても新鮮でした。






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来年のNHK大河ドラマに備えて

2023年08月26日 | 本・新聞小説
今の大河ドラマ、家康のイメージが大きく外されてなかなか馴染めませんでしたが、小牧長久手の戦いからやっと面白くなってきました。
ちょうど今、NHK「100分de名著」で司馬遼太郎『覇王の家』が取り上げられています。安部龍太郎さんが家康を深く読み解いてドラマ以上に面白い番組です。

気が早いけど来年の大河ドラマ「光る君へ」の地固めをしてます。
この本のチョイスに満足しています。日記と和歌から紫式部を生き生きと考察し、貴族社会、藤原氏の世界、女房の世界が細かく語られて、これがとにかく面白い!資料も沢山載っています。

大河ドラマでのキャストも発表されているので、それをイメージしながら読むのも一興です。

このところずいぶん凌ぎやすくなりました。といっても30℃は越えていますが。
それでも温かい緑茶が欲しくなるのは、体は微妙に秋を感じ出しているのかも。
パウンドケーキがしっとりと焼けました。紅茶でなく緑茶で。

孫たちの里帰りで、ファミリーが大きく膨らんだ8月でした。高校生にとってはつかの間の夏休み。帰ったら夏季講習が待ってるとか。それも正規の授業らしい・・。
夏休み中にオープンキャンパスに参加してレポート提出も課題とか。2個の台風の合間を縫ってへとへとになって我が家へ帰ってきました。今時の高校生は大変です。


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今村翔吾『塞王の楯』・・・穴太衆

2023年07月07日 | 本・新聞小説
Dr.Kさんのブログで、今村翔吾『塞王の楯』の紹介を拝見しました。「穴太衆」が出てくるらしい……。これを「あのうしゅう」と読むことを知って以来、なぜか気になっていました。Dr.Kさんの説明もよかったし、直ぐアマゾンでポチりました。

550ページほどのずしりとしたハードカバー。ベッドで読むには重たすぎるのですが、これが文庫本になるには数年待たないと……。待てませんでした。

読了しないうちにアップしたのは、序章からぐいぐい引き込まれたし、登場人物欄に戦国武将がずらり、筑後柳河藩の立花宗茂の名前も出ていたからです。
読みごたえがありそうと嬉しくなり、ワクワク感から遂にアップしてしまいました。

今村翔吾さんの直木賞受賞作というのも初めて知りました。
時間をかけてじっくり楽しみます。






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「青空文庫PDO ポケット版」って?

2023年05月09日 | 本・新聞小説
日経連載小説は陸奥宗光の青春を描いたもので、とても濃密な内容に辻原登さんファンの濃度も濃くなっていきます。

曲折の幼少期から抜け出し、江戸に出るチャンスを得た宗光は安井息軒の門を叩きます。そしてその妻のことが出てきます。
「13歳年下の息軒の妻女は、息軒の郷里では『岡の小町』と呼ばれた美しい女性だったが、形振り構わず働いて、夫の貧乏生活を支えたことで知られ、委細は森鴎外の短編『安井夫人』に詳しい」という下りがありました。

『安井夫人』は鷗外の作品、という受験のための空虚な知識が恥ずかしく、委細を知りたくて俄然読む気が起こりました。そこで、早道はアマゾン!

届いたのは、扉を入れて15枚の薄~いペーパーバッグで、郵便受けにピタッとくっついて見逃すところでした。

「青空文庫POD」は著作権が満了しているコンテンツを基に制作されたもので、持ち運びに便利な「ポケット版」として書籍化されたものだそうで、この存在を初めて知りました。送料込みで440円。
インターネットで無料で読めましたが、私は断然「紙派」。自分の脳内が狭いことがわかっているので、行きつ戻りつしながら読むにはやはり「紙」です。

ちょっとしたきっかけで、読書の世界が横に広がるのが面白く充足感があります。




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髙田郁『あい 永遠にあり』

2023年05月07日 | 本・新聞小説
書店で「髙田郁」に惹かれて手にしました。タイトルを見て心は動かなかったものの、カバーの裏側の説明を見て直ぐ購入しました。何と「あい」は「関寛斎」の妻の名前だったからです。

幕末から明治維新の時代を蘭学という視点から描いた司馬遼太郎『胡蝶の夢』を読んだときに、3人の主人公の中の1人が関寛斎で、強い印象を残していました。その妻「あい」を主人公にした本が髙田郁『あい 永遠に在り』でした。
各章の「あい」をストーリーに沿って漢字に置き換えています。女性作家のきめの細かさを感じます。

第1章「逢」 :上総の「8000石の蕪かじり」と言われるほどの寒村に生まれた「あい」はまっすぐ前を向いて生き、思慮深い周りの大人たちの温かさに包まれて成長し、いとこで蘭方医「寛斎」と結ばれます。

第2章「藍」:親子3人で銚子に移り住みます。ここで生涯の恩人濱口梧陵に出会います。梧陵は醤油醸造業(現ヤマサ醤油)の当主であり、『稲むらの火』のモデルでもある開明的な文化人です。
寛斎に医療器具や医学書まで届けてくれ、長崎留学をサポートします。その感謝の印に、あいは糸から紡いだ美しい藍色の縞木綿を織り着物に仕立てて届けます。梧陵の存在は、寛斎とあいの生き方に死ぬまで大きく影響します。

第3章「哀」:阿波徳島藩主・蜂須賀斉裕の国詰め侍医に抜擢されて士分になり四国に移り住みます。周りから出自をとやかく言われながらもその生き方と技量で名声を得て、暮らし向きも病院を備えた屋敷を構えるほどになります。
寛斎と一緒になって12人の子の母親になったはずが、次々と半分を失い、その哀しみの中でもあいはキッと前を向いて生きます。

第4章「愛」:戊辰戦争で野戦病院で活躍した寛斎は新政府の信頼を得て厚遇されたにも関わらず徳島に戻り町医者となります。
しかし恩人·梧陵の「人たる者の本分は眼前にあらずして永遠にあり」の言葉を思い起こし、安逸な老後を送るのでなく命あるかぎり本分を精一杯に果たす····そういう生き方を選びます。財産をすべて清算して北海道の開拓に望む決心をした夫をあいは誇らしく愛おしく思い従います。
札幌では息子の又一が農学校で学び農地を取得して実践していましたが、更に奥地の「陸別」の開拓地に移る直前に、過酷な環境の中で体調を壊し、あいは亡くなってしまいます。
夫と連れ添い共に夢に向かって生きてきた、そうすることで自分は生かされたのだと、人としての本分を永遠の中に見つけ、最後まで寛斎に愛を捧げた人生でした。

この本はあいの死で終わりますが、気難しい寛斎はその後壮絶な人生を送ることになります。
「あとがき」によれば、あいが病床で夢見た開拓の地は寛斎の手で拓かれ、あいの遺言どおり、開拓地をを見渡せる陸別の丘に夫婦一緒に眠っているそうです。

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あるもの86400個を一日で使ってしまわなければならない・・・としたら?

2023年04月18日 | 本・新聞小説
日経新聞小説『陥穽(かんせい)』は陸奥宗光を主人公にしたもの。辻原登氏の小説は初めからワクワクする流れです。もう46回です。

宗光が明治3年欧州視察に出かけたときに英国の新聞のコラムに「気が利いた愉快な話題」を見つけます。
帰国後その話を、山形の獄舎の中で同じ国事犯の三浦介雄に問いかけます。『君がある日、あるものを86400個受け取るとする。君はこれを1日のうちに使ってしまわなければならない。8万個以上のものを、どうやって1日で消費するか、という問題だ。さて、どうする?』
三浦は自分の頭ではとても・・と降参します。
『それは"時間"なんだ。1日を秒単位で数えると、86400秒になる。来し方行く末を思い煩うより、今日の86400秒をどう使うかが大事だという主旨のコラムだ。その通りだと思うが、さて実際総ての時間を有効に使えるかというと・・・』
イギリスのエスプリでしょうか、私の心にも残りました。

妻には「長きうちにはいろいろのことあるべきなれど、今この一日を満ち足りて過ごすべき、何事もすべて辛抱と神ながら守りたまえ清みたまえと念じて、我らが共に獄中にあることとを思いなせば、何事なりと辛抱できざることあるべからず。すべての事物にしのびてかんにんすることは世を渡り候儀の第一の心得に候なり」と文を送りました。

今、宗光は明治政府転覆に加担して禁獄5年。家族を江戸に残し、肺を病みながら北国の山形獄に繋がれています。
「すべての時間を有効に」使えなかったその姿は、紀州藩の賢職にあった父·伊達宗広に重なります。

父·宗広は「威権 飛ぶ鳥も 落ちる勢い」と言われたほどで、その才幹は政界ばかりでなく学問の世界においても発揮されます。
しかし国元と江戸表の陰湿な確執の中、藩の政争に巻き込まれて流罪、9年間の幽閉の身になります。宗光が9歳の時で家禄は没収、家族は追放という理不尽で過酷な処断にあいます。
宗光も宗広も、反体制の立場に立たされて同じような過酷な道をたどるのです。その後、宗光は明治の初めに政府で働きますが、その10年後には獄舎に。宗光が本当に活躍するのは、今しばらく時間がかかりそうです。

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春野菜の筆頭が新玉ねぎ。小ぶりの新玉ねぎには即反応してしまいます。コトコト柔らかく煮るのも今のうちです。

和風に餡かけです。とんろとろです。

スープやベーコンと煮込みます。コトコト煮すれば何にでも仕上げられます。






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安部龍太郎『ふりさけ見れば』日経新聞小説その⑩ 2月12日~2月28日(最終回)

2023年03月25日 | 本・新聞小説

安禄山の乱の唐から、舞台は日本に移ります。
唐から帰国して10年。70歳になった真備は「雑草抜き」のために博多から都に向かう船上にいます。「雑草」とは朝廷での主導権を確保しようと暗躍する藤原仲麻呂のことで、この状況を苦慮していた孝謙上皇と藤原豊成が真備を支援します。
帝から恵美押勝と名前を賜っていた藤原仲麻呂ですが、真備たちの綿密な策により官位剥奪と所領を没収され次第に追いつめられていきます。

こうした真備たちの奮闘の最中に躍り出て生きたのが道鏡です。真備は、孝謙上皇の本意が押勝を追いやり、道鏡を取り立てて朝廷の中枢に置くことだったと気づきます。
真備は孝謙上皇に、仏法と政は分けて考えるべきと進言します。しかし上皇は重祚して女帝・称徳天皇になり、道鏡を太政大臣禅師に任じて自分の信念を貫きます。

真備も右大臣として信頼されますが、女帝の道鏡への傾倒は止み難く「法王」の位まで授けます。しかし、この後、増長した道鏡は宇佐八幡神託事件を引き起こすことになります。「道鏡を皇位に付けよ」という神託です。

和気清麻呂が神託の虚偽を称徳天皇に上申したり、老齢の女帝は次第に道鏡から心が離れ、重い病を患い間もなく崩御します。
しかし病床にあった中でも称徳天皇と真備は連絡を取り合い、しっかりと後継者を決めていました。天智天皇の孫にあたる白壁王です。

壬申の乱以来100年続いた「天武派」対「天智派」の争いを終わらせ、皇統を「天智派」に返す決断をしたのです。
真備は請われて右大臣のまま新帝・光仁天皇を支えます。すでに76歳でした。

この頃、真備の唐での妻・春燕(貿易商)と、阿部仲麻呂の第二婦人・玉齢(楊貴妃の姉)が真備を訪ねてきます。

手広く貿易をおこなう春燕に伴われて、玉齢は自分の「役割」を果たすために日本に来たのです。

玉齢から聞かされたのは、安禄山の乱が鎮圧された後、仲麻呂は玄宗の子の新帝に使えたこと、安南都護として遭難した遣唐使船の仲間を救い出したこと、そして仲麻呂が他界したことでした。
この時真備に手渡されたのが、玉齢が仲麻呂に託された巻物『魏略第38巻』でした。安禄山の乱の最中に偶然発見された史書です。
この史書を得るためにだけ仲麻呂は何十年も唐に残り奮闘したのです。やっと手に入れたものの帰国の遣唐使船の中でそれが偽物であることを知ります。そして今、本物が真備の目の前にある・・・。真備は混乱します。

国書をめぐる日本と唐の対立は、仲麻呂の尽力で既に解決しています。日本は今、律令体制を築きつつあり、必要なのは天皇に対する信仰であり、この巻物から知る歴史的真実ではないのです。
しかし破棄するにはわけにはいきません。真備の学者としての良心が歴史の真実を闇に葬ることを許しません。結局は朝家の秘府で管理してもらうことにしました。

この『魏略第38巻』がその後どうなったのかわかりません。ただ朝家には楊貴妃に対する信仰が長く受け継がれたようで、皇室の菩提寺である京都の泉湧寺には今も楊貴妃が祭られている、というところで終わりました。

1年半に及ぶこの小説の中で、常に見え隠れしていた『魏略第38巻』の着地点が示されてほっとしました。

現在、辻原登『陥穽(かんせい)』が始まりました。陸奥宗光の青春を描くのだそうです。陷穽とは、落とし穴とか、人を陥れるはかりごとの意味があります。
今、紀伊藩と宗光の父親・伊達宗広と家族の部分ですが、父親だけを主人公にしても小説になるような人です。
辻原登。読んだ作品ははすべて好きになるような作家です。




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安部龍太郎『ふりさけ見れば』日経新聞小説その⑨ 2月1日~2月11日

2023年03月11日 | 本・新聞小説

長安に攻めてくる安禄山から逃れて蜀に向かうために、未明に宮城の門を出た一行は、玄宗、楊貴妃と姉たち、皇太子をはじめ皇子たち、楊国忠、高力士など宦官と阿部仲麻呂たち。その後ろには宝物を入れた荷車が20両、そのあとに陳玄礼が率いる3000の龍武軍が警固して従います。

昼、長安から20数キロの所にある離宮に着いたときは県令は逃げ出し、財物も持ち去られて食事もままならない旅になりました。食にありつけるのは玄宗の周辺ばかりで、将兵は飢えと渇きに苦しめられ次第に不満が募っていきます。
ここから更に西に13キロ進んだ馬嵬駅に着いたとき、玄宗の警固のをめぐり、楊国忠と陳玄礼の間にいさかいが起こります。いらだつ配下の将を力で押さえつけようとした楊国忠は、一瞬にして一兵士に一刀の下に首を切り落とされます。そしてその一族も。

陳玄礼ら龍武軍は、楊国忠の一門として楊貴妃にも責任があるとして貴妃の断罪を要求します。玄宗が応じなければ配下の将兵は納得せず玄宗の敵となって攻めかかるでしょう。朝家をとるか楊貴妃をとるか・・・。苦悩の玄宗は、皇帝の責任として楊貴妃に死を命じました。覚悟していた楊貴妃は恨み言も発せず化粧をして身支度を終えると、まるで静かな儀式であるかのごとく高力士によって絞殺されました。
陳玄礼は玄宗が決断してくれたことに感極まって、これで配下の将兵を従わせることができる、非常の要求をした責任は死をもってあがなうと言いますが、皇帝として玄宗は兵の苦労をいたわり、役目に励むように申し付けました。

ここに及んで、仲麻呂の案で、皇太子(李亨)に皇位を譲り、そこで軍勢を立て直し長安を奪還することを勧めます。翌日2000の兵と名馬を与えられた皇太子は北の霊武に向かい、玄宗は僅かな手勢と共に西の蜀に向かいます。

仲麻呂はこの時に、離別後自死したと思っていた元妻の若晴と劇的な再会をします。二人の心を知っている妻・玉鈴は若晴を温かく迎え、自分は真備の妻・春燕に従って潔く去っていきました。
この争いで散乱した宝物の中に、仲麻呂は『魏略』を見つけその中の「第38巻」だけを真備の妻・春燕に託し真備に届けるように頼みます。
若晴は玄宗の侍医として仲麻呂と共に玄宗に従いました。仲麻呂56歳、若晴54歳でした。ここでこの小説での仲麻呂の登場は終わっています。まだ後日譚には事欠かないと思うのですが。

仲麻呂の帰国に際し玄宗から送られた「第38巻」が、海路の途中で偽物とわかりますが、その巻物も嵐の遭難と共に消えます。
この馬嵬駅での争いの最中に、偶然にも本物の「第38巻」を入手したことがこの小説の中では重要なポイントです。
この後は舞台は日本に移り、真備は藤原氏の勢力に対抗していきます。


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安部龍太郎『ふりさけ見れば』日経新聞小説その⑧  12月21日~1月31日

2023年02月17日 | 本・新聞小説
36年間も留まった唐からついに帰国の途へ。蘇州を発ち沖縄にたどり着いた仲麻呂の遣唐使船が、その後大和に帰り着かずに遭難したという噂は口から口へ唐にも伝わります。李白がその死を悼んで格調高い詩を詠じていることは仲麻呂の存在がいかに大きかったかが分かります。ところが仲麻呂は生きていた・・・。

仲麻呂らは沖縄を出てから暴風雨にあい、20日以上の漂流の果てに安南(ヴェトナムのゲアン州)に漂着します。幸運にも100人の乗員は全員無事でした。
当時の慣習から漂着した船と積み荷と人員は領主の所有物とみなされます。軋轢を越えて領主と話し合いの末、船と乗員の引き渡すことで皆の待遇改善を図ります。皇帝からの高価な下賜品を思うと決心は大きな犠牲を払うものでしたが何よりも人命尊重です。

運がよかったのは漂着の情報が唐に属する安南都護府に伝わり、その仲介で、仲麻呂・清河・従者2人は解放し、ほかの乗員については皇帝の援助で身代金を届けるまで全員の無事を図るように約束させます。漂流からすでに1年も経っていました。
船で安南から蘇州まで半年。朝廷の許可を得て洛陽に入れたのはさらに半年後の755年11月。唐を発ってからすでに2年が過ぎていました。そしてその時は奇しくも安禄山が反乱を起こして軍を率いて南下している最中でした。
仲麻呂は驪山の華清宮で玄宗と再会します。皇帝は仲麻呂に安南都護府の職を与え乗員80名の保護を約束します。同僚の王維は仲麻呂の力量と才覚を生かし、二人で皇帝に近侍できるのを喜びます。

仲麻呂の再婚した妻・玉鈴の屋敷は、仲麻呂が帰ってくる知らせを聞いて内装を日本風のしつらえに変えていました。

政略的な名ばかりの結婚でしたが、離れていた2年間が愛と慈しみと信頼に変わっていたのです。スパイの鎧も捨て重圧のなくなった仲麻呂は初めて玉鈴と心を通わせ、玉鈴も皇帝のために尽くしてほしいと頼みます。 

反乱軍の安禄山は南下しながら次第に味方を増やし、ついに洛陽を占拠します。官軍の顔真卿と安禄山に降ったと見せかけた従弟の顔杲卿が協力して、安禄山の退路を断つという大活躍をします。
迫りくる危機に、玄宗もやっと名君の本能を呼び覚ましました。突厥人の将軍・哥舒翰(カジョカン)を元帥にしたい玄宗の要求に対して、彼は「敗軍の将の封常清と高仙芝を除くこと」を条件に出します。

玄宗はその是非について王維と仲麻呂に意見を聞きます。この時の二人の分析が実に鋭くて面白い。結局仲麻呂の意見が採用され、封常清と高仙芝は宦官の手の者に打ち取られ、全軍の指揮を哥舒翰が取るようになり洛陽奪回のチャンスを伺います。

756年元旦に安禄山は洛陽で大燕国を樹立し、自ら皇帝になることを宣言します。反攻にでた顔杲卿は、逆に捕らえられ安禄山の洛陽に連行されます。衝撃を受けた唐政府は、顔杲卿と安禄山側の何千年を交換するという条件を持たせて仲麻呂と王維を洛陽に赴かせます。

安禄山も「楊国忠と哥舒翰を引き渡すこと」の条件を出します。節度使の安禄山が西域の独占交易で莫大な利益を得ていることで、これを突き崩して自分達の利益を得ようと企んだのが楊国忠と哥舒翰。追い詰められた安禄山は交易を確保するために、結託した二人を打つことがそもそも争乱の始まりでした。

ところが長安では楊国忠が密かに可千年を惨殺し、激怒した安禄山は顔杲卿の手足を切り落として惨殺します。
初めは結託していた楊国忠と哥舒翰です。しかし玄宗に重用された哥舒翰が楊国忠に従わなくなったことで、国忠は哥舒翰を追い落とそうと謀ります。政府内の不協和音で結局20万の兵の足並みが揃わずとうとう潼関が陥落。ついに長安は敵の侵入にさらされることになりました。
この危機的状況に楊国忠は半ば強引に玄宗皇帝を奉じて蜀(成都)へ向かうと宣言し、玄宗も長安を脱出することに同意します。

仲麻呂は楊国忠のやり口や強引さや詐術をつぶさに見ているので、この期に及んで異を唱えることはできませんでした。
6月13日未明、玄宗皇帝の一行は人目をさけ、禁苑の延秋門を抜け西に向かいます。



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海堂尊『奏鳴曲  北里と鷗外』

2023年01月30日 | 本・新聞小説
クリンちゃんのブログで紹介された★★★★★の推薦の本で、450ページの大作です。

このブログで紹介される書籍は私はいつも少し背伸びをしないと届きませんが、クリンちゃんの感想を読んでとても興味がわきました。鴎外のことも北里のことも知っているようで知らない・・・。

まず登場人物の多さに頭は混乱するばかり。だからその都度メモ、メモ、メモ。読むのに時間がかかりましたが、ギブアップしようとは思わないほど手ごたえのある本でした。
章ごとに日本とドイツを行ったり来たり、章ごとに主人公が交互に入れ替わりながら医学界、官界、陸軍と深く切り込んでいきます。

明治の世がまだ整っていないM19年にドイツへ。北里はドイツのコッホに師事し破傷風菌の純粋培養に成功、血清療法を確立してコッホ四天王に加えられます。
ここで北里が発見した原理の、発見者の名誉をベーリングから横取りされます。共著が、ベーリング単独名の論文になっていたのです。のちにベーリングはノーベル賞に!

帰国してからは、北里は内務省伝染病研究所に勤め、後に北里研究所を創設します。鴎外は陸軍軍医総監に上り詰めます。
二人は、軍隊で発生した脚気病の原因をめぐり対立します。
北里ら内務省や海軍は、脚気は米食が原因で麦食にすべきだと主張し、鴎外と陸軍は頑として米食に固執します。この対立はずーっと尾をひくことになります。
脚気菌発見の誤りを北里が指摘しても、帝大の権威や鴎外は感情的に反駁します。帝大と陸軍に脈々と流れる偏狭なエリート意識が日本人の学術的偉業を潰したと著者は断言しています。

『ひとり海軍だけが脚気に関する統計をごまかし、誤った対応に固執して多数の兵を損じ、その死の数は戦死者を凌駕し』、その隠蔽体質を鴎外も継続していました。
それが源流となって昭和の陸軍軍医部の暴走へと変質していったことを著者は鋭く突いています。
文学の観点からでなく医療行政から見た鴎外の評価はちょっとかわいそうでもあります。
鴎外が上がれば北里が沈み、鴎外が沈めば北里が上がる、それが繰り返されたシーソーゲームのような生涯でした。

北里の元からは赤痢菌発見の志賀潔、サルバルサンの秦佐八郎など「北里四天王」が輩出します。慶応医学科を創設、日本医師会を創設など重要な組織を整えていきます。
新しい千円札に登場する人物像として、もっともだと納得できる偉業が細かく記されているのは、参考図書・文献130冊ほどから推し量られます。

当時次々と伝染病が世界に蔓延する中、世界の研究者たちの菌との戦いの様子も垣間見えました。
いまだにコロナの解決策がなく恐怖の中にあることに、二人は何と言うでしょうか?


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安部龍太郎『ふりさけ見れば』日経小説その⑦ 11月~12月20日分

2023年01月10日 | 本・新聞小説
用間(スパイ)としての命を受けて唐に残っていた阿倍仲麻呂は、再び遣唐使としてやって来た真備と共に、妻・玉鈴の力を借りて君主教殿に入り『魏略』を目にします。それは『日本書紀』が我が国の国史だと主張できる根拠を得たことで、やっと用間から解放されたのです。
玄宗皇帝からは帰国の許可も得ました。送別の席で皇帝は仲麻呂の手柄を高く評価し、日本や帝に対して格別の言葉をもらいます。そして玄宗はあの『魏略』を仲麻呂に贈ったのです。

一方、真備には鑑真を連れ帰るという大仕事が残っていました。
唐にはすでに10年前から鑑真招聘の為に普照と栄叡が残って尽力していました。鑑真もその心にうたれ、5度の渡航を試みますがことごとく失敗。唐の朝廷が鑑真の渡航を認めなかったこと、弟子間の対立や密告があったこと、難破による鑑真の失明と栄叡の病死が行く手を阻んだのです。

聖武上皇が鑑真を招聘するのには深い意味がありました。鑑真上人がわが国に初めて律宗を伝え、聖武上皇と孝謙帝に戒律を授ける。つまり二人が仏教界で最高の地位に着くことにより、仏教にもとづく国造りを指揮する権威と権力を持たせ、藤原一門が持つ現世の権力を乗り越えることでした。

しかし遣唐大使は藤原氏。そこに齟齬が生じ、鑑真渡海の許可も直前に取り下げられます。それからの鑑真の働きはひと月もサスペンス風に展開して、4艘の遣唐使船は無事出航することに成功します。
しかし、この航海中に大問題が起きます。あの玄宗から贈られた『魏書』が、弁正の死の間際の証言から偽物だと判明したのです。仲麻呂は今までの犠牲と努力と屈辱に耐えた19年間は何だったのか、なぜ偽の『魏書』にすり替えられたのかと深く思い悩みます。
しかし『魏略』の真偽よりは祖国の役に立つことを優先させること、望郷の念も止み難いこと、自分を連れ帰り国の発展につくすという真備の主張を受け入れること、で帰国を決断します。

蘇州から沖縄まで北西の風に乗り6日で着きました。ここから鹿児島まで黒潮に乗れば6日で着く予定でしたが、今度は岩場に乗り上げたり、北西の風に阻まれました。

北西からの突風に舵が折れ、予備の舵をつりつける間も船は流され続けます。東から流れてくる潮が黒潮にぶつかると巨大な壁となってそそり立ち、北西の風はその壁に向かって容赦なく船を押しやります。
叔父・船人の教えを思い出し、軸先を波にまっすぐに東に向けました。
すると『船は追い風、追い波を受けて速さを増し、波の壁に向かって一直線に進んでいった。そうして波に吸い上げられて壁を登り始め、ほぼ垂直に突っ立った。・・・・波頭に達したところでふわりと宙に浮いた。その瞬間、大海原の頂きに立ったように四方八方を見渡すことができた。荒れて波立っているのは黒潮の境目だけで、外側の青い海も内側の黒い潮も穏やかに凪いでいる。・・・次の瞬間船は真下に落ち始めた。10丈ちかくの波頭から波の谷間に向かって宙を舞っていく。・・・船内に再び絶叫が起こった。船はこのまま海面にたたきつけられてバラバラになる。仲麻呂はそう覚悟した。自分の人生はこんな風に終わるのかと妙に冷めた頭で考えていたが、船は波の背に乗り、御仏の手に支えられたようにふわりと海面に浮いた。・・・助かったという喜びもつかの間、船は黒潮の外側に流れている環流に乗って南に向かっている。この流れに乗ればどこにたどり着くのか知っているものは誰一人いなかった』

遣唐使の船が無事にたどり着けないのは本で知っていましたが、遭難場面がこんなにリアルに書かれた本が他になかったので新聞記事をそのまま引用しました。
このあと4艘の遣唐使船のうち、仲麻呂らが乗った第1遣唐使船が遭難することになります。それが真実かと思うほどドラマチックです。



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