『アジアの世紀』より 文明の融合によってグローバル化するアジア
岡倉天心、ラビンドラナート・タゴール、梁啓超の汎アジア理想主義から一世紀経った現在、アジアの人々は彼らの知的な相乗効果を再発見し、欧米の無批判な自己評価や現代の欧米政治史や思想に真剣に疑問を呈することになる思考を構築している。欧米はあれほど多くの独裁政権を支援してきたにもかかわらず、なぜ世界の人権の擁護者を自任しているのだろうか? まったく制限されない個人の自由は、商業的なイノベーションや成功に不可欠な土台なのだろうか?民主主義が資本主義に不可欠なのではなく、資本主義が民主主義に不可欠なだけではないのだろうか? 政治におけるリーダーを選ぶとき、大衆の人気よりも実力主義に耐えうる訓練を受けた経験のほうが重要なのではないだろうか?冷戦時代のアジアのナショナリストと同じく、欧米で教育を受けたアジア人はアメリカ寄りの密告者になるのではなく、むしろ自身がものにした言語で欧米に立ち向かえる知識人になる。
今日の汎アジアの知的なまとまりは、植民地支配から独立した直後の不安定な時代に思い描かれたネルー主義的な同胞精神とはまったく異なる、より建設的なものだ。今日のリーダーたちが望んでいるのは、非現実的な「アジア合衆国」ではなく、地味だが生産性の高い「商業と学びの共和体」だ。アジアで生まれ育ち、アジアの教育を受けたアジア人のなかで、欧米で大きな発言力を持っている者は極めて少ないが、彼らは自身の地域の律動やダイナミクスに対する本質的な理解を持ちつづけているため、何か事が起きるたびに彼らの正しさが立証されている。
だが、アジアの人々は互いの国に関する書物をもっと読むべきだ。アジアでは人々は相関する歴史の知識は互いに持ち合わせているが、文化や言語が異なるために汎アジア的な思想が十分浸透しているとはいいがたい。その差を埋めてきたのが、欧米の出版物だ。欧米では二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ事件や中国の台頭といった地政学的な出来事によって、アラブやアジア研究への資金提供が急増した。そうして潤沢な資金を持つ北アメリカの大学や、主要学会誌『アジア研究ジャーナル』を発行しているミシガン州アナーバーのアジア研究協会といった学術団体が、アジア研究の第一人者になっている。それに対して、シンガポール国立大学が発行している『アジア社会科学ジャーナル』といったアジアの研究者がアジアの大学で編集している学術誌は、アジア地域内でもあまり普及していないし、ましてや欧米ではほとんど知られていない。現在、アジア地域には緻密かつ正確な研究成果を生み出している学術機関が数多くあり、欧米の研究者たちは互いの論文を参照し合うよりも、そうしたアジアで行われている研究にもっと目を向けるべきだ。実際、ここわずか数年のことではあるが、私はある変化に気づいた。講義をするのではなく学ぶためにアジアにやってくる、アメリカの「専門家」が増えていることに。
アジアが主体となってアジアの内側からアジアについて発信する取り組みは、幾度となく行われてきた。一九四〇年代から二〇〇〇年代にかけて、アジアのビジネスの現状を現地で幅広く取材した『ファーイースタン・エコノミック・レビュー(FEER)』は、アジアで多くの読者を擁していた。一九七〇年代には、二人の元FEER特派員が「アジアの目から見たアジア」を伝えるという明確な目的で、『アジア・ウィーク』を立ち上げた。一九八〇年代に入ると、欧米の雑誌社が『タイム・アジア』、『フォーチュン・アジア』、『アジアン・ジオグラフィック』といったアジア版老次々に創刊したため、アジアの雑誌売り場では激しい競争が起きたが、そうした欧米の雑誌は実質的には欧米版の焼き直しでアジア地域独自の内容は乏しかった。一九九五年にバンコクで創設された『アジア・タイムズ・オンライン』は、「英語でニュースを知りたい読者を対象にした唯一の汎アジアオンライン新聞」とうたっている。読者の半数はアジア人で、残りの半数はヨーロッパと北アメリカ人だ。中国語圏では、国際情勢を中国の観点から記事にしている『亜洲週刊』が代表的だ。だが総じて、アジア全地域を対象にした報道関連の出版物は、各国の言語による国内のメディアに比べると普及度がはるかに低い。
アジアの出版物の場合、報道関連よりも文学作品のほうが世界で知名度もあり、高く評価されている。言語や文化の一部が古くから共通していることから、東アジア諸国では何世紀にもわたり互いの文学作品に親しんできたという歴史がある。日本の貴族階級の女流作家紫式部が一一世紀初めに書いた『源氏物語』は世界初の心理小説と広く認められていて、ホルヘ・ルイス・ボルヘスをはじめとするあらゆる時代の作家の多くに豊かな発想力をもたらしている。中国の六世紀にわたる時代を描いた『水滸伝』、『三國志』、『西遊記』、『紅楼夢』の四大古典文学は、韓国や日本でも読者が多く、研究も盛んだ。
この二世代のあいだに、アジア文学への認識は急速に高まった。数多くの中国人、日本人、インド人作家が世界的な評価を得るようになった。ラビンドラナート・タゴールがアジア人初のノーペル文学賞を一九一三年に受賞して以来、一九六八年の日本の川端康成が受賞するまで長い空白があった。その後、一九九四年に大江健三郎、二〇〇〇年に中国の高行健、二〇一二年に中国の莫言、そして二〇一七年には日系イギリス人のカズオ・イシグロが同賞を受賞している。西アジアでは、イスラエルのシュムエル・アグノンが一九六六年に、トルコの小説家オルハン・パムクが二〇〇六年にノーペル文学賞を受賞している。権威あるブッカー賞もサルマン・ラシュディ、アラヴィンド・アディガ、キラン・デサイ、アルンダティ・ロイをはじめとする数々のアジアの作家に贈られていて、欧米の読者は彼らの作品によってアジアというテーマを身近に感じるようになった。また、韓国の小説家韓江は、連作小説集『菜食主義者』で同賞の国際賞を受賞してい
特にインドと日本の作家が世界じゅうで読者を集めていて、その代表格は村上春樹(『ノルウェイの森』)、アミタヴ・ゴーシュ(『ガーフスの宮殿』)で、そのほかアフガュスタン生まれのカーレド・ホッセイニ(『カイトこフンナー』)も注目されている。大衆小説では、エイミ・タン(『ジョイ・ラック・クラブ』)、ジュンパ・ラヒリ(『停電の夜に』)、セレステ・イング、ケビン・クワンといった小説家たちの成功によって、異なる民族性の交わりから生じる社会的なストレス問題に取り組む姿を描いたアジアと欧米のクロスオーバー小説が人気を博している。リサ・シーのように、異国アジアについて念入りに調べて書かれたアメリカ人作家の作品も、常にベストセラーになっている。「中国の『指輪物語』」とよく称されている金庸の「射鵰三部作」は、英語翻訳版が完成するまで数十年かかったが、非常に多くのファンがいる。
アジア人は科学でも大きな功績を残していて、その研究の大半は社会で最も差し迫った問題の解決に直結したものだ。アジアのなかでは、日本の科学者が世界の研究で最も貢献しつづけてきている。ノーベル生理学・医学賞、ノーベル物理学賞に加えて、同じく権威あるショウ賞やラスカー賞の生命科学部門でも、それぞれ多くの日本人科学者が受賞している。幹細胞研究で革新を起こし、二〇一二年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中仲弥は、アジアの研究者のトップに立っている。大隅良典はオートファジー(自食作用)の研究で二〇一六年にノーベル賞を受賞した。二〇一五年のノーベル生理学・医学賞は、抗マラリア薬アルテミシニンを発見した中国の薬理学者屠吻吻と、日本の生化学者大村智の両名に贈られた。注目すべき点は、屠吻吻は教育も中国だけで受けてきて、しかもすべての研究を伝統中国医学の中国中医科学院だけで行ってきたことだ。彼女に与えられた賞は、中国医学のみならずアーュルヴェーダといった古代インド医術が医療現場で患者に対して大きな成果が認められてきたことを、改めて示したものだ。中国医学も古代インド医術も、体だけではなく心や精神にも同時に治療を施す「ホリスティックヒーリング」を重視している。しかも、アジアの科学と精神性の融合はこれだけではない。全世界の医療業界や環境団体が、菜食の生理学や環境保護の面での利点にますます注目している。つまり、みながヒンドウー教徒の食生活を取り入れれば、世界はもっと持続可能な場所になる。
なにも浮かんでこない。だから、散歩に出ます。 #散歩の目的
AQを詰めていくと、すべて「存在」に行き着きそう。 #存在に行き着く
紅白で乃木坂をシンクロにしたと言うことはレコ大を日向坂にすると言うこと。バレバレ。レコ大は見ないことにする。 #乃木坂のレコ大
FBって、宣伝ばっかり。
『アジアの世紀』より アジアから見た世界の歴史
冷戦が終わると、ヨーロッパに向けられていた注目は急速に西アジアに移った。一九八八年のイラン・イラク戦争停戦直後、イランは戦争と経済的孤立、さらには一九八九年のアヤトラ・ホメイニ最高指導者の死去によって弱体化した。イラクは協力関係にあった、すぐ南の石油国クウェートを攻撃することで復興しようとした。侵攻から数カ月内に、アメリカはクウェート解放とサダム・フセイン軍への大量報復の拠点となったサウジアラビアを守るために、二〇万人の兵を送り込んだ。この地域でのアメリカ軍の優位性が確立されると、アメリカはイラクとイラン両国に対して「二重の封じ込め政策」を推し進めた。アメリカがパレスティナ問題の外交による解決策を長期にわたって探しつづけていたにもかかわらず、イスラエルと国内の少数派アラブ人の関係は悪化しつづけた。一九八七年、イスラエルの占領に対して、パレスティナ解放機構(PLO)、汎アラブのムスリム同胞団、そして新たに設立されたイスラム組織ハマスが主導する「パレスティナのインティファーダ(反乱)」が起きた。イスラエルに占領されたヨルダン川西岸地区(とガザ地区)でのパレスティナ自治を確立するため、オスロ合意によって指針が定められた。その結果、このインティファーダはおよそ五年後にようやく沈静化した。
一九九〇年から一九九一年にかけて、ソ連の崩壊によって構成国が次々と独立した。だが、カフカス地方のジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャン、中央アジアのカザフスタン、ウズペキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンはみな旧ソ連共産党幹部によって治められることになった。とはいえ、ソ連の経済支援を失った再編後の独立国家共同体(CIS)内では、アルメニアとアゼルバイジャンの対立や、タジキスタン内戦がすぐさま発生した。このわずか三年前に、イスラム教の戦士「ムジャーヒディーン」がアフガニスタンでソ連軍に勝利したことで、旧ソ連に属していた近隣の中央アジアのイスラム諸国は、ウズベキスタンーイスラム運動(IMU)やヒズブ・タフリールといった新たな軍事組織や政治組織を生む格好の土壌となった。また、ソ連の崩壊によって、中央アジアではロシアよりも中国のほうが、より多くの旧ソ連の共和国と国境を有するようになった。中国はそうしたテュルク系の近隣国との未解決だった国境問題を解決したのちに、自国の省や自治区で最大の新疆を利用してカザフスタンの原材料を入手したり、カスピ海からタリム盆地までを結ぶ新しいパイプーフインに投資したりしている。さらに、そういった新たに独立した共和国との地域協力を深める手段として、一九九六年に上海協力機構(SCO)を設立した。トルコも中央アジアのテュルク系の同胞だちとの関係強化を進めながらも、実用主義の首相が続いたためにヨーロッパとの関係が最重要事項とされ、一九九五年にEU関税同盟への加盟を実現した(だが、ギリシアとはキプロスをはじめとする島々をめぐっての緊張関係が悪化している)。
一九九〇年代のグローバリゼーションの拡大とともに、東アジア諸国の経済状況は変化した。冷戦時代が遠ざかるにつれて、韓国は敵だった中国やヴェトナムと国交を回復した。中国は急速な経済開放政策をひきつづきとる一方で、一九八九年六月に北京の天安門広場で抗議者たちを容赦なく鎮圧した事件からも明らかなとおり、中央集権政治は維持しつづけた。一九九二年にアメリカ大統領に選ばれたビル・クリントンをはじめとする欧米のリーダーたちは、政治的自由を抑圧する中国を制裁しようとしたが、中国に商業的関心を持つ欧米の企業や個人はこの国の巨大な顧客基盤を活用することを重視した。一方、日本経済は投機的資産バブルがはじけたために「失われた一〇年」に苦しみ、そのあいだに韓国の一族経営のコングロマリット(チェボル)は自国政府による税金の優遇措置や安い金利を利用して、重工業やエレクトロニクス産業における日本の優位性に対抗した。
中国の自信が増大するにつれて、東アジアの地政学的な緊張感が高まった。一九九五年、台湾の李登輝総統が独立を推進するのではと恐れた中国は、福建省の部隊を動かし、台湾海峡でミサイル発射実験や陸海空軍合同演習を行った。それに対してアメリカは二つの空母打撃群二個を送り、中国軍を後退させた。だがその一方で、一九九七年にイギリスから香港、さらに一九九九年にポルトガルからマカオが中国に返還された。それによって、アジアにおける植民地支配は正式に終了した。一九九〇年代半ばの中国はさらに、南シナ海での権利をより積極的に主張するようになり、中国、アメリカ、ロシア、オーストラリアといった大国が一堂に会して外交するためのASEAN地域フォーフムの開催をASEANに促した。ASEANもさらに拡大を続け、一九九五年にはヴェトナム、一九九七年にはラオスとミャンマーが加盟した。中国と韓国はこの地域の張りつめた緊張感をよそに、ソ連という後ろ盾を失って孤立した北朝鮮との対話を始めた。だが、朝鮮半島を非核地域のままに保つと約束したにもかかわらず、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)脱退を表明した。
中国以外の束アジアでは、民主化の大きな波が打ち寄せていた。韓国では元将軍の盧泰愚が一九八八年に行われた約二〇年ぶりの大統領直接選挙で勝利し、一九九三年まで大統領を務めた。台湾においても、一九八〇年代に国民党が時間をかけて行った政治改革が、一九九〇年代の完全に民主的な選挙につながった。東南アジアにおける政治的な変化は、国によってまちまちだった。フィリピンの「横領政治家」マルコスの政権は倒され、一九八六年の民主的選挙で「アジア民主主義の母」として国民に支持され選ばれたコラソン・アキノが次の大統領になった。一九九二年にはフィデル・ラモスが後を継いだ。輸出主導で急速に成長した東南アジア経済は、タイ、マレーシア、フィリピンのみならず韓国といった経済が成熟した国においても不十分な外貨準備高によって通貨が大幅に下落して債務が急増した、一九九七年のアジア通貨危機によって大きく後退した。現地通貨の暴落により、インドネシアをはじめとする縁故資本主義政府が統治していた国々の実態が暴かれた。三〇年あまりインドネシアを支配していたスハルトは軍の後ろ盾を失い、巻き起こるデモのさなかの一九九八年に辞任した。
ソ連の崩壊は、一九九〇年代にインドが開放経済へと転換した主なきっかけにもなった。かって大量に行われていたソ遠との貿易が激減し、しかも湾岸戦争で石油価格が倍になると、インドのナラシマ・ラオ首相とマンモハン・シン財務大臣はネルー首相時代の中央計画経済から脱却し、悪名高い「ライセンスこフジ(ライセンス統治)」を廃止し、外国からの投資を歓迎した。そうした政策によって、インドはそれまで「ヒンドウー式成長率」と言われてきた成長の遅さを大きく上回るようになった。それと同時に、カシミール地方での反政府活動やパキスタンとの断続的な対立によって二国間の関係が悪化したため、両国ともに核兵器計画を加速させて一九九八年に核実験を行った。パキスタンは西側の国境でも不安定な状況に陥っていた。アフガニスタンの内戦による混乱のなか、ペシャワールの難民キャンプで過激派タリバンが活動を始め、一九九六年にアフガニスタンを掌握するとイスラム教徒の革命を広めるためにアルカイダといったテロ組織をかくまおうとしたからだ。
アジア金融危機後、欧米企業の外部製造委託の増加や、貿易面での地域内統合の加速によって、アジア地域の経済状況は一九九〇年代終盤から二〇〇〇年代にかけて回復した。二〇〇四年にはアジアの域内貿易は先進国との貿易を上回り、アジア諸国は二〇〇七年の欧米の金融危機での需要ショックの影響を受けずにすんだ。また、インドは経済改革がぱっとしなかったにもかかわらず、ほかのアジア諸国同様に成長を続け、増えつつある東アジアとの貿易や戦略的な協力の機会を活かすために「ルック・イースト(東を視野に入れる)」政策を開始した。一方、繁栄する湾岸地域の石油に恵まれた王国の建設現場や政府の官僚機構で職を得るために、かつてないほど多くの労働者がインド、パキスタンといった南アジアの国から流入した。それらの湾岸諸国は急速に成長している東アジア市場への石油とガスの輸出が急増し、好景気に沸いていた。地域の反対側では中国が自国のインフラプロジェクトを中央アジアを経てイラン、パキスタン、湾岸諸国へと拡張していた。
この西アジアと東アジアを結ぶ成長の波は、二〇〇一年のニューヨークおよびワシントンDCでのアルカイダのテロ攻撃に対してアメリカが報復したアフガニスタン侵攻(二〇〇一年)やイラク戦争(二〇〇三年)から生じた、突如とした混乱にもかかわらず高まっていった。アメリカはアフガニスタンのタリバンとイラクのサダム・フセインのバース党政権を倒したが、イラクのアメリカを中心とする占領軍とアフガュスタンのNATO軍に対する地元の武装勢力やアルカイダの指揮による暴動によって多くの人命が奪われ、イラク難民が隣国のヨルダンやシリアになだれ込んだ。一方、二〇〇〇年に起きたイスラエルに対する二度目の「パレスティナのインティファーダ」は、二〇〇四年にPLO議長のヤセル・アラファトが亡くなるまで続いた。イランでは、論争の的となるマフムード・アフマディーネジャードが大統領に選ばれ、内密に進められた国の核計画への取り組み強化をけじめ、アメリカと対立する路線を歩んだ。イランとの緊張が高まると、アラブ地域では暴力行為が頻発した。二〇一一年初めには、アラブ諸国の多くで食料不足や、政治腐敗への世間の抗議運動に端を発した反政府暴動が起きた。シリアは内戦によって荒廃し、「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」といった過激派組織がイラクから西へと勢力範囲を拡大したため、何百万ものシリア卿民が国を捨ててヨルダン、レバノン、トルコ、ヨーロッパヘ逃れた。
二〇一〇年代、南アジアと東アジアの大多数の国は、政治の安定と経済成長に重点的に取り組んだ。中国は二〇一四年に世界最大の経済国(PPPベース)になり、日本の内閣総理大臣安倍晋二は大規模な景気刺激策と経済改革政策に着手し、韓国は世界で初めて高速インターネットのインフラを築いた。二〇一四年のインドでは、インフラヘの投資、規制緩和、国の誇りを高めることを公約に掲げたナレンドラ・モディが首相に選ばれた。東南アジアではミャンマーの軍事政権が支配を緩め、独立に関わった英雄の娘であるアウン・サン・スーチーの軟禁を解除した。その後スーチーは国政で有力な地位を占めた。タイでは私利私欲に走ったタクシン元首相一族に対するクーデターによって再び軍事政権がつくられたが、それでも今回の支配ではインフラ整備と経済改革に力が注がれた。そして、ヴェトナムは工業生産拠点として順調に成長を遂げた。東南アジアのASEAN諸国は、全体としてのGDPではインドを、外国からの投資総額では中国を抜いた。
東アジア経済の安定と統合は、中国と日本間の尖閣諸島問題や、中国と東南アジアの海沿いの国々のあいだのスプラトリー諸島や西沙諸島問題といった、歴史的に争われてきた領有権をめぐる極度の地政学的な緊張を和らげることに一役買っている。しかしながら朝鮮半島では二〇一〇年に北朝鮮が韓国の軍艦を沈没させ、二〇一七年には核実験やICBMミサイル発射実験を継続的に実施したため、緊張が高まった。とはいえ、アジア全体の統合は大幅に前進している。それは、中国が二〇一六年に開業したアジアィンフラ投資銀行(AIIB)や、二〇一七年の「一帯一路」国際協カサミットフォーラムにはほぼすべてのアジア諸国が加盟、参加したことからも見てとれる。AIIBや「一帯一路」サミットで約束された何兆ドルもの出資は、アジア全体における商業面および文化面での交流をさらに幅広く行うためのものであると同時に、それをアジアを越えた先でも実現しようと見据えたものでもある。
167.3『ハディースⅠ』イスラーム伝承集成
167.3『ハディースⅡ』イスラーム伝承集成
167.3『ハディースⅢ』イスラーム伝承集成
167.3『ハディースⅥ』イスラーム伝承集成
167.3『ハディースⅤ』イスラーム伝承集成
304『日本が「世界一」を守り抜く戦略』
361.63『よくわかる家族社会学』
379.03『勉強が死ぬほど面白くなる独学の教科書』
291.03『なるほど地図帳日本 2020』
290.38『なるほど地図帳世界 2020』
319.53『大陸主義米国の外交理念』
383.1『時代考証家のきもの指南』歴史・文化・伝統がわかる
319.2『アジアの世紀 上』接続性の未来
319.2『アジアの世紀 下』接続性の未来
193『上馬キリスト教会ツイッター部の世界一ゆるい聖書教室』
010.21『図書館と読書の原風景を求めて』
596『ミシュランガイド東京 2020』
519『図解でわかる14歳からのプラスティックと環境問題』
775.4『宝塚歌劇から東宝へ』小林一三のアミューズメントセンター構想
367.9『大人になる前に知る性のこと』他人を尊重し、自分を大切にする
015.2『レファレンスと図書館』ある図書館司書の日記
913.6『虹いろ図書館のへびおとこ』
596.04『サクランボの丸かじり』
450『ORIGINS』原始の地球 創造の40億年を巡る旅
797.5『麻雀技術守備の教科書』振り込まない打ち方
235『新しく学ぶフランス史』
構成をロジック化します。目次と同じような形にする。説明文はWSに任せます。どっちみち、表現しえないのだから。 #構成の構成
「偶然」に対して、その答えの意味、そこからの問い。そこに留めない。詳細と概要は同じもの。同一位相。 #詳細と概要は同一位相
この世界は瞬間的になくなるのでしょう。私が目をつぶった瞬間に。今は「ざまあみろ」という感覚です。これは誰にも伝わらない。 #この世界にざまあみろ
ムハンマドは家族主義。なぜ、家族は最初に支持したのか。アフガニスタンのマスード、9.11前日に自爆テロで暗殺された、の名前はハディースに登場するイブン・マスイードから命名された気がする。歴史の醍醐味は事象が繋がる時。 #ムハンマドへの興味
イスラムではアリーが気になっている。なぜか親近感がわく。それと様々な疑問。ムハンマド、ハデージャ、アリーから始まったムスリム。それでハディースの文庫本を借りてきた。全6巻の最終巻。 #ハディースの世界
卵を買ってきたら、案の定、奥さんが卵もパックを出してきた。今日の夕食は卵ご飯にした。そのまま焼くことも考えたけど、そのままが一番。 #夕食のメニュー
冬籠り用にチキンラーメンとどんべい、そしてホットケーキミックスを買ってきた。千円もした。10日分。あと、パール餅ときな粉、小豆があれば、正月まで過ごせる。 #冬支度
inkで書く技術が本格化。アマゾンで対応してもらいたい。「本」に書くことがハイブリッドすれば、「読書」が創造的なものになる。 #アマゾンでの対応に着たい
KING JIMで35000円ではダメ。アマゾンで5000円にする。アマゾンには理念がある。「本」はバラバラにできて、書けることで本になる。著作権の概念を超える。 #アマゾンでの対応に着たい
奥さんにキッチンペーパーと卵を隠されたみたい。自分用に買ってこないと。卵は12個入りにしたい。セブンイレブンに4個入りがあるけど、高い。問題は冷蔵庫に場所を確保できるかどうか。買ってくると、なぜか奥さんから出てくる。マヨネーズ、塩コショウ、粉もの。そう考えると卵は4個入りにしておくか。 #奥さんは魔女
身の回りが無印で一杯。この間まで週6日で行っていた。FBも無印が多い。応対が素晴らしい。神経が行き届いている。昨日はかわいいスタッフがレジにいた。思わず、かわいいと言っていた。 #無印に週6
無印のポリエステルケースは万能。大小様々で机回りに10個ぐらいある。包丁立てをKindle立てに使っている。同時に四つ使っている。 #無印に週6
手元に残っている本はハディース(ムハンマドのことば)と「炎の中の図書館」。ハディースから個の自立とウンマとの関係を抜き出そうとしている。ムハンマドも家族との関係で苦労したから難しそう。 #ハディースが頼り
土曜日にセントレア往復で3400円のバス代を使ったので、今週はバスは半減している。月曜・金曜のみ。横浜は割引があるからいいよな。 #バスなしが続く
家がなくなれば、個が生きてくる。国境を超えて、生きていける。縛るものがなくなる。もしかすると、それを実証するかもしれません。 #個の自立
〈今〉を感じている。不思議な感覚。何故、これを感じるのか。 #〈今〉は不思議
冬ごもりをしましょう。お餅ときな粉または小豆を買ってこないと。とりあえず、ミカンを買った。本当は箱でほしいけど、持ち帰れない。 #冬ごもり
無印52番はかわいい。