4月28日は、主権回復の日だそうです。
この日に因んで、『この国はどこで間違えたのか』(光文社文庫、2013年3月刊)を読んでみました。寺島実郎さんと佐高信さんの対話を編んだ本です。
以下Tは寺島さん、Sは佐高さん。
S:亡くなった米原万理さんがどこかで「日本に外務省があるというのは、あたかも日本が独立国であるかのような錯覚を抱かせる」と書いたことがあります。
T:サンフランシスコ講和会議にインドは署名しなかった。ネルー首相は中立主義を掲げて、アジヤに東西冷戦を持ち込むなという発想からサンフランシスコ講和会議において日本に対して、あなた方は西側陣営の一翼を占める形で戦後復興していくのですか、と問うたわけです。5~6年前の1945年まではアジヤ解放を掲げて興奮していたのではないですか、と。そして、もし日本に駐留しているすべての米軍が引き上げるならインドは調印してもいいという条件を出して、結局、署名しなかった。
そのインドが翌年、日本との単独講和に応じてくれる。これが、日本が戦後アジヤに復帰していく大きなステップになっていく。1955年のバンドン会議に日本が参加してアジヤに復帰する大きな伏線になっていく。(バンドン会議に、日本は出席してよいか、アメリカにお伺いを立てている。そして首相も外相も出席せず、経済審議庁長官の高碕竜之助氏を派遣した。)
基地の問題。
T:ドイツが93年に手をつけたのと同じように、日本における米軍基地を段階的に縮小する道を採らなくてはならない。全世界に米軍が持っている大型の海外基地のトップ5のうち四つ(横須賀、嘉手納、三沢、横田)が日本にあるんですから。
T:鳩山外交の失敗は、普天間問題を、沖縄の負担軽減という次元の枠組みのなかでのみとらえたことによる。つまり、国内の調整問題ではなく戦後日本の外交の基軸であった日米同盟を、21世紀にふさわしいものに進化するという問題の入り口に立つ気構えを失っていることが問題。
鳩山さん
S:鳩山由紀夫は「宇宙人と言われていますけれども」と問われて「そうです。僕は地に足がついていないから」と言った・・・
T:鳩山氏に対する僕の率直な印象ですが、・・・コンプレックスのない男だと思います。
男が友人や同僚に持つコンプレックスというのは、大体三つ理由がある。勉強あるいは仕事ができない。カネがない。女性にもてない。このコンプレックスが絡んでそれぞれの個性を醸し出し、そのコンプレックスを跳ね返して頑張らなくてはと思っている。ところが彼にはそれがない。勉強はできた。カネはあった。女性にはもてた。そういう意味で、敗北感がない。挫折感がない。人に対する猜疑心も嫉妬心もない。・・宇宙人なんだろうと思いますね。
日米安保で飯を食う人
T:ワシントンには、世界戦略を考えているレベルの人ではなくて、日米安保で飯を食っているような一群の人たちがいるわけですよ。そして日本にも、アメリカの軍需産業のコンサルチングみたいなことをやりながら日米安保で飯を食っている人たちがいるわけです。
T:この間、北京大学に行って議論していても・・・「仮にロシヤが北方領土を返したら、日本はそこに米軍基地をつくるのではないか?」という質問がくる。「つくるわけないじゃないか」と言っても、「もしアメリカがつくりたいと言い出したら、日本にそれを断れるだけの力はあるのか?」なんていう質問が出てくる。
福島原発T:福島原発問題が起こったけれども、あの問題の本質には、世界最大のコングロマリットであるGEの製造者責任があるんですよ。ところが民主党は、この問題にはおびえて触れることができないまま、政府および国会事故調査委員会はやっているように見せてはいるけれども、ことGEの製造者責任という問題だけは沈黙を守る。
GEの製造者責任の問題だけではなく、日本が今後、脱原発に向かおうが、原子力を維持する方向に移行が、どうしても避けて通れないはずのアメリカと正面から向き合い、「日米原子力協定」をどうするのか、さらには「東芝・ウェスチングハウス」「日立・GE」という日米原子力共同体になっている現状を、どういう風に乗り越えていくのかということをまったく語り合うこともなく、逃げに逃げている。
S:木川田一隆という人は、なかなかの経営者だったと思っているんです。この人は福島県出身者ですが、最初は原発に大反対だった。あれは悪魔だ、あんなものはやるべきでないと言って断固反対していた。結局、原発に踏み切らざるをえなくなったんですが、
原発は安全第一でなければならない。そのためには批判も反対意見もきちんと聞かなくてはいけないと。こうして自分の故郷の福島に原発をもってくるんです。」いわば自分の故郷を犠牲にして原発が出来上がる・・問題は木川田以降の東電の体制です。(続く)
この日に因んで、『この国はどこで間違えたのか』(光文社文庫、2013年3月刊)を読んでみました。寺島実郎さんと佐高信さんの対話を編んだ本です。
以下Tは寺島さん、Sは佐高さん。
S:亡くなった米原万理さんがどこかで「日本に外務省があるというのは、あたかも日本が独立国であるかのような錯覚を抱かせる」と書いたことがあります。
T:サンフランシスコ講和会議にインドは署名しなかった。ネルー首相は中立主義を掲げて、アジヤに東西冷戦を持ち込むなという発想からサンフランシスコ講和会議において日本に対して、あなた方は西側陣営の一翼を占める形で戦後復興していくのですか、と問うたわけです。5~6年前の1945年まではアジヤ解放を掲げて興奮していたのではないですか、と。そして、もし日本に駐留しているすべての米軍が引き上げるならインドは調印してもいいという条件を出して、結局、署名しなかった。
そのインドが翌年、日本との単独講和に応じてくれる。これが、日本が戦後アジヤに復帰していく大きなステップになっていく。1955年のバンドン会議に日本が参加してアジヤに復帰する大きな伏線になっていく。(バンドン会議に、日本は出席してよいか、アメリカにお伺いを立てている。そして首相も外相も出席せず、経済審議庁長官の高碕竜之助氏を派遣した。)
基地の問題。
T:ドイツが93年に手をつけたのと同じように、日本における米軍基地を段階的に縮小する道を採らなくてはならない。全世界に米軍が持っている大型の海外基地のトップ5のうち四つ(横須賀、嘉手納、三沢、横田)が日本にあるんですから。
T:鳩山外交の失敗は、普天間問題を、沖縄の負担軽減という次元の枠組みのなかでのみとらえたことによる。つまり、国内の調整問題ではなく戦後日本の外交の基軸であった日米同盟を、21世紀にふさわしいものに進化するという問題の入り口に立つ気構えを失っていることが問題。
鳩山さん
S:鳩山由紀夫は「宇宙人と言われていますけれども」と問われて「そうです。僕は地に足がついていないから」と言った・・・
T:鳩山氏に対する僕の率直な印象ですが、・・・コンプレックスのない男だと思います。
男が友人や同僚に持つコンプレックスというのは、大体三つ理由がある。勉強あるいは仕事ができない。カネがない。女性にもてない。このコンプレックスが絡んでそれぞれの個性を醸し出し、そのコンプレックスを跳ね返して頑張らなくてはと思っている。ところが彼にはそれがない。勉強はできた。カネはあった。女性にはもてた。そういう意味で、敗北感がない。挫折感がない。人に対する猜疑心も嫉妬心もない。・・宇宙人なんだろうと思いますね。
日米安保で飯を食う人
T:ワシントンには、世界戦略を考えているレベルの人ではなくて、日米安保で飯を食っているような一群の人たちがいるわけですよ。そして日本にも、アメリカの軍需産業のコンサルチングみたいなことをやりながら日米安保で飯を食っている人たちがいるわけです。
T:この間、北京大学に行って議論していても・・・「仮にロシヤが北方領土を返したら、日本はそこに米軍基地をつくるのではないか?」という質問がくる。「つくるわけないじゃないか」と言っても、「もしアメリカがつくりたいと言い出したら、日本にそれを断れるだけの力はあるのか?」なんていう質問が出てくる。
福島原発T:福島原発問題が起こったけれども、あの問題の本質には、世界最大のコングロマリットであるGEの製造者責任があるんですよ。ところが民主党は、この問題にはおびえて触れることができないまま、政府および国会事故調査委員会はやっているように見せてはいるけれども、ことGEの製造者責任という問題だけは沈黙を守る。
GEの製造者責任の問題だけではなく、日本が今後、脱原発に向かおうが、原子力を維持する方向に移行が、どうしても避けて通れないはずのアメリカと正面から向き合い、「日米原子力協定」をどうするのか、さらには「東芝・ウェスチングハウス」「日立・GE」という日米原子力共同体になっている現状を、どういう風に乗り越えていくのかということをまったく語り合うこともなく、逃げに逃げている。
S:木川田一隆という人は、なかなかの経営者だったと思っているんです。この人は福島県出身者ですが、最初は原発に大反対だった。あれは悪魔だ、あんなものはやるべきでないと言って断固反対していた。結局、原発に踏み切らざるをえなくなったんですが、
原発は安全第一でなければならない。そのためには批判も反対意見もきちんと聞かなくてはいけないと。こうして自分の故郷の福島に原発をもってくるんです。」いわば自分の故郷を犠牲にして原発が出来上がる・・問題は木川田以降の東電の体制です。(続く)