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「ネーション」日本の創出

『社会学』より 国家とグローバリゼーション
「日本」とは何か
 もっとも単純な問いから始めよう。そもそも「日本」とは何か。たとえば、歴史学者の網野善彦はかつてこう述べた。「あらためて強調しておきたいのは、『日本人』という語は日本国の国制の下にある人間集団をさす言葉であり、この言葉の意味はそれ以上でも以下でもないということである。『日本』が地名ではなく、特定の時点で、特定の意味をこめて、特定の人々の定めた国家の名前--国号である以上、これは当然のことと私は考える。それゆえ、日本国の成立・出現以前には、日本も日本人も存在せず、その国制の外にある人々は日本人ではない」。この見方によれば、たとえば、「聖徳太子」とのちに呼ばれた厩戸王子は、「日本」という国制が生まれる前の時代を生きたがゆえに「倭人」ではあっても日本人ではない。7世紀末の日本国成立当初、日本の国制が及んでいなかった東北中部や南九州で暮らす人びとは日本人ではない。江戸時代まで日本人ではなかったアイヌ・琉球人は、明治以降、日本政府によって日本人にされた。また植民地化された台湾や朝鮮の人びともまた、日本人になることを権力によって強制された。
 「日本」を歴史的に相対化していく網野の視点は、たとえば、神話時代以降の歴史全体を「国民の歴史」で塗りつぶそうとする歴史観への鋭い批判を含む。こうした視点は社会学の分析的な視点とも相通じている。だが、日本という国制のもとにおかれるだけで、その人間が日本というネーションの一員になるわけではない。すでにみたようにネーション概念には歴史的にみてもう少し深い意味が加わっている。このことを近代主義的な視点をベースにしながら検討していこうとりわけ、ネーションの原初性はいかに創造/挫造されていったのか。以下、第1に世界史的な背景、第2に、階層的な包摂と動員、第3に想像力の動員の順にみていく。
「国民国家」成立の世界史的背景
 日本におけるネーションの形成を考える場合に忘れてならないことが1つある。それは、日本が西洋の模倣を始めた19世紀後半の時期が、「国民国家」という制度自体が世界的に確立する時代と重なっていたという事実である。表10-1を見てみよう。1850年代以降、軍事、通信、交易、博覧会などさまざまな領域で、国際的な条約や取り決めが次々に締結されていく。背景には、産業化を基礎とする世界市場の成立、これと密接に関連した帝国主義と植民地支配の拡大があった。国家を超える社会空間がしだいに姿を現していく。この出来事が、逆に制度としての国家の成立を促す。国民国家、そして国民という想像力の誕生とは、まさに世界史的な出来事であった。
 いわば当時最先端の制度をいきなり直輸入しようとしたのが、明治の日本国家であった。世界システムの「中心」部諸国(西欧列強)による植民地化と経済的搾取へ、いかに対抗するか。その過程で、「周辺」部のエリート層は自らの社会を西欧流のネーションヘと改造しようと試みる。日本もその例外ではなかった。そして、資本主義世界システムの中心からもっとも遠い位置にあった日本の場合、植民地化の波に完全に覆い尽くされる前に、こうした道を選び取る時間的余裕に恵まれる。しかも、ネーションという新式の制度は、郵便や通信、初等教育、各種メディアといった新しい技術や制度によって支えられていた。それゆえ、日本のような後発国もこうした技術や制度を導入することによって、ネーションとしての体裁だけはいち早く整えることができた。
 ただし、技術や制度だけでは十分ではない。ウォーラーステインも指摘したように「周辺|部において1つの社会をネーションヘと作り替えていくためには、まず幅広い民衆を巻き込んでいく過程が必要となる。ここにおいて、ネーション形成の力は、そこに土着する社会・文化構造との関係で、多様な形をとるようになる。
「国民」を作り出す--包摂される多様な階層゛
 ネーション形成に至る前の社会には、さまざまな属性--身分、階級、性別、人種・民族、宗教など--に基づく多様な亀裂が走っていた。したがって、人びとを「国民」に変えていくためには、社会的分化を越えて人びとを1つのネーションヘと包摂していくことが求められた。加えて、西欧近代生まれのネーション概念は、市民革命がもたらした平等思想をその基礎においていた。スミスも指摘したように、エトニがネーションになるためには、その成員をひとまず「市民」へと変えなければならない。身分制の解体により、民衆はたしかに形式上、平等な存在とされた。だが現実には、周辺に追いやられた多数の人びとがそこにはあった。したがって、近代的な国民国家成立のためには、たんにネーションを立ち上げるだけでなく、それまで排除されていた社会階層をそこへ包摂し動員する、という二重の条件の達成が必要であった。
 日本社会の場合はどうか。たとえば、近代日本において「国民」の成立に深く関わった人物の1人に、福沢諭吉がいる。福沢は、維新直後に著した『学問のすヽめ(四篇)』(1874年)のなかで、こう述べた。「日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり」と。明治維新は中央集権的な政府を生み出したものの、そこで暮らす人間までが一度に「国民」になったわけではない。ナショナリズム研究の成果に従えば、下級武士層を中心に遂行された明治維新が作り出した新政府が、広範な民衆をネーションとして統合していくためには、次の2つの課題を達成する必要があった。
 第1に、下級とはいえ旧来の支配層である武士が中心となって作り上げた体制がネーション形成へと進むためには、それまでの体制から排除されていた中間層や下層をあらためて「発見」し、それらを体制内部へと包摂していく必要があった。
 第2に、いくら四民平等が形式的に実現されたとしても、実際には、一体感は簡単には醸成されない。階層的な幅をもつようになった体制がネーションとして実体化していくためには、ネーションの一員となっているという感覚が広い範囲で活性化される必要がある。そのためには、成員を動員し市民の新しい紐帯を創造することを可能にするような、政治的目的が人びとの間で共有されなければならない。
 明治維新から四半世紀あまりが過ぎた1899 (明治32)年、福沢は、その自伝のなかで日本社会の変化を次のように表現するようになっていた。維新の直後、四民平等とはいっても多くの人びとは、福沢の目からみれば、導いてにわかに教えようとしてその甲斐のない「ゴムの人形」のような頼りない存在に映っていた。だが、「変われば変わる世の中で、マアこの節はそのゴム人形も立派な国民と成って、学問もすれば商工業も働き、兵士にすれば一命を軽んじて国のために水火にも飛び込む‥…これぞ文明開化の賜物でLょう。
 はたして、こうした変化はいかに達成されたのであろうか。国家が自明のものとなるためには、新しい諸制度が作り出す日常世界を生きる人びとが自らの身体と意識のなかに「国家的なるもの」を刻み込んでいく一連の体験が欠かせない。そして、本当に、そこにはネーションが姿を現していたのか。3つの契機について説明していこう。
想像力としてのネーションへ
 第1に、原型としての「エスニック共同体」をいかに創出するか。「日本」の立ち上げにおいても、ネーションの創出という文化的過程が存在していた。約260年にわたり300あまりの藩に分割されていた日本において、何を共通の起源へと仕立て上げていくか。ここで活用されたのが、天皇という存在であった。明治維新当時、多くの民衆にとって天皇とは、耳にしたことがあったとしても、ごく遠い存在にすぎなかった。そこで、その存在を民衆に知らせていくため明治政府は、さまざまなイベントを仕掛けていく。短期間に天皇を全国に巡行させるとともに、国家化された神道や教育から視覚化されたイメージ(たとえば天皇の「御真影」)の流布に至る多様な手段を通じて、その正統性を民衆的なレベルで確立しようと努めていく。
 「国民化」の過程は大衆的な文化によっても基礎づけられていく。福沢諭吉の『学問のすヽめ』のようなベストセラーの書物が、「国民」としての共通体験形成に深く関わるようになる。現在でも、たとえばテレビは「国民創生」の物語を繰り返し描き出す(たとえば、NHKr大河ドラマ)のテーマは今も、天下統一を描く戦国時代と近代国家成立を描く明治維新に集中している)。
 だが、イデオロギーを通じた「上から」の統合には限界がある。第2に、人びとが実際にそのふるまいと意識を変えていく過程では、多くの「同時性の体験」(アンダーソン)が積み重ねられていく。たとえば、福沢諭吉は先はどの文のなかで、「学問」「商工業」「兵士」の3っを「国民」形成の象徴としてあげた。このことは注目に値する。なぜなら学校、工場、軍隊とは、世界の多くの国で、国家が民衆に対して近代的ハビトゥスを身につけさせていくうえで中心的な役割を果たす場であったからである。
 階層や出身地域が異なる膨大な数の人びとが一度に集められる現場では、新しい秩序を形成するための仕掛けが欠かせない。たとえば、時計とカレンダーによって統一された時間、共通の話し言葉や共同の飲食習慣。これらなしに組織は目的を達成できない。同じ場所で同じことを一緒にする体験が令国的に用意されていき、それらが人びとの生きる時間と空間の再編を推し進める。そこで繰り返される日常を通じて、人びとは無意識のうちに「国家的なもの」を身体化させ、国民化の道を歩む。2019年、元号が「平成」から「令和」へと変わった。「同時性の体験」という視点からみたとき、この出来事はどのような意味をもつのか。

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民主政ポリスの哲学者ソクラテス

『世界哲学史1』より ソクラテスとギリシア文化 世界から魂へ
ソクラテスのセミパブリックな生き方
 本章の主人公であるソクラテスはそんな時代に生きた。石工の父と助産師の母の子と伝わるソクラテスは、貧乏ゆえに友人らの世話になりながらも、上層市民として一応は食うに困らない生活をしていたと想像される。政治的には、彼は壮年期に三度重装歩兵として国外に出征したことと、前四〇六/五年に一度だけ民会の準備機関である評議会の議員を務めたこと以外、公的仕事に積極的な姿勢を示さなかった。とは言え、政治嫌いの人に見られるょうに、私的世界である自分の「家」を豊かにすべく経済活動に精を出したわけでもない。彼は、自身が訴えられた裁判の冒頭で弁明するょうに、政治的な公的空間でも経済的な私的空間でもない、半公的、つまり「セミパブリック」とも言うべき公共広場の「アゴラ」で専ら話をして時を過ごしていたのである(プラトン『ソクラテスの弁明』一七C、以下『弁明』と略)。ソクラテスは通常二分法的に理解される公と私の間に政治と生活が接して混じり合う閥的空間を見出し、そこを哲学の舞台としたと言える。
 では、ソクラテスが生きたセミパブリック世界・アゴラとはどのような空間だつたのか。アクロポリスの麓にあるアゴラは、人々が集まって商取引したり議論に興じたりする開かれた世界だった。ソクラテスはそこで「年少でも年長でも、外国人でも町の者でも」、「金持ちでも貧乏人でも」構わず、「一人一人」と対話を繰り広げる。こうした一対一の対話活動がきわめて政治的意味をもつことは明らかだろう。一八が多くの人に向けて説得を試みる民会・法廷・劇場といった公的世界では、市民なら自由に登壇して言葉を発する平等は保たれていても、現実には、説得の言葉をもつか否かで能力差が存在し、説得力を欠く意見は受け入れられない。文化の担い手という「知者」が大衆に教えを垂れるという一対多の人間関係が支配する世界だった。
 それに対して、アゴラでは年齢も国籍も経済状態も問われない。そこでは、商品が通貨と引き換えられるように、当人に備わる属性とは無関係に交わされる言葉と意見の交換のみに価値があり、一方的に注入するのではない言葉・意見のやり取りが新たに自由と平等を定義する。ソクラテスが作りあげる一対一の人間関係は、対話者の身分や属性を参加資格としないという意味で平等であり、自分の意見や思想、つまりはドクサの表明に制限がないという意味で自由(パレーシア)なのである。民主政の原理である自由と平等はアゴラという政治空間において真に実現する。
 だが、なぜソクラテスは自由で平等な対話を実践したのか。彼は政治家としてポリスの変革を企てたわけでは決してない。否、哲学に徹したことが、彼を民主政の哲学者かつ政治家にしたのだ。前三九九年に不敬神の罪状で訴えられた裁判で彼が語る言葉に耳を傾けることで、その次第を明らかにしよう。
「デルフォイの神託事件」と不知の自党
 プラトンがソクラテス裁判を主題にして著した『ソクラテスの弁明』の記述(二〇C~二三C)に従いたい。ソクラテス自身はなにも書き著さず、弟子たちの作品で言行が伝えられるからである。
 アゴラでのソクラテスの対話はなぜか彼に「知者」との評判をもたらした。友人の一人カイレフォンがその真偽を確かめるぺくデルフォイヘ赴き、かの地で祀られている神アポロンから「ソクラテスより知恵ある者はいない」との神託を授かると、ソクラテスはそれに驚きいぶかしみ、神の言葉を「謎」として受けとめる。神託によれば、ソクラテスは人々の間で最高の知者となるが、彼は自分が知恵をもつなどちっとも思っていないからである。知者でないと自覚する彼が、信頼する神から知者であると認定される。ここに自己のアイデンティティをめぐる問いが生じる。「私は何者か。知者なのか、知者でないのか」--この問いとの格闘が彼を哲学者にする。「汝自身を知れ」という歳言と通ずる、デルフォイの神託との出会いは、彼にとって決定的な「事件」となったのだ。
 ソクラテスの場合、「私は何者か」という問いは決して人間に備わる年齢、国籍、経済状態などを問題としない。性差もデッオテッマやアスパシアといった女性に学ぶ彼はこだわらない。自由と平等の世界アゴラでの対話はそうした属性をすべて無化する。むしろ、諸属性が備わる自己自身、すなわち、魂において「私とはそもそも誰なのか」が、知恵をめぐって問われているのである。魂の同一性を保証し「私が私である」と言える根拠となる知恵とは何なのか。
 ソクラテスは知者を探してアテナイ中を歩き回る。知恵があると自他共に認める人々と対話をして、より知恵のある人を発見できたなら、神に反例を突きつけ、自身が最高の知者ではないと回答できると考えたからだ。だが知者とはいったい誰か。彼は、公的なドクサの世界で知者との評判を得る政治家や悲劇詩人をセミパブリック世界へと導き入れ、一対一の対話を試みる。判明したのは、皮肉にも神託のただしさだった。
 文化の担い手が知者だと思われる理由は、善や美といった大切なことについて知っているからだろう。知っているなら、善とは何か、美とは何かについて説明できるはずだ。ところがどうだ。政治家はポリスのための善である国益を口にし、詩人は美しい詩句を紡ぎ出すが、どちらもその政策がなぜよいのか、その詩句がなぜ美しいのかを、善や美の定義まで加えて説明することができず、自身の矛盾した信念を露呈する始末だった。善や美について、彼らは公的世界では大衆を説得し意見を注入することで知者の評判を得ても、ソクラテスの吟味により自らの不知を曝け出したのである。
 一方、ソクラテスはどうか。彼自身、善・美について知らないことは認めており、不知という点で文化の担い手と大差ない。しかし重大な違いが存在する。文化の担い手は、知らないのに知っていると思。ているのに対し、自分は知らないから、その通り知らないと思っている、言い換えれば、自己のあり方について、彼らは知者でないのに知者だと間違った思いをもっているのに対し、ソクラテスの方は自分が知者でないから知者でないとただしい思いをもっている、という一点で大いに異なっているのだ。ソクラテスは「不知の自覚」(一般に「無知の知」という表現が流布するが誤り)、より厳密には「知者でない」とのただしい自己理解をもつ点で、誰よりもまさって知恵があると言えるのである。
知恵と哲学(愛知)
 ソクラテスは、善・美についての知、つまりは真の意味での「知恵」を神のみに可能とする一方で、知者でないとの自己理解を「人間並みの知恵」と呼ぶ。こうして、彼のアイデンティティをめぐる謎は、真の知恵に関して「知者ではない」が、人間並みの知恵に関して「知者である」と矛盾のない形で解き明かされた。確かに、この世に専門家は数多く、専門領域に属する大切なことを知ってはいるが、善・美という重大事を知る者は誰一人おらず、オピニオンリーダーと大衆にもてはやされる文化の担い手とてその例外ではない。人は皆、神の知恵をもたない点で平等なのだ。アゴラでの対話の平等性は、神の知恵という絶対的基準と比べると人間の意見・ドクサは知恵でない点でどれも変わりがないという事実による。善・美の対話をめぐっては、語り手の属性がどうであれ、意見の多様性が尊重されねばならない。
 しかし、このことは知に関して人間の生き方に差異がないことを意味しない。「知者である/ない」との自己理解は魂のあり方として常に人生全体につきまとう。知者でないのに知者だと勘違いして生きる人は、明らかに、人間並みの知恵の観点から、知者でないことを自覚している人よりも劣った生き方をしている。自らが知者だと誤った思いをもつ文化の担い手はその思いが妨げとなって真の知恵を愛し求めず、知恵に背を向けた学びのない人生を送るだろう。学びを欠く状態を単なる不知と区別して「無知」と呼べば、無知からの解放が惹起する学びは、真の知恵に接近するだけ、人生の価値をリアルに高めていく。そして神のような知者ではないが無知でもない、知恵と無知の中間にいる人が、知ることを愛し求める愛知者、つまり哲学者となって、学びに生きる道を歩み続けるのだ。
 ソクラテスが身をもって示した哲学者の生は多くの若者を惹きつけた。彼への告訴状の一部に「若者を堕落させた」とあるが、これは、よく指摘されるように、若い頃に彼と交わり政治家に成長したクリティアスやアルキビアデスがポリスを崩壊寸前に導いたためだろう。残念ながら、彼らはソクラテスと哲学から離れて無知にまみれた人生を送ったが、アテナイの公的世界で文化の担い手と大衆が演じるドクサの猿芝居に嫌気がさした若者が、風通しのよいアゴラで神ならぬ人間の自覚をもち、善とは何か、美とは何かといった大切なことを自由に語り合う生き方に新鮮な魅力を覚えたのは十分ありそうだ。知識注入的ではない何か新しい教育と文化の香りがするからだ。常識ある大人からは、政治を軽視した「堕落」した生き方と断罪されても、哲学はソクラテスの生と死を介して民主政下での人間の一つの生き方として誕生したのである。

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ヘーゲルの『法の哲学』

『法思想史』より ヘーゲルの『法の哲学』
ヘーゲルの哲学観
 G.W.F.ヘーゲル(1770-1831)は、カントにも増して、新たな時代の精神と社会変革とともに歩んだ思想家であった。彼は、「理性」という言葉をカントとはまったく異なる意味で用いながら、独自の法=権利の哲学を築き上げた。主著となった『法の哲学綱要』(1821年)序文に書かれた次の一節は、彼の哲学観を示す言葉として有名である。哲学の使命は、ここにはない何かを夢想することではなく、現に存在する現実的なものを把握することである。「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。」つまり、ヘーゲルにとって哲学とは、人間の諸々の営みを「現実化された理性」と捉えた上で、それを概念的に理解することであった。そして法もまたこの観点から、哲学の対象として論じられる。
「精神現象学」
 『精神現象学』でヘーゲルが目指したのは、物自体と現象、自然の世界と意志の世界を区別するカントの認識論、カントの主観的側面をさらに深化させたフィヒテの絶対自我の理論、そしてロマン主義者であるヘルダーリンやシェリングの直観主義的な主客融合論のすべてを乗り越える、新たな自己認識と世界認識の方法であった。それはおよそ次の3つの段階からなる精神の運動である。
  (1)認識の対象と認識する主体が渾然一体となった状態がそのまま無自覚的に受け入れられる段階(即自的な段階)。
  (2)主体と客体の融合状態に反省が加えられ(否定)、結果として、認識対象が客体として分離されるとともに、認識する側の自らを「主体」として対象化するようになる段階(対自的な段階)。
  (3)(2)の状態にさらに反省が加えられ(否定の否定)、認識の対象を規定しているのがほかならぬ認識主体である自己であり、その意味で、対象=客体のなかに自己=主体が投影されていることが認識される。その結果、主客の分離を媒介とした上での主体と客体の再統合がなされる(即自的かつ対自的な段階)。
「法の哲学」
 1818年、ヘーゲルはプロイセンの改革派大臣アルテンシュタインの招きにより、フィヒテの後任としてベルリン大学教授となる。前年よりヘーゲルは、「自然法と国家学」のタイトルの下、彼の大系でいう「精神哲学・客観的精神」にあたる部分の講義を行っていた。 1820年刊行の『法の哲学綱要』は、講義に臨む学生が参照するための手引き書であった。
 同書序論において、まずヘーゲルは次のように主張する。これまで自然法と呼ばれてきたものは、むしろ「哲学的法学」と呼ばれるべきである。というのも、それは制定法などの「法律」を扱う法学と異なり、「法=正しさの概念」を扱う哲学の一部であるからだ。哲学的法学の出発点となる法の概念は「自由な意志」である。
  法の基盤は総じて精神的なものであり、そのさらに正確な場所と出発点は意志であり、これは自由な意志である。それゆえ、自由こそが法の実体と規定をなす。そして法の体系は、実現された自由の王国であり、精神それ自体から生み出された精神の世界であり、第二の自然である。(『法の哲学綱要』第4節)
抽象的権利・道徳・人倫
 こうしてヘーゲルは、カントでも見られた社会契約論の残滓をすべてぬぐい去った、独自の法理論を展開する。
 『法の哲学』本論はまず、抽象的な権利=法、道徳、人倫の3部からなる。これは、意志の自由の概念が、その概念に内在する弁証法のプロセスにしたがい、最も抽象的な段階から、次第に具体的な段階へと進み、最終的に現実的な法の「理念=理想」にまで到達する様子を描き出すものである。
 第1部抽象的な権利=法では、(1)人が人格として在るということ、②そこから所有の権利が発生すること、(3)所有から契約への移行、そして(4)不法について論じられる。
 人格とは、自己の自己に対する純粋かつ抽象的な関係であり、それは自由な意志を有する。人格性には権利能力が含まれ、それは抽象的な権利=法の抽象的・形式的基盤となる。「法=権利が命じるところは次の通り。一個の人格であれ、そして他の人々も人格として尊重せよ」(第36節)。そして人格は、外的事物のなかに自己の意志を置き入れることでそれを自己の物として占有し、それが客観化され所有の権利となる。ある物の所有を放棄する者の選択意志と、それを所有しようとする他者の選択意志がつながるときには契約が生じ、さらには人格が(即自的に)法だと思っていたものが実は空虚な仮象であった場合、それは不法と呼ばれ、その否定により法はさらに堅固なものとなる、云々。このように、ヘーゲルはプーフェンドルフ以来の近代自然法論を受け入れながらも、「自由な意志」の概念の展開過程として、それを土台から組み替えるのである。
 第2部道徳では、「自由な意志」が持つ主観的側面の問題として、内面的な道徳が論じられる。ヘーゲルはカントの「合法性」と「道徳性」--または、法の外面性と道徳の内面性--の区別を踏まえながらも、「義務」としての道徳法則や、動機の純粋性を強調するカントとはまったく異なった仕方で、道徳を説明する。カントと異なりヘーゲルは個人の主観的・特殊的な欲求充足を承認するが、抽象的な権利=法と衝突する可能性があるため、両者の対立をより高い次元で調停するために善や良心の理念、すなわち道徳が必要とされると説く。
 しかしそうした内面的な道徳はやはり主観的なものにとどまる以上、その内容は各人の確信に委ねられ、不確定である。抽象的な権利=法と主観的な道徳という対立する2っを否定し、さらに高度な次元で肯定する、そして、これにより「自由な意志」に確固たる現実的な基盤を与えるためには、第3の段階である人倫に進まなければならない。
家族--人倫の最初の段階
 ヘーゲルの言う人倫とは、自由の理念が現実の社会制度のなかで具体的な形となったものである。「人倫とは、生きている善としての自由の理念である。・・・・・・人倫とは、現実世界となるとともに自己意識の本性となった、自由の概念である」(第142節)。人倫には家族・市民社会・国家という3つの段階があり、より単純な段階から高次な段階へと弁証法的に展開される。
 最初の人倫的段階は家族である。家族は、愛によって結びついた共同体であり、成員の一体感をその特徴とする。自己意識的な一体性としての婚姻により生じ、所有と財を保持し、子どもを教育し、その成年と親の死により解体する。成人した子どもたちは独立の人格として、それぞれ外的な関係を取り結ぶようになり、そこから次の人倫的段階、市民社会が生まれる。
市民社会--人倫の中間段階
 市民社会は、公務にたずさわる「公民」ではなく、共同体のなかで自己の欲求の充足を求めて活動する「有産者」たちが取り結ぶ、次のような関係である。「各人の生計・幸福・法的地位が、他の全ての人々の各人の生計・幸福・権利のなかに編み込まれ、これらを基礎とし、この連関のなかでのみ現実的であり、保障される」ような「全面的相互依存の体系」(第183節)。そして、それは、①すべての人々の労働を通じ各人の欲求を調整し、満足させる、欲求の体系としての「市場経済」を中心に、②こうした体系内での自由の具体化たる「所有」を保護するための「司法」、③司法をもってしても対処できない偶然に備える「福祉行政」と「職業団体」という、3つの契機からなっている。
 こうしたヘーゲルの市民社会の記述には、ジェームズ・スチュアートやアダム・スミスの古典派経済学への言及、サヅィニーとティボーの法典論争への関与、行政と職業組合を通じての貧困問題の解決など、新たな関心や論点が散りばめられている。とりわけ重要なのは、「欲求の体系」たる市場経済から、一方の「奢侈」と他方の「依存と窮乏」の限りない拡大(第195節)、抽象化され、機械化された労働(第198節)、「資産と技能の不平等」(第200節)が必然的にもたらされるという市場経済の負の側面に、ヘーゲルが早くも着目していたことである。市民社会がもたらす社会的不平等と階層間の分断と対立を調停するためには、第3の人倫的段階国家へと移行する必要がある。
国家--人倫の最終形態
 「国家とは人倫的理念が現実の形となったものである」(第297節)。つまり、ヘーゲルにとって国家とは、理性の目的である自由の概念が最も高度に現実化された段階である。自由の理念=理想が達成された状態としての国家では、共同の利益こそが各人の利益の基盤であることが共通の認識となり、各人の利益が蔑ろにされない一方、各人の行きすぎた利益追求により共同の利益が破壊されることもない。各人は、国家により自由の権利を承認されると同時に、客観化された自由の精神という普遍的存在、すなわち国家のために働く。
  国家の強さは次の点にある。その普遍的な究極目的と諸個人の特殊利益とが一体となっていること。また、諸個人が国家への義務を負う限りにおいて同時に権利を有すること。(第261節)
 こうして、抽象的な権利=法、内面的な道徳、家族、市民社会(市場、司法、福祉行政と職業団体)のそれぞれには、自由の理念の最終的な実現形態である国家の下で、新たな位置づけが与えられる。
ヘーゲルの国家構想
 ヘーゲルが考える国家像は、具体的には次のようなものだった。①有機的に連携する立法権・執行権・君主権からなる立憲君主制体、②貴族により構成される上院、職業団体や自治体の代表からなる下院、③国家と教会の分離、④対外的自立とそのための国民軍、⑤カントが提唱する国家連合ではなく、主権国家間の相互承認と戦争国際法による紛争解決。
 もちろんこれらは、必ずしも当時のプロイセンの姿と一致するものではない。集権的で安定した国家主権、階層間の宥和を目指す国民代表、国際協調的だが現実主義的でもある対外関係論--それらは当時の現実を踏まえた上で構想された、穏健な自由主義の立場からする制度構想であったと見ることもできる。

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サイゼリヤが閉店

近くのサイゼリヤが2/24に閉店。やっと、よさがわかってきたのに。週日3時にがらがらの店内でドリンクバー280円で大きなテーブルを使えて干渉されない。こんな場所はそうそうない。跡地にスタバができないかな! #サイゼリヤ計画
サイゼリヤ計画を立てます。昼の3時から1時間半ぐらいにドリンクバー280円。温かいカプチーノが飲めます。期間限定になります。 #サイゼリヤ計画
2/24まで使いきる。2/24は乃木坂ナゴヤドーム最終日。生ちゃん、お休みだけど、まいやんのために駆けつけるだろう。それを見込んでLVを仕掛けてくると勝手に思っている日。 #サイゼリヤ計画
サイゼリヤの思考パターンを一つのカタチにする。場所を替えてもできるように。 #サイゼリヤ計画
未唯空間はどうしても無を考えます。無を感じたときから、人類に対しての不信感が発生しました。何故、無を知った上で平気な顔を知っているのか。なぜ、もっと、詰めないのか。 人類に対しての不信感

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複数の父親

『進化形態はイクメン』より
四人の父親を紹介したい。
オタはアカ族で、コンゴ民主共和国の密林の奥深くに住んでいる。アカ族は狩猟採集民族で、網を使って森に住む小動物を捕まえる。網を使った狩猟は家族全員で行い、子供たちは母親や父親について森を歩き回る。家族は常に一緒にいるから、オタは妻と同じくらい子供の世話をし、歌を歌ってやったり、なだめたり、食べさせたり、沫浴させたりするのも分担している。それどころか、子供と一緒に寝ることも妻より多くなりがちで、泣いている赤ちゃんに、妻が授乳できるまで自分の乳首を吸わせたりもする。
次はマイクだ。マイクはアメリカのボストン出身、企業の顧問弁護士だ。長時間の仕事で、平日はめったに子供の顔も見られないが、子供が私立名門校の教育を受けられるように高給を取り、街の上品な地区に住めるようにがんばっている。地元カントリークラブの会員で、週末には年下のほうの子供たちをそこのスイミングクラブに連れていき、年上の息子はよくお父さんと一緒に職場の同僚とゴルフコースに出る。
次のお父さんはシギスだ。ケニア高原地帯のキプシギス族の父親だ。キプシギス族は農業に従事し、主要産物はお茶である。シギスは自分が家族のいちばんの稼ぎ手だと思っていて、幼い子供たちと過ごす時間はほとんどない。しかし、息子たちが少年になると、大人になって畑仕事を引き継げるように畑のことを教えはじめる。子供が二〇代になってからは、娘たちは妻に任せ、余暇はたいてい息子たちと過ごすようになる。
最後にジェイムズを紹介しよう。ジェイムズはイングランド南西部のサマセットに住んでいる。彼は三人の子供の第一育児者だ。妻は広告会社の敏腕重役で、職場は隣州のブリストルにあり、海外出張も珍しくないから、子供たちの実質的な世話や心の支えになるのはもっぱらジェイムズの役目だ。ジェイムズは上ふたりの子供の学校の送り迎えと家事を任されている。子供たちの放課後の活動を占めるバレエ、サッカー、お出かけの計画もお手のものだし、お茶出しも宿題の手伝いもやれば、学校のPTAでも熱心に活動している。いちばん下の子が週四日の午前中だけ保育園に通い出したので、在宅でコピーライターの仕事をはじめようとしている。
世界の似ても似つかぬ四地域の四人の父親たちが、四種類の相異なるやり方で父親としての役割を果たしている。よりよい仕事をしているのはだれだと思うだろうか?
本章では、世界各地の父親業がどうして多様な形を取っているのかを探りたい。数多くの父親のあり方を紹介することによって、ふたつの目標を達成したい。ひとつは、献身的な父親になるにあたって、正しい方法などないことを説明し、父親への長旅に踏み出す男性たちに安心してもらうこと。もうひとつは、役割を果たそうとする方法はさまざまでも、最終的にそれを決定しているのは、すべての父親に共通している目的、すなわち、子供の生存を是が非でも守るという目的である、と示すことだ。父親たちは、差異はあっても究極的にはみんな同じクラブのメンバーなのだ。
父親には妊娠、出産、授乳といった生物学的な〝縛り〟はないものの、前章で明らかになったように、家庭内でどんな役割を担うにせよ、当初の思惑とはちがってそれほど自由に選ぶことはできない。人間の行動には、進化史と生物学によって突き動かされる要素と、その人間が生きる社会的、文化的、政治的環境によって形成される部分とがある。社会制度が一夫一婦制から一夫多妻制まで大きくちがっていたり、政治体制が極右から極左まで偏っていたり、相続制度が父系、母系から平等主義まであったり、経済体制も資本主義、共産主義、物々交換、自給自足とさまざまだったり、現代の父親はそんな多様な社会に生きているのだから、世界の父親がさまざまに自分の役割をこなしていても、驚くには当たらない。この歴史、宗教、政治の影響に、生い立ちや遺伝における個人差を掛け合わせれば、実に多様な形で父親が役割を担うのはしごく当然だ。
父親の柔軟性は人間の生存に不可欠だ。妊娠、出産、授乳には多大なエネルギーを要し、肉体に高い負荷がかかるから、母親の役割はかなり限定される。対照的に、父親は、家族の生存を脅かしうる社会的、経済的、物理的環境のほんのわずかな変化にも素早く対応できる。ゆえに父親の役割は、文化間、家族内、近所の家族同士でも、さらにいえばひとりの男性の人生のなかでも大きく変わりうる。そこからふたつの結論が導かれる。ひとつは、ほかの父親--自分の父親、近所のおじさん、デイヴィッド・ベッカム--から刺激を受けるのはかまわないが、あまり人と比べるべきでないこと。子供が生きていくうえで生存にかかわる要素は、手本とする父親のそれとは当然異なるからだ。もうひとつは、一見するととても似ている環境の父親でも、ほかの要素が異なれば、生存問題の解決法が大きく変わりうるということだ。したがって、さっき投げ掛けた問いについては、大切なのは、だれがいちばんいい仕事をしているかではない。同じ課題に対してそれぞれの父親が異なる解決法を思いつく、その興味深い道筋なのだ。
第3章で登場したアチエ族の父親たちを覚えているだろうか? さっきのアカ族と同じように、アチエ族も狩猟採集によって生活の糧を得ているが、かいがいしく子供の世話をしているアカ族の男性とはちがい、わが子の世話にはほとんど手を出さない。戦争で疲弊した社会では、生存の確保は家族の日常生活を守ることと同じくらい基本的なことである。対照的に、熱帯雨林の奥深くに住むアカ族の暮らしは、食料がふんだんで、脅威となる敵は少ないので、比較的に平等主義が根づいている。アカ族の父親は、平均で昼間の四七パーセントの時間を子供たちとの触れ合いに費やす、世界有数の育児パパだ。つまり、自給自足という点では同じだが、父親業のスタイルは大きく異なる。社会環境が大きく異なると、子供たちの生存を確実にする行動も大きく変わるのだ。アカ族の場合には、差し迫った命の危険がないから、男性は何日も続く家族総出の狩猟に出かけ、育児を分担し、狩猟時に欠かせない生存技術を子供に伝えることもできる。しかも、子供たちはその技術を父親からも母親からも学べる。一方、複数の父親がしっかり物理的に守ってやらないと、アチエ族の子供は成人になるまで生きられない重大なリスクを抱えることになる。ふたりの父親は同じ目標を掲げているのに、到達方法はまったく異なる。
ハーバード大学の発達科学の研究者ロバート・ルバインは、こうした環境リスクこそが、父親としての行動がグローバルおよびローカルで多様である主因にほかならないという。結局のところ、すべての父親は子孫の生存と成功を願う。しかし、この生存確率を高めるための父親の貢献要素は環境によって変わる。ルバインの言葉を借りれば、〝親としての目標を目指すうえで脅威になったり役立ったりする環境要因に順応するため、父親は意識的、無意識的な調整〟をする。そして、環境は常に変わるものであり、社会によってさまざまなのだから、父親業もちがったものになる。戦争だろうと、捕食動物だろうと、病気だろうと、リスクレベルが高い環境では、子供の肉体的な生存と健康の確保が父親の重要な役割となる。優先順位の最上位に位置する目標だ。肉体の生存自体にそれほどのリスクがなく、経済的困窮が課題になるなら、その下の階層の目標を果たすことになる。父親の関心は、子供が成人後の経済的生存に適した技術を身に付けられるようにすることに向く。最後に、子供が経済的にもやっていけることが確実になると、父親は子供の社会的、知的、文化的な発達を気にするようになる。つまり、ルバインによれば、狩猟採集や家族農業といった生存が危うい社会では、子供の生後一年のあいだは両親とも子供の養育に注力し、死亡のリスクが高い困難な期間を乗り越えさせようとするという。一方、先進国の両親は、子供の将来のために資源を向けなければならないことを知っている。時間とお金を子供に注ぐ覚悟が要るのだ。中流階級の親が子供に知的、社会的な刺激を与え、教育機会を存分に生かそうと骨を折るといった図式はよく見られるし、笑いのタネも提供する。しかし、そこには、親の重大な使命が隠れている。それは、競争を基調とする社会的、経済的環境で、子供が生き残りと成功をつかみ取れるようにしつけることだ。
そこで、根本的な問いが生じる。父親としての役割の果たし方にもいろいろあることを理解するうえで、ルバインのモデルはどれほど有用なのか? もう一度、オタ、マイク、シギス、そしてジェイムズと、それぞれの父親業へのまったく異なる取り組みを見てみよう。オタもシギスも比較的良好な物理環境に住んでいる。戦争や病気になる確率もわりあいに低い。しかし、経済面から見た現実はかなり厳しく、オタの家族はその日暮らしの生活を送っており、家族を養う食料を得るためには毎日猟に出なければならず、シギスも畑というきつい職場で、市場で競争力のある価格を守るために十分な量の茶を栽培しなければならないという重圧を負っている。日々の暮らしでは、ふたりとも主にルバイン・モデルの第二階層の目標に目を向けている。すなわち、子供が大人になったときに経済的に安心できるように、生計を立てる技術を習得させることだ。オタの子供たちは一家総出で行う網猟を見たり手伝ったりしながら猟を覚え、シギスの息子たちはほとんど男性が仕切っている社会でみっちり教えてもらう。
それとは対照的に、マイクとジェイムズはふたりとも物理的にも経済的にも安全な環境に住んでいる。ふたりにとって、子供たちが負うリスクは、大人になったときにうまく立ち回らなければならない、とてつもなく複雑な社会のなかに潜んでいる。多くの人々にとって、そんな環境での成功は、単にどれほど懸命に働くかということではなく、どんな学校を出たのか、どんな人と一緒にゴルフをするのか、どんな車に乗っているのかといったことに左右される。門戸をひらいてくれるふたつの主要因は、だれと付き合うか--どんな人と知り合いで、どんな業界に入るのか--そしてお金だ。マイクは一緒にお風呂に入ったり、運動会に行ったりはできないかもしれないが、子供をふさわしい学校に入れ、長男にゴルフコースで社交界やビジネス界との交流を促すことによって、子供たちが輝かしい人生行路に踏み出す最良の土台を固めているのだ。カントリークラブでそれだけ長く過ごせば、ふさわしい人たちと知り合い、そういう人たちの仲間として受け入れられるような振る舞い方を身に付けられる。ジェイムズも同様に、一家の主要な稼ぎ手ではないものの、子供を放課後のクラブに送り迎えしたり、PTA活動にいそしんだり、大量の宿題に立ち向かったりと、子供の教育や社交技術の習得を支援している。ふたりの父親の行動から明らかなとおり、西洋人の父親は、子供にとっての最大のリスクは複雑な多層化社会での身の処し方にあると認識している。印象深いのは、子供に関する心配はなにかと問われたら、父親はありきたりのことではなく、リスクのあることに目を向ける。オタとシギスにとって、心配は経済的な意味で生き残れるかどうかであり、マイクとジェイムズの場合は、子供が社会的、知的な潜在能力を十分に発揮できるかどうかだ。ルバインのモデルを自分に当てはめてみよう。次のふたつの質問に答えてほしい。あなたの家庭内での主な役割は? 子供にとっての最大のリスクはなにか? じっくり考えてほしい。

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都市インフラサプライヤーに豊富な事業機会

『モビリティーサプライヤー進化論』より
変わる都市の姿、インフラ事業者に飛躍の好機
 CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)時代における自動車の機能・役割の変化は、同時にモビリティー機能を支える社会インフラの変化を促す。この変化は、それを「造る」プレーヤーにとって新たな事業機会をもたらす。本章では、CASEという卜レンドによる自動車の変化が都市インフラにどのような影響をもたらすのか、そのときに都市インフラを造るプレーヤーにどのような事業機会が生じるのかといった点について考察する。
多岐にわたる都市インフラのプレーヤー
 まず、都市インフラを造るプレーヤーを属性別に整理する。近年では、インフラとしての機能を有するものがハードウェアに限らなくなっているが、今回は都市インフラを造る[ものづくり企業]に焦点を当て、都市インフラのハードウェアについて論じる。
 また、都市インフラに関わるプレーヤーとしては官公庁の他に、ユーティリティーや各種オペレーターといった都市インフラを「運営する」プレーヤーもいるが、第14章では「造る」プレーヤーに焦点を当てる。
 一般的に都市インフラは、計画し、機器や設備を製造し、建設・据付を行うことで利用できるようになる。計画段階におけるプレーヤーは、「デベロッパー」と呼ばれる(ここで言うデベロッパーには、鉄道会社のデペロッパー部門などデベロッパー機能を提供する主体も含む)。都市づくりの計画立案やプロジェクト全体を推進していく機能を担う。
 機器・設備の製造段階は、各種インフラ機器・設備メーカーが担う。この中には、通信基地局などを造る情報通信インフラメーカー、道路・橋梁・信号などを造る交通インフラメーカー、エネルギーを「作る」「ためる」「運ぶ」設備などを造るエネルギーインフラメーカー、水処理施設などを造る水インフラメーカーが含まれる。
 最後の機器・設備の据付・施工工事は、ゼネコンやエンジニアリング会社、特定の専門工事を担う専門工事業者が担う。また、居住空間を提供するハウスメーカーも、同様の役割を担っている(ハウスメーカーの一部は工場を保有しており、機器・設備メーカーの側面もある)。
情報通信・交通・エネルギー・水インフラが変わる
 CASEトレンドによる自動車の在り方の変化と、それに伴う都市インフラの変化を整理したのが図14-2である。「コネクテッド(Connected)」では外部情報を受ける従来のインフォテインメントにとどまらず、モビリティーデータを活用した利便性の高いサービスの実現に向けて、車内情報と車外情報を円滑に連携させていくことが求められる。
 インフォテインメントとしての情報も、「自動運転」に伴う車室内の余暇時間の拡大に合わせて、AR(拡張現実)・VR(仮想現実)コンテンツの提供も想定されており、大容量の情報コンテンツ提供が求められ始めている。
 また、自動運転では自動走行の利用可能なシーンの拡大に向けて、交通流の複雑な区域や死角が多い区画では、外部環境のより高次な把握が求められる。さらに前述したように、車内空間の過ごし方が変わり、高付加価値空間に代わることで、インフォテインメントヘの質的欲求も変化すると考えられる。
 「シェアリング」では利便性の向上に向けて、情報通信接続による位置情報や利用情報の取得に加えて、物理的な結節性も含めたアクセシビリティーの向上が求められている。
 コネクテッドと自動運転、シェアリングの台頭により都市インフラでは、まずテレマティクス機能の発展やV2X(車車間・路車間通信)による通信量の爆発的な増大に伴い、「無線通信網の強化(高速化や適用範囲の拡大など)」が求められる。
 また、車両の位置・操舵に関する情報を外側から検知するための「車両センシング機能を有するインフラ設備」、車両情報を検知・解析してリアルタイムかつ「アクティブに交通網を整備する交通インフラ(道路・橋梁・信号・標識など)」の拡充が求められる。
 シェアリングの視点では、シェアリングサービサーや利用者にとっての拠点となる「シェアリングハブインフラの設置」が求められ、併せて、「ヒト」や「車両」が集まる「ハブ周辺の都市機能の整備」ニーズの勃興が見込まれる。
 「電動化]では、これまでエネルギー密度の高い化石燃料を動力源にしていたものが、電気エネルギーの蓄積量が限られる電池に代わることで、外出先での“電欠”に備えた充電インフラを整備する必要がある。また、過剰に電池を積むと車両質量の増大を招くことから、電池レス化を進めるための走行中給電の考え方も必要になってくるだろう。
 電池性能の限界に起因する航続距離や充電時間、積載量制約の問題への対策に向けて、場所や時間を選ばないフレキシブルな充電インフラの整備が求められる。また、再生可能エネルギーの普及や送電網の維持管理コストの低減などを背景に、小規模分散型電源の整備が進む。いずれは、充電インフラの側で発電し、一時的に蓄電して充電するといったエネルギーの「作る」「ためる」「使う」を一体化した充電インフラ設備に変化していく可能性があるだろう。
 結果として、電気自動車(EV)の充電に使う再生可能エネルギーは、太陽光発電や風力発電、水処理施設の汚泥からのバイオマス発電など地域によって最適なものからもたらされることになり、地域のエネルギーインフラを大きく変える可能性があるだろう。
 このようにCASEのトレンドは自動車産業だけでなく、都市インフラ、その中でも情報通信、交通、エネルギー、水などの各種インフラの変化を促すことになるだろう。そのような都市インフラの再構築の流れの中で、都市インフラを造るプレーヤーにとって、事業機会はどのようなものがあるだろうか。以下、都市インフラサプライヤーの視点と、自動車部品サプライヤーの視点の双方を検討する。
都市インフラサプライヤーに豊富な事業機会
 都市インフラの変化によって、各都市インフラサプライヤーにどのような事業機会が生じるかを整理したのが図14-3である。
 無線通信網の強化といった都市インフラの変化に対しては、情報通信インフラメーカーには5G基地局向けハードウェアの製造販売、通信系の専門工事業者にはそれらの据付工事や既存基地局の改良工事といった機会が期待できる。
 車両センシング機能を有するインフラ整備といった変化に対しては、都市開発デペロッパーには、安全かつ円滑な交通網を備えた都市機能計画を立案する機会が考えられる。情報通信インフラメーカーには、そのための車両の位置・操舵情報を検知するためのセンシング用ハードウェアを製造販売する機会が生まれるだろう。
 また、交通インフラメーカーには、センシング機能を搭載した信号機や道路などの交通インフラを整備する機会、ゼネコンやエンジニアリング会社、専門工事業者にはそれらの据付工事という機会が考えられる。
 アクティブに交通網を制御するインフラの整備においても同様である。都市開発デペロッパー、情報通信インフラメーカー、交通インフラメーカー、各種コンストラクタ一にとって、専用ハードウェアの製造販売や据付工事の機会が生まれる可能性がある。
 シェアリングハブの設置やハブ周辺の都市機能整備といった都市インフラの変化に対しては、都市開発デペロッパーにはシェアリングハブ機能を活用した都市計画の立案、交通インフラメーカーにはシェアリングハブ拠点用ハードウェア製造、コンストラクタ一にとっては八ブ拠点の据付工事の機会が考えられる。
 一方、電動化のトレンドによって生じる充電インフラの整備や小規模分散型電源の整備といった都市インフラの変化に対しては、エネルギーインフラメーカーに給電設備用ハードウェアや太陽光、風力、バイオマスなどの小規模分散発電装置の製造販売の機会が期待できる。
 水インフラメーカーには、水処理に関連する小規模分散発電装置の製造販売、ハウスメーカーにはEVの普及によって生じる充電設備が設置された住宅の販売、各種コントラクターにはこれらの機器・設備の設置工事の機会が生まれるだろう。
自動車サプライヤーの事業機会は期待薄?
 都市インフラと自動車の接点として、自動車側でも都市インフラを「作る」プレーヤーとして取り組むべき領域はある。
 ただ、CASEのトレンドを受けた自動車部品サプライヤーとしての事業機会は、都市インフラサプライヤーほどは期待できないと見られる。都市インフラを造るプレーヤーにとってCASEトレンドは、あくまで都市インフラサプライヤーとしてとらえることが重要になるだろう。
各事業者が注目すべきCASEトレンド
 最後に、これまで見てきた各プレーヤーにとっての事業機会を整理する。都市開発デペロッパーが注目すべきトレンドは、コネクテッドと自動運転、シェアリングだろう。
 コネクテッドカーや(高レベルな)自動運転車、シェアリングの普及に伴い、大規模なインフラ整備ニーズが勃興し、行政を含む様々なプレーヤーを巻き込んだ都市インフラの大規模な「造り直し」の機会が到来することが期待できる。
 情報通信メーカーや交通インフラメーカーが注目すべきトレンドは、コネクテッドと自動運転と思われる。増大する情報通信ニーズや車両情報を検知して、アクティブに交通網を制御する次世代交通インフラ(道路、信号など)は、新たなハードウェアの供給機会が期待できる。
 また一部の交通インフラメーカーにとっては、シェアリングのトレンドも無視できない。シェアリングの普及に伴い、白走式駐車場をシェアリングハブとして活用するためハードウェア供給の機会などが生まれそうだ。
 エネルギーインフラメーカーや水インフラメーカー、ハウスメーカーは既存の事業戦略の中で、電動化のトレンドに目配せすることが欠かせないだろう。
 EVへのエネルギー供給用のハードウェアの供給機会だけでなく、自社のキーとなるハードウェアを武器にして、EVから電力系統に電力を供給する「V2G (Vehicle to Grid)」や、家庭に電力を供給する「V2H (Vehicle to Home)」などを組み込んだソリューションを提供していく機会が期待できる。
 電動化のトレンドをとらえた事業展開を行うことで、いずれは地産地消のエネルギー循環チェーンといったエネルギーインフラを再構築する機会も生まれそうだ。
 最後にゼネコン、エンジニアリング会社、専門工事業者といったコントラクターにとってCASEのトレンドは、多様な事業機会を生み出す可能性がある。確実に案件を獲得していくためには、トレンドに目配せすると共に関連プレーヤーとの関係性を構築していくことが重要になるだろう。
 これまで、都市インフラを造る多くのプレーヤーにとって、自動車産業は必ずしも事業の主戦場ではなかった側面が強い。しかし、100年に1度の大変革期と言われる自動車産業におけるCASEのトレンドは、これらのプレーヤーにとって多くの事業機会が期待できる潮流である。そのトレンドをとらえていくことで、都市インフラを造るプレーヤーに大きな飛躍をもたらす可能性がある。

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変わりゆく社会・多様な家族

『家族心理学』より 変わりゆく社会・多様な家族
晩婚化・非婚化・少子化・核家族化・単独世帯の増加
 本節では、日本の家族状況、社会変動に目を向ける。
 最近の人口動態統計や国民生活基礎調査の結果をふまえて、晩婚化・非婚化・少子化がしばしば指摘される。これらは、「家族が危機に瀕している」という主張を裏付けるものとして、引き合いに出される数値でもある。柏木の「最適化」やデルの現代社会・文化との「適合性」という考えをもち出せば、必ずしも否定的変化でなく、何らかの意味があって進行中の移行と見ることかできる。家族構造の変化についての詳細な検討は、第Ⅱ部以降に譲るが、ここではその概要を押さえておこう。
 まず婚姻については、1950年代後半以降、平均初婚年齢か男女ともに緩やかに上がり、あわせて晩産化の傾向が認められる。生涯未婚率の統計は、2010年頃まで上昇が著しく、その後おおむね横ばいの傾向である。2015年時点では35~39歳では、男性はおよそ3人に1人(35.0%),女性はおよそ4人に1人(23.9%)が結婚していない。自分自身か望んだ非婚では必ずしもなく、結婚できなかった結果の非婚と見なすこともできるかもしれない。また、長期にわたって低位を保ってきた日本の離婚率は、上昇を続け2002年には1899年以降最多となったが、2003年以降は減少傾向が続いている。増加期には、婚姻期間の長い熟年夫婦の離婚の増加が注目を集めたが、その後横ばい傾向である。未成年の子がいる離婚も多く、2016年には離婚全体の58.1%であった。ちなみに、再婚率は増加の傾向である。なお、少子化傾向は、子どもの出生数および出生率の低下の問題がマスコミによって取り上げられ、お茶の間を賑わす話題にまでなった。1967年に2.23だった合計特殊出生率は漸減して、1989年に1.57になったことをきっかけに政府が少子化対策への取り組みを始めた。その後は、2005年の1.26の後は漸増・横ばい傾向で、2017年には合計特殊出生率は1.43であった(ちなみに出生数は過去最少)。世帯人員別に見た世帯数の構成割合の年次推移を見ると、2人世帯と1人世帯が年々増加しており、3人世帯は横ばい傾向、4人以上の世帯は減少している。2016年では、単独世帯26.9%であり、核家族世帯は60.5%(夫婦と未婚の子のILt帯29.5%,夫婦のみの世帯23.7%,ひとり親と未婚の子のみの世帯7.3%の合計)となっていて、相変わらず核家族が多い状況である。また、親との同居増の中で、親の収入で生活している壮年未婚者も増えている(2016年の35~44歳で217万人)。高齢化も見られる。
 したがって、このような動向をふまえて、家族ライフサイクルについても考えていく必要がある。
家族を取り巻く社会文化的文脈の変化
 現代のような社会の変動期にあっては、家族を取り巻く社会文化的文脈の変化、そして、その影響を受けて進む家族の質的変化について、しっかりととらえていかなければならない。代表的変化として、以下の6項目をあげる。
 ・家族の縮小化
  少子化傾向や、2人世帯・単独世帯の増加の影響を受けて、家族サイズの縮小が進み、家族内人間関係がますます多様性を失いつつある。祖父母やおじ・おば、多くのきょうだいといったさまざまな年齢層の家族メンバーに囲まれて子どもが育つことはごくまれとなり、多くは、ごく限られた人間関係の中で、または1人で日々の生活を展開している。少ない家族メンバーにすべてのケア役割が集中する問題、関係が煮詰まっても干渉役を務めてくれる人が見っからず、葛藤が解決しづらいなどの問題なども生じやすい。
 ・家族機能の弱体化
  産業化か進んだ現代社会では、家族でなければ果たせない機能がどんどん目減りする傾向にある。家族は、生産体として、生存に不可欠な共同体としての意味を失い、娯楽や衣食住の提供も、子どもの教育すらもかなりの程度が外注化されるようになった。現代の家族は、ケアの授受や温かい人間関係のみに存在意義を依存する、脆弱な集団となりつっある。
 ・個人の生き方の変化
  平均寿命の伸長やライフコースの選択肢の広がりは、個人発達の様相を、変化に富んだ複雑なものへと変化させた。もはや、成熟した迷いのない大人とケアを必要とする子どもからなるという単純な家族観は当てはまらず、大人も子どもも、生涯発達の過程で何度もアイデンティティを選び直す複数の人として、互いに調整しながら相互ケアを提供し合う家族観への移行が求められている。
 ・地緑・血縁関係の希薄化
  人々の流動が激しい社会は、プライバシーと自己選択権が尊重される自由な社会だが、反面では、隣人の顔も知らないコミュニティを各地に生み出す。地域コミュニティにおける相互扶助の欠落は、必然的に安全な社会の崩壊を招く。
  しかしながら、家族という範囲を超えた「地域コミュニティ」も注目されるようになってきている。行政による地域包括ケアなどへの動き、また、例えばNPOなどによって、家族や社会か抱える課題を地域で解決しようと志向する動向も見られるようになってきている。広井はケアヘの注目から地域コミュニティヘと目が向くようになったと述べ、「地域密着人口」(子どもと高齢者)が2000年前後を谷にしてU字カーブを描いて増加しており、ライフサイクル上、地域コミュニティヘの関心が強まっていく傾向を指摘している。
 ・家族の多様性の認識へ
  家族の多楡|生について考えるとき、セクシュアリティは重要な点である。性的指向と性自認の両面から考えられている。前者は、LGBTQs(レズビアソ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニングなど)などと表記されている。なお、ソジ(SOGI:sexual orientation and gender identity:性的指向・性自認)をめぐっては、2016年の国連人権理事会において、性的指向と性自認を理由とする暴力と差別からの保護が決議され、厚生労働省のモデル就業規則でも言及されている。セクシュアリティはすべての人に関わる問題であり、教育や医療の現場でも、理解の必要性か指摘されてきている。セクシャリティの多様性についての認識が広まるにつれて、セクシャルマイノリティの人が家族を形成することをめぐって、同性カップルを結婚に相当する関係と認めての同性パートナーシップ条例を策定する動向などが、緒に就いたところである。
 コミュニケーションの変質
  携帯電話やインターネットおよびSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の急激な普及によって到来したIT社会は、私たちのコミュニケーション能力や対人関係のもち方に確実に大きな影響を与えている。世界規模の莫大な量の情報が、映像つきかつリアルタイムで、家族の文脈を無視し個々人の咀|徘能力を考慮しない形でなだれ込んでくる。こんな時代にあって、最も親密で影響力の強い関係であり続けることができるか否か、個々の家族に問われている。
  一方では家族危機説や存在無用説が述べられ、反面では子どもの発達をめぐる昨今の事情から、ますます家族重要説が強調されるという矛盾を抱えているのが現代日本の家族である。家族の多様化に伴い、固定観念やバイアスの強化に加担することなく、相互尊重的で情緒的ケアの要請に応えることのできる関係づくりを推進するための、実証的・実践的研究を展開することか家族心理学に求められている。

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存在はトラウマではない

傾向と作戦は一応、成功。内なる世界の一歩かな。 #内なる世界
存在に関することはトラウマではない。トラウマは心的外傷を意味するから。単なる気付きです。恐ろしいことに。 #トラウマ解釈
[Alexandros]って四人だったんだ。ちょっとした気付き #[Alexandros]
[Alexandros]がYouTube9時からライヴ配信だって。 #[Alexandros]
連盟「脱退」日本に続いてドイツ。先にぬけたのはウィルソン大統領。 #脱退
豊田市図書館の29冊。「家族」関係が多い。家族制度崩壊のシナリオ #家族制度
2000年3月18日からの累計 26400冊 4921万円。めざせ! 20年間で5000万円 #借本集計
冬のフル装備で出掛けたのに生あたたかった。
構成をモレスキンダイアリーにしたら、空中で容易に書くことができた。コクーンとの相性は抜群。 #モレスキン
9時だと沈金とぶつかる。8時からのLineLive久保・りりあはOK #LineLive

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豊田市図書館の29冊

「家族」関係が多い。家族制度崩壊のシナリオ
2000年3月18日からの累計 26400冊 4921万円 ⇒ めざせ! 20年で5000万円
338.18『FIRE 最速で経済的自立を実現する方法』
367.3『進化形態はイクメン』「子育てする父親」が家族と人類を救った
230.7『失われた子どもたち』第二次世界大戦後のヨーロッパの家族再建
333.8『SDGsとは何か?』世界を変える17のSDGs目標
321.2『法思想史』
159『ハウ・トゥ』アート・シンキング
135.34『告発と誘惑』ジャン=ジャック・ルソー論
336.1『超実践マーケットイン企画術』7つのテンプレートで「お客様のニーズ」がつかめた
361.5『中国新世代』チャイナ・ニュージェネレーション
378『発達障害の子を育てる本』スマホ・タブレット活用編
537.09『モビリティーサプライヤー進化論』CASE時台を勝ち抜くのは誰か
699.67『何度でも泣ける「沁みる夜汽車」の物語』ありふれた鉄道で起きたありえない感動の実話
376.11『新・育ちあう乳幼児心理学 保育実践とともに未来へ
193.21『これから読む聖書』出エジプト記
338.9『金融グローバリズムの経済学』格差社会の形成と世界金融危機の勃発
131.5『ストア派』
331.84『ラディカル・マーケット』脱・私有財産の世紀
361『社会学』
141.6『実践幸福学』科学はいかに「幸せ」を証明するか
007.3『時間とテクノロジー』「因果の物語」から「共時の物語」へ
102『世界哲学史1』
007.35『Xテック2020』
367.3『家族心理学』家族システムの発達と臨床的援助
332.53『スティグリッツ』PROGRESSIVE CAPITALISM
748『異世界に一番近い場所』ファンタジー系ゲーム・アニメ・ラノベのような現実の景色
588.55『イギリス王立化学会の化学者が教えるワイン学入門』
383.8『ビスケットとクッキーの歴史物語』
369.26『死を前にした人に向き合う心を育てる本』ケアマネジャー・福祉職・すべての援助者に届けたい視点と看取りケア
146.1『ぼくらの中の「トラウマ」』いたみを癒やすということ

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十戒と契約の書

『出エジプト記』より
さてここから、神ヤハフェとの契約の、詳しい内実が明らかにされます。これが、「モーセの律法」の、根幹となります。
冒頭に、いわゆる「十戒」が掲げられます。十戒は、日本でも神の言葉として有名ですが、法律がたったの十条に限られている、と誤解してはなりません。それは、要約の心覚えとして与えられたものです。その章句は、聖書とともに有名になり、世界中に大きな影響を与えました。
ついで、詳細な律法のかずかずが伝えられます。いわゆる「契約の書」です。この部分は、「法律条文集」の体裁に近いものです。どの条項も、とても意義深く、当時のユダヤ人社会、また世界観を反映しているものなので、一つひとつ、詳しく紹介して行きます。
十戒も、また契約の書も、それ以前のテキストに該当するものがなく、出エジプト記が編纂される段階で、本文に書き込まれたと想像されます。
これらの律法は、預言者モーセと結びつけられ、モーセの律法とされることで、ユダヤ人のうえに強い規範力を及ぼしました。ユダヤ法(ユダヤ教)はじつに、出エジプト記のこの部分にもとづいて生まれた、と考えてもよいのです。そして、イエス・キリストの物語も、キリスト教も、モーセの律法が人びとの桂桔となっていた当時の社会の現状を大前提にするのですから、この書物がどれぐらい広い射程をもっていたか、測り切れないほどです。
十戒と律法の書を、一条一条よく味わい、心に刻んで、わがものとしてください。その後に起こった多くの出来事の、謎を解くカギとなるはずです。
モーセの律法は、エジプトを脱出して砂漠を移動しつつあるイスラエルの民のためのものというより、約束の地に定着して長く経ち、社会階層の分解やさまざまな社会矛盾を抱えるようになったユダヤ社会を生きる人びとのためのものです。ですから、これらの律法は、過去の偉大な預言者モーセに仮託して、後世の人びとが編纂したものだと考えるのが、学問的な態度です。それ以外に、このテキストの科学的な読み方はありません。
それでは、どのタイミングで、ユダヤ社会の人びとはこのテキストを編纂したのか。それはいわゆる「申命記改革」の時期だと考えられます。
申命記改革とは、ユダ王国(南王国、ダビデ王朝)のヨシヤ王が、行なった改革です。ヨシヤ王は、紀元前七世紀の後半に統治し、弱体となったアッシリア王国からの独立を回復する民族主義的政策(ユダヤ教の復興)を押し進めました。そして、神殿を整理していたらモーセの律法(申命記)がみつかったと宣言します。実際には彼の指揮のもと、祭司たちの手で、モーセの律法が整えられたのでしょう。神に忠実な預言者モーセの像も、この時期に確立したのだろうと思います。
ヨシヤ王は、エジプトからシリア方面へ進軍してくるファラオ(ネコ二世)を迎え撃ち、メギドで戦死します。けれども、ヨシヤ王のまいた種が、ユダヤ民族主義として根を下ろし、のちの新バビロニアによる捕囚の苦難の時期を乗り越える、原動力になったと思われます。
以来、ユダヤの人びとは苦難があるたび、出エジプトの出来事と、荒野でのイスラエルの民の試練を想い起こすのです。
それでは、とりわけ注意深く、テキストを順番に読んでいきましょう。ここは、出エジプト記の山場だからです。

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