古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

年とったなぁ

2015-12-07 | Weblog・人生・その他
師走に入ってもう一週間が過ぎました。例年この時期になると「喪中につき年賀は辞退します」という挨拶状がきます。今年も5通到来しました。「母が亡くなり」とか「義母が永眠し」とか言うのは毎度ですが、今年は1通「長男が永眠しました」という便りがあって愕然としました。子どもに先立たれるほどの高齢者の仲間に自分もなったのか、とおもったからです。
あぁ、俺も年とったと思った第一です。

 5日、午前中にかかりつけの若先生を訪れました。特にどこが悪いということでなく、月に一度は血圧の薬を貰いがてら健康相談をしているのです。
 先月はpSAが増えたことから前立腺のmRIを受けることをすすめられたものですから、早速「MRIの結果は?」と聞かれました。
「生検が必要だから一泊二日で入院するよう言われました。10日に入院し、結果は17日に知らせるということでした。と報告した後、「大したことはないだろうと思ってましたが、入院という大ごとになったので閉口しています。」と返事して、「何が悪くて前立腺が悪くなったのでしょう。何も悪いことはした覚えはないのですが・・・」。
「病気というものは、因果応報でなるものではないのです。別に悪いことをしてなくても、年をとれば病気がでます。」
「人間はすべて死にます。“自然死”という言葉は、正確な言葉ではありません。すべての臓器が自然であれば死ぬはずないからです。死ぬときにはどこかが病気になって死ぬのです。前立腺がんになったとしたら、その原因は「強いて言うと“長生き”したからですよ」
「それに前立腺がんは難しい病気ではありませんから、がんであったとしても治療をすれば治る病です」。あぁ、俺も年とったと思った第二です。
第三があります。
 6月13日、駅ちかウオーキングにでかけたのです。東海通り駅がタスタートで、七里の渡し、白鳥公園、熱田神宮を回って堀田に戻る9㎞ぐらいのコースでしたが神宮まで歩いて、後、左足の裏が痛くて歩けなくなりました。
 それ以後、5~6㎞歩くと左足の裏が痛くなる。何故痛くなるのか?それも左だけ痛いのか?
70年以上歩いていますが、そうした体験がない。両脚ともに足裏が痛くなったことはあります。
30年前、フルマラソンを走ろうと思い立ち、練習を始めました。毎日練習していたら、足の裏が腫れてきたのです。腫れた部分が地面に接触すると痛い(この時の痛さと今回の左足裏の痛さと同じなのです)。つまり足裏を酷使した所為らしい。
でもあの時は両脚です。今回は左足だけ酷使しているのだろうか? 思い当たるのは、頸の怪我です。頸は沢山の神経が走っている。左足を動かす神経に異常をきたして左の腰・太ももの筋肉に力が入らない?そのため、歩くときの衝撃が、左腰や太ももで受けることが出来ず、すべて足の裏にかかり、足裏を酷使することになる。それで、5~6㎞も歩くと足裏が腫れてくるのでは?
 それに水泳があります。怪我以後バタフライの泳ぎが出来ない。泳ぎ仲間に診てもらうと左足が動いていないという。コーチに聞くと左足の水を押す力が弱いという。
 でも、歩きの異常は怪我してから何故1年以上経ってそうなったのか。説明がつきません。
しかし左足に異常が生じていることは間違いない。いつも行っている整形外科医に聞きました。
「足裏の痛みは頸の怪我とは無関係と思う。通常、脚を動かす神経が異常になるのは、腰の神経を痛めた場合は起こりうる。また、怪我でなく、年をとったため、腰の神経の異常が起きることはありうる。腰のMRIを撮ってみる手はあるが」。
 もしかすると、泳げなくなったのは、頸の怪我の所為と思っていたが、老齢化が頸の怪我と同時に起きたのかもしれない。