呉紀行
2006-05-18 | 旅行
15日は10時、駅で編集長と待ち合わせ、呉線の電車に乗りました。
呉駅前の大和ミュージアムに11時頃。月曜の平日なのに大勢の客が詰め掛けているのに一驚。今,どうしてこんなに大和に人気があるの?
入場すると直ぐ大和の10分の1の模型(26.3m)が鎮座している。これだけ見ても大きさが実感できません。10倍にして考えて見よ、と言われても、小生の想像力に限界があるらしくピンとこない。
しかし、大きさよりも、全体を俯瞰した美しさに、「これは日本刀じゃない?」と思いました。日本刀は無論兵器ですが、実際に戦場でどの程度有効であったかは疑問(鉄砲が使われるようになってからは刀で戦う場面はなかった?鉄砲がない時代でも槍の方が有効だったのでは?)。
しかし、美術品としての日本刀は、今日まで大事にされてきた。勿論、大和は、兵器として血税をつぎ込んで作られたが、実戦にはほとんど役に立たなかった。にも拘わらず、このような博物館が作られ大勢の人が詰めかけて往時を偲ぶのは、その美しさに、日本刀を見ると同様な心情を、人々が抱くのでは?と思った。
ゼロ戦が展示されていましたが、こんな造りで、よく何百kmを飛んで空中戦を戦えたもの!と思う。じっと見ているうちに坂井三郎さんを思い出しました。ご存知の方も多いでしょう。太平洋戦争中「撃墜王」といわれたゼロ戦の名パイロット。生前、数十年前ですが、名古屋に来られて講演されました。「何十回もの出撃、空中戦を経験して生き残れたのは、運が良かったという以外ない!しかし、思うに、運とは運ぶもの。自分の運を運ぶために、何時も最善の努力をしたと思う」という言葉が印象に残っています。
1時間半ほど見て、外に出ました。時分時だから腹ごしらえに蕎麦を!と、蕎麦屋を目指しました。
駅前からバスに乗り、広という所の「とうてつ庵」(漢字が凄く難しいのでかなで表記)に出かけました。「守田さんから聞いて、インターネットで調べ、名古屋からのお客さんを連れてきました」と、編集長が主人に伝えたので、ご主人、気を良くしていろいろ説明してくれました。
私は二八で山芋掛けを賞味しましたが、編集長は生粉(きこ)のざるを召し上がりました。生粉とは100%蕎麦粉の意味だそうです。蕎麦粉の含有量指定のメニューは、私は、この店で初めて見ました。
ご主人、蕎麦の職人仕事が大好きのよう、趣味とご商売を両立させているようで
す。
2時ごろ、蕎麦屋を出て、再度呉駅へ。駅の手前(四つ道路バス停)で下車して
「入船山記念館」というところへ行きました。旧呉鎮守府司令長官宿舎(平成10年国重要文化財指定)です。
いや、この記念館。日本海軍の遺品を展示していて、期待以上の見ものでした。
その後「自衛隊の呉地方総監部」(日曜だけ見学できるとのことだった)を経て
「歴史が見える丘」(戦艦大和の建艦ドックを眼下に見る)を歩いてから駅へ。
4時の電車に乗り広島に戻りました。5時10分の新幹線で帰宅しました。
呉駅前の大和ミュージアムに11時頃。月曜の平日なのに大勢の客が詰め掛けているのに一驚。今,どうしてこんなに大和に人気があるの?
入場すると直ぐ大和の10分の1の模型(26.3m)が鎮座している。これだけ見ても大きさが実感できません。10倍にして考えて見よ、と言われても、小生の想像力に限界があるらしくピンとこない。
しかし、大きさよりも、全体を俯瞰した美しさに、「これは日本刀じゃない?」と思いました。日本刀は無論兵器ですが、実際に戦場でどの程度有効であったかは疑問(鉄砲が使われるようになってからは刀で戦う場面はなかった?鉄砲がない時代でも槍の方が有効だったのでは?)。
しかし、美術品としての日本刀は、今日まで大事にされてきた。勿論、大和は、兵器として血税をつぎ込んで作られたが、実戦にはほとんど役に立たなかった。にも拘わらず、このような博物館が作られ大勢の人が詰めかけて往時を偲ぶのは、その美しさに、日本刀を見ると同様な心情を、人々が抱くのでは?と思った。
ゼロ戦が展示されていましたが、こんな造りで、よく何百kmを飛んで空中戦を戦えたもの!と思う。じっと見ているうちに坂井三郎さんを思い出しました。ご存知の方も多いでしょう。太平洋戦争中「撃墜王」といわれたゼロ戦の名パイロット。生前、数十年前ですが、名古屋に来られて講演されました。「何十回もの出撃、空中戦を経験して生き残れたのは、運が良かったという以外ない!しかし、思うに、運とは運ぶもの。自分の運を運ぶために、何時も最善の努力をしたと思う」という言葉が印象に残っています。
1時間半ほど見て、外に出ました。時分時だから腹ごしらえに蕎麦を!と、蕎麦屋を目指しました。
駅前からバスに乗り、広という所の「とうてつ庵」(漢字が凄く難しいのでかなで表記)に出かけました。「守田さんから聞いて、インターネットで調べ、名古屋からのお客さんを連れてきました」と、編集長が主人に伝えたので、ご主人、気を良くしていろいろ説明してくれました。
私は二八で山芋掛けを賞味しましたが、編集長は生粉(きこ)のざるを召し上がりました。生粉とは100%蕎麦粉の意味だそうです。蕎麦粉の含有量指定のメニューは、私は、この店で初めて見ました。
ご主人、蕎麦の職人仕事が大好きのよう、趣味とご商売を両立させているようで
す。
2時ごろ、蕎麦屋を出て、再度呉駅へ。駅の手前(四つ道路バス停)で下車して
「入船山記念館」というところへ行きました。旧呉鎮守府司令長官宿舎(平成10年国重要文化財指定)です。
いや、この記念館。日本海軍の遺品を展示していて、期待以上の見ものでした。
その後「自衛隊の呉地方総監部」(日曜だけ見学できるとのことだった)を経て
「歴史が見える丘」(戦艦大和の建艦ドックを眼下に見る)を歩いてから駅へ。
4時の電車に乗り広島に戻りました。5時10分の新幹線で帰宅しました。