古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

100%仮説(つづき)

2006-05-17 | 放送大学
初日は6時前までの講義、二日目は10時から3時過ぎまでの講義でした。
 こんな話がありました。いわゆる「失われた10年」と言われる平成の不況について、「竹中大臣はその原因を、こう述べている
 日本システムの制度疲労
 グローバル化への対応不十分
 金融問題・・・」
 ここで、小生が質問しました。
「先生が竹中大臣の説に賛成という意味で、竹中説を紹介されているのか,賛成ではないが竹中説があることを紹介するということなのか分かりませんが、”グローバル化への対応不十分”という説には賛同しかねます。何故なら,私には、ホンダやトヨタ、ソニーが國際化の対応に遅れたとは思えませんから。これは竹中さんの仮説に過ぎないのでは?」
 すると先生は、「確かにソニーやホンダの対応が遅れたわけではありません。で
も、遅れた企業が沢山あったのでは?」
 率直に言ってびっくりしました。そんなことを言ったら、論議が正しいか正しくないのか、判定が出来ない。正しくないという事例が一つでも見つかれば、その論は正しくないというのが、科学ではないのか!(経済学は自然科学ではないが社会科学と言われるのに)経済学はサイエンスではないのか?
 冒頭に紹介した『99.9%は仮説』にこんな話がありました。
【科学の世界では、絶対に正しいと思われていた定説がひっくり返った例はゴマンとある。例えば、エガス・モニス(1874~1955)というポルトガル人の医者が1949年ノーベル医学賞を受賞しました。1935年、精神病を治療すると言うロボトミー手術を始めた業績に対して与えられたのです。「ロボ」とは前頭葉・側頭葉の葉で、「トミー」とは切断、切除の意味。つまり、脳の前頭葉を切る手術です。
『カッコウの巣の上で』という映画(1975)が昔ありましたが、このロボトミー手術の悲惨さを告発する映画でした。現在では、前頭葉には脳の司令センターがあり、ロボトミー手術でそこを切ってしまうと人格そのものが破壊されてしまう、ということは医学界の常識ですが、当時はこの手術の有効性が信じられ、アメリカだけでも一万件の手術が行われた。】
 日本の近年の経済運営が、誤った仮説に基づく”ロボトミー手術”でなければ良いのですが・・・

 最後に、レポート提出。「”さらば経済成長”という言葉について所感を記せ」というので
「経済成長が不必要とは言わないが、経済政策の目標は国民のくらしの向上にあるのに、近年、経済成長が国民のくらしの向上に結びついていないのでは?だから、経済成長率という指標で国の経済運営を考えることは意味がない。という意味で”さらば経済成長”に賛成です。例えば、正社員と非正規社員の比率などの直接的な数字を経済運営の指標とすべきと考えます。」
 それから、景気の定義について私論を追記しておきました。
「GDPの時間微分が経済成長率(GDPの速度)で、経済成長率をさらに時間微分した(GDPの加速度)が「景気」と考えますが、いかがでしょう」

100%仮説

2006-05-17 | 放送大学
 最近、ベストセラーになっている『99.9%は仮説』(竹内薫著、光文社新書)という本を買い込んで、13日朝7時前の新幹線に乗り込みました。放送大学広島学習センター(旧広大)の面接授業に出席するためです。授業のテーマは「日本経済を考える」。
 このところ、TVや新聞・雑誌で経済学者と言われる方々の論調を聞く度に、経済学って、「100%仮説じゃなかろうか?」と思うようになりました。そこで、講義の前に、この本を読んで見たかったのです。
 乗車してすぐ読み始め、広島駅に着くまでの2時間40分で読み終わりました。
 「自然科学の法則や定説は、すべて最初は仮説で、実験でその仮説が成立することが確認された後、定説になる」と私は思っていましたが、この本で『科学とは常に反証できるものだ』という科学の定義(カール・ポパー)を知りました。
 つまり、仮説を実験で確認する際、実験は当然有限回です。その有限回の実験で仮説が正しいとされたら、当分、仮説は定説として認められる。しかし、百万回実験して正しくても百万一回目に、その説が正しくない事例が見つかったら、その説は定説の地位を失う。即ち、一つの間違っているという事例(反証)が定理の誤りの証拠になるのが、科学であるというのです。

 定刻(9:34)に広島駅に着き「そうだ、弁当を仕入れて行こう。たいしたレストランは構内になさそうだと、駅弁を買う(何はなくとも食糧の手配だけは忘れません)。
タクシーの運ちゃんに「放送大学!」と言うと「あぁ元広大の・・」と、すぐ了解してくれました。開講の10時直前、ジャストインタイムで講義室に滑り込み。
 講師は広大教授のT先生、専攻は「労働経済」だそうですが、今回の講義は「戦後の日本経済の景気変動を振り返り、日本経済の今後を考えたい」という趣旨だと言う。
 早速、手を挙げて「その、景気とは何でしょうか?定義を教えて下さい」と質問。「これからの講義の中で説明します」とかわされた。
 戦後の景気変動の山は、終戦直後(信頼すべき統計が存在しない)を除くと13回あり、現在の小泉内閣での景気上昇をカウントすると、14回目になる。ならば
14回といえばよいのだが、「景気の山は数ヶ月後にならないと分からない」ので、一応、小泉内閣以前までの13回を説明する」と言う。そこで、諒解したのだが、先生の言う景気は経済統計に出た景気(内閣府、かつては経済企画庁が公表している景気動向指数(29の先行・一致・遅行の景気指標から合成)を意味しているようだ。
 しかし、景気動向指数は、景気の観測方法の一つであって、景気そのものの説明ではないのでは?
 授業は進んでいきます。(続く)