古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

昭和史のかたち

2015-12-02 | 読書
 『昭和史のかたち』という本を保坂正康さんが岩波新書からだしました(10月)。昭和史を幾何学の図形になぞらえることで、解説をするというユニークな書です。
 たとえば、昭和史を三角錐に例えます。以下、その説明の概略です。
昭和史は三つの時代に分けられる。第一は敗戦までの戦争の時代。第二は米軍の占領統治の時代。第三は独立後の経済の高度成長の時代です。それぞれの時代を代表する首相を選ぶと、第一の時代は東条英機、第二の時代は吉田茂。第三の時代は田中角栄を選べます。そこで頂点をA,底面をB、C、Dとする三角錐ABCDを考える。
 今、面ABCを東条英機とする。面ACDを吉田茂、面ADBを田中角栄とします。底面BCDには何がくるか。
 アメリカがくると保坂さんは言う。この3人の共通点は何か、というと獄中の経験があることです。投獄された理由を考えると米国との関係だというのです。
 東条英機は対米戦争の責任を問われました。吉田茂は戦争末期に米国との講和を画策したと疑われたのです。当時の特高は、ヨハンセン(吉田反戦グループのという符牒で内偵していたそうです。角栄はロッキードですが、これについて保坂さんはこう言う。
 『田中は戦後の保守内閣の中では、アメリカの政策と一線を引いた首相であった。アメリカに警戒心を抱かせたのは、日本が石油をシベリヤから入れようと主張したり、米中接近でニクソン、キッシンジャーが毛沢東、周恩来と話をつけているときに、田中は一方的に日中国交回復交渉を進め、キッシンジャーをして、我々の作ったケーキのもっともおいしい部分を田中にさらわれたと言わしめたことなど。アメリカに対し独自の外交姿勢を示したことがロッキードの逮捕につながった節がある。いずれ近い将来にこの方面の資料は解禁となるとも考えられる。』
 またこの底面にたとえば天皇を置くと、面白い関係が見えてくる。
東条と天皇の関係を見る。天皇は「東条は元々は悪い人物ではなかった」という意味の発言を繰り返した(昭和天皇独白録)。東条は天皇に対して、それまでの首相や軍事指導者とは異なった態度をとった。それまでの軍事指導者はその上奏にあたって、不都合な事実や不明朗な事実は隠そうと試みた。だが東条は当初はそのような態度はとらなかった。
吉田と天皇の関係は「臣茂」という言葉に代表される。
さて、角栄と天皇の関係。こういうエピソードを紹介しています。
首相としての田中は、たとえば「経済がうまくいってますか」と問われれば、自分の内閣になってから国際収支がいくらだとか、経済成長率がどのように推移しているか、など具体的に説明を繰り返していく。天皇は驚いたような目で見ていたとの証言を宇佐美元宮内庁長官から聞いた。
 官僚出身の政治家たちが恐れる「天皇の政治的関与」(具体的に政策を説明したら、天皇もなんらかの政治的見解を口にしなければならなくなるので、詳細な政策は語らない)などはまったく気にしない。そういう配慮もしないことで、田中は自らの側に天皇を引き寄せていく。
 三角形の頂点Aを、3人の首相に課せられた「時代の役割」とみ、その他の二点を「個人の能力、識見」、そして「政治手腕」とおいてみると、3人の三角形は同じでない。
 東条と吉田を比べると、東条の能力や識見は吉田よりはるかに落ちる。
 東条のアメリカ観はきわめて拙劣で駐在武官として有能な軍人の報告に一切耳を傾けなかった。巣鴨プリズンでまだ20代に入ったばかりのMPが民主主義とは何かを東条に語って聞かせ、東条はそのことに感銘を受けたと面会にきた側近に語っていたというエピソードがある。
田中もまた、能力、識見は吉田より劣るにせよ、その政治的手腕は吉田とほぼ同じ程度と言えよう。
こうした話が続きます。
 天皇と統治権・統帥権の関係について、三角形の重臣の位置に例えた説明など、なるほどと思わせる記述がありました。