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セントレア乃木坂握手会

よく、考えたら、身分を証明するモノを持っていない。免許証は奥さんに取られている。これでは握手会場には入れない。健康保険証で入れるのかな。やはり、パスポートは取っておいた方がいい。だけど、国家に保証してもらうのは筋違い。 #乃木坂握手会
セントレアの案内カウンターで「乃木坂はどこ?」と尋ねたら、教えてくれた。これって、番組名ですよ。 #乃木坂はどこ?
大きなビルを取り囲んで、日陰で多くに人がコンクリートの上に座り込んでいる。今は8時です。ミニラは11時からですよ。ましてや握手会は午後です。従順にはなれない。
やはり、握手券がないと中には入れそうもない。まあ、生ちゃんが居ないのでどうでもいいけど。無券で入れなかった。バイトの連中の決まりきったやり方。生田は舞台で不在、せめて、しーちゃんぐらいは見たかった。 #乃木坂握手会
東京はこの比ではないみたいです。通りすぎに聞こえたのは、「異常に少ない」。思ったよりも女性が少ない。やはり、ネットで見るよりも人数が少ない。 #乃木坂握手会
香港では同じ層の人間が街頭に出ているんでしょうね。動員の革命  #乃木坂握手会
加藤内科で「膵臓」と言われてから、腰が気になっています。ネットで調べる気にはなっていない。 #膵臓ってどこ?
セントレア。全握会場。券も証明書もない。並ぶ体力もない。これで異常に少ないと聞こえた。3時間並んで10秒以内。全握は数秒。CD売り場では、5枚、10枚と変われていた。 #乃木坂握手会
昔は無券でも気にならなかった。その気になれば扉は開けられると思っていた。2000年2月15日、サンフランシスコ公会堂Windows2000発表会には無券で入ったのを思い出した。あの頃は扉は開くためにあると思っていた。 #扉は開けるためにあった
それにしても、誘導はヘタですね。もたついている。すぐに座り込むし、どうなっているかの案内もないみたい。それが当たり前になっている様子。どうしても忍耐でしょう。何に対しての忍耐なのか。この沈んだエネルギーは転用できるのか。 #何に対する忍耐
仕組みは分らない。ミニラ終了後に多くの人が流れ込んできた。握手会のレーンの後ろに付くのかな。それにしても、これだけの相手をするのは大変ですね。ハッキリ言って難民状態です。これをNPOは対象としないのか。ベンチでハディース(ムハンマドのことば)を読むことにした。 #バスは1時間後

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イスラム世界の学校

『イスラム世界を訪ねて』より
 ウマイヤ・モスクはウマイヤ朝の象徴--シリア・アラブ共和国
  モスクは、イスラム教を信じるイスラム教徒が礼拝する場所です。シリアの首都ダマスカスにある、このウマイヤ・モスクは、715年に建てられ、現存する最古のモスクです。モスクの外壁や中庭の三方に設けられたアーケードには、建物や植物などのモザイク画が見えます。
  休日のある日、ウマイヤ・モスクのアーケードの下の床にあぐらをかき、中庭を行き来する人びとを見ながら数時間をすごしました。このモスクでは、履物を手に持ち自由に移動ができます。アーケードの下には、持参した食べ物を広げている家族がいます。遊ぶ少年たちがいます。中庭には、幼な子を抱く女の子、家族連れ、ベビーカーを孫といっしょに押すお年よりが見えます。地元の人だけではなく、地方からやってきた人も大勢いることでしょう。
  ここには特別なイベントがあるわけではない。音楽やありがたい説教もない。幼ない子がときどき大きな声を出す以外は、人の声や物音がほとんどしません。歴史を刻んできた静寂のなかのすがすがしさがモスク全体を包みこんでいます。そのなかで人びとはそれぞれ、満ち足りた時間をすごしています。モスクを訪れた人びとの日常の会話に、神は耳をかたかけています。神の下の平等がここにあります。神と直接向き合う己がいます。これがイスラムの和平なのでしょうか。
  モスクは都市にも農村にもあり、昔からイスラム教徒にとってはたがいに情報交換をする場であり、学問の場でもあるのですよ。
  モスクの装飾には人物画や動物画はなく、アラビア語の銘文がこれにかわっています。ほとんどがアラベスク(植物の連続文様)や幾何文様です。イスラム教は偶像を否定しています。モスクに偶像はありません。
  ぼくたちの国は内戦・戦争状態が長く続いています。以前はパレスチナ難民を30万人以上受け入れていましたが、いまは逆に、シリア人の多くが難民となって、トルコやその周辺の国ぐにで生活しています。その数は、トルコに250万人以上、レバノンに100万人以上、ヨルダンに60万人以上といわれています。祈りはどんな場所でもできますが、難民となった人たちは毎日の祈りをどこでしているのでしょうか。
  いま、ぼくたちは、ボスラの遺跡群の中を歩いています。
  ぼくはウマイヤ・モスクの中庭に立っています。イスラムの歴史を少し話しますね。
  イスラム教は創始者ムハンマドが亡くなったころには、アラビア半島全域に広まっていたんだよ。その後661年に、このダマスカスを都とするウマイヤ王朝が生まれました。このウマイヤ・モスクは、その王朝の象徴なんだ。この王朝がすごいんだ。北は中央アジア、東は西北インド、西は地中海沿岸の北アフリカとヨーロッパのイベリア半島におよぶ広大な帝国となり、約90年続きました。その後西北インドを除くウマイヤ朝を引きつぐかたちで、イラクのバクダッドを都とするアッバース朝(750~1258年)が、イスラムの大帝国をつくりあげました。バクダッドは文明・文化の中心地として栄えました。このようにイスラムの世界が広がったのは、アラブ人勢力によるところが大きかったんだ。
  ウマイヤ王朝とアッバース朝の成立で、アラビア語で書かれたコーランによるイスラム世界が広がりましたが、コーランに書きしるされたアラビア文字もまた広い地域で使われるようになりました。イランのペルシャ語やパキスタンのウルドゥー語などは、アラビア文字が用いられています。このことは、人びとがコーランを読み、イスラムを理解する上で大いに役に立っています。
  もうひとつわすれてはいけないことは、イラン人(ベルシャ人)勢力もイスラム世界を広げるのに活躍したということです。長くなりましたが、わかりましたか。
 アルファベットが生まれた地中海東岸の国--レバノン共和国
  レバノンって国を知ってますか。地中海の東岸にあって、首都はベイルートです。
  朝礼で校庭に集まると、いつもにざやかです。レバノンの国旗の中央には、じょうぶで長持ちするレバノン杉があります。むかしはこれをたく方ん輸出して国が栄えました。ぼくもこのレバノン杉のように、家をささえ、国の役に立つような人になりたい。なれるかな。あはは。友だちのアフマッドやフセインは、どんな夢をもっているのかな。
  レバノン国民の大半はアラブ人ですが、そのうちイスラム教徒は54パーセントです。国語はアラビア語ですが、外国語は学校によって英語だったリフランス語だったりいろいろです。義務教育は小学校6年間と中学校3年間です。
  わたしたちの国はアラビア語を話すアラブ人が多く住んでいますが、モザイクのように多くの宗教があります。大きく分けるとイスラム教とキリスト教ですが、キリスト教にはカトリック、ギリシャ正教などいくつかの宗派があります。人びとは宗教ごとに分かれて住んでいます。
  アラブの国ぐにでは公立大学が多いのですが、わたしの国レバノンでは私立大学も公立大学と同じくらいあります。わたしは、公立にするか私立にするか迷っていますが、いずれにしても高校を卒業するときの国家統一試験でよい成績を修めなければなりません。
  3000年以上前には、この地にフェニキア人が住み、地中海貿易をして長い間栄えました。フェニキア人が使っていたフェニキア文字はギリシャ文字にとリ入れられ、いまのアルファベット26文字になったといわれています。
 公立小学校はイスラム教の授業がある--ヨルダン・ハシミテ王国
  わたしの町ザルカは、首都アンマンの北東約20キロのところにあります。わたしの通う公立校は、一般教科のほかに宗教でイスラム教とコーランを学びます。イスラム教の基本的な教えは、六信五行といわれるものです。六信とは次の六つを信じることです。
   一つ。唯一神アッラー
   二つ。預言者ムハンマド
   三つ。ムハンマドに啓示を伝えた天使ガブリエル
   四つ。聖典コーラン
   五つ。人間は現世での行為によって、来世は天国と地獄に振り分けられること
   六つ。神は世界で起こるすべてのことをあらかじめ知っているという「神の予定」
  ヨルダンはアラビア語を話すアラブ人の国で、国民の97パーセントがイスラム教徒です。
  英語は小学校一年生から習っていますので、わたしたちは英語を話すことができます。義務教育は基礎教育校(小・中学校)の10年間です。授業は日曜日から木曜日までで、休みは金・土曜日です。国語はアラビア語です。
  ぼくたちが校庭で遊んでいると、急にあなたがやってきて。
   「サラーム・アライクム!(こんにちは!)」
  と声をかけてきました。おどろいたぼくたちは、あわてて、
   [アライクム・サラーム!(こんにちは!)」
  と返事をしました。
  「10時半から30分も休みがあるのは、ヨルダンでは朝早くからごはんを食べる習慣がないから、この時間に学校で食べる子が多いのです」とぼくたちが説明すると、こんどはあなたがびっくりしましたね。日本では朝、何時ごろなにを食べますか?
  休み時間には家からもってきたものとか、校内の売店で買ったサンドイッチなどを校庭や校舎内の空いている部屋で食べます。食べ終わると男の子はサッカーを、女の子はおしゃべりをしたり、ダンスをします。イスラムの社会では、豚肉を食べてはいけません。スナック菓子などに豚肉の成分が少しでも入っていると食べられないのです。イスラム教徒が食べることができる食べ物をハラール(許可された)食品といいます。

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「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」知性と民主主義の砦

『アメリカが面白くなる映画50本』より 「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」知性と民主主義の砦
図書館の概念を超える
 ドキュメンタリーの名手、フレデリック・ワイズマンがニューヨークにある文化施設の中で最も重要といわれているニューヨーク公共図書館の運営や舞台裏をガイドしたドキュメンタリー作品である。公共図書館の一般的なイメージは、本の貸し出しを中心とした各種サービスであろう。しかし、ニューヨーク公共図書館はそうした概念をはるかに超えるものである。
 最初に映し出されるのは、人気企画《午後の本》で、世界的ベストセラー『利己的な遺伝子』の著者であるイギリスの進化生物学者・動物行動学者リチャード・ドーキンス博士のトークである。このイベントは出入り口に近いところで開かれ、誰もが気軽に参加できる。
 次は電話対応している司書たちだ。いわゆるリファレンスサービスである。ユニコーンについての質問に丁寧に答えている。問い合わせは年間三万件という。
 以上は図書館サービスとして珍しいものではない。しかし、次のマークス館長が民間支援者に語りかけているシーンは、ニューヨーク公共図書館に特有のものだ。ニューヨーク公共図書館は財源の約半分をニューヨーク市から、残りを民間から得ている公民協働の独立法人なのである。民間の七援が欠かせないことを民間欠緩片に訴えている。公y図お‥館というより、公共図書館と呼んだ方が正確なのである。
 ニューヨーク公共図書館はマンハッタンの五番街が四二丁目と交わる交差点にある。入口の両サイドにライオンの像がある。一九一一年に完成したボザール様式の古典的なビルだ。人文科学、社会科学、美術、地図など世界有数のコレクションを誇る。
 ニューヨーク公共図書館はニューヨーク全域をカバーする機関ではない。同様の図書館にブルックリン公共図書館とクイーンズ公共図書館がある。しかし、ニューヨーク公共図書館は八八の地域分館と四つの研究図書館を擁する一大図書館ネットワークであり、市民生活全般に密着した存在となっている。
就職支援プログラムまで
 ジェローム・パーク分館で行われているのは子どもたちの教育プログラムで、担当しているのは、ボランティアスタッフである。チャイナタウンに近い分館では、中国系住民のためのパソコン講座もある。市民のネット環境を改善し、デジタルディバイド(インターネット等を利用できる人とそうでない人との間に生じる格差)を減らすこともニューヨーク公共図書館の大きな目的である。来館しなくても年間延べ三三〇〇万人がネット経由で利用しているという。自宅にネット環境がなければ、接続機器の貸し出しもある。もちろんすべて無料である。
 点字・録音図書館では、点字の読み方、打ち方などをボランティアが指導している。研究図書館のひとつ、舞台芸術図書館ではピアノコンサートやアーティストのパフォーマンスがあり、ブロンクス分館では就職支援プログラムが実施されている。履歴書の書き方や面接指導もある。
 このように市民生活のさまざまな局面にニューヨーク公共図書館が関与している。監督は解説やナレーションなしに、実際の場面を淡々と映し出し、われわれをその現場に立ち会わせる。図書館運営の基本方針や問題に対処するための幹部会議、スタッフ会議も何度か映されている。そこではニューヨーク市との折衝の問題、利用増進方法、活字本と電子本の関係、ホームレスヘの対応、次年度の課題などが論じられている。
 映画は三時間二五分と長く、各シーンも十分に時間をかけて伝えられている。監督が作品のテーマに必要な長さと考えている結果だ。それは撮影を許可してくれた人たちへの責任であり、作品を単純化しないためであると監督は言っている。
民主主義の柱
 この映画は、ニューヨーク公共図書館の驚くべき多様な活動を教えてくれるが、同時に図書館のあり方や将来像についても大きなヒントを与えてくれる。ニューヨーク公共図書館は子どもの教育成人教育、調査、研究、アート、ダンス、演劇、映画、人種間関係、身体障害、移民問題などニューヨーク社会のあらゆる問題につながっている。
 純粋な公共施設であったら、予算の範囲内でしか活動は期待できないだろう。公民連携施設であるからこそ、問題の掘り起こしや民間の支援が可能になる。その過程でニューヨークのすべての階級、人種、民族がニューヨーク公共図書館とつながりを持ち、民主主義が実現される。この意味でニューヨーク公共図書館はコミュニティセンター、カルチャーセンターであり、民主主義の柱であると監督はいう。
 アメリカのような多民族・多文化社会には、不可欠な施設といえるが、多民族・多文化社会であることがこの図書館の活動を促してもいるようだ。アンドリュー・カーネギーは全米各地に図書館をつくったが、それは彼が経済的に成功しただけではなく、自分がスコットランド移民であることを忘れず、成功させてくれたアメリカという国に報いる要素があった、ということにうかがわれる。

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ハンナ・アレント

『原子力時代における哲学』より
ハンナ・アレント
 次に取り上げてみたいのは、このアンダースのパートナーだったハンナ・アレントです。アレントは大変有名ですし、人気もありますから、もう紹介する必要もないかもしれませんが、少なくとも日本では、かつてはそんなに読まれた哲学者ではありませんでした。アレントのモチーフの一つはマルクス批判でしたから、左翼的な雰囲気の強かった日本の思想界ではそんなに人気がでなかったのだろうと思います。でも九〇年代ぐらいから広く受容されるようになり、現代では盛んに読まれている哲学者の丁人です。『全体主義の起源』や『イェルサレムのアイヒマン』など、彼女のすぐれたジャーナリスティックなセンスが生かされた本が有名ですけれども、ここで取り上げるのは『人間の条件』という本です。
 この本で最も有名なのは、人間の活動力を「労働」「仕事」「活動」と三つに分ける冒頭のくだりですが、あらためて読みなおしてみると、そこだけに限らず、本当にいろいろなことが語られています。或る意味では哲学史の教科書としても読める本ですね。僕はこの本のすべてに同意するわけではありませんが、しかし、絶対に読まれるべき哲学書であることは強調しておきたいと思います。
 本に入る前に簡単にプロフィールを見ておくと、一九〇六年ハノーファー近郊のリンデン生まれ。マールブルク大学在籍時にハイデッガーと出会います。おそらくはハイデッガーのおかげで、アレントは哲学に情熱を燃やし、猛烈に勉強する。さらにフライブルク大学でフッサールに、ハイデルベルク大学ではヤスパースに師事する。哲学をやっている人間から見ると、なんともうらやましい大学時代ですね。なお、ヤスパースに師事していたのが一九二〇年代の後半で、この頃に、アレントはシオニズムに目覚めます。
 その後、一九二九年にはアンダースと結婚して一緒にパリに逃げますが、三七年に離婚。四〇年にはアメリカに亡命しています。この時代は、非常に多くのユダヤ系知識人がヨーロッパからアメリカに亡命するわけですが、彼らは理科系でも人文系でも大きな仕事をして、アメリカの戦後を知的に牽引する存在になっていきます。アレントもそういった亡命ユダヤ系知識人の一人ですね。
「人間の条件」を巡る人びとの欲望
 さて、アレントの『人間の条件』は一九五八年に刊行されていますが、内容は一九五六年にシカゴ大学で行なわれた一連の講義がもとになっています。まず注目したいのは、プロローグで、一九五七年にソ連から打ち上げられたスプートニク一号に言及している点です(言うまでもなくこのプロローグは講義の後、それを本にまとめるにあたって書き足されたものです)。衛星打ち上げ成功に対する人びとの反応はアレントの注意を引きました。そこには奇妙な喜びと信念があるとアレントは言います。その喜びは勝利の喜びでも、自分たち人間の力に対する誇りや畏敬の念でもありません。それは「地球に縛りつけられている人間がようやく地球を脱出する第一歩」という信念に裏打ちされた喜びです。ある意味で落ち着ききった喜びなのです。
 アレントはこの信念の中に、人びとの、地球から解放されることを当然視する「異常」な感情を見出します。確かにキリスト教はこの地上を涙の谷間と呼んだし、哲学者は肉体を精神の牢獄と見ました。しかし、人類の歴史の中で、人間が本気になって、地球は人間の肉体にとっての牢獄であると考え、文字通り地球から月に行きたいとこれほど熱中したことはなかったとアレントは指摘します。
 人間は確かに地上に縛りつけられているのかもしれない。しかしそれは人間にとっての避けがたい条件です。なぜなら、「地球は人間の条件の本体そのものであり、おそらく、人間が努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸できる住処であるという点で、宇宙でただ一つのものであろう」から。つまり、今人類は人間にとっての根本的な条件から脱出したいという哨‥みを抱き始めている。しかも、実際、その望みが実現されそうな雰囲気がある。その雰囲気を作り出しているのは、言うまでもなく、科学技術です。アレントは五〇年代中頃の時点で、科学技術が人々を強く魅了していること、「人間の条件から脱出したい」という人々の気持ちがそれによって大いに促進されていることを指摘しているわけです。

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