古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

広島紀行(2)

2011-10-15 | 旅行
 11日、7時半に食堂に行った。まだ、大師匠は来ていない。一緒に朝食を食べようと7時半を約束したのだが、昨夜が遅かったので、まだ寝ているのだろうと、一人で食事する。和食だが、生卵が二つついていたので、お代わりして2膳、卵かけご飯を頂く。
 部屋に戻ってきたら、電話が鳴る。案の定、「すみません、寝過ごしてしまって・・」。「食事済ませたから市内ウオーキングに2時間ほど行ってくる。10時ごろフロントの前に戻るから」と伝え、荷物をフロントに預け、裏口から出る。
 猿猴川という川が流れていて、すぐ駅西高架橋があった。自転車の女学生が大勢通る。橋を渡り大通りを右手にまっすぐ。お城が見えてきた。入り口の橋を渡って二の丸に入る。ここの二の丸は変わっている。本丸の出城のような地形で作られている。橋を渡って本丸に入ると、大本営跡があった。日清戦争のとき、ここに大本営を置き、明治天皇が7ヶ月駐在されたという。天守閣に登ってみようと行ってみると、「開館は9時から」の表示がある。腕時計を見ると8時40分だ。外からお城の外観を見ると、板張りの外装だ。木造?いや、原爆で壊滅して再建したのだから、鉄筋コンクリート作りの筈。
9時まで散策してから入場した。ここも65歳以上無料でした。愛知県では、こうした施設の高齢者優遇は愛知県人に限られる施設が多いのですが、広島県は鷹揚ですかね。
エレベータがないので、階段を5階まで上がった。中の展示はどこのお城も同じような展示である。
お城を下りてから、今度は原爆ドームまで行こう、と鯉城どおりを紙屋町に向かう。県庁前を過ぎて地下街に入った。割と大きい地下街だが、まだお店は開店前でシャッターが下りている。標識に従い、原爆ドーム前に出た。ここまで来たという証拠に写真を撮ってから、帰ろうと時計を見ると9時45分ごろだ。10時にホテルに戻るには歩いていては間に合わないと、駅行きの市電に乗車した。10時10分ホテルに戻る。
フロントの女性が「福屋の前にいます」とMさんの伝言がありましたという。

福屋の前に行くと、大師匠と、もう編集長が見えた。お好み焼きが広島の名物だから、「お好み焼きの昼食会をやろう」と、大師匠が声をかけてメンバーを集めたのです。
「隣のビルの上の階に、お好み焼き店が集まっているから行ってみよう」と、エレベータに乗って行く。なるほどフロア全部がお好み焼きの店だったが、すべてカウンター方式なので「テーブルを囲める店がいい。駅ビルに行こう」とエレベータを降りて駅ビルへ。
駅ビル2階の「麗ちゃん」という店に入った。
 いやー、この店のお好み焼きのヴォリュームは凄かった。でも味はイマイチ。Nさんが「これが広島のお好み焼きの味と思わないでください」と云われた。
 なんとか食べ終わったが、他の方も平らげた。「よく食べられますね」と聞くと「まだ朝飯前でしたから」。
 次々と客が来るので、「麗ちゃん」を出て、ライオンという店に入り、個室的なつくりのテーブル席で懇談した。
Nさんが「われわれの年代の集まりだと、病気の話と孫の話ばかりになりがちだが、こういうメンバーだといいですね。」という。同感だ。
 1時すぎ、散会。ホテルに戻り預けた荷物を受け取り、駅の改札口で大師匠と別れた。
 1時48分の「ひかり」に乗り、新大阪乗換え、夕刻帰宅できました。

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