古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

鎧兜

2005-02-14 | 読書
 何故か このところ多忙でメール送信をサボっていました。明日もまた出かけま
す。三重県津で面接授業があるのです。以下,最近読んだ本の中で、こういう見方も
あったかと、気付かせられた事柄です。

 千住博さんの『美は時を超える』(光文社新書)を読んだら,こんなくだりがあっ
た。
【メトロポリタン美術館の武具のコレクシヨンは14000点におよぶが、その中で
も日本の鎧兜が占める割合は多く、何よりも惹きつけたのは日本の兜でした。・・・
 鎧兜というと、防具なので、あくまでも自分の身を守るためのもの、闘いの場で中
心になる人物を隠すものと思います。内側の人物像を隠すべきものというイメージ
が、私たちには少なからずあるのではないでしょうか。
 しかし実際には、例えば頭部の額の部には金属製の大きな反射板のような太陽、満
月,半月等のモチーフがついているものもあり、このような金属板は日が当ると光る
ので、一里さらには三里先からでもはっきりとその鎧兜を身につけたリーダーの存在
を確認することができるでしょう。・・・鎧兜は身を守る武具であると同時に、戦い
のリーダーがどこにいるかをはっきり敵にわからせるものなのか、という考えにいた
り、その潔さにある意味で驚きます。】
【日本の鎧兜とは逆に、中世の欧州の甲冑を見てみると、パレードや式典用のものを
除き、実戦用のものに関しては自分を隠すためのもののように見えます。その甲冑の
中に入っているものが何者であるかは、それほど重要ではありません。内面に踏み込
めない仕組みがシステムとして存在している。そのように見ていくと、ある面白い事
実に気がつきます。西洋は普段は「私は」と自分を出しているにもかかわらず、戦い
の場となると鉄仮面をかぶり表情をなくし、誰がその中いるのさえわからなくなって
しまいます。】
【日本文化というのは自分を出さない文化であり、特に武士の文化はそれがあてはま
ります。普段は自分を出さない抑制された文化にもかかわらず、鎧兜を身につけるこ
とにより、死と向き合う場では思い切って自分を出すことになります。そして美とい
うものを通して,自分は何者かという叫びに満ちています。これが「武士道」と一致
しているところではないかと思います。一方、西洋は生命は王や女王のもの、という
騎士道精神に従っているのかもしれません。】
【さらに、鎧兜について考えてみます。部屋に置かれているときは、その存在は生で
も死でもないといえます。しかしいったん武士が身にまとうことにより、生命を吹き
込まれたかのように、「生」の存在として動き出すのです。そして生と死を超越した
神の領域へと移ってゆくのです。それ以外のときは、あえていえば「ぬけがら」のよ
うな「物」に過ぎないわけです。・・・それは人間存在を魂としてとらえていること
に他ならないのではないでしょうか。人間でも仏像でも生命を吹き込み、「魂を吹き
込む」という言い方で、何かを注入する儀式があります。・・・人が身につけること
により、魂を吹き込まれる「ぬけがら」だった鎧兜。人の生命を神秘的なもの、と感
じさせる装置でもあったのです。つまり鎧兜は「生」を語るものでもあるのです。・
・・歴史が雄弁に教えてくれることは、美は生や死を語るときになくてはならないも
のではないかということです。】