古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「悲素」

2015-11-12 | 読書
「悲素」(帚木蓬生(ははきぎほうせい)著、新潮社2015年7月刊)
今年最高の小説だと思いました。
題材は和歌山毒カレー事件。小説の形で書かれているが、ノンフィクシヨンに近い。
和歌山毒物カレー事件(わかやま どくぶつカレーじけん)とは、1998年夕方にの和歌山市園部地区で行われた夏祭りにおいて、提供されたカレーに毒物が混入された事件。主婦のHが犯人として逮捕され、2009年5月18日には最高裁判所にて死刑が確定したが無実を訴え再審請求中。
著者の経歴を見ると、東大仏文科時代は剣道部員、卒業後TBSに勤務。2年後に退職し]、九州大学医学部を経て精神科医に。その傍らで執筆活動に励む。1992年、『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞受賞。八幡厚生病院診療部長を務める。2005年、福岡県中間市にて精神科・心療内科を開業。開業医として活動ながら、執筆活動を続ける。
砒素による中毒事件であるが、題名は「砒素」でなく、「悲素」であるのは、この事件の犠牲者の遺族の心境を物語るのであろう。
“事件の一周忌の日、夫を亡くされた奥様の家を訪れました。「線香をあげさせて」と頼んで招き入れられた仏間は、そこだけ雨戸がぴったり閉められていました。
「悲しみが消えた時、開けるつもりです。」
翌年の命日もまた次の命日も雨戸は閉まったままでした。
小学4年だった愛息を失った両親の家を訪れます。ここに住んでいるのがつらい、引っ越そうという奥様をなだめるのはご主人
「家がなくなったら、あの子が帰ってきたとき、迷うじゃないか」
これを聞いたとき胸がふさがりました。このご夫婦は、命日の日、仏壇におかれた遺骨の蕎麦を一日離れません。
「苦しんで逝ったあの日、せめてずっと息子のそばにいてやりたい」
仏壇には息子さんが大好きだったミニカーが供えられ、愛読していた月刊のコミック誌、あれ以来ずっと買い揃えられています。
 その気持ちは、当時高校1年だった娘さんを亡くしたご両親も同じです。聞くと二人の息子を授かってから7年目にやっと生まれた待望の娘さんでした。2階の娘さんの部屋はそのままにされていまいた。”
夏祭りに集まった人を無差別に毒殺しようとした犯人の動機はなんだったか?
1審から最高裁まで、これについての結論を出していません。理性で想定できる動機ではなかったからです。この本の著者は「保険金詐取」と断じています。容疑者はカレー事件の10数年まえから砒素を用いた殺害で保険金詐取を繰り返していた。それにより年収一億円を越していたという。繰り返すことで、絶対ばれないと確信し、毒カレーによる死者の中に、保険を掛けた人を含ませればわからないと考えたと推量しています。
この推論に到達するまでの記述、砒素中毒に関する知識と被害者の症状に関する記述には驚かされます。これは薬害中毒についての専門知識をもつ医者でないとかけない小説で、記述はオウム真理教のサリン事件や森永の砒素ミルク事件、スモン病や第一次世界大戦で使われた毒ガスにも及んでいます。
今年度発表された小説の中で。最高の力作と思いました。