古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

国力とは何か(3)

2013-02-01 | 経済と世相
 国民国家の経済政策
自由主義者の多くは、強力な国家権力は、個人主義の敵であると考えている。しかし、実際には、個人主義の実現のためには、強力な国家が必要である。なぜなら、個人の権利は、国家によって、社会制度として保障されるからだ。国家は個人の権利を保障するために、各個人に他の個人の権利を尊重する義務を課さなければならない。例えば、国家の統治能力が弱体な発展途上国や、国家が権力を失って内戦状態にある地域では、自律した個人も存在しえない)。
経済自由主義者は、国家介入はできるだけ小さい方が、市場原理が有効に機能し、経済は繁栄すると信じている。そして、戦前の保護貿易とブロック経済の反省の上に成立した戦後の世界経済が未曾有の成長を遂げたのは、その証拠であると主張する。しかし、市場と社会の関係を調整する国家機能の存在がなければ、市場の自由化だけで戦後の世界経済の繁栄を実現することはできなかった。
一般に、国力とは、軍事力、国際社会における政治的発言力、国内総生産、科学技術、教育水準、文化的影響力、人口、天然資源など、様々なものが挙げられる。・・・(しかし)真の国力とは、・・ネーシヨンという共同体を維持し、あるいは発展させるために、ネーシヨンの中で働いている力が、国力の本質なのである。

経済学者たちは、経済ナシヨナリズムを国あるいは世界全体の経済厚生の最大化を阻むものであるとして批判してきた。しかし、経済ナシヨナリストが保護しようとしているのは、国民の生活様式であり、そしてそれと密接不可分である(国民の)自由の価値である。
同様の観点から、イギリスの社会学者ロナルド・ドーアもまた、保護主義を擁護している。彼は、欧米における日本の経済研究の先駆者であり、日本的経営の経済的優位性を早くから指摘してきた人物である。しかし、その彼も、仕事中毒の日本人による競争力ある製品の輸出によって、イギリス固有のゆとりのある経済生活が脅かされるようであれば、貿易制限が必要であると主張するのである。
19世紀のイギリスや20世紀のアメリカが自由貿易を主唱したのは、それが自国の国力を拡大するからである、その意味において、自由貿易論者は経済ナショナリストであった。19世紀ドイツの経済ナショナリストのリストは、当時の古典派経済学の自由貿易論はイギリスの利益を代弁するイデオロギーであると、反発したが、その洞察は正しい。
デフレの解決は「機能的財政論」で
政府債務が内国債である場合は、財政破たんはあり得ない。それゆえ、健全財政論者のように、累積債務残高の大きさそれ自体を問題視することは無意味である。国家の財政状態が適切であるか否かの判断は、債務の絶対額ではなく、国家財政が国民経済にどのような影響を及ぼし、どのように「機能」しているかを基準とすべきである。これが「機能的財政論」である。
国民通貨と内国債は、民主的な経済のコントロール、あるいは「経済的国民自決」と言うべきものを実現する手段である。そして、内国債と国民通貨という制度を可能にしているのは、ネーシヨンに他ならない。
自律的な国民経済の運営をこれまで以上に従属させるような国際経済ルールは、もはや維持不可能となるであろう。ナショナリズムに目覚めた各国国民は、国際通貨制度を維持するためのデフレを甘受できないからである。
以下、小生の読後感
菊池英博氏はこう述べている。
『日本は、2012年4月に、法人税の最高税率を30%から25.5%に引き下げている。その結果法人税は年間で約1兆円の減収となり、国税に占める増税後の消費税の割合は、37%をかなり超えるのではないか。』
 消費税を上げ、法人税を下げるという政府の方針は、まさに、『グローバル化した時代には、資金、企業、人材、技術が集まりやすいように、投資先として魅力的な環境を整えることを、国家の経済政策の目標とすべきである。』というイデオロギーに基づく。
もう一つの論点、『グローバル化がデフレの原因になっている』という指摘は新鮮だが、さらなる検討が必要と考えます。