古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

金沢マラソン記(2)

2006-05-06 | マラソン
 スタート地点に戻った10Kmは、1時間3分だった。スローニンにしては一寸早いが,まぁこんなペースか!今日は気温5~16度といっていたからマラソンには快適。2周目に入る。コース沿いにに渋谷工業、I・Oデータ機器などの地元企業の建物が見える。20Kmを2時間7分。3周目だ。この辺りから徐々に疲労が
蓄積してきた。30Kmは3時間15分ぐらいだったと思うが、記憶が定かでない。
4週目、途中で小島さんに追いついたので「頑張ってください」と声を掛けた。
下流で折り返し、また逢う。「頑張って!」と今度は彼が先に声を掛けてきた。
頭がぼうっとしてきた。とにかく走り続ける。下流の折り返し、略36Km地。
4本目の輪ゴムを嵌めてもらうと、「これが最後ですよ」と声を掛けてくれた。

 折り返してすぐ給水場がある。ここで一休みしてボランテイヤのおばさんと話す。
「やっぱり40Kmはきついよ!」、「そうだよねー。でも、みんな息が平気だから感心しちゃうわ」。そう!マラソンは、心臓がきついのではなく、脚の痛みと疲労から脚が上がらなくなって、きついのだ。給水場で貰ったオレンジがすごく美味しい。
 その後は、もう歩いたり走ったりの繰り返しで、とにかく粘った。40Kmを過ぎて
今度は上流の折り返し,5回目だ。右膝頭の裏が痛む。やっとの思いで、スタート地点に戻ると、およそ2百メートル先にフル専用の折り返し。そこまで来たら、また小島さんに逢った。この後、彼に伴走(伴歩?)しながら話した。
 「もう1周あるわ」と彼。「1年数ヶ月ぶりのフル完走!きついわ」と小生。
「もう小島さんは65かな?」、「64歳!」
「ゆっくり走っても、余計疲れるね」と彼。まったく同感。フルマラソンの疲労は、スピード如何にかかわらずかかった時間に比例するというのが、私の体験からの実感。伴歩してみると、彼の速度は私の早や歩きの速度(時速6Km強)だ。
これなら6時間は難しいが7時間を切ってフィニッシュできるだろう。
 「じゃ、頑張って!」と、後12.195Kmに歩を進める彼に手を振りゴールに駆け込んだ。待ち構えているボランテイヤのおばさんたちが「おめでとうございます」と、口々にねぎらってくれた。
 着番札(458)とトロフィーを手渡してくれる。この大会、完走者には全員トロ
フィーが授与される。「第25回マラソンに挑戦する会 42.195Km」の銘版が 嵌められていた。
 着番札(458)は、順位と違う。10Kmも20Kmも一緒の着番だから。
この札と受付時に貰った完走証を記入所に持っていくと記録簿と照合し、
4時間49分15秒と記入してくれた。
 この歳で5時間を切って完走できれば上等。ホテルまで歩いて戻り、荷物を受け取り、レストランで生ビールで乾杯、うどんで腹ごしらえ、その後市東郊の温泉に行き、屋外プールで日課の1000m泳。夜は、7時前からベッドにもぐり込み朝の7時前まで寝ていた。これだけぐっすり寝たことは、ここ数年なかった。よほど疲れていたらしい。
 名古屋には4日夕刻帰りました。