映画で「硫黄島」関連を流している性か、図書館の新刊書にも391.2ニコ『硫黄島』などの書籍が出ている。30年以上前の本の再発行です。以下はお知らせです。
「昭和二十年二月、米軍に日本側を上まわる三万近い損害をあたえ、米国民を震撼させた栗林忠道中将麾下の硫黄島守備隊―世界の戦史にその名をとどめた未曾有の攻防戦を、日米の公式記録はもとより、手紙・日記類にいたるまで詳細に調べあげ、生存者の証言をも得て、極限状況の戦場を赤裸々に描いた感動の記録。」
栗林中将はアメリカとかカナダに3年間以上いたので、アメリカの実力は分かっていた。だから、勝てないのは分かっていた。だから、いかに占領を先延ばしにするかを戦略の基本とした。それは本当の“死闘”を演じて、3週間ぐらい延ばすことができた。それで日本は助かったのかが私の関心です。
硫黄島を囲んだ、空母10隻は1941年以降に建造されたものです。日本では空母4隻が沈んだミッドウェイ海戦で決着がついてしまった。すごい物量です。その間に、彼らは10隻、20隻と空母を作ってしまう。そのチカラを栗林さんは知っていた。
916サト『特攻の町・知覧』に描かれていたことでは、不時着して帰還した特攻隊員30人に対して、「30人いれば、輸送船30隻を沈ませることができ、米軍の3万人の戦力ダウンを与えたはず」ということで、特攻隊員に懲罰を下すくだりがあります。これが当時の日本の論理の典型です。とても非合理的です。
栗林中将が硫黄島で頑張ったことで、歴史的に何が起こったのか。日本本土決戦⇒ベトナム⇒イラクから何を学べばいいのか
米国は二の舞を避けます。これはベトナム戦争のときにも言えます。自分たちの損害のないように行動します。選挙民の命は大切だが、それ以外の命は眼中にない。
硫黄島では毒ガスを使わなかったけど、広島で原爆を使いました。
海兵隊は日本軍が毒ガスを使ってくることに対して、ずっと警戒していた。多分、自分たちが使えば、日本軍が使うと言うことよりも、国際世論を気にしていた。だから、沖縄戦を経て、彼らは原爆を使ったと思われる。ちなみに、硫黄戦の経験から火炎放射器を沖縄戦では多用した。
あんな絶対有利な状態で、日本軍と同一の死者を出したことが彼らの不安感を増大させたのでしょう。そんなはずではない。
それともう一つ大きな要素はアメリカ陸軍と海兵隊の差みたいなものを感じます。陸軍にはほとんど死者はいなかった。これはもう少し、沖縄戦を調べないと分析ができません。
歴史の中では、偶然が多くを支配しているが、どこかでもとに戻しています。
「昭和二十年二月、米軍に日本側を上まわる三万近い損害をあたえ、米国民を震撼させた栗林忠道中将麾下の硫黄島守備隊―世界の戦史にその名をとどめた未曾有の攻防戦を、日米の公式記録はもとより、手紙・日記類にいたるまで詳細に調べあげ、生存者の証言をも得て、極限状況の戦場を赤裸々に描いた感動の記録。」
栗林中将はアメリカとかカナダに3年間以上いたので、アメリカの実力は分かっていた。だから、勝てないのは分かっていた。だから、いかに占領を先延ばしにするかを戦略の基本とした。それは本当の“死闘”を演じて、3週間ぐらい延ばすことができた。それで日本は助かったのかが私の関心です。
硫黄島を囲んだ、空母10隻は1941年以降に建造されたものです。日本では空母4隻が沈んだミッドウェイ海戦で決着がついてしまった。すごい物量です。その間に、彼らは10隻、20隻と空母を作ってしまう。そのチカラを栗林さんは知っていた。
916サト『特攻の町・知覧』に描かれていたことでは、不時着して帰還した特攻隊員30人に対して、「30人いれば、輸送船30隻を沈ませることができ、米軍の3万人の戦力ダウンを与えたはず」ということで、特攻隊員に懲罰を下すくだりがあります。これが当時の日本の論理の典型です。とても非合理的です。
栗林中将が硫黄島で頑張ったことで、歴史的に何が起こったのか。日本本土決戦⇒ベトナム⇒イラクから何を学べばいいのか
米国は二の舞を避けます。これはベトナム戦争のときにも言えます。自分たちの損害のないように行動します。選挙民の命は大切だが、それ以外の命は眼中にない。
硫黄島では毒ガスを使わなかったけど、広島で原爆を使いました。
海兵隊は日本軍が毒ガスを使ってくることに対して、ずっと警戒していた。多分、自分たちが使えば、日本軍が使うと言うことよりも、国際世論を気にしていた。だから、沖縄戦を経て、彼らは原爆を使ったと思われる。ちなみに、硫黄戦の経験から火炎放射器を沖縄戦では多用した。
あんな絶対有利な状態で、日本軍と同一の死者を出したことが彼らの不安感を増大させたのでしょう。そんなはずではない。
それともう一つ大きな要素はアメリカ陸軍と海兵隊の差みたいなものを感じます。陸軍にはほとんど死者はいなかった。これはもう少し、沖縄戦を調べないと分析ができません。
歴史の中では、偶然が多くを支配しているが、どこかでもとに戻しています。