古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

冬の徳川園

2016-12-21 | 旅行
 冬の徳川園を見てきました。12月18日午前です。お天気は暖かくなるとの予報で、年賀状に使う写真を撮ろうかと徳川園を目指しました。地下鉄の大曾根駅③出口を出て15分ほど歩いて園の正門前に着きました。門松がたっていました。尾州藩以来の門松が13日以降立っていると先日の新聞にありましたが、カメラを向けている観光客も数人、あの人たちも年賀状に使う写真を撮りにきたのかな。

園にはいると、ボランテイアがガイドをやっているので、ついて歩くことにする。
もう、紅葉は終わりだろうと思っていたが、まだ見られる箇所もあった。
「日当たりのいい場所は、早く紅葉して散ってしまったが、日当たりの良くない場所はまだ紅葉がのこっている」とガイドは言う。
橋を渡って最初に「大曽根の滝」を見る。

昔は矢田川の流れがここまで来ていたそうだが、今は水をポンプで流している。でも、流れに沿って歩くと風情がある。「竜仙湖」と名付けられた湖に出る。
織部のキリシタン灯篭があった。

観仙楼という建物がある。結婚式の披露宴をやっていた。
「お日柄の悪い日はないが、通常、毎日結婚式がある」とのこと。傍らに「子福桜」の木がある。小さな花がさいていた。この作ら、年中花が咲くそうである。子供に恵まれる効用があるとか。大名にとって子供がないとお家取り潰しにあるので、子に恵まれるのは、最大の重要事だ、というわけでここに植えられている。

茶室(瑞竜帝)があったので覗いてみた。「有楽風の造りです」という。織田有楽斉の茶室(如庵)は犬山の名鉄ホテルにあるが、ここは有楽を模した作りらしい。
写真右下の躙り口を見ても小ささがわかる。

茶室の傍に樟がある。繊細で焼けて「この樹は焼け残り」とのこと。

「竜門の滝」がある。石垣は江戸の尾張藩下屋敷から貰い受けてきたという。尾張藩下屋敷跡は現在早稲田大学になっているとか。下屋敷は13万坪あったそうだ。ここ徳川園も13万坪あったそうだ。
昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきました。子供の野球場にも使われていたそうだ。
平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。
万両の花があった。10両とか1両とかの花もあるそうです。
帰りは結婚式場の建物からエレベーターに乗り1Fで出ると、黒門口の出口でした。
小1時間案内してもらいましたが、冬であっても結構見どころがあると感じました。


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