2日目はガイドさんを頼み、明日香村を観光しました。
推古天皇元年(593年)に聖徳太子が摂政になってから、持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約102年間、この地に宮・都が置かれていたそうです。
9時、石舞台の駐車場で、ガイドのMさんと落ち合うことにしました。駐車場に着くと、「飛鳥路」と書かれた上っ張りを羽織ったMさんが来ました。早速石舞台の見学と説明です。巨大な石で組んだお墓で、一個の石が60数トンという。
石舞台の後、ガイドさんも我々の車に同乗して飛鳥寺へ。推古天皇4年(596)創建された日本最初の寺。
本堂に上がり、御坊様の説明を聞く。本尊の飛鳥大仏は止利仏師の作、日本最古の仏像らしい。
鼻筋が通って美男子の大仏の傍らに、阿弥陀如来座像と聖徳太子孝養の像がある。興味深いのは先日ウオーキングで訪れた名古屋市の聖徳寺の像と同じ組み合わせだったこと。
次は史跡酒船石を訪れる。
伝飛鳥板蓋宮跡の東に位置する丘の上にある石の構造物で、水源から排水までの導水構造が解明されているが、何に使われたかは明らかでない。
『日本書紀』(斉明天皇2年)に記された「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の「石の山丘」に符合する遺跡である。
その後、蘇我入鹿首塚、亀石と「鬼の俎板、鬼の雪隠」と称される石組み、などを見た後、天武・持統天皇陵を訪れた。
橘寺は
名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するそうです。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。その「橘寺はここ」と車から見ただけで、高松塚古墳に回る。高松塚壁画館に入りました。レプリカだが、創建時の鮮やかさが忍ばれます。
昼時になったので、ガイドさんんが「和楽心」というレストランに案内してくれた。1時間ほど食事を楽しんだ後、「橿原市の今井町に行ってみましょう」ということになった。
今人気の朝ドラ「朝がきた」の撮影場所になっている街です。
江戸時代の街並みを保存している街で、。町全体が戦国時代にできた寺内町の雰囲気を残しています。
今井町の後は、橿原神宮。
神武天皇を祀り、1890年(明治23年)官幣大社として創建された神宮。神武天皇東征の際の船の模型があったので、カメラに収めました。
3時半、神宮を後にして帰路についた。雨が降り出している。
郡山Iから西名阪、途中名阪の伊賀SAで休憩した。東名阪に入り、四日市に近づくと、渋滞がはじまった。もう5時。暗くなっている。
小生「カーナビで、名古屋西Iを入れて到着時間をきいて」と頼む。
「到着時間は6時56分」という。「7時前に着くならこのまま行きましょう。7時を過ぎるようなら、下に降りることも考えなくてはいけないのですが」。幸運なことに四日市を過ぎると渋滞が解消し、名古屋西Iは6時52分でした。それにしても、カーナビはどうやって渋滞時の到着時間を予測できるのでしょうか。名古屋高速を通って名古屋駅に7時20分。2日間の旅を終え解散しました。
推古天皇元年(593年)に聖徳太子が摂政になってから、持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約102年間、この地に宮・都が置かれていたそうです。
9時、石舞台の駐車場で、ガイドのMさんと落ち合うことにしました。駐車場に着くと、「飛鳥路」と書かれた上っ張りを羽織ったMさんが来ました。早速石舞台の見学と説明です。巨大な石で組んだお墓で、一個の石が60数トンという。
石舞台の後、ガイドさんも我々の車に同乗して飛鳥寺へ。推古天皇4年(596)創建された日本最初の寺。
本堂に上がり、御坊様の説明を聞く。本尊の飛鳥大仏は止利仏師の作、日本最古の仏像らしい。
鼻筋が通って美男子の大仏の傍らに、阿弥陀如来座像と聖徳太子孝養の像がある。興味深いのは先日ウオーキングで訪れた名古屋市の聖徳寺の像と同じ組み合わせだったこと。
次は史跡酒船石を訪れる。
伝飛鳥板蓋宮跡の東に位置する丘の上にある石の構造物で、水源から排水までの導水構造が解明されているが、何に使われたかは明らかでない。
『日本書紀』(斉明天皇2年)に記された「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の「石の山丘」に符合する遺跡である。
その後、蘇我入鹿首塚、亀石と「鬼の俎板、鬼の雪隠」と称される石組み、などを見た後、天武・持統天皇陵を訪れた。
橘寺は
名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するそうです。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。その「橘寺はここ」と車から見ただけで、高松塚古墳に回る。高松塚壁画館に入りました。レプリカだが、創建時の鮮やかさが忍ばれます。
昼時になったので、ガイドさんんが「和楽心」というレストランに案内してくれた。1時間ほど食事を楽しんだ後、「橿原市の今井町に行ってみましょう」ということになった。
今人気の朝ドラ「朝がきた」の撮影場所になっている街です。
江戸時代の街並みを保存している街で、。町全体が戦国時代にできた寺内町の雰囲気を残しています。
今井町の後は、橿原神宮。
神武天皇を祀り、1890年(明治23年)官幣大社として創建された神宮。神武天皇東征の際の船の模型があったので、カメラに収めました。
3時半、神宮を後にして帰路についた。雨が降り出している。
郡山Iから西名阪、途中名阪の伊賀SAで休憩した。東名阪に入り、四日市に近づくと、渋滞がはじまった。もう5時。暗くなっている。
小生「カーナビで、名古屋西Iを入れて到着時間をきいて」と頼む。
「到着時間は6時56分」という。「7時前に着くならこのまま行きましょう。7時を過ぎるようなら、下に降りることも考えなくてはいけないのですが」。幸運なことに四日市を過ぎると渋滞が解消し、名古屋西Iは6時52分でした。それにしても、カーナビはどうやって渋滞時の到着時間を予測できるのでしょうか。名古屋高速を通って名古屋駅に7時20分。2日間の旅を終え解散しました。