古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

SPEEDIをめぐって

2012-04-23 | 経済と世相
『プロメテウスの罠』(朝日新聞特報部、学研2012年3月刊)を読みました。
 2011年10月から朝日の紙上に連載された記事を書籍化したものですが、内容が長いので、「SPEEDI」に関連した部分のみ紹介します。
【SPEEDIというコンピュータ・シミュレーシヨンがある。政府が130億円を投じて作ったシステム。放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、もれた放射性物質がどこに流れたかをたちまち割り出す。3月12日、(文科省)原子力安全技術センターがそのシミュレーシヨンを実施した。
 放射性物質は津島地区(フクシマの北西)の方向に飛散していた。政府はそれを住民に告げなかった。・・福島県も電子メールで受け取っていたが、活用されずいつのまにか削除されていた。
「これは殺人罪じゃないか」(浪江)町長の馬場有は抗議した。
 文科省は情報を出すだけで、それを使って避難指示を出すのは原子力対策本部、つまり官邸だ。しかし、首相の菅直人も、経産相の海江田も、官房長官の枝野もSPEEDIを知らなかったと主張する。特に海江田と枝野は3月20日過ぎまで知らなかったと国会答弁している。】
 米軍には伝えられていた。以下その経緯です。
【14日朝、外務省北米局日米安全保障条約課の外務事務官木戸のところに横田基地の在日米軍司令部から電話が入った。
「原発事故の支援に際して放射能関連の情報が必要だ。提供してほしい」
あちこち電話して文科省防災環境対策室に行き着いた「
「提供してかまわない」、「データを直接米軍に提供してほしい」、「震災後のどたばたで手が足りない」、「私の方でリレーしましょう」。10時40分、メールが届いた。添付ファイルは、SPEEDIのデータ。米軍に転送された。】

 文科省とは別に、経産省の原子力保安院もSPEEDIのシステムを使って放射能汚染の予測(避難計画案を作成)を行っていた。第1回は(11日)午後9時12分。第2回は12日午前1時12分。16日までに45回の独自予測をはじき出した。
(しかし、官邸には伝えられなかった。)
【「おれの目の前に保安院のトップがいたんだよ」
10月31日夕、東京永田町の議員会館。当時の首相、菅直人は強調した。菅は毎朝、「プロメテウスの罠」を読んでいる。その日の朝も、いつも通り朝日新聞を開いた。読み始めた菅は驚愕した。
 保安院がSPEEDIを使って独自に避難計画案を作っていた経緯が載っていた。そんな情報は全く届いていなかった。目の前に保安院のトップがいたのに、なぜ彼は自分に伝えなかった?】
(住民の避難範囲を官邸で議論していたとき、何故、保安院がその計画に着手していることを伝えなかったか?)
【SPEEDIの存在を認識した後も、官邸は予測図を公開しなかった。それに関連し、首相補佐官の細野は、5月2日の記者会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明した。・・実際には政府自身がパニックに近い混乱ぶりだった。
 そのパニックぶり、第6章「首相官邸のいちばん長い日」は、地震発生の瞬間からの5日間の首相官邸の動きを臨場感あふれる記録に綴る。
「全交流電源を喪失し、冷却できない状態です」
首相は11日夕、総理執務室で経産相海江田万里と原子力安全・保安院長寺坂から報告を受けた。
菅は寺坂に状況を質した。だがどう対処すればいいのか具体的な答えがない。菅は尋ねた。「技術のことは分かってるのか」東大経済学部卒の寺坂はこう答えたと本人は言う。
「私は経済学部ですけど」・・「しかし基本的なことは分かってるつもりです」
(保安院のトップは、技術系と事務系が交互に就任することになっているらしい)
12日午後6時、伊藤(内閣危機管理監、元警視総監)「冷却水注入といっても、普通の水じゃ量がたりないだろう。海水を注入できないのか」
保安院幹部「炉に海水を入れたらいけません。炉がつかえなくなります。」
伊藤「その真水はどこからどれくらいを運べばいいんだ」
保安院「・・・・・・」
「福島の原発を造ったのは東芝と日立だ。詳しいことを知っているのは、東電や保安院よりメーカーだ」(13日)東芝の社長、午前11時8分、佐々木則夫が到着した。】(続く)