古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

『3連覇はしたものの』

2010-06-07 | 水泳
『3連覇はしたものの』水泳大会の報告です。

 6日は「なごやマスターズ2010」水泳大会でした。

9時、家を出て、会場の日本ガイシプールに着いたのは、10時10分前。受付で参加賞のバスタオルとプログラムを貰いました。ロビーに坐って、自分の出番を見ると、バタフライ100mの1組7コースです。1組は、年齢区分75歳2名、70歳1名(小生)、65歳区分3名。メンバーを見ただけで、75歳はSATOH KENさん、65歳はOHSAKIさんが優勝だ。70歳は小生しかいないから、小生が頑張っても頑張らなくても1位だと分かる。

 10時、開会式を観覧席に上がって見る。15分から女子の100m自由形、7組まで見てから、更衣室に行って着替えて、プールサイドに下りた。男子100mクロールが始まる。メル友のOさんが召集場の2組に並んでいたので、一寸手を上げて挨拶。

 年齢順だから、1組ではHANAI先輩の泳ぎを見る。83~84歳のはずだが、100mを2分で泳いだから、まだまだ元気だ。

 2組が飛び込んだ。Oさんは75歳区分で1分24秒12の優勝。私の友人は元気な人が多い!

 その後サブプールの50m温水プールに行って、アップ(少し多かったが)500m泳ぐ。競泳プールサイドに戻ると、11時20分。女子背泳の後半だった。

 12時20分頃、選手控え室に行く。SATOH KENさんがいて、私を見ると、側に来て話しかけてきた。「NOZUEさんて、まだ70歳区分?」

「なごやマスターズでは来年まで70歳区分です。日本マスターズでは来年から75歳区分です」(日本マスターズの年齢の数え方は、その年度の12月31日の満年齢、なごやマスターズの年齢は実満年齢)。そこへOHSAKIさんが来て3人で雑談。

 12時30分に召集。隣の8コースを泳ぐ三重県のGさんが来た。

「お久し振りですネ」と声をかけると「去年は休んだから2年ぶりだょ。腱鞘炎をやったので、腕が上がらないかも知れない。まぁ失格覚悟で泳ぐ。」

日本マスターズの年齢だと、80歳区分に入るというから、あちこち具合の悪いところも出てくるようだ。この前はどこでGさんと一緒に泳いだかな?しばし考えて、08年9月のレインボーカップ以来だ。

 12時40分、スタート台に立つ。何度経験しても、召集から台に立つまでは胸がドキドキ。号砲で飛び込む。飛び込んだ後はドキドキしない。もう前へ行くしかないからだ。

 このところ、あまり調子が良くないので、「前半1掻き1呼吸で行き、後半2掻き1呼吸」と決めていた。50mターンしたら、8コースが45mラインに来ていることが分かった。5m差だから、抜かれることはない。ピッチを上げてフィニッシュ。2分25秒8だ。予想通り調子は良くなくて、ワーストだ。「まぁ泳いだだけだな。でも1位は1位だ」

 8コースを見ると、まだ75m辺りを泳いでいる。泳ぎがおかしい。腕が上がらなくて平泳ぎになっている。「やはり80歳ぐらいになると、100mバタはきついようだ」。

Gさんがフィニッシュするまで見守り、プールを上がった。

 「50mプールは久し振りだ。少し泳いで帰るか。」とサブプールで、行きを平泳ぎ、帰りはクロールで100mを、8本泳いでみた。

 「さぁ、帰ろう」と更衣室に行くと、HANAI先輩に出会う。「NOZUEさんに合えるのはこういう(大会の)時だけだナ」と言う。「午後は出ないの?」

 午後は50mのレースです。

「50mは大勢いて、1番を取れないからやめです」

 そこにNさんが居た。50mクロールに出るらしい(Nさんは大学の三年後輩だから、70歳?だが50mを32秒で泳ぐスプリンターだ)。「NOZUEさんは1番を取れる可能性がないと出ないんですよ」と笑う。

 皆さんに挨拶して帰途につきました。1位の賞品はSPEEDOの水泳帽でした。

 今年になってから出場した3回の水泳大会、総て1位。3連覇というと、カッコイイけど、記録は最初の大会が一番良くて、後ジリ貧です。

 どうも、スポーツの能力はある年齢で急に下がるということがあるらしい。水泳能力の更年期かもしれません。

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