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複数の父親

『進化形態はイクメン』より
四人の父親を紹介したい。
オタはアカ族で、コンゴ民主共和国の密林の奥深くに住んでいる。アカ族は狩猟採集民族で、網を使って森に住む小動物を捕まえる。網を使った狩猟は家族全員で行い、子供たちは母親や父親について森を歩き回る。家族は常に一緒にいるから、オタは妻と同じくらい子供の世話をし、歌を歌ってやったり、なだめたり、食べさせたり、沫浴させたりするのも分担している。それどころか、子供と一緒に寝ることも妻より多くなりがちで、泣いている赤ちゃんに、妻が授乳できるまで自分の乳首を吸わせたりもする。
次はマイクだ。マイクはアメリカのボストン出身、企業の顧問弁護士だ。長時間の仕事で、平日はめったに子供の顔も見られないが、子供が私立名門校の教育を受けられるように高給を取り、街の上品な地区に住めるようにがんばっている。地元カントリークラブの会員で、週末には年下のほうの子供たちをそこのスイミングクラブに連れていき、年上の息子はよくお父さんと一緒に職場の同僚とゴルフコースに出る。
次のお父さんはシギスだ。ケニア高原地帯のキプシギス族の父親だ。キプシギス族は農業に従事し、主要産物はお茶である。シギスは自分が家族のいちばんの稼ぎ手だと思っていて、幼い子供たちと過ごす時間はほとんどない。しかし、息子たちが少年になると、大人になって畑仕事を引き継げるように畑のことを教えはじめる。子供が二〇代になってからは、娘たちは妻に任せ、余暇はたいてい息子たちと過ごすようになる。
最後にジェイムズを紹介しよう。ジェイムズはイングランド南西部のサマセットに住んでいる。彼は三人の子供の第一育児者だ。妻は広告会社の敏腕重役で、職場は隣州のブリストルにあり、海外出張も珍しくないから、子供たちの実質的な世話や心の支えになるのはもっぱらジェイムズの役目だ。ジェイムズは上ふたりの子供の学校の送り迎えと家事を任されている。子供たちの放課後の活動を占めるバレエ、サッカー、お出かけの計画もお手のものだし、お茶出しも宿題の手伝いもやれば、学校のPTAでも熱心に活動している。いちばん下の子が週四日の午前中だけ保育園に通い出したので、在宅でコピーライターの仕事をはじめようとしている。
世界の似ても似つかぬ四地域の四人の父親たちが、四種類の相異なるやり方で父親としての役割を果たしている。よりよい仕事をしているのはだれだと思うだろうか?
本章では、世界各地の父親業がどうして多様な形を取っているのかを探りたい。数多くの父親のあり方を紹介することによって、ふたつの目標を達成したい。ひとつは、献身的な父親になるにあたって、正しい方法などないことを説明し、父親への長旅に踏み出す男性たちに安心してもらうこと。もうひとつは、役割を果たそうとする方法はさまざまでも、最終的にそれを決定しているのは、すべての父親に共通している目的、すなわち、子供の生存を是が非でも守るという目的である、と示すことだ。父親たちは、差異はあっても究極的にはみんな同じクラブのメンバーなのだ。
父親には妊娠、出産、授乳といった生物学的な〝縛り〟はないものの、前章で明らかになったように、家庭内でどんな役割を担うにせよ、当初の思惑とはちがってそれほど自由に選ぶことはできない。人間の行動には、進化史と生物学によって突き動かされる要素と、その人間が生きる社会的、文化的、政治的環境によって形成される部分とがある。社会制度が一夫一婦制から一夫多妻制まで大きくちがっていたり、政治体制が極右から極左まで偏っていたり、相続制度が父系、母系から平等主義まであったり、経済体制も資本主義、共産主義、物々交換、自給自足とさまざまだったり、現代の父親はそんな多様な社会に生きているのだから、世界の父親がさまざまに自分の役割をこなしていても、驚くには当たらない。この歴史、宗教、政治の影響に、生い立ちや遺伝における個人差を掛け合わせれば、実に多様な形で父親が役割を担うのはしごく当然だ。
父親の柔軟性は人間の生存に不可欠だ。妊娠、出産、授乳には多大なエネルギーを要し、肉体に高い負荷がかかるから、母親の役割はかなり限定される。対照的に、父親は、家族の生存を脅かしうる社会的、経済的、物理的環境のほんのわずかな変化にも素早く対応できる。ゆえに父親の役割は、文化間、家族内、近所の家族同士でも、さらにいえばひとりの男性の人生のなかでも大きく変わりうる。そこからふたつの結論が導かれる。ひとつは、ほかの父親--自分の父親、近所のおじさん、デイヴィッド・ベッカム--から刺激を受けるのはかまわないが、あまり人と比べるべきでないこと。子供が生きていくうえで生存にかかわる要素は、手本とする父親のそれとは当然異なるからだ。もうひとつは、一見するととても似ている環境の父親でも、ほかの要素が異なれば、生存問題の解決法が大きく変わりうるということだ。したがって、さっき投げ掛けた問いについては、大切なのは、だれがいちばんいい仕事をしているかではない。同じ課題に対してそれぞれの父親が異なる解決法を思いつく、その興味深い道筋なのだ。
第3章で登場したアチエ族の父親たちを覚えているだろうか? さっきのアカ族と同じように、アチエ族も狩猟採集によって生活の糧を得ているが、かいがいしく子供の世話をしているアカ族の男性とはちがい、わが子の世話にはほとんど手を出さない。戦争で疲弊した社会では、生存の確保は家族の日常生活を守ることと同じくらい基本的なことである。対照的に、熱帯雨林の奥深くに住むアカ族の暮らしは、食料がふんだんで、脅威となる敵は少ないので、比較的に平等主義が根づいている。アカ族の父親は、平均で昼間の四七パーセントの時間を子供たちとの触れ合いに費やす、世界有数の育児パパだ。つまり、自給自足という点では同じだが、父親業のスタイルは大きく異なる。社会環境が大きく異なると、子供たちの生存を確実にする行動も大きく変わるのだ。アカ族の場合には、差し迫った命の危険がないから、男性は何日も続く家族総出の狩猟に出かけ、育児を分担し、狩猟時に欠かせない生存技術を子供に伝えることもできる。しかも、子供たちはその技術を父親からも母親からも学べる。一方、複数の父親がしっかり物理的に守ってやらないと、アチエ族の子供は成人になるまで生きられない重大なリスクを抱えることになる。ふたりの父親は同じ目標を掲げているのに、到達方法はまったく異なる。
ハーバード大学の発達科学の研究者ロバート・ルバインは、こうした環境リスクこそが、父親としての行動がグローバルおよびローカルで多様である主因にほかならないという。結局のところ、すべての父親は子孫の生存と成功を願う。しかし、この生存確率を高めるための父親の貢献要素は環境によって変わる。ルバインの言葉を借りれば、〝親としての目標を目指すうえで脅威になったり役立ったりする環境要因に順応するため、父親は意識的、無意識的な調整〟をする。そして、環境は常に変わるものであり、社会によってさまざまなのだから、父親業もちがったものになる。戦争だろうと、捕食動物だろうと、病気だろうと、リスクレベルが高い環境では、子供の肉体的な生存と健康の確保が父親の重要な役割となる。優先順位の最上位に位置する目標だ。肉体の生存自体にそれほどのリスクがなく、経済的困窮が課題になるなら、その下の階層の目標を果たすことになる。父親の関心は、子供が成人後の経済的生存に適した技術を身に付けられるようにすることに向く。最後に、子供が経済的にもやっていけることが確実になると、父親は子供の社会的、知的、文化的な発達を気にするようになる。つまり、ルバインによれば、狩猟採集や家族農業といった生存が危うい社会では、子供の生後一年のあいだは両親とも子供の養育に注力し、死亡のリスクが高い困難な期間を乗り越えさせようとするという。一方、先進国の両親は、子供の将来のために資源を向けなければならないことを知っている。時間とお金を子供に注ぐ覚悟が要るのだ。中流階級の親が子供に知的、社会的な刺激を与え、教育機会を存分に生かそうと骨を折るといった図式はよく見られるし、笑いのタネも提供する。しかし、そこには、親の重大な使命が隠れている。それは、競争を基調とする社会的、経済的環境で、子供が生き残りと成功をつかみ取れるようにしつけることだ。
そこで、根本的な問いが生じる。父親としての役割の果たし方にもいろいろあることを理解するうえで、ルバインのモデルはどれほど有用なのか? もう一度、オタ、マイク、シギス、そしてジェイムズと、それぞれの父親業へのまったく異なる取り組みを見てみよう。オタもシギスも比較的良好な物理環境に住んでいる。戦争や病気になる確率もわりあいに低い。しかし、経済面から見た現実はかなり厳しく、オタの家族はその日暮らしの生活を送っており、家族を養う食料を得るためには毎日猟に出なければならず、シギスも畑というきつい職場で、市場で競争力のある価格を守るために十分な量の茶を栽培しなければならないという重圧を負っている。日々の暮らしでは、ふたりとも主にルバイン・モデルの第二階層の目標に目を向けている。すなわち、子供が大人になったときに経済的に安心できるように、生計を立てる技術を習得させることだ。オタの子供たちは一家総出で行う網猟を見たり手伝ったりしながら猟を覚え、シギスの息子たちはほとんど男性が仕切っている社会でみっちり教えてもらう。
それとは対照的に、マイクとジェイムズはふたりとも物理的にも経済的にも安全な環境に住んでいる。ふたりにとって、子供たちが負うリスクは、大人になったときにうまく立ち回らなければならない、とてつもなく複雑な社会のなかに潜んでいる。多くの人々にとって、そんな環境での成功は、単にどれほど懸命に働くかということではなく、どんな学校を出たのか、どんな人と一緒にゴルフをするのか、どんな車に乗っているのかといったことに左右される。門戸をひらいてくれるふたつの主要因は、だれと付き合うか--どんな人と知り合いで、どんな業界に入るのか--そしてお金だ。マイクは一緒にお風呂に入ったり、運動会に行ったりはできないかもしれないが、子供をふさわしい学校に入れ、長男にゴルフコースで社交界やビジネス界との交流を促すことによって、子供たちが輝かしい人生行路に踏み出す最良の土台を固めているのだ。カントリークラブでそれだけ長く過ごせば、ふさわしい人たちと知り合い、そういう人たちの仲間として受け入れられるような振る舞い方を身に付けられる。ジェイムズも同様に、一家の主要な稼ぎ手ではないものの、子供を放課後のクラブに送り迎えしたり、PTA活動にいそしんだり、大量の宿題に立ち向かったりと、子供の教育や社交技術の習得を支援している。ふたりの父親の行動から明らかなとおり、西洋人の父親は、子供にとっての最大のリスクは複雑な多層化社会での身の処し方にあると認識している。印象深いのは、子供に関する心配はなにかと問われたら、父親はありきたりのことではなく、リスクのあることに目を向ける。オタとシギスにとって、心配は経済的な意味で生き残れるかどうかであり、マイクとジェイムズの場合は、子供が社会的、知的な潜在能力を十分に発揮できるかどうかだ。ルバインのモデルを自分に当てはめてみよう。次のふたつの質問に答えてほしい。あなたの家庭内での主な役割は? 子供にとっての最大のリスクはなにか? じっくり考えてほしい。

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