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OCR化した5冊

『女のキリスト教史』
 魔女ではなかったジャンヌ・ダルク
 シェイクスピア『ヘンリー六世』のジャンヌ・ダルク
 宗教戦争
『デザイン思考の実践』
 ウーバー化
 ウーバー化に伴う不満
『若い人のための10冊の本』
 だからよく考えるように努めよう--パスカル『パンセ』
  本の森で重い本と出会う
  けっして「読めない」 一冊の本
  考える葦
  大宇宙と一個のわたし
  幾何学の精神と繊細の精神
『世界の食材文化誌百科』
 コーヒー Cafe (カフエ)
  黒い魔術
   アフリカからヨーロッパヘ
   ウィンナコーヒー
   ロブスタ種とアラビカ種
   オスマン帝国宮廷からヴェネツィア共和国へ、コーヒーの流れ
   イエメンのキシュル
  世界をめぐって
  植民地時代
  コーヒーは血圧を上げる?
  インドヘの大旅行
  ブラジルでの好都合な恋愛
  コーヒー占い 中国発祥の占い
  トルココーヒー
  カルロ・ゴルドーニ(1707-93、イタリアの喜劇作家)の「カフエ」(原題「ラ・ボッテガ・デル・カッフェ」)
  コーヒーにかんするイタリア語小事典
  ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
  日本のインスタントコーヒー、アメリカのソリュブル(可溶性)コーヒー
  インドネシアの糞高いコーヒー
  アイリッシュコーヒー
  ドイツ
  日本でコーヒーを飲むこと
『よくわかる家族社会学』
 結婚:理論から家族をとらえる
  晩婚・非婚化の現状
   晩婚・非婚化
   見合い婚から恋愛結婚へ
  晩婚・非婚化を説明する諸理論
   マクロ社会の変動からの説明
   ミクロな個人水準における合理的選択からの説明:経済学的な説明
   個人の行動が埋め込まれた社会的背景を含む社会学的な説明
   マッチングモデル(個人間モデル)による説明
   人口学的な説明
   歴史社会学からの視点
  さらなる理論的展開の可能性
   マクロな社会からみた結婚の機能
   ミクロな個人からみた結婚の機能
   文化と社会との接点へのアプローチ
   未婚化 結婚制度の再考
    未婚率の上昇はパートナー不在社会をもたらすのか
    未婚化は少子化をもたらすのか
    未婚化は性関係に変化をもたらすか
    結婚の脱制度化
    未婚者の生活
   離再婚
    離婚の趨勢
    離婚をめぐる状況
    日本の離婚の特徴
    再婚
 家事分担:理論から家庭をとらえる
  家事分担の現状
   とらえにくい家事
   妻に偏った家事分担
   妻への偏重の背景
  家事分担を説明する諸理論
   公私の分離による家事労働の顕在化
   フェミニズムによる家事労働の価値の発見
   主婦の誕生:近代家族論による説明
   女性が家事を分担することを説明する諸理論
   家事のパラドックス
  さらなる理論的展開の可能性
   家事は家庭で担われるのか:家事の再考
   親密圏と公共圏の変化
   家事労働のグローバル化
   家事の測定
 子の養育:理論から家庭をとらえる
  子の養育の現状、社会問題化
   子どもと家族:子どもへのまなざしの歴史性
   日本における子育てに関わる問題
   子育て支援と子どもの格差問題
  子の養育を説明する諸理論
   社会化概念とその展開
   〈子ども〉の誕生と養育するまなざし 
   親であることとジェンダー:母役割母性に関する研究
   ライフコース発達理論
   階層・文化の再生産
   「子の養育」の社会学
  さらなる理論的展開の可能性
   子の養育に関する理論の展開
   社会化の担い手 
   子ども期を再考する
   親子関係の絶対性と複数性の関係
  親と子のつながり
   親とは誰か
   親子関係の諸段階
   親子関係の長期化
   親子関係の複数性・多元性

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家事分担:理論から家庭をとらえる

『よくわかる家族社会学』より 家事分担:理論から家庭をとらえる
家事分担の現状
 とらえにくい家事
  あなたが子どもの頃、家の家事は誰がしていただろうか。お母さんがあたりまえのように家事の大半を担っていた家庭が多かったことだろう。日本社会では、女性の社会進出がいわれて久しいが、労働市場における男女の格差はいまだに大きく、家庭内での家事分担は母親・妻に偏ったままである。
  家事は、誰もしないというわけにいかない。掃除、洗濯、炊事……と、家事は私たちの生命を維持するための活動、生活の基盤となる活動である。ひとり暮らしであっても、生活する上での雑事は生じる。外食をして掃除や洗濯は専門業者に委託するとしても、日用品の買い物や身の回りの整理整頓はせざるをえない。しかしながら、自分のために雑事を行う時間は生活必需時間に含まれるが、自分を含めた家族のために行う家事は労働に分類される。
  一般に、生活時間調査などで家事を測定する場合、洗濯、掃除、炊事、裁縫、買い物、家事雑事などの実施時間が測られる。しかし、それ以外に育児や介護はもちろんのこと、時間という尺度では測定しにくい家計管理や家族成員の情報管理、データ収集やマネージメント、親族、近隣、関係機関(小学校や幼稚園、子どもの所属する団体など)との渉外活動(関係づくり)など、家庭内で必要な活動は多岐にわたっている。
 妻に偏った家事分担
  生活時間で測定できる範囲でみても、日本の夫婦間の家事分担の現状は、明らかに妻に偏っている。生活時間中にしめる週あたり1日平均家事関連時間は、女性が3時間28分であるのに対し、男性は44分である。20年前と比較すると男性は20分増加、女性は6分減少し、男女差はわずかに縮小しているものの、いまだに大きな違いがある。
  男性の家事関連時間が最も長いのは高齢期の75~79歳で1時間13分、女性は育児期にある35~39歳で4時間42分である。6歳未満の子どもをもつ有配偶女性(妻)の家事関連時間は7時間34分であるのに対し、有配偶男性(夫)は1時間23分となっており、その差は約6時間である。また、他国と比較をすると日本の男性が家事を行っている時間は顕著に短い。
  家事分担を別の指標で見てみると、夫婦間の家事分担割合は妻85.1%、夫14.9%である。たとえ妻が働いていても、その仕事が自営やパート勤務の場合、妻がほとんどの家事を行っている割合は7割以上を占めており、専業主婦のいる家庭とそれほど変わらない。妻が常勤の場合にその割合は低くなるが、妻が常勤でも、ほぼ半々に家事を分担している割合は多くはない。
 妻への偏重の背景
  妻が就業していても家事分担が半々になる夫婦が少ないのは、固定的な性別役割分業観の残存とともに、いくつかの要因が考えられる。1つは、日本社会において家族的責任を妻に担わせることができる男性の方が労働時間が長く、長時間労働を担うことが保障されているため賃金が高くなり、期待される賃金が高いために稼得役割や責任は主として夫に課されるという性別分業の再生産が続く悪循環である。
  また、1989年の学習指導要領の改定により、中学校における「技術・家庭科」の男女別領域指定、女子のみ高校家庭科必修が廃止されるまで、性別分業か教育の中にも組み込まれていたことも一因である。
  夫が家事を行わなければ、家事分担に関して妻の抱く不公平感は高まるが、夫が家事を多少行ったところで不公平感は解消しない。家事を「手伝って」も妻に感謝されないことに夫が不満を感じるなど、夫婦間の家事分担に関する問題は一向に解決しそうにない。前述したように家事は、何をどのくらい何時間行っているのかをとらえることが非常に難しく、家事的活動の総量の把握が夫婦間で一致していないことは家事分担に関する夫婦間の問題の要因でもあるだろう。
家事分担を説明する諸理論
 公私の分離による家事労働の顕在化
  共働き世帯が増え、「男女共同参画社会」が唱えられている現在においても、各家庭のなかでの家事負担は女性に偏っている。女性が家庭内の家事負担を担うのは、女性という生物学的特性ゆえのことか。
  女性は子どもを産んで哺乳を担う存在であるが、家庭内の雑事を担うことに生物学的な根拠があるわけではない。女性の細やかな性格が雑事に向いているとか、手先の器用さが家事に適しているという言説があるが、家事といわれている労働を既婚女性だけがずっと担ってきたわけではない。第一次産業中心の伝統的な社会においては、生産労働と家事労働とは混然一体となっていた。農業など自営業が中心で、商品経済が浸透する以前、家事は家庭内労働として、都市部を除いては生産労働と明確に線引きすることはできなかった。子どもも含めて家族全員が働かざるを得ない状況にあったし、例えば保存食の調理など、一家総出で行わないとできないものも多かった。
  家庭内の家事が意識化されたのは、近代社会の成立に伴って公私の分離が理論化されてからである。雇用労働の普及に伴い職場や市場という「外」「公」の領域が確立し、学校や国家政府という組織化が進んだとき、それに含まれない「私」の領域が成立する。近代化のなかで、家事は生産労働と分離していったのである。そして、家庭内の雑事はF私」的で「プライペート」な領域のことと位置づけられる。T.パーソンズは、核家族内において男性が「手段的役割」を担うのに対し、女性は「表出的役割」を担うと理論化した。すなわち、男性は外で働いて収入を得、女性は主として家族成員の感情マネジメントを担い、家族内の情緒的な安定を保つ役割を果たすとした。家事の可視化は、性別役割分業によってうまれたといえる。ただし、構造機能主義理論においては、家事労働そのものは関心の対象とはされてこなかった。
 フェミニズムによる家事労働の価値の発見
  家庭内の労働の価値を理論化したのはフェミニズズである。家事は労働でありながら、金銭的報酬が伴わないし、他者から評価されることもあまりない。雇用労働のような賃金報酬を伴う労働がフォーマルな労働だとすると、家事はインフォーマル労働である。フェミニズムの論者らは、女性が家庭内で担う家事労働の価値が正当に評価されないことが、女性の地位の低さをもたらしているとして問題視した。フェミニズムの視点が、家庭に押し込められ家事を押し付けられた女性の地位を明らかにしたのであった。
 主婦の誕生:近代家族論による説明
  家庭内では、食べ物や着るものの準備など、日常生活の雑事がある。それらの雑事を誰が担うのか。家族全員で混然一体となって担い、雑事の担い手が明確になっていない場合は多々あっただろう。また富裕層では、労役としての家事の担い手は使用人であった。富裕層の女主人にとっての家事とは、自ら労役に従事することではなく、使用人を采配することであった。たとえ庶民階層でも、労働力の価値が低い社会では、女中や奉公人など、金銭的報酬をほぼ与える必要がない使用人を家庭内に取り込み、彼らに雑事を担わせることは日常的にみられたという。
  産業化初期において、日本でも欧米でも、真っ先に賃金労働に駆り出されたのは婦女子であった。男性は農業や牧畜業といった従来からのメインの労働領域からなかなか離れなかったのに対し、流動性の高い労働力としてまずは婦女子が炭坑や工場などの賃金労備に従事した。家庭外での就労に男性に先んじて従事した事実からは、女性を家庭内の労働力とみなす規範は強くはなかったと考えられる。その後、産業化に伴う公私の分離の進展、男性の雇用労働者化、女性の工場労働における福利上の問題の発生などを経て、女性と子どもは労働市場から締め出される。そして、使用人など親族以外が世帯から除外されて、家族が核家族を中心とする成員のみから構成されるようになり、そのなかで、家庭内の雑事をもっぱら担うのは、家族内の既婚女性となる。「主婦」の誕生である。
  女性たちは、社会の変化から家事を押し付けられただけとはいえない。ホワイトカラー層で先んじて主婦が成立した大正期には、「良妻賢母」を礼賛する女性向けの雑誌がいくつも刊行され人気となる。また、「良妻賢母」をうたっだ女子教育も徐々に普及していく。中・上流階級で先に普及した「主婦」像は労働者階級の理想像として受け入れられていく。実際には中・上流階級の主婦たちは使用人を得て家事を担っていたのだが、使用人が家庭から除外されていき、中・上流階級と労働者階級の階級差が縮小する中で、「主婦」が女性の理想のライフコースとして積極的に受け入れられていった。そこでの「主婦」は、家事労働者の監督者ではなく、自分で家事全般を担う存在となった。
  さらに生活水準の上昇や西欧化の流行のなか、家事の担い手が女性に固定化されると同時に、家事の中身も変化する。 1950年代後半に三種の神器として白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が一般家庭に普及し、その後も電子レンジや全自動洗濯機など家事を省力化する家庭電化製品が普及したことにより、肉体的負荷は低下したものの「お母さんは忙しくなるばかり」だった。例えば、レトルト食品および冷蔵庫の普及は食事の準備を楽にしたが、同時に、食事に期待される栄養面の配慮や食欲をそそる加工をあたりまえに求めるなど、期待される水準は上昇した。洗濯機や掃除機が普及して衛生観念が向上すると、洗濯や掃除の量と頻度は大幅に増えた。市場化ならびに技術革新がかえって家事時間を増やす現象は「家事時間のパラドックス」として知られている。むしろ、1940~70年代の日本では、家事水準の向上が機械化の進展を促した面があるという。

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結婚:理論から家族をとらえる 晩婚・非婚化

『よくわかる家族社会学』より 結婚:理論から家族をとらえる
晩婚・非婚化の現状
 晩婚・非婚化
  現代日本では、男女とも、初婚年齢が上昇しつつある。第二次世界大戦前に平均で男性27歳、女性23歳であった初婚年齢は、戦後すぐの混乱期と1970年前後を除いて上昇傾向にある。1970年代には女性は「クリスマスケ-キ」と揶揄され、25歳以前に結婚するのが標準的と思われていたが、現在は「大晦日」言説に変わっており、実際に女性の平均初婚年齢は、全国平均で30歳に近い。都市居住者や大卒ともなれば、さらに高い年齢となっている。男性ではすでに平均で30歳を超えており、結婚はかつて20代でするものであったが、現在は30歳を超えるのが普通である。こめように結婚のタイミングが遅くなることを晩婚化という。
  結婚のタイミングが遅くなることは、未婚率の上昇、ひいてはそのまま結婚しない生涯未婚者の増加につながる。 35歳を超えた未婚者は、1975年時点で男性の20人に1人であったが,  2015年には3人に1人に、女性でも4人に1人を占めるまでになっている。生涯未婚率も、国立社会保障・人口問題研究所の統計資料によれば,  2010年時点で男性20%、女性10%を超えている。
  生涯未婚率は,  1920年から75年までは男性は2%にすぎず、女性は第二次世界大戦の影響で高かったが、それでも3~4%にすぎなかった。日本は近代以降、人口の大半が結婚を経験する皆婚社会であった。現在も「いずれ結婚する」という結婚願望は未婚者の9割弱から支持されており、日本社会の結婚志向は根強い。「結婚してこそ一人前」「未婚者は負け犬」というように、結婚を是認する結婚規範は揺らいでいない。しかしながら、実態としては非婚化が着実に拡大しつつある。
 見合い婚から恋愛結婚へ
  結婚支持が変わらないとしても、結婚の中身は大きく変容している。第二次世界大戦前は、結婚は家長の許可を得て実現するものであったが、戦後の新憲法には「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」と明記された。実際に、戦前は見合い結婚が7割と多数を占めていたが、戦後は減少、それに応じて恋愛結婚が増加した。見合い婚と恋愛婚の占める比率が逆転したのは、1960年代半ばである。
  では、現代日本社会では「愛し合って結婚」しているのか。出会いのきっかけをみると、1940~50年代は親族による紹介婚が主流を占め、続く1960~70年代には職場関係の知人の紹介婚が多くなっている。フォーマルな見合い婚が減少しても、70年代の結婚ブームを支えたのは、職場や仕事に関係したネットワ-クによる紹介や出会いであった。その後、プライバシー意識が高まり、個人のプライベートな生活と会社組織とを分離するようになり、会社などの紹介システムが衰退すると、初婚率は低下してきた。これまでの結婚には、当事者どうしが愛を確認しあうプロセスとは別に見合いであれ職縁であれ、結婚を成立させるシステムが働いていたが、そのシステムが衰退してきたことを示す。
  では「恋愛結婚」は本人たちの自発的な意思で決まっているのか。 1970年代に、女性にとって理想的な結婚相手の条件は、身長、年収、学歴が高い「3高」といわれた。男女の学歴差や賃金差が大きかった当時、この条件を満たす男性を紹介されて恋愛、結婚した女性は数多くいたことだろう。だが、男女の格差が縮小すれば、学歴や経済力が高い男性の人数は少なくなり、理想の結婚相手にめぐり会えない女性が多くなる。どんな人を好きになるかは自由なはずだが、恋愛して結婚する相手として選ばれやすい属性には時代が反映している。自由な恋愛結婚になるほど、自らが不利にならない条件のよい相手を選択することになり、結果として同類婚は変わっていないという指摘もある。
  近年では、結婚する当事者がその結婚を決めることができ、結婚の個人化、結婚の自由化は実現したかにみえる。だが、結婚する/しない、どのような相手と、いつ結婚するかといった数多くの人々の選択は、社会に埋め込まれている。
晩婚・非婚化を説明する諸理論
 マクロ社会の変動からの説明
  晩婚・非婚化を社会単位で観測し、その原因も、社会全体の変動に求める説明があるよ着目する社会の変化が①社会経済的な構造にあるか、②社会システムの観点か、③価値にあるかによって、それぞれ①産業化、②脱制度化、③個人主義化からの説明となっている。
  ①産業化からの説明は、第一次産業から第三次産業重視への産業構造の転換によって求められる労働力が変化し、女性も賃金労働者となる道が開けた点に着目する。女性が労働市場に参入して賃金を獲得できるようになれば、男性労働者の配偶者となる以外にも、人生の選択肢が広がる。同じく女性の高学歴化も、女性の労働市場での価値を高め、女性の経済的自立につながる。産業化により、女性にとって結婚の必要性あるいは魅力が相対的に減少し、女性は結婚への依存状態から脱することができる。
  一方、結婚というシステムないし制度という観点からいうと、紹介したように、見合いという配偶者斡旋制度は衰退し、恋愛結婚へと移り変わった。これは、「結婚市場がいわば制度化された市場から自由市場へと移り変わってきぶ」といえる。同じく紹介したように結婚適齢期と呼ばれる結婚年齢規範が弱体化し、親や職場など周囲からの結婚プレッシャーが衰退することで、結婚規範自体も弱体化している。結婚して当然という考え方ではなく、結婚しない人生も人々に許容されつつある。つまり、結婚が②脱制度化されつつあるといえる。
  ただし、脱制度化はまだ浸透していないという指摘も多い。日本では、男女が共同生活を営むには、結婚制度をとるしかない一方で、離婚への裁可は厳しい。それゆえ、制度としての結婚が揺らいでいないと論じる研究者は多い。
  だが、社会全体の③個人主義化か晩婚・非婚化を促進しているとの論を否定する者はいないだろう。戦前の家父長制が新民法によって否定され、結婚の自由化・個人化が進むと、結婚自体が個人にとって選択の対象となり、結婚を躊躇する者が出てくる。結婚の決定権が当事者個人に帰属するようになると、自己決定、自由決定に伴う時間的コストがかかるという点でも晩婚化は進む。
 ミクロな個人水準における合理的選択からの説明:経済学的な説明
  個人が自由に配偶者を選ぶにあたって、結婚の魅力や便益が下がれば、晩婚・非婚化となる。個人による選択の局面に着目した説明は、合理的選択論や古典的交換モデルといった経済学の理論を援用している。
  基本的な考え方を提起したのは、G.べッカーの『結婚の経済学』である。べッカーは、「妻の外で働く賃金が低く、逆に夫の賃金が高く、その格差が大きいほど結婚によるメリットが大きい」と指摘し、女性の労働力率の上昇が家庭内分業によるメリットを低下させ、結婚離れを引き起こすと説明した。市場の賃金だけでなく家内労働の価値も加えると、男性の外で働いて得る収入が十分大きく、その男性が家事労働で生み出す価値を上回り、逆に女性が外で働く賃金が低く、家庭内で生み出す価値の方が大きい場合、結婚の経済価値がもっとも大きい。いずれも、「男は外、女は内」という性別役割分業の社会において結婚は経済合理的な選択であるが、性別役割分業が揺らぎ、男女の平等化が進めば、結婚は抑制されることになる。
  賃金を将来的に得られる所得見込みも含めて理論化したのが、相対所得仮説(イースタリン仮説)である。すなわち、独身生活に若者が抱き期待する生活水準(A)と、結婚後に稼ぎ出せるであろう所得水準の将来的な見通し(B)を比較し、AがBを上回れば結婚や出産が抑制されるが、BがAを上回れば結婚や出産は促進される。イースタリンの相対所得仮説は、先進国の出生行動の説明に適用されたものだが、その後さまざまな分野で実証されている。イースタリンによれば、得ている所得そのものではなく、本人が希望する生活水準を実現できそうな所得であるかどうかが重要である。
  ペッカーらの研究が結婚離れを説明するのに対し、1980年代のアメリカをはじめ、現実には非婚化ではなく晩婚化か起こっていることが指摘された。女性の社会経済的地位の上昇は、家計の安定をもたらし、むしろ結婚しやすくなる面もある。より現実的に晩婚化を説明する理論として、V. K.オッペンハイマ-は「職探し理論」を応用し、女性の労働市場進出によって結婚の魅力が低減するのではなく、労働市場の不安定性、職業キャリア形成の時期遅延などを踏まえると結婚相手の選択に慎重にならざるをえないと、晩婚化につながるメカニズムを説明した。「結婚市場」という概念が導入され、サーチ期間や留保水準をはじめとするサーチ理論が適用され、「個人は結婚市場において留保水準を設定し、その水準以上の相手があらわれた場合に結婚する」など、実証的な研究が進んでいる。

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乃木坂コミュニティ

乃木坂コミュニティで白石が語った「家族でも、友達でもない関係」。これが重要な概念になります。 #乃木坂コミュニティ
ぺんてるの0.2シャープペンは新しい何かを描く。本当に細かい文字が描ける。芯が折れることない。芯をださないから。ぺんてるは好きな会社。 #ぺんてるは好きな会社
赤、白、黒のノートが揃った。24時間考える体制が整った。

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