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『女たちの独ソ戦』

 『女たちの独ソ戦』 彼女たちはなぜ戦場へ行ったか

一〇〇万人以上のソヴィエト女性が、一九四一年から五年間の大祖国戦争で、 ファシストの猛攻から「祖国」を守るために、赤軍かパルチザンのいずれかで軍務に就いた。フロントヴィチカたち は、たとえ兵士であっても、 主に医療従事者や 「第二線」の要員であった。 二五万人近くの若い女 性は、対空砲手として実際に敵と対峙していた。しかし、前線での軍事戦闘という男性 の牙城を猛攻撃したのは、飛行士や狙撃手を中心とした約二五〇〇人の女性だけであった。とはい え、この規模の軍事紛争への女性の大量参加は、歴史的にも極めて稀である。彼女たちが戦った戦 争がまさにそうであった。彼女たちは、ジェノサイドを行う無慈悲なミソジニストの敵による絶滅戦争に抵抗した。この戦争のジェノサイドとしての性質は、この研究を行う出発点となった疑問へ の答えとして十分である。 なぜソヴィエトの人々は、 スターリンの強権的な国家の命令で、これほ どまでに懸命に戦ったのか。 主な理由としては、彼らが生き残るために戦ったことがあげられる。 しかし、理由はそれだけではなかった。戦時中の大衆によるスターリン主義国家との同一化 (この場 合は女性による同一化)は、革命によって成立したという国家の起源と一九三〇年代の国家主導による 強行軍の工業化と都市化に端を発しているのである。スターリンは、一九一七年のボリシェヴィキ 革命が達成した、急進的な男女平等と性の解放を後退させた。しかし、革命は依然として社会的な 男女平等への期待を抑制することなく、男女平等への実質的な関与を続けたのである。 ナチズムと は異なり、ソヴィエト共産党は、生物学ではなく社会・経済発展こそが男女平等の鍵であるという 未熟なマルクス主義的信念に固執していた。 スターリンの超工業化国家は、家庭生活と生殖におけ る女性の役割を積極的に賞賛しただけでなく、生産と準軍事技術の習得という三重の重荷を賞賛し た。女性の解放は、スターリンのポチョムキン国家の失敗と冷酷さを覆い隠す合言葉の一つであった。 その結果、若い女性たちは、自分たちを社会主義の祖国、ソヴィエトの市民として男性と対等であ ると見なしていた。また、必要に応じて男性と一緒に武器を手にする権利があると信じていた。

祖国のために戦争へ向かったスターリン世代の若いソヴィエト女性、特に戦争初期に志願した第 一波は、工業化、都市化、いわゆる「上からの革命」の産物、受益者であり、彼女たちはそれと強 力に結びついていた。厳格なスターリン政権は、主に農民出身の若い女性たちに教育的、社会的、生産的な生活に身を投じる機会を与えた。 しかし、多くはその生活を守ろうとして戦死した。 多く の若いコムソモール活動家にとって、祖国、ソヴィエト社会主義、そして男女平等は同義語であっ た。 若い女性の第一波は、実際にソヴィエト国家のために戦った。 しかし、女性が果たすことので きる役割には明確な限界があった。 一党制国家は女性が職業軍人になることは意図していなかった。 そのため女性の志願者は、「戦争は女性の仕事ではない」と拒絶されたのである。 ソヴィエト国家は、 女性が女性として公式見解に合った役割を果たすことのみ認めていた。女性は兵士になることはで きたが、公式的描写においても、戦時中に最も「男性的」な役割を担った女性たちの間でも、明確な女性らしさと男性らしさの性差が実際に壊されることはなかった。

女性パイロット、女性パルチザン、女性狙撃兵の英雄的なイメージは存在しているが、 それは一 般的なものではなく例外的なものであった。戦時中、スターリン主義国家は、女性の主な軍事的役 割を、医療や看護を除けば、男性兵士が最前線の戦闘に出られるようにその代わりを務めることだ と考えていた。特に一九四二~四三年の絶望的な時期に、赤軍の男性兵士を大量に失ったため、ソ ヴィエト連邦の最果ての地から若い女性が招集され、戦闘に投入された。公式に女性を徴兵しては いないが、スターリン主義党国家は、それまでの一〇年間に植え付けた男女同等な祖国を守る権利 と義務、平等主義的で愛国的な感情に訴えかけた。 戦争がもっとも激しかった時期、ソヴィエト国 家と人々が生存のために戦っていた時、女性が志願する理由は、強い愛国心、復讐心、本土防衛、あるいは国内戦線の辛さと孤独からの逃避など、多様であったと考えられる。そして、国家は、強制的な徴兵を行わなくても、政治的でない、学歴の低い若い女性を地方から動員するための非常に

効果的なメカニズムをコムソモールの中に持っていた。

大規模な愛国戦争がもたらした急進的な「ジェンダー役割の拡大」 は、 確かに「一時しのぎ」の 手段であった。 スターリン一党独裁国家は、民衆の期待と軍事的必要性という対をなす圧力の下で しぶしぶではあるが、女性が武器を持つことを承認し配備した。 そして、勝利を目前にすると、女 性がより受け入れやすい役割、つまり仕事と家庭の二重の負担へ回帰するようにした。 赤軍には女 性が出世できる道はなかった。 女性兵士はすみやかに目に見えないところに追いやられた。 フルシ チョフ時代になるまで、女性兵士が再登場することはなかった。フルシチョフ時代になると、女性 兵士は神話化され、検閲された公式の出版物で皮相なヒロインとして感傷的に扱われた。しかし、 彼女たちの理想化されたイメージは、戦時中から戦後の長い間、多くの女性退役軍人の実際の経験 とは相反するものであった。女性退役軍人が回想記、歴史書、戦勝記念日の行進の中で再登場した とき、生存者や殉職者だけが不滅のものとされ、崇拝された。外見が傷ついた者、トラウマを抱え た者、脱走兵、酔っぱらい、妊娠した者、そして「不道徳な者」は、アーカイブの中に隠されたま まであった。赤軍の女性のジェンダー的役割への挑戦という人間的な側面は、それによってソヴィ エトの許容範囲内に安全に収められた。また、彼女たちは「移動式野戦妻」や「売春婦」に過ぎない、というひどい噂によって補強された。

ソヴィエト女性兵士は、「フェミニスト」的な意識を何も持っていなかった。 彼女たちはまず愛国者として、そして時には共産主義者として、祖国のために戦ったが、特に女性のために戦ったわ けではない。彼女たちは男性と同じように戦う権利は要求した。 しかし、 この章の冒頭のカルタシ エヴァの「ナターシャ」の言葉から明らかなように、戦う理由にかかわらず、彼女たちはジェンダ平等を敏感に感じる行動的な市民として武器を取った。 そして彼女たちの権利意識は想像を絶す る四年間の戦争によって強化された。非常に大規模なトラウマ、死、破壊、苛烈な国家によって獲 得された勝利という状況の中で、女性は男性と対等な市民であるという確信は、最終的にはソヴィ エトのジェンダー規範の境界に挑戦する女性の切望には結びつかなかった。現代のフェミニストの 基準では、多くの点で非常に因習的なままであった。しかし、この平等に対する権利意識は、ソヴィエトの女性たちが、生存権を脅かしていたドイツのファシズムを打ち負かすために彼女たちに可能な積極的な役割を果たしたことを意味していた。

やはり 他者の世界にはまともな社会学者が必要 池田晶子さんみたいに的確に現象を分析してそれを言葉に変えれる社会学者・哲学者が必要 2ちゃんねるみたいなやつらばかり コメント文化が崩壊してる
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