古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

上田城跡と鹿教湯温泉

2016-06-05 | 旅行
3時過ぎ、公園に着いた。駐車場に車を置き、本丸方面に向かう。天守閣は?見えない。ここの城は天守閣はなかtった?すぐに隅櫓が見えてきた。
城内に真田神社がある。さ。上田城は二度徳川の大軍に囲まれたが、ついに落城しなかった。「落ちない」ということから、現在受験の神様として信仰を集めているという。神社は天正11年、真田正行が築き、信之が継いだが松代に転じた後仙石氏が3代続いたのち松平氏が7台で明治を迎えた。
 この城は、関ケ原合戦後、破却され、現在隅櫓など残されている遺構は、仙石氏が再興したものだという。城跡を歩き、南櫓、北櫓の並ぶ東櫓門に出る。30分ごとにボランチアの案内説明があり、3時半から本日の最終説明とのことなので、5分ほど待ち、説明を聞いた。
「今年はNHKの大河ドラマの影響で観光客も多く、門の前には、真田⑮大河ドラマ館が解説されていた。3時半になり、女性ボランチアについて、櫓門、真田神社、真田井戸、西櫓、本丸跡を回る。櫓門の前には真田石と称する遺構がある。

何処の城跡に行っても、石垣は昔の面影を残している。真田信之が松代移封の際に、父の形見として持ち去ろうとしたが、動かせなかったとの伝説がある。直径3mの見事な石もある。
上田城の堀は、素掘りで彫り上げた土をその内側に堤上に積み上げ土塁としている。だから堀の石垣はないが、隅櫓の石垣が往時の風情を残していた。

案内が終わると、4時近くなっていたので、今日の日程を終えて宿舎に向かうことにする、
電話番号をカーナビにインプットして宿舎の国民宿舎、鹿月荘に向かう。
鹿教湯(かけゆ)温泉は、傷ついた鹿を追った猟師が見つけたとの伝説があり、この名がある。5時5分前に着いた。
 入浴後6時から30分、恒例の勉強会。今回は小生の担当で「動的平衡論」を紹介した。
『食べることの本質的な意味に、いつ誰が気付いたのか。人間の認識の歴史には、そのようなエポックを明確に示せる一瞬がある。ルドルフ・シェーンハイマーによって1937年、その事実は発見された。
 食物は瞬く間に、分子のレベルまで分解される。一方、生物体も驚くべき速度で常に分子レベルで解体され、食物中の分子と生体中の分子は渾然一体となって入れ替わり続ける。つまり分子のレベル、原子のレベルでは私たちの身体は数日間の間に入れ替わっており、「実体」と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけである。
シェーンハイマーが明らかにしたことは、生命は流れの中にある。流れこそがいきているということである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明、方丈記)なのです。
シェーンハイマーの派遣は、鴨長明が持っていた生命観に欧米社会が気付いた瞬間だった。彼の仕事の最も重要な意義は、身体と環境が動的な平衡状態にあり、私たちが食べ続けないと生命が流れないことを、分子レベルで明らかにしたことである。』
『『シェーンハイマーが数十年前見出し、問いいかけているもの、それは「分子は流れ、私たちを通り抜け、とどまることはない」。
繰り返して云おう。炭素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかに言って一定であり、それが一定の速度で流れゆく中で作る緩い“結び目”がそれぞれの生命体である。流れは巡り巡ってまた私たちにもどってくる。
 できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限にとどめ、この平衡と流れを乱さないことが、私たち自身の生命、あるいは環境を大切にすることである。』
以上は、福岡伸一ハカセの受け売りですが、身体の中の元素は時々刻々入れ替わっているという考えは、みなさん初めて聞く話であったらしく、6時半からの夕食会でも、この話題をめぐって話題が弾んだ。
 生ビールで乾杯した後、お酒のメニューで、岡崎の地酒を発見、オーダーした。辛口だったがとても飲みやすいお酒で、すっかり酔っぱらってしまった。

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