古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

草枕・漱石の宿

2010-03-02 | マラソン
 27日から3日間、九州を旅行。以下、その紀行文です。ご笑覧ください。
 27日、7時半の広島行きひかりに乗車。広島駅で30分弱待ってひかりレイルスターの博多行きに乗り換え12時前博多につきました。その後、鹿児島線の特急つばめに飛び乗り、自由席に座っていたら車掌が来て、聞くと「玉名には止まりません」という。大牟田で下車し、待ち構えていた普通で玉名駅には1時20分。
 予約した旅館に電話すると「**経由の熊本行きのバスに乗ってください」良く聞き取れなくて「何経由?」と聞きなおすと「カワチ、大阪の河内です」「で、どこで降りますか?」
「小さい天と書いて***」。
「小さい天?コアマですか?」
「オアマ。オアマ温泉というバス停です」
 バス停に行ったら、丁度その熊本行きが待っていた。「オアマ温泉という所、行きますか?」「ハイ!」
 バスが発車したが、誰も乗ってこない。20分くらい走っても乗客は私1人。運転手が「どこまで行かれるのでした?」。ところが読み方を忘れていて「小さい天の温泉です」
「アア、オハマ。どちらまで行かれるのですか?」「ナコイ旅館です」「ナコイですか」
すぐ納得したところを見ると、この地では、名の売れた旅館らしい。
 結局、¥460の運賃を払ってオアマ温泉で降りるまで、乗客は誰も乗らなかった。
バス会社も大変だ!
 バス停の看板「小天温泉」の下に(那古井館前)」と書いてある。初めて那古井という漢字がわかった。
 実は、この旅館、熊本県玉名市の「いちごマラソン大会」を走ろうとインターネットで調べたら、「宿泊は玉名市旅館組合にお電話ください」とあったので、「スタート会場に近い旅館を紹介してください」と電話する。「ナコイ館にお聞きください」と電話番号を教えてくれたので、電話したら「空いています」ということで予約した次第。だから「ナコイ」の字は知らなかったのです。
 旅館に入ると、ロビーに夏目漱石の大きな写真が掲がられ、どうやらここは漱石ゆかりの旅館らしい。
 まだ2時だったので、荷物を旅館に預かってもらい、「明日のマラソン会場を歩いて見てきます」というと、周辺の地図を呉れて「歩いていかれるのですか?」と幾分不思議そうな顔をした。
 「会場の近くの旅館をと言って紹介してもらったので、せいぜい1kmぐらいかな?」と思ったのにそれらしい場所が全然ない。たまたまそこへ軽四トラックが来たので運転手のオジサンに聞くと、これが純粋の熊本弁というのか、全然分からない!顎で助手席を示すのでドアを開けて「乗せてってくれます?」。頷いたのでヒッチハイクになった。
 車中でオジサンが話し掛けてくるのだが、まったく聞き取れない。でも所々で分かる単語があるから「多分こう言っているのだろう」と思って答えると大体まちがっていないらしくオジサンは頷いてくれる。15分くらい会場につくまで、全然分からない言葉を聞きながらの会話。これで通じたらしいから、言葉というものは、言葉そのものよりも表情や状況で通ずるものらしい。(逆にメールのように言葉だけで、状況や表情の伝わらないコミニュケーシヨンは、意味が誤解されて相手の感情を害する場合もありうる。)
 熊本弁のオジサンにお礼を言って降りてから、会場の横島小学校を検分してから、旅館に帰ろうと歩き出したら、これが遠かった!55分歩きました。私の足で55分なら5kmはあります。後で荷物を預かった女性に聞いたら「あそこまで歩いていくなんてマラソンをやる人は違うんだ!」と思ったそうです。
 さて、この旅館。チェックインした後「どうぞ」と女性が部屋に案内してくれる。部屋に入ってびっくり。6畳と8畳と8畳の三部屋が続きになっている。畳の大きさも団地サイズではない。戦前の畳の大きさです。こんな大きな部屋に1人で泊まるなんて生まれてから初めて!
 机の上に旅館の案内があるので、手に取ってみる。
『明治30年の大晦日、五高教授の夏目漱石が熊本2度目の正月を静かに過ごそうと同僚と二人で、ここ小天温泉を訪れた。
“温泉や水滑らかに去年(こぞ)の垢”と、のんびり数日を過ごし、この小旅行を素材にして書いたのが、「草枕」である。』
 もう一枚のパンフレットにはこうある。
『1998年、旅行新聞社発表の日本のホテル・旅館100選のうち、和風旅館10館の1に選ばれました』(多分、漱石先生の遺徳)
 そして、文庫本の「草枕」が置いてある。
『山道を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。・・・』
「草枕」を読んだのは、高校一年の時だから、57年ぶりである。
5~6ページ読み進むと、「今宵の宿は那古井の温泉場だ」という節があった。
 更に、主人公は「6畳一間の狭い部屋に押し込められた」と不平を述べていますが、小生は6畳+8畳+8畳。これは明治と平成の違いだろうか。

 「旅館の隣に、漱石が逗留した離れが“漱石館”として保存されています」ということなので、入浴前にもう一度外に出て覗いてきました。

 入浴後、部屋に夕食を持ってきてくれた。そう言えば、部屋まで料理を持ってきてくれる旅館など久しぶり。最近は人減らしで夕食もバイキングなどという場合もある。
料理もおいしくて結構量もある。これで一泊2食で12000円だから値打ちです。
 一つだけ気に入らないのは部屋の入り口に鍵がとりつけられていること。最近取り付けらものだろうが、折角の明治建築の風情を壊すことおびただしい。まァ私のような年寄りだけでなく、若い女性も泊まる時代になったから止むを得ないのかも。でも、付けるのなら、明治建築にふさわしい鍵にして欲しかった。(つづく)