BINTANG GARDEN

2009年06月20日 | 佐野元春 Radio Days

■BINTANG GARDEN -POWER OF WORDS-
http://funky802.com/service/homepage/index/1523

2009年6月19日(金) FM802 23:00 - 24:00
DJ:深沼元昭(MELLOWHEAD)
GUEST:佐野元春

Playlist
1 南ウィング / MELLOWHEAD
2 SHE'S A RAINBOW / THE ROLLING STONES
3 HOW DOES IT FEEL TO FEEL / THE CREATION
4 I FOUGHT THE LAW / THE CLASH
5 君が気高い孤独なら / 佐野元春
6 IMPOSSIBLE GERMANY / WILCO
7 FREE FALLIN' / TOM PETTY
8 SWEET HOME ALABAMA / LYNYRD SKYNYRD
9 JOLIE / AL KOOPER
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・'60年代、'70年代のロック
今週の「BINTANG GARDEN」は深沼元昭(MELLOWHEAD)をDJに迎えて'60年代、'70年代のロックを深く掘り下げるプログラム。小学校のときにビートルズの「RAIN」を演奏したことが深沼元昭の最初の音楽体験だという。

・深沼元昭
1990年に横浜で結成された3ピースバンド「PLAGUES(プレイグス)」でデビュー。2002年まで活動して今は休止中。その後はソロとなり「MELLOWHEAD(メロウヘッド)」というソロ・プロジェクトをスタート、現在は「GHEEE(ギー)」というギターバンドのメンバーとして活動もしている。

・南ウィング
MELLOWHEADのニュー・アルバム『Daydream weaver』収録曲。

・SHE'S A RAINBOW
深沼元昭は何年か前にiMacのCMに使用されたことで改めて名曲だと思ったそうだ。

・HOW DOES IT FEEL TO FEEL
知る人ぞ知るバンドのクリエーション。ギターをヴァイオリンの弓で弾いていて、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジはこのクリエーションのギタリストを真似して、ヴァイオリンの弓を使ってギターを弾いたと伝えられている。

・I FOUGHT THE LAW
オリジナルはバディ・ホリーのバンド、クリケッツのギタリストが作曲したという。その後、1964年にボビー・フラー・フォー、'70年代の終わりにクラッシュ、'80年代にストレイ・キャッツ、2004年にはグリーンデイがカヴァーしている。

・君が気高い孤独なら
佐野元春の2007年のアルバム『COYOTE』の収録曲。

・佐野元春
ここからは佐野元春をゲストに迎えて。佐野元春はアルバム『COYOTE』について「デジタルなんだけれど、どうやってアナログの質感にまとめられるのか」とよく訊かれたそうだ。深沼元昭は佐野元春のヴォーカルがダブル・ヴォーカルで録音されてたりして、声の処理に'60年代、'70年代のロックを感じさせると話す。佐野元春はビートルズやビーチボーイズの音楽が好きだったから、ちょうど文章を書いてるときに重要なところは太線にするような感覚で、そこだけダブル・ヴォーカルにするような工夫をしていたそうだ。ただ'60年代、'70年代の音楽はその時代の空気をパックしているから、今、ビートルズやビーチボーイズが同じことをやっても全く同じ音にはならないんじゃないかと話す。

・IMPOSSIBLE GERMANY
佐野元春が選曲。基準はロックンロールの本質をわかっているバンド、アーティスト。ウィルコについては初期衝動をとても大事にしているバンドだと話す。「IMPOSSIBLE GERMANY」はギター・ソロが素晴らしいと佐野元春。2007年のアルバム『SKY BLUE SKY』収録曲。曲を聴いて、「僕の心の柔らかい部分に訴えかけてくる。そこ触るのやめてくれみたいな(笑)」と佐野元春。

・FREE FALLIN'
トム・ペティの1989年のソロ・アルバム『FULL MOON FEVER』収録曲。シングル・カットされて全米7位となった。12弦のエレクトリック・ギターの使い方がセンスいいなと佐野元春は思うそうだ。トム・クルーズの何かの映画でハイウェイを走りながらラジオからながれてくる「FREE FALLIN'」に合わせて一緒になって熱唱するシーンがあったと深沼元昭。

・SWEET HOME ALABAMA
レーナード・スキナードの1974年のセカンド・アルバム収録曲。深沼元昭はサザン・ロックに影響を受けてバンド活動をやっていたという。

・JOLIE
いわゆる渋谷系ブームのときによく聴かれた曲。アル・クーパーの1973年のアルバム『NAKED SONGS』収録曲。

・今後の活動
MELLOWHEADの活動は秋ぐらいから。7月は佐野元春の全国ライヴハウス・ツアー「COYOTE TOUR」のギタリストとして参加、夏は浅井健一のライヴにギタリストとして参加、ミュージック・フェスティバルに出演することも多いそうだ。
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新番組スペシャル・トーク 佐野元春×大貫妙子

2009年03月03日 | 佐野元春 Radio Days

■新番組スペシャル・トーク 佐野元春×大貫妙子
2009年3月1日 NHK-FM PM6:00 - PM6:50(生放送)
DJ: 佐野元春、大貫妙子
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/16406.html

Playlist
What The World Needs Now Is Love / Jackie De Shnnon
Ruby Tuesday / The Rolling Stones
懐かしい未来~longing future~ / 大貫妙子
Both Sides, Now / Joni Mitchell
帰って来たヨッパライ / フォーク・クルセダーズ
君が気高い孤独なら / 佐野元春
Voyage / 大貫妙子
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■内容の一部を抜粋
・新番組
佐野元春は3月31日(火)から毎週午後11時から放送する「元春レイディオ・ショー」を23年ぶりに担当する。
大貫妙子は4月28日(火)から毎月最終火曜午後11時から「大貫妙子 懐かしい未来」を担当する。

・生放送
佐野元春はこれまでほとんど生放送に出演してないので緊張しているとのこと。大貫妙子は何度か生放送をしていたことがあるとか。「佐野さんが目の前にいてくれるのでちょっと安心」と大貫妙子。二人は佐野元春がアルバム『COYOTE』を発表したとき、別の放送局の大貫妙子のレギュラー番組にゲストで出演したのが初対面だったとか。「すごく楽しかったです」と佐野元春。大貫妙子は佐野元春の噂をいろいろと聞いていたらしい。「いろいろ話に尾ひれ背びれがついてるんですよね」と佐野元春。「会ってみたらすごいナイスガイなんですよね(笑)」と大貫妙子。

・NHK-FM
大貫妙子はテレビでNHKが開局した年に生まれたそうだ。でも情報を得るのはテレビよりもラジオだったとか。「僕たちミュージシャンにとってFMというのは重要なメディアだった。テレビは家族で見るものだがラジオは1対1のコミュニケーションなので温かみがあっていいなと思う」と佐野元春。

・What The World Needs Now Is Love
ハル・デイヴィッド/バート・バカラック作品。昨年、バート・バカラックの日本公演があり、大貫妙子は聴きに行って楽屋でサインをもらったそうだ。佐野元春はライヴ・ツアー中だったので行けなかったとか。
「What The World Needs Now Is Love」は佐野元春の選曲。実はジャッキー・デシャノンのヴァージョンではなくてエイミー・マンのヴァージョンをかけたかったそうだが音源が見つからなかったという。

・サウンドストリート
1978年から8年5ヶ月に渡ってNHK-FM夜10時から放送していた番組。当初のDJは松任谷正隆、甲斐よしひろ、渋谷陽一といったトップ・アーティスト。佐野元春は1981年から1987年までサウンドストリート月曜日のDJだった。'80年代は火曜日のDJが坂本龍一、木曜日が山下達郎というレギュラー陣。お互いの曜日にゲスト出演したことはあったものの、実際横の繋がりはなくて、ほとんど会うこともなかったという。大貫妙子はアルバムのプロデューサーが坂本龍一だったため、ニュー・アルバムが出る度にゲストとして呼んでもらったという。山下達郎の日にゲストとして行った記憶はないようだ。
佐野元春のサウンドストリートの思い出は1年間ニューヨークから番組を届けていたことだという。当時マンハッタンのダウンタウンの入口、20丁目とレキシントンのあたりに住んでいたそうだ。すぐ近くにアーヴィン・プラザというライヴ・ハウスがあって、ローカル・バンドの演奏を録音して、翌週に番組でかけてもらうということをしていたという。それがいちばん楽しかったそうだ。
そのサウンドストリート「元春レイディオ・ショー」が新しくはじまる。当時聴いてくれていたリスナーにももちろん聴いてほしいが、また新しい意識を持った音楽リスナーにも聴いてもらえたらいいなとそんなふうに思っているそうだ。

・懐かしい未来
大貫妙子はこれまでいろいろな放送局でレギュラー番組を持っていたが、音楽をカテゴリーで分けるのが好きではないので、ノンジャンルで音楽をかけていたそうだ。番組でかける曲は時間をかけて全部自分で選曲するとか。
「懐かしい未来」は昨年8月23日に特集番組として生放送された。
http://blog.goo.ne.jp/sitedoi/e/6a6b76aae627c60421d8fb0e8bfff4e9

環境問題やエコについて取り上げる番組だったが、そうした話題よりもゲストの坂本龍一 , 高城剛(今話題の人)がどんなライフ・スタイルを送っているのかを訊いたところ、番組への反響が大きくてNHKから賞をもらったそうだ。好評だったおかげで新番組の依頼があったとか。新番組では大貫妙子が注目しているアーティストや、環境や日本のために活動している学者や専門家に出演してもらい、これからのライフ・スタイルについてゆっくりと語り合う番組にしたいそうだ。

・Ruby Tuesday
二人の番組が火曜日に放送されるので火曜日にちなんだ曲を佐野元春が選曲。

・懐かしい未来~longing future~
新番組「大貫妙子 懐かしい未来」のテーマ・ソング。
昨年6月にNHKテレビで「SAVE THE FUTURE」という番組を三日間に渡り放送した。そのイメージ・ソングで「SAVE THE FUTURE」ではチベット民族の中国人alanが歌った。
「懐かしい未来」というのは過去へのノスタルジーではなく、「未来に懐かしい」という精神的なもので、未来に取り戻したいものがあるということだそうだ。坂本龍一が曲を書いてプロデュースし、大貫妙子が作詞した。なんと二日で歌詞を書いたという。

・山下達郎
新番組「大貫妙子 懐かしい未来」の第一回(4月28日)ゲスト。大貫妙子は前日の2月28日にNHKホールで行われた山下達郎のコンサートを聴きに行ったそうだ。「長いって有名なんだけれど3時間全然長くなかったです。喋りがちょっとお説教臭かった(笑)。ふふふ。でもステージでも喋りきれないことがあると思うので、存分に喋っていただこうと思ってます」と大貫妙子。

・Both Sides, Now
2000年のオーケストラ・ヴァージョン。大貫妙子の選曲。「物事を表側から見たり反対側から見たり。でも人生って私にはまだわからないわ」という内容だとか。

・帰って来たヨッパライ
元フォーク・クルセダーズの北山修がこの春から毎週月曜日夜11時から「北山修のレクチャー&ミュージック」という新番組をはじめる。その番宣をかねたメッセージが届けられた。臨床心理学、精神分析学、セックス、笑い、別れなどをテーマにしてゲストとともに語り合う番組だとか。第一回(3月31日)はクィーンの音楽を取り上げているという。「帰って来たヨッパライ」はフォーク・クルセダーズの代表曲。

・君が気高い孤独なら
2007年に発表された佐野元春の最新アルバム『COYOTE』から配信限定シングル。
佐野元春のファンというと30代、40代が中心。若い頃はラジオと親しんでいた世代だが、今は聴きたいラジオ番組がないと言うのだそうだ。また、彼らは仕事や子育てに忙しくて何を聴いていいのかわからないと思ってるそうだ。新番組としてはじまる「元春レイディオ・ショー」ではそんな彼らに何かプレゼントする感じで音楽を選んでみたいと佐野元春は思ってるという。そして新しい試みとしてロックンロール音楽と環境を同じ階段の上にのせて何か語れないかと思ってるそうだ。環境について活動しているNPOをサポートするようなコーナーを予定しているそうだ。

・Voyage
大貫妙子が2007年に発表したアルバム『Boucles d'oreilles(ブックル・ドレイユ)』から。

・サウンドストリート・アーカイブス
NHK-FM40周年の記念番組として「サウンドストリート・アーカイブス」が1ヶ月間オンエアされます。
http://www.nhk.or.jp/my-fm-days/

「NHK青春ラジカセ」に寄せられたテープの中から選りすぐり全20回。ナビゲーターは萩原健太さん。

■サウンドストリート・アーカイブス
3月3日(火) - 3月28日(土) 20回シリーズ NHK-FM

佐野元春の「元春レイディオ・ショー」は5夜連続放送でオンエア。
6年間の放送の中から以下のプログラムが再放送となります。

・元春レイディオ・ショー再放送
 3月3日(火) - 3月7日(土)
 AM0:00 - AM1:00

3月3日(火)前0:00~1:00(月曜深夜) 
「ニューヨークから 独立記念日リポート」 1983年7月18日(月)放送分

3月4日(水)前0:00~1:00(火曜深夜)
「ビルボードHOT100特集」 1985年8月5日(月)放送分

3月5日(木)前0:00~1:00(水曜深夜) 
「特集ヒストリー・オブ・ロックンロール」 1987年2月9日(月)放送分 

3月6日(金)前0:00~1:00(木曜深夜) 
「リスナーが選ぶ1985年マイ・ベスト・レコード特集」 1986年1月27日(月)放送分

3月7日(土)前0:00~1:00(金曜深夜)
「最終回 ボーイズ特集」 1987年3月16日(月)放送分
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アラフォー ~あの日聞こえてきた音楽は・・・今も輝いている~

2009年03月02日 | 佐野元春 Radio Days
■FM40ラジオデー『アラフォー ~あの日聞こえてきた音楽は・・・今も輝いている~』
3月1日(日) NHK-FM AM0:00 - AM5:00(生放送)
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/15938.html

出演: 山本シュウ、新垣里沙(モーニング娘。)、吉井和哉、宇治田みのる

・佐野元春からのメッセージの抜粋
BGM: 悲しきRadio

NHK-FMをお聴きのみなさん、こんばんは。佐野元春です。そしてNHK-FM放送開始40年おめでとうございます。僕は小さい頃ラジオが好きでラジオに接してきた時間も長かった。そこで思うのはやはりラジオは友だちだということですよね。そこによい音楽があり、よいDJがいれば何か僕を励ましてくれるよね、そういう存在。それがラジオだと思います。でそれこそがラジオが持っている潜在的な力だと思うんですよね。個人に訴えかけることができる。そこに愛とか友愛とか情というものがもしあるとすれば、それに越したことはない。僕がラジオに求めるのはそういうことです。

なんといっても1981年から6年間、NHK-FMサウンドストリート「元春レイディオ・ショー」という名前で番組を担当していました。83年に自分のレコード制作するためにニューヨークに行きました。約1年間行ったわけですけれども、その間も番組のほうは絶やしたくないということで、僕のほうから無理を言いまして、海外で番組を制作して、それを東京に送る、そしてNHKから発信ができないかっていう相談をして。これは大変でした。僕、マンハッタンに生活しながら街の音を録り、そして当時街で流行っていたレコードを購入し、番組制作には、ちょっと専門的な話になるんですけれども、キューシートという言ってみればラジオ制作の設計図といったようなものがあるんですけれどもね、その設計図を書いてそれらを全部東京の制作ディレクターに送って、でその設計図通りに組み立ててくれる。そうすると番組になるので(笑)、それを放送して下さいと。そんなやり方もしてました。ですのでやること成すことはじめてのことばかりで、迷うこともありましたけれども、どうにか83年の1年間はニューヨークからの番組を届けることができた。これはとても思い出に残ってますね。

残念ながら80年代はその6年間で番組を閉じることになりましたけれども、それから20数年ぶりにこうしてまた「元春レイディオ・ショー」、この名前のまま番組を再開することができる。これほど僕うれしいことはないです。当時あの番組を聴いていた本当にたくさんのリスナーの人たちとも、また心震わせあいたいし、また世代ではなくね、新しい時代の音楽リスナー、新しい感覚を持った現代の新しい世代の音楽リスナーとも心震わせあいたいなと今そんなふうに思っています。

シュウくん、朝5時までの生放送がんばってください。

・メッセージを聞いた山本シュウの発言
BGM: Someday

佐野元春さんはね、僕何回も会ってるけどね、目の前にいるのに違う空間にいるような人だからね(笑)。本当に音楽宇宙人という感じで、ファンの人たちが聞いたら「なんちゅう表現や」と言われるかもしれませんけどね。ただひじょうに語り口調はクールな感じ、落ち着いた感じするけど、実はメラメラと熱い熱いロック・キッズやからね。このギャップがたまらん。いろんな助言もくれるしね、なんでも。

・約束の橋
リスナーからのリクエスト。1989年のシングルをリミックス、ヴォーカルを録り直して1992年に再リリース。チャート4位を記録した佐野元春最大のヒット。




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NHK-FM40周年の記念番組として「サウンドストリート・アーカイブス」が1ヶ月間オンエアされます。
http://www.nhk.or.jp/my-fm-days/

「NHK青春ラジカセ」に寄せられたテープの中から選りすぐり全20回。
ナビゲーターは萩原健太さんだということです。

■サウンドストリート・アーカイブス
3月3日(火) - 3月28日(土) 20回シリーズ NHK-FM

佐野元春の「元春レイディオ・ショー」は5夜連続放送で今夜からオンエア。
6年間の放送の中から以下のプログラムが再放送となります。

・元春レイディオ・ショー再放送
 3月3日(火) - 3月7日(土)
 AM0:00 - AM1:00

3月3日(火)前0:00~1:00(月曜深夜) 
「ニューヨークから 独立記念日リポート」 1983年7月18日(月)放送分

3月4日(水)前0:00~1:00(火曜深夜)
「ビルボードHOT100特集」 1985年8月5日(月)放送分

3月5日(木)前0:00~1:00(水曜深夜) 
「特集ヒストリー・オブ・ロックンロール」 1987年2月9日(月)放送分 

3月6日(金)前0:00~1:00(木曜深夜) 
「リスナーが選ぶ1985年マイ・ベスト・レコード特集」 1986年1月27日(月)放送分

3月7日(土)前0:00~1:00(金曜深夜)
「最終回 ボーイズ特集」 1987年3月16日(月)放送分

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NHK青春ラジカセ/サウンド・ストリート

2008年11月08日 | 佐野元春 Radio Days

NHKがウェッブで1980年代の人気ラジオ番組「サウンド・ストリート」のストリーミング配信をはじめた。当時の番組からDJのトーク部分だけを無料で公開することにしたそうだ。

■「NHK青春ラジカセ」
http://www.nhk.or.jp/my-fm-days/

昨夜午後8時、まず最初に配信されたのは「サウンド・ストリート DJ 佐野元春」。アルバム『SOMEDAY』リリース時の佐野元春特集だ。

・1982.05.17.OA 佐野元春特集(前編)
・1982.05.24.OA 佐野元春特集(後編)

題して「オール・アバウト佐野元春」特集。たぶんこのときの放送を僕は聴いてるはず。はじめて聴いた「サウンド・ストリート」がこの特集だったような記憶がある。それから毎週、毎週聴くようになり、佐野元春のファンになったのだ。

しかし曲がカットされると番組ってこんなに短いんだ。今回ひとつ残念に思ったのは昨夜が月曜日の夜ではないこと。今度は月曜日の夜に聴くことにしよう。
コメント (2)
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サマー・ロックトークセッション

2008年08月27日 | 佐野元春 Radio Days

■サマー・ロックトークセッション
2008年8月26日(火) NHK-FM PM23:00 - 24:00
DJ: 渋谷陽一
GUEST: 佐野元春
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/10726.html

Playlist
アンジェリーナ('99 mix version) / 佐野元春
君が気高い孤独なら / 佐野元春
黄金色の天使 / 佐野元春
約束の橋(アルバム・ヴァージョン) / 佐野元春
ジュジュ(Studio live mix) / 佐野元春
SOMEDAY / 佐野元春
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■内容の一部を抜粋
・近況
ツアーが終わって自由気ままに生きているそうだ。
音楽活動以外のこともやっていて新聞に読書コラムを書いたという。
(日経新聞水曜夕刊の連載コラム「読書日記」7月の5回は佐野元春が担当した)
立教大学に講義を持ったりもした。
そうしながら次の作品の構想を練る充電期間なのだそうだ。
自由に翼を広げて遊ぶ、いろんな人に会う、それが楽しいと佐野元春。

・アンジェリーナ('99 mix version)
渋谷陽一の選曲。
佐野元春のデビュー曲。今回は『The 20th Anniversary Edition』(2000年)から。

・最新アルバム『COYOTE』
昨年6月に発表したアルバム。
作っていたときから、言いたいことも、サウンドのデザインもフォーカスが合っていて、迷わずできたアルバムなのだという。できてからも広いジェネレーションから聴いてよかったという評価があり、達成感のアルバムだったと佐野元春。
佐野元春というと若いジェネレーションから年上のアーティストだっていうことで、それだけで敬遠されてしまうが、佐野元春が携わっているのはロックンロール音楽なので十代、二十代、三十代の若い世代に聴いてもらいたい。そうなると佐野元春が歌っているというよりかは、コヨーテと呼ばれる男が織りなすひとつの映画の音楽みたいなふうに設定して -映画は監督が60歳でも瑞々しい十代の映画を作ったりするので- そのアプローチで音楽を作ってみたのだという。作ってみて自分のソングライターとしてのスキルがひとつ前進したという実感があり、充実感があり、何よりも自分の実験を含めたアプローチが、これまでのファン、新しいファンに受け入れられたというのは喜びなのだと佐野元春は話す。

・キャッチーなメロディがこのモードでどんどん生まれてきたのはなぜ?
違いがあるとしたならホーボーキングバンドというベテラン・ミュージシャンじゃなくて、自分より10歳年下のドラム、ベース、ギターを集めて、仮のバンドを作ってレコーディングしたので、それがよかったんじゃないかと佐野元春。
彼らは佐野元春の音楽を聴いてきた世代なので、佐野元春のいいところも駄目なところも知ってる。スタジオ入って駄目なことをやると「それ佐野元春らしくない」と言われちゃうのだとか。

・君が気高い孤独なら
「夏の曲としてもいい」と佐野元春。
「君が気高い孤独なら」、Kmi(Ga)-Kedakai-Kodoku(Nara)と"K"で -頭韻(とういん)- 頭で韻を踏んでいるのだとか。

・Spoken Words - 共感伝達としての「言葉」と「音楽」
母校立教大学で約半年間学生たちに教えていた。
文学部の講座で実際学生に詩を書いてもらって、自分でその詩をリーディングしてもらうというクリエイティブ・ライティングを行ったという。
佐野元春自身は学生時代、大学には行ってなかったそうだ(笑)。
でもアカデミー・ワークは大学からずっと続けてほしいと言われてるのだとか。
時間が空いてればこれから先も続けたいと思ってるそうだ。

・そういった経験は自分に返ってくるものがあったか?
「詩」とは何か、「なぜ詩を書くのか」という本質的な問いを投げつけて生徒たちとディスカッションしたことは自分にも役に立ったと佐野元春。彼らの世代意識やどんな音楽に接しているのかもわかったという。

渋谷「授業の後、みんなで飲みに行くとか、そういうふうなことは?」
元春「僕はけじめをつけていたから、そういうのは一切なしです」
渋谷「ははは。やらなさそうだな~(笑)。『僕はこれで帰りますから。それでは、さよなら』って言いそうだな~(笑)」
元春「ははは」

・自分でレーベルを立ち上げてインディーズでやってゆくというのはユニークだが?
これまでのメジャーのレコード会社の役割はもう終わってるのかな、この先同じことをやっていても未来はないかもしれない、レコード会社の形態も'60年代、'70年代とずいぶん変わってきたので、自分で思ってるようなレコード・メーカーを自分でやったほうが楽しいと思ったのが最初だったと佐野元春。

・音楽活動だけじゃなくてビジネスのことも考えてやってゆくのは苦手なんじゃないですか?
自分の作った作品には権利が派生する。それを自分でちゃんと面倒みてゆくのは健全だと思うし、権利を管理してビジネスをはじめるのは当たり前の世界だと思うと佐野元春。こういった考えはインターネットがリリースされてから大きく世界が変わったのだと。

・いつもアーティストとしての在り方の規範となってますね
自分をいつもカウンターの位置に置くことでやる気が出てくるのだと佐野元春は話す。
カウンターにいるとエネルギッシュでいられるし、批評していられるのでロックンロールな感じなんだそうだ。

・黄金色の天使
きれいなメロディでポップ・ミュージックとしてのクオリティーを誇っているナンバーだと渋谷陽一。

・ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
1989年の6月にリリース。今年の6月に限定編集版が初回限定で発売された。

・約束の橋
佐野元春の代表曲だが、一時期ライヴで風変わりなアレンジにして披露していた。
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』のリード・シングルの「約束の橋」はチャート20位のスマッシュ・ヒット。3年後にドラマの主題歌となりチャート4位のヒットとなった。
その3年の間、ヒットしなかったのでハーフ・テンポにして"Woodstock Version"としてやっていた。ファンのことを全然考えてなかったと佐野元春。そうしたらレコード会社から「お願いですからオリジナル・ヴァージョンに戻して下さい。今、ヒットしかけてますから」と言われたそうだ。
「かっこよく言うとクリエイティブでいたいんだ(笑)」と佐野元春。

・DVD
今回の限定編集版には1989年に行われた横浜スタジアムでのライヴ映像が入ってる。
映像を見ると笑ったのは最後だけで、ずっと怒っている。一ヶ月前に天安門事件があったり、新興宗教の台頭があったりして、いろいろな雰囲気を感じていたそうだ。

・ジュジュ(Studio live mix)
今回の限定編集版のDisc 2[RARE TRACKS]から。
このスタジオ・ライヴは1991年春、WOWOW開局記念の番組『Goodbye Cruel World』からで、ハートランドによるアンプラグド・ライヴのパフォーマンス。

・デビュー30周年
アルバム一作にかけるエネルギーは尋常じゃないと佐野元春は話す。
「伸るか反るかみたいな感じ(笑)。おかげでスリリングな人生です」と佐野元春。
再来年、デビュー30周年を迎える。サザンの桑田佳祐とは同級で、今年サザンはデビュー30周年目。アニバーサリー・イヤーはみんなから祝福されるかと思いきや、新しいアルバムを出したり、ベスト盤を出したり、ライヴをやったりして、広く動かなきゃいけないから忙しくて大変なのだと話す。

・今後の予定
デビュー30周年に至るまでライヴ・ツアーを2~3回行いたいそうだ。
アニバーサリー・イヤーはそれなりの規模のコンサートを展開したいし、新しいレコード、自分の過去の作品をまとめたベスト盤のようなもの、書籍とか、イベントと、ファンにこれまでの支援に感謝して楽しみを還元する年にしたいのだという。

・次の作品は?
元春「愛について歌いたいという感じかな。僕の年齢で考えるところもいろいろとあるんで、ポップ・ミュージック、ボップ・ソングの永遠の命題ともいえるでしょ。あえてメロディ、そしてテーマは愛、そうしたところに挑んでもいいのかなって気持ち入ってきてますね。なぜか、なぜか、なぜか。うまくまとまるといいんですけれどね」
渋谷「"時代と呼吸する佐野元春"っていうのを今ちょっと感じましたけれどね」
元春「振り返ってみると、自分が出してきたアルバムはそのときの自分が編集した新聞のようなもの。ちょっとジャーナル専門然としたね。僕もソングライターとして、時代に生きながら言葉を書いて、メロディを紡いでいる。特に僕はその傾向が強いと思っている。なので次に出てくる僕の作品、自分自身でも楽しみですね」

・SOMEDAY
渋谷「佐野元春の代表曲と同時に、日本のポップ・ミュージックのひとつのスタンダード。こういう曲を持ってるというのも幸せだよね」
元春「ファンが価値を発見してくれたんですね」
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BINTANG GARDEN

2008年08月09日 | 佐野元春 Radio Days

■BINTANG GARDEN「GUITAR MAGIC!」
2008年8月8日(金) FM802 PM23:00-24:00
DJ: 尾上さと子
出演: 佐橋佳幸、佐野元春、大橋卓弥
http://funky802.com/service/homepage/index/725

Playlist
1 Frida's Freedom / 佐橋佳幸
2 フィクション / スキマスイッチ
3 月見ヶ丘 / スキマスイッチ
4 僕にはわからない(Don't You Care) / 佐橋佳幸
5 誰も気にしちゃいない / 佐野元春 and The Hobo King Band
6 楽しい時 - Fun Time / 佐野元春
7 Time Passes On / 佐橋佳幸
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・Frida's Freedom
佐橋佳幸のソロ・アルバム『TRUST ME』は1994年リリースの佐橋佳幸唯一のソロ・アルバム。長らく廃盤となっていたが、この度8月6日に最新のデジタル・リマスタリングが施され、『TRUST ME ~Deluxe Edition』としてリイシューされることになった。ボーナス・トラックのほか、スタジオでジョン・ホールと一緒にギターを弾いてる映像がCD-EXTRAで付く。

・佐橋佳幸VS大橋卓弥
「そもそもスキマスイッチを知ったのはね、松(たか子)さんなんですよ。うちの嫁がですね、スキマスイッチがこんなに人気者になる前からファンで(笑)。彼女がCDを持ってたんです。そいで『これだれ?』って言って、頭の中にスキマスイッチの名前をインプットされて、『はぁ~いいなぁ』って言ってたら、『スキマスイッチっていうバンドからレコーディングの依頼がきてますよ』ってマネージャーに言われて(笑)。『あっ、行く行く行く。オレたまたま最近気に入ってたの』って。『あっ知ってんだ』なんか言われて」と佐橋佳幸。

大橋卓弥は以前から聴いてた音楽に何度も出てくる佐橋佳幸という名前に興味を持ってたそうだ。ギターが思ってる通りに弾けないので佐橋佳幸に口でフレーズを説明したら完全に再現してくれたので、楽器というより腕の一部としてギターを弾いているというイメージを抱いたという。

スキマスイッチの音楽性は自分の考えているものと近いと佐橋佳幸。大橋卓弥は佐橋佳幸が参加してきた音楽を聴いて育ったので、その雰囲気と似たものを佐橋佳幸に注文してるだけなんじゃないかと話す。

・フィクション
大橋卓弥がエレキギターを自分で弾いてレコーディングした曲。最初は佐橋佳幸に弾いてもらったんだけれど、佐橋佳幸は歌との相性を考えて大橋卓弥に自分で弾くようにと言ったのだとか。シンガーが自分でギターを弾くと歌との相性がいいのだそうだ。「七不思議」と佐橋佳幸。

・月見ヶ丘
佐橋佳幸と大橋卓弥がアコースティック・ギターで共演した曲。レコーディングは二人で一緒に同じ部屋で向かい合って弾いたのだとか。
「佐橋さんのギターは歌だと思います」と大橋卓弥。
「歌が好きでこの仕事をしているので、デュエットだったり、合唱してるという感じで伴奏ができたらいいなと思ってます」と佐橋佳幸。

・佐橋佳幸VS佐野元春
1976年、佐橋佳幸が中学三年のとき佐野元春と出会ったのだそうだ。あるコンテストに中学生で出場したら入賞したのたけど、その大会で優勝したのが佐野元春だったとか。佐野元春は大学生だった。
元春「よく渋谷なんかでレコードを買ってね、小脇に5、6枚くらい抱えて歩いてると、もう佐橋くんが、中学生ですよ。坊主頭で」
佐橋「坊主頭っていうのは違ったんですよ(笑)。坊主ではなかったんです」
元春「あぁ。それで記憶が(笑)、はまっちゃってるのかもしれないけれど。トントントンって僕の後ろに来てね。『佐野さん、これ何のレコード?』って訊くんだよね」
佐橋「教えてもらったものとかを買って聴くようになるんですけども」
元春「だから中学生にしたら渋かったんだよね、趣味が。ブルースが好きとか。どういう中学生かなと思ってました(笑)」

その後、佐野元春は1980年にデビュー。佐橋佳幸は高校時代にイーグルスのコピーバンド「UGUISS」をやっていて、佐野元春と同じレコード会社からデビュー。解散後は裏方の仕事をするようになったが、その中ではじめてヒットした作品が渡辺美里で、佐野元春と同じレコード会社のセクションだった。

そして佐野元春と佐橋佳幸が再会したのは1988年。当時、佐野元春は自分で「M's Factory Label」を設立して、そこでアーティスト・コンピレーション・アルバムを出したいということで佐橋佳幸に声をかけたのだという。

・僕にはわからない(Don't You Care)
はじめて佐橋佳幸の名前で出した作品。M's Factory Labelの『mf <VARIOUS ARTISTS> Vol.1』に収録。
「あの曲も詞もいいものができたでしょ。あの曲の後半で弾く佐橋くんのギター・サウンド。これがギタリスト佐橋くんの真骨頂」と佐野元春。

・ホーボーキングバンド
1994年のハートランド解散後、佐野元春はしばらくのあいだ活動を停止した。そして新しいアルバム『Fruits』のレコーディング・セッションに佐橋佳幸を呼んだ。佐橋佳幸ははじめてのソロ・アルバム『TRUST ME』を発表したばかりで、クリエイティブな感覚に花が開いてた時期でとても刺激になったという。その後、アルバムのレコーディングのために集まったセッション・メンバーの中から精鋭が新しいバンド「ホーボーキングバンド」になった。

・The Barn
1997年の夏にはホーボーキングバンドのアイデンティティをしっかりと見せたいということから、バンドの共通の関心であるウッドストックへ行ってアルバムをレコーディングすることになった。それがジョン・サイモン・プロデュースの『The Barn』。
佐橋「それこそ中学生の頃、佐野さんが小脇に抱えたレコードの中から教えてもらったレコード、そういうレコードをプロデュースしていた人ですからね」
元春「僕たちの音楽のバックグラウンド、本拠地に行くっていう感じだよね」

レコーディングの現場になったウッドストックでは佐橋佳幸が尊敬するジョン・ホールとかレオ・コッケ、エリック・ワイズバーグやザ・バンドのメンバー、ジョン・セバスチャンが遊びにきたという。
元春「ウッドストックに行って、そうしたオリジナルのミュージシャンたちと一緒にやってると、ロックンロールのながれの中に僕はいるんだという実感があるよね。それは本当に安心する。やっぱりこれでいいんだという安心感がある」

・誰も気にしちゃいない
佐橋「音がよかったですよ」
元春「あたたかい良い音。また山小屋だよね、言ってみれば。音が漏れちゃって。『誰も気にしちゃいない』のレコーディングのとき激しい...雹みたいにのが降ってきて」
佐橋「あぁ~スコールみたいなのがありましたよね」
元春「急にレコーディングしているとき降ってきて、屋根とか戸がバシバシいってね。自分で歌ってて聞こえるんですよ。だからレコーディングしていて聞こえるってことはこの音マイクに入ってるよね」
佐橋「そうそうそう。入ってる(笑)」
元春「だからね、僕のヴォーカル・トラックを少し上げるとね、雹がドアにあたってる音が入ってる」
佐橋「入ってるの(笑)」

元春「正に『The Barn』こそがホーボーキングバンドとしての最初のアルバム」
佐橋「初めの一歩だったかもしれないですね」
元春「本当の意味でバンド・サウンドのレコーディングを追及してきた。これがホーボーキングバンドだよね」

・楽しい時 - Fun Time
佐野元春はバンドの中でギター・ソロを弾きたいのだそうだ。佐橋佳幸はもちろん上手いし、Dr.kyOnもギターが上手い。二人がいると出る幕がないという。
佐橋「シンガー・ソングライターの人が弾くギターって絶対僕らみたいなセッションマンには真似ができないって思うんです」
元春「あぁ、そうかな」
佐橋「例えばジェームス・テイラー然り、ボブ・ディラン然り、スプリングスティーン然り。シンガー・ソングライターの人が弾いてるギターってものすごく味わい深いし、その曲の骨子を示してるんですよね。だから、これからシンガー・ソングライターでやろう、またはギタリストになりたいなぁって人は、そういう人たちのレコード、CDを聴いて、そこに耳を澄ましてみると、その音楽の大事なことが全部つまってますよ」
元春「もちろんテクニックを磨くことも大事なんだけれども、その前に音楽であるということも大事だよね」
佐橋「そう。僕の言いたかったことを今、佐野さんがわかりやすく言っていただいたけど(笑)、そういうことです」
元春「シンガーと一緒にやるんであれば、そのシンガーの気持ちに立ったギター、融合するとか、セッションするとか。とにかくバンドの楽しさをこれからバンドをやる人、ギターをやる人たくさんいると思うけれど、楽しさを追及してほしいですね」
佐橋「そうですね、はい」

・Time Passes On
1994年にリリースされました私のはじめての、そして唯一のソロ・アルバム『TRUST ME』が8月6日に再発ということでですね、このアルバムはエクゼクティブ・プロデューサーとして山下達郎さん、タツローさんに面倒を見ていただいてですね、当時リリースしたものなんですけども。山下達郎さん立ち会いのもとリマスタリング。これずいぶん音が良くなりました。収録されなかったギターのインストが入っていたり、それから僕の心の師と仰ぐオーリアンズのジョン・ホールさんと共演したとき、オーリアンズの『Let There Be Music』というアルバムの中に収録された「Time Passes On」という僕が大好きだった曲と、それと僕の作った「Little Crimes」の2曲にジョン・ホールさんが参加していただんたんですけれど。そのときの模様をですね、運動会のお父さんよろしく、タツローさんが8ミリでまわしてたんですね。で、そのセッションの模様をタツローさんが自分で編集を施して下さいまして(笑)。何でも自分でやっちゃいますから。収録されております。それからタツローさんと対談をしまして、その模様がブックレットとして追加収録されております。『TRUST ME ~Deluxe Edition』お聴きねがえればと思います、と佐橋佳幸。
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RADIO SESSIONS

2008年08月02日 | 佐野元春 Radio Days

■RADIO SESSIONS SPECIAL VERSION「佐野元春とナポレオンフィッシュを聴く日」
2008年7月31日(木) FM OSAKA AM 4:00-4:55
DJ: 守乃ブナ
GUEST: 佐野元春
http://www2.jfn.co.jp/sessions/sp/index.html

Playlist
M1.ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 / 佐野元春
M2.新しい航海(The Heartland demo version) / 佐野元春
M3.愛のシステム(The Heartland demo version) / 佐野元春
M4.ブルーの見解 / 佐野元春
M5.枚挙に暇がない(Unreleased) / 佐野元春
M6.約束の橋 / 佐野元春
M7.雪-あぁ世界は美しい / 佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・ブナ
元春「あれ?名前変えたんだっけ?」
ブナ「そうなんですよ。去年変えたんですけども、もうずっと長いことね、鈴木万由香(すずきまゆこ)として活動していたんですけども、あるときフッと新しいことがやりたいな、じゃあいっその事名前も変えちゃおうかなって思って(笑)」
元春「新しい名前は?」
ブナ「守乃(もりの)ブナです」
元春「エコロジカルだね」
ブナ「う~ん...なんでしょうかね」
元春「うん。いい感じだよ」
ブナ「エヘへ。あの、佐野さんね、もう長いこと一緒にお仕事させていただいて、どうしても鈴木万由香に慣れてると思うんですけど、ちょっと.....」
元春「僕はなんて呼べばいいんだっけ?」
ブナ「ブナで(笑)」
元春「ブナさん?オーケー」
ブナ「ちょっと呼びにくいかもしれないですけど、新しい私もよろしくお願いいたします」
元春「はい。よろしくお願いします」

・ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
1989年の6月にリリース。チャート最高位2位。現代詩とロックンロールを高いレベルで融合させた'80年代の佐野元春の最高傑作と言われている。
元春「確かに曲の中で言葉の占める割合は僕の中で大きいですね。言葉の響きのおもしろさもあり、言葉の発する意味もそれなりにある。そしてそれがロックンロール音楽のフォーマットに機能しているというかね。そういう音楽を作りたかったというのが、当時の僕のトライアルでしたね。僕のキャリアの中でもこの『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』というアルバムは喜怒哀楽で言うと、どっちかっていうと、ちょっと"怒り"、"Angry"の気持ちがよく表れていますね。このアルバムの説明を少しさせてもらいたいんだけれども、これはUKのミュージシャンたちと一緒に作ったんです」
ブナ「ロンドンで」
元春「そう。それまで僕はザ・ハートランドという日本に素晴らしいバンドを持ってたんだけれども、その彼らとのセッションを一旦中断して、僕はイギリスに行って当時のパブロックのミュージシャンたちと一緒にセッションしてみたいと思って、その中にはエルヴィス・コステロのサポート・バンドであるアトラクションズというバンドがいたんだけれども、そこのバンドのピート・トーマスというドラム、それからブリンズレー・シュウォルツというギタリスト、まぁ僕より年上でしたけれどもね。彼らに集まってもらって、確かな腕を持ってるミュージシャンでね、そうした彼らの力を借りて純粋な日本語によるロックンロール・アルバムを作ってみたいという、そういう気持ちがあったんですね」
ブナ「あの、パブロックというとパンクとはまたちょっと違うけれども、やっぱりメインストリームからはずれてるような、何かエッジのある音楽ですよね」
元春「うん。特にアメリカでいうとザ・バンドとかザ・バーズとかああいうバンドに影響された英国のミュージシャンたちと言えるかもしれないね」
ブナ「それがまた日本語とコラボレートしていくというのは、ものすごい試みだなって思うんですけれどね」
元春「あの、僕はイギリスのロックンロールは少しストレートじゃないというか、シニカルなところがあったり、少しねじ曲がったところがあったりして、そういうアルバムを作ってみたいなぁと思っていて、まぁ僕の大好きなロックンロール音楽、それからもうひとつ僕の大好きなポエトリーだよね、詩の表現、それを僕の中でうまく融合させたいという気持ちはあった。それまでのメインストリームの日本の音楽だとやっぱり、歌謡曲の詞であったり、僕の感じるポエトリーはあんまりなかった。なので新しいロックンロール音楽を作りたい、まぁ、当時30代前半ですから、かなりいきがってるところもありましたね。ごきげんなものを作ってやるぜみたいな、そういう感じだったと思う」

・枚挙に暇がない
ブナ「(限定編集版の制作過程で)中には自分でも忘れていたようなことの発見ってありました?」
元春「あった」
ブナ「えっ、例えばそれは何だったんですか?」
元春「枚挙に暇がない」
ブナ「忘れてたんですか? あんなインパクトのある曲(笑)」
元春「この曲なんだっけみたいな(笑)。正式なレコーディング・セッションの合間にふざけて録ってたんです、僕たち。バンド、ミュージシャンたち集めてね。それで当時ヨーロッパではスカとかレゲエが流行ってましたから、スカのグルーヴで一発いこうぜって、それでみんな歌いたがってたんです、イギリスのミュージシャンたち、セッション・メンバーが。でも日本語はどうかなと思って、まぁ英語圏の彼らでも発音して楽しい言葉は何かなぁって探して、『マイキョッ!』ってどうかなぁって思って。スカのビートで僕がリードを歌って、みんなでコーラスで『マイキョッ!』ってやったら楽しんじゃないかなぁっと思ってね。リリックはちょっと皮肉っぽくって、厳しい詞ではあるんだけれど。でも、みんな1週間くらい言ってましたね。『マイキョッ!』とか言って」
ブナ「あの私のレギュラー番組で、『枚挙に暇がない』をかけたんですよ。そのときに楽しくなっちゃって、それでね、こんな言葉を詞に乗せる人はなかなかいないだろうしね、『マイキョッ! マイキョッ!』と叫ばれても、私はどうしたらいいのかわからないって話をしたんです」
元春「そうだね。それがロックンロールの魅力だし、楽しくなるんだよね。そこでどんなにヘヴィーなことが歌われていてもごきげんなグルーヴやそのメロディ、雰囲気によって表情を変えられるというのが面白いんだよね」

・新しい航海(The Heartland demo version)
元春「"7月のタンジェリング・ドリーム"というところをオリジナルでは"今までの夢は幻"って言い換えてるんですよね。"タンジェンリング・ドリーム"というイメージと"今までの夢は幻"、その繋がりは自分でもよくわからないだけれども、でも何か日本語に言い換えるということを『ナポレオンフィッシュ』を制作しているときはよくトライしてましたね」
ブナ「最初に佐野さんが"タンジェンリング・ドリーム"という言葉を詩に書いたときに何かイメージがあったんですか?」
元春「いくつかの滲んだ色が虹のようにね、空に広がってる夢。その夢は儚くてせつない夢、束の間の夢といったようなね、だからそれが例えば"今までの夢は幻"といったような"束の間の夢は幻"といったようなそういう日本語に繋がっていったのかなと思うんですけれども。僕の中では理由があるし、全く無関係な思いではないんだよね。今聴いてもらったこの曲を演奏してくれたザ・ハートランド。本当にね、音楽兄弟のような仲間たち。僕たち10代から一緒に演奏してきましたからね、16年間の思い出がいっぱいつまっていて、今聴くと彼らの技量をなくしてはね、このトラックはなかったし、今思い出して彼らの僕の音楽への貢献にすごく感謝している。すごく感謝している」
ブナ「そのハートランドがいながらロンドンでレコーディングするというときに後ろ髪が引かれるような思いはなかったですか?」
元春「多少はあったけれども、いつも僕はハートランドには正直にいて、常にクリエイティブなピークを作ってきたけれども、同じ仲間で同じことをやっていても次のピークは作れない。だから僕がニューヨークやロンドンに行ったりして、新しいコンセプトとサウンドを持ち帰ってくるので、それをもとに次の新しいピークをみんなで一緒に作ろう、そういう風に言って、だからみんな待っててくれた。ニューヨークに行ったとき1年間待っててくれたし、この『ナポレオンフィッシュ』のときは半年間僕はロンドンに行ってましたから、半年間みんな待っててくれた。ザ・ハートランドは今振り返ってみても、音楽兄弟、僕たち兄弟みたいな感じだった。僕が長男でね、みんなが次男みたいな(笑)。創作の面ではすごくバランスが取れていたし、仲が良かった。一度もけんかがなかった」
ブナ「何か印象に残ってることはありますか?」
元春「う~ん、ツアー先でのいろいろないたずら。これは数々ありますよね。あの公共の放送では言うべきものではないです」
ブナ「そころへんがみなさんきっといちばん訊きたいところかもしれないですけれど(笑)」
元春「えっと次の曲」
ブナ「うまいな(笑)」
元春「ははは」

・愛のシステム(The Heartland demo version)
元春「ロックンロール音楽、ただがさつなだけじゃなくてね。そこにエレガントな何かがあるとそれはより魅力的だと思いますね。特にUKのロックンロールを聴いてみると、ただがさつなだけじゃなくて、そこに何か美しさを感じたりするものがよくある。なので僕がロンドン・レコーディングをしたというのは、それを何か求めていた節もあるよね」
ブナ「この限定編集版を聴いてると国と国との違いとかいろんな面白いものが見えてきますね」
元春「そうなんだよね。海外レコーディングすると向こうの文化に僕が分け入ってコラボレーションするわけですから、『日本人の僕って何?』とかそういう問いが常にある中で制作が進行してゆく。だからすごく面白い」

・DVD
ブナ「今回は1989年に行われた横浜スタジアムでのライヴ映像が入ってるんですけれども、これがまたすごいですよ(笑)。ふふふふ」
元春「ねぇ~。スタッフがこれ見つけて見て下さいと見たときには僕も驚きましたね。まずこの映像が残っていたのかということだよね。当時、横浜スタジアムなんで後ろのオーディエンスによく見えるようにと、上(手)下(手)にプロジェクターを置いてリアルタイムに映し出すでしょう? その映像が残っていた」
ブナ「あっ、それ用だったんですか? じゃあ後にセルビデオにしようとかそういうことじゃなくて.....」
元春「全くそういうことじゃなくて。だから音も映像もリアルタイムでスイッチングでやったものとしてはすごく完成度が高い。当時のムービー・キャメラマンがいかに僕の動きをきちんと捉えてくれていたか。音についてもね、いかに僕の音楽を理解してくれていたかって。見たときに真っ先に思ったのは当時の技術者のその技術の高さですよね。そこに感謝した。これを何よりもファンに還元できる、この喜びはこの上ないですね」

・イギリスでのレコーディング風景
ブナ「『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』にはUKのサウンドが刻まれているのがすごく楽しい」
元春「そうですよね。このレコーディング・セッションを組むにあたって僕のほうから"一緒にやりたい"とFAXしてね。コリン・フェアリーというレコーディング・プロデューサーにコンタクトを取って、で彼がそうしたミュージシャンたちをオーガナイズしてくれたんだけどね。そのコリン・フェアリーというプロデューサーの果たした役割もこのレコーディング・セッションではとてもに大きいものがありましたね。彼はスコットランド人でレコーディングしているときいつもウイスキーを飲んでいる」
ブナ「スコッチ?」
元春「うん、スコッチの。いつも半分酔っぱらいながらね、端で見ていて大丈夫かなって.....」
ブナ「ディーン・マーティンみたい(笑)」
元春「そうそう。ごきげんな人なんだけれどね。仕事はすごく楽しかった。で彼がミュージシャンたちを揃えてくれた。で成立したプロジェクトだね。すごくやりやすかった。海外でレコーディングするときは僕は思いきって住んじゃうんですね。だからこのセッションのときでも街中にフラットを借りて、約半年間、自分で自炊しながら、そこで詩を書き曲を書いて、そこからレコーディング・スタジオに通う。休みの日はマーケットに行ったりとか、近所の人たちとお話をしたりとか。そういう現地の空気に馴染んだ中で創作してゆく。すごく楽しい」
ブナ「アメリカに住んでたときとロンドンでは勝手が違いますか?」
元春「文化が違うし、人が違うよね。ニューヨークの場合、特にマンハッタンだから仕事していてもみんなが『オレが、オレが』と自己主張が強くて、とにかくごつんこが多かったんだけれど、ロンドンのプロジェクトはなぜかみんな、英語で言うと[MODEST]な感じ、控えめな感じ。なんかね"After you"みたいな、日本人とちょっと似ているところがある」
ブナ「謙虚を重んじる」
元春「うん、謙虚なんです。あっ、でもね、イギリス人ってMODESTなんだけれど、けっこうエキセントリックであったりするね。陰で噂話をしたりとかね」
ブナ「建前と本音が激しいというのもありますよね」
元春「そうだね。ユーモアもすごく厳しかったりするし」
ブナ「そうやってミュージシャンとのセッションも英語でするんですか?」
元春「そうです。リリックは日本語なのでどこまで伝えようかなというのが、いつも悩みなんだけれども。あんまり伝えすぎず、なぜならばそこにメロディがあり、僕の歌があり、歌の中にも感情が入ってるからね。なので詞は半分くらいこんなこと歌ってるよとセッションの前に話して、みんなもフンフンと聞いてくれて演奏してくれる。そんな風にして進めました。このアルバムの中で『ブルーの見解』って曲があって、これは内容的にはちょっとした皮肉の曲なんですよね。つまり"僕の音楽のこと、僕のことを知ってるって君は言うけれど、どれくらい知ってると言うんだよ、僕は君からはみだしてるよ"ってそういうちょっとした皮肉を歌にしたんだけれどね。これをどう外国人にお話しようかなって。それでちょうどディランのようなトーキング・ブルースみたいな感じで僕は歌いはじめて、みんなまあまあセッションついてきてくれたけれど、なんかね感じが違うんだよね。なんかね、みんな楽しげに演奏してる。僕は皮肉言ってるのにヴァッキングが楽しいとなんか変なんだよね(笑)。これはやっぱり詞の解説が必要だろうって思って、演奏を止めて、[お喋りなヤツ - You talk too much]っていう、そういう歌なんだよと言ったら、みんな"あぁ~"って言って(笑)。それでわかっちゃう。それで演奏するとピタッとフォーカスがあったね。おまえ、ちょっとお喋りなんじゃないっていうようなね、そういう皮肉が感じられる演奏になるんだよね。おもしろい」

・ブルーの見解
元春「日本語がまるでわかってるかのように演奏に緩急がついてるでしょ。やはりミュージシャンというのは言葉のひとつひとつをきちんと聞いてるというよりかはシンガーの感情に沿って演奏してるんだなってわかりますよね。それは日本人であろうが文化の違う人と一緒にやろうがその感覚は同じなんだということがわかりました」
ブナ「外国語というのは佐野さんにとってどういうものなんですか?」
元春「単純に言って英語のほうが3分間に言える情報量が多いんですよね。同じ3分間でも日本語で言える情報はすごく限られている」
ブナ「例えばT-Rexが"Get it on"って言ったらどういう意味でも捉えられるし、なんかそのグローヴァルな感じというのがすごくうらやましいんですよ」
元春「ロックンローラーはみんなそれを知っている。"Get it on, Get it on"って歌ったら、"あぁOK"みたいな、みんな巻き込んじゃうみたいな。何が"Get it on"かわかんないけれど(笑)。楽しいよって。それなんだよ、ロックンロールのビートの中でいかに"Get it on"というフレーズが生きているかというところなんですよね。だから僕もロックンロール音楽を書いていて言葉の意味というのはもちろん大切なんだけれど、同時に言葉の響き、みんなどんな風な気持ちになるかっていうことを想定して、詩を言葉を選ぶことがありますね」

・約束の橋
1989年というとバブル経済の時代、世界では天安門事件、東西ヴェルリンの壁が崩壊するとか、国内では昭和天皇の崩御で昭和から平成に変わるという大きな時代の転換点だった。
国内の音楽シーンはというと、ほとんどの楽曲がコマーシャルとタイアップして大ヒットしたりしていた。お金のにおいがする音楽ばかりが巷に広まっていた。佐野元春のところにもレコード会社から「ヒット・ソングを書いてくれ。佐野くんだったら書けるだろ」とか「シングル・ヒットほしいね」、「テレビの音楽番組に出てよ」という依頼が引きも切らずあったのだという。しかしレコードを作って、ライヴをやるだけで1年間たいへんだった、と佐野元春は話す。
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』のリード・シングルの「約束の橋」はチャート20位のスマッシュ・ヒット。3年後にドラマの主題歌となりチャート4位のヒットとなった。

元春「ヒットというのは、そうだなティンカーベルがやってきて金の粉を」
ブナ「プラプラって」
元春「やるようなもんだなと思っている」
ブナ「かわいい(笑)」
コメント (4)
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Super J-Hits Radio

2008年02月05日 | 佐野元春 Radio Days

■Super J-Hits Radio
2008年2月3日(日) FM802 19:00-21:55
DJ:加藤美樹
GUEST:佐野元春
http://funky802.com/sjr/index.php

21時代に佐野元春がゲスト出演しました。一部、TOUR 2008 "Sweet Soul, Blue Beat"のネタばれになっておりますので、まだライヴに行かれてない方は、各自の判断と責任において、読むあるいは読まないの選択をして下さるよう、よろしくお願いいたします。

・Spoken Words - 共感伝達としての「言葉」と「音楽」
元春「昨年6月に新しいアルバム『COYOTE』を出して番組にも来ましたけれどもね。その後、普通だったら『COYOTE』のツアーがはじまるんですけれども、すぐにツアーに出られなかったんですね。というのは僕、母校が立教大学なんですけれどもね、その立教大学で講座を持ってみないかというオファーがあって、内容は[言葉と音楽]ですね。ソングライティングとか、それからポエトリー・リーディングとか、僕の考えを新しいジェネレーションの彼らにぶつけてみないかというお誘いがあって、僕もちょうどそういうことをやってみたいと思っていたときなんでね、お引き受けして約半年間立教大学で学生たちに教えていたんです」
かとみき「ちょっと聞きたーいと思ってたんですけれども。どーいうことになるのかなと」
元春「全部で12回。前半は僕の詩に関するレクチャーですよね。もともと文学部の講座なんでクリエイティブ・ライティングのコースということで、後半は実際彼らに詩を書いてもらって、自分でその詩をリーディングしてもらうという、そういう実践もやりました。でもね、びっくりしたのは、みんな自分で書いた詩を、自分で誰かに読んで聞かせるという経験がほとんどなかったんですよね。詩というのはなんか難しいもので、自分の恥ずかしい内面をさらけ出すものであり、そんな人にも見せられないみたいな、そんなものとして詩を捉えている学生が多いことに、僕は愕然として。それはそうかもしれないけれども、詩というのは書いたら自分の声を使って、[身体表現]なんて言い方を僕はしてたんですけれどもね、自分の身体表現で誰かに読んで聞かせて、その先に共感を取り付けてゆく、そういう日常の中で役に立つ道具のようなものとして、詩を書いてみないかってことを彼らに提案して、その先にメロディーが聞こえてきたり、リズムが聞こえてきたりしたら、それが自然に歌となってゆくんじゃないかっていうお話をしてたんです」
かとみき「大学生の今使う言葉ということで、佐野さんにも新しい発見があったりするのかなって...」
元春「えっとね、最初僕がクラスに入って行ったとき、[あっ、佐野元春だ!]って感じで、クラスがすごいざわついて、でも、そういうのこれから12回やるのに面倒だなって思ったんで、一線ピシッと引かせてもらって、[佐野元春]という感じでなくやったんです。なんかうまく説明できないんだけれど(苦笑)、でも学生たちもその意図がだんだんわかってくれて...」
かとみき「あっ、ご自身からまず外して、その空気は伝わっているんですね。ふうん」
元春「そうそう。最後は本当に仲間っていうような連帯感が出てきたんで、よかったなぁっと思って」
かとみき「そういうところから学ぶ言葉だったり、言葉の大切さだったり。詩を朗読するというのは間もあったりしますよね」
元春「そうそう。そうなんですよ。激しい調子の内容の詩、攻撃的な詩も、例えば言い方によって、喋り方によって、相手への伝わり方っていうのは変わってくるんですよね。激しい内容をソフトに言って、逆にソフトな内容を激しく言ったりすると、言葉の意味が変わって伝わっていく。そこがおもしろいですね」
かとみき「女性とかはギャルな言葉とか使ったりしないんですか? ふふふ(笑)」
元春「そう(笑)... 日常では彼ら使ってるんだろうけれども、クラスではギャルの言葉は飛び交ってなかったですね(笑)」
かとみき「詩に出てくることもなく?」
元春「割としっかりとした詩を書いてましたよ。ちょっとびっくりしました。あっ、すごい良い詩書くなって、ちょっと見くびってました。ごめんなさい。はい」
かとみき「その講義の内容が何かの形になって私たちにも届かないかななんて思ってしまうんですけれども、これはならないんですよね、今のところはね」
元春「そうですね。やっぱりアカデミーという、あるいい意味で閉ざされた場の中での追及なので、今のところ公開にするつもりはないです」

・TOUR 2008 "Sweet Soul, Blue Beat"
かとみき「いまどんな感じですか?」
佐野元春「いま、大学の先生からロックンローラーにスイッチ入れ替えたばかり、カチッってね(笑)。極端だよね~。だからストラト抱えてウェへヘイって言いながらステージ立って、うれしいとよだれ出ちゃう、そんな感じでやってます(笑)」

・君が気高い孤独なら - Sweet Soul, Blue Beat
かとみき「さすがにこれはやってくれるんじゃないかなという気が...」
元春「なんてたってツアー・タイトルですからね。ツアー・タイトルの副題ですからね」
かとみき「この"Sweet Soul, Blue Beat"という言葉は佐野さんの中にもともとある言葉なのかなと思ってしまいますが」
元春「そうだね。温かい魂と冷静な知性というかね、"Sweet Soul, Blue Beat"、そんな感じかな」
かとみき「この曲は若手のミュージシャンとの演奏となっておりますけれども...」
元春「うん、まぁね、僕、彼らのこと若手と思ってない。というのはね、確かにね、年齢でいうと十歳くらい違うんだけれども、聴いてきた音楽もかなり似通ってたりするんですよ。だから音楽仲間って言う感じ。で、僕ら創作の現場ではどれだけご機嫌にアイディアを交換して、ご機嫌にスパークできるかっていうふうなことに重点が置かれるんで、誰が先輩で誰が後輩とか年齢はほとんど意味がない、関係がなくなる。だからそうした意味で『COYOTE』っていうアルバムは彼らが多感な頃に僕の音楽を聴いていたその世代が4人集まってくれたけどね。おもしろかったのは彼らのほうが佐野元春をよく知ってるんだなぁーってこと。だから僕がレコーディング・スタジオで[ここをこういうふうにして、こうやりたいんだけど]って言うと誰かが[うーん、あんまり佐野元春らしくないですね]とか言われちゃう(笑)。けっこう僕もね、そういうアドバイスをね、[あぁ、そうか]とか言ってね、聞き入れて、そんなふうにして楽しく作ったんですね」
かとみき「ふ~ん。彼らが見てきた佐野元春、感じてきた佐野元春を、改めて佐野さん自身も知ることができたんですよね」
元春「そうなんですよ。おもしろかった」

・ホーボーキングバンド
かとみき「でも今回はザ・ホーボーキングバンドでのこの曲の演奏が聴ける。そちらもまた楽しみだなと思うんですけどね」
元春「もうバンド、手ぐすね引いて待ってましたね、ツアーがはじまるのを」
かとみき「うふふふ。カウントダウンの年末のライヴもほぼボーボーキングバンドと一緒にやってらっしゃいましたけれども、全員揃ってのツアーとしましては久しぶりになりますものね」
元春「そうなんです。2年半ぐらいだと思います。ホーボーキングバンドのコンプリート・メンバーでしょ。それにTTシスターズね。それから今回のツアーからパーカッション・プレイヤーをひとり、あの仲間が増えて」
かとみき「ひとり加わるだけでもだいぶ華やかになるでしょ?」
元春「スパムくん、二人分あるからね、幅が。ラジオ聞いてらっしゃる方は何を言ってるか全然わからないと思うんですが(笑)」
かとみき「大きい方なんですよね(笑)。でもね、すごい優しい方なんですけれどね、けっこうね、幅のある方ですよね。人としても大きな方だという印象がありますけれども。そんなメンバーでのツアーになります」

・大阪フェスティバルホール
かとみき「大阪のオーディエンスとほかの地域って違いがあったりするんですか?」
元春「今回僕が感じてるのは、これまで大阪の街で公演ということであれば、やはり僕の場合は大阪フェスティバルホールですよね。そのホールが建て替えということでしばらく舞台に立てない。ということは今年が最後のフェスに立つ公演なのだな、というそういう風に思うとね、何かちょっと期するものがありますね」
かとみき「そうですね。フェスティバルホール、今年でとりあえず閉館、また作り直すということになるんですけれども。あの音は特別のようですね」
元春「そうなんだよ。ホールというのは僕たちミュージシャンを育ててくれる場所ですからね。二十数年間、この街に来て僕はフェスの舞台に立って、本当に多くのことを教えられましたしね。正に大阪においてはフェスが僕を育ててくれたという思いが強い。数々のまた名場面がありましたからね。フェスではね」
かとみき「はあ。まずいちばん浮かぶのは?」
元春「オノヨーコさん、ショーン・レノン、あのふたりがツアーに参加して、大阪のフェスで一緒に歌ったことですね。ディランの曲を一緒に歌った。[天国の扉]ですよね。そのときヨーコさんとデュエットした[エイジアン・フラワーズ]という僕が作った曲を一緒に共演できたこと。それから『THE BARN』というアルバムをリリースした後は、ザ・バンドのメンバーのひとりガース・ハドソン、それからプロデューサーのジョン・サイモン、このふたりがやっぱり大阪フェス来てくれて素晴らしいプレイを僕たちと一緒にやってくれた。あれも思い出深いですね。ジョン・サイモンは阪神タイガースの帽子をかぶって出てきましたけれどね。はい」
かとみき「あははは。もうお茶目な方ですね(笑)」
元春「ええ」
かとみき「そうやって次から次へと思い出って出てくるものなんですね。フェスティバルホールがどんな形になるのかも楽しみなんですが、佐野さんにとっての、この形でのフェスティバルホールのラスト・フェスになりますけれども、ひじょうに楽しみにしております」

・ライヴ
かとみき「THE SUNの大阪フェスのとき、佐野さんおっしゃったんですよ。[30代、40代はたいへんな時だからがんばって。僕もがんばる]って(笑)。その言葉がすごーく優しくて力強かったんですけれども」
元春「僕の音楽を'80年代多感な頃に聴いてた世代であれば、もちろん今社会に生きている男性女性としてですね... 最近インターネットが発達してるので、そうした世代の方たちからもよくメールをもらったりするんですよ。大変な時代にみんな悪戦苦闘してがんばって生きてるなぁというのが実感としてわかりますね。特にステージに立つとそれがねわかるんですよ、僕は。はい」
かとみき「ステージに立って自然に言葉が出てきたりするものなんでしょうね」
元春「ステージに立つでしょ。そうするとレパートリーが何曲もあるんだけれども、そのうちその中からどんな曲を歌ったらいいのか、なんとなくわかってくるんですよね。だからツアー出てから少しセットリストが変わったりすることもよくあります」
かとみき「今、ツアーははじまったばかりですけれども、徐々にまた変わって行ったりするわけですね」
元春「そうですね、はい。テーマとして[再会]、それから[新しい出会い]というのもあるので、[再会]ということでいうと、しばらく僕のライヴに8年、9年来てなかった、でも今回自分の自由な時間ができたから行ってみようかなっていう女性もいると思うんですよね。これまではたぶん子どものためにとか家族のために時間を割いてきた彼女たちも、ようやく自分の時間がまた持てるような、そういう世代の人たちがまた多く今回のツアーに戻ってきてくれてるんですね。前回のツアーくらいからだんだんそんな感じ僕は受けている。だからそうした彼らと再会したときに、彼女たち彼らが喜んでくれる曲を用意している、そんな感じ」
かとみき「佐野さんご自身が忘れられないライヴというのはありますか?」
元春「うん。大阪においては、いちばん最初に僕がこの街でやったときは、バーボンハウスというライヴハウスがあって、そこで三日間連続でやった。まだデビューして間もない頃。うん。一日目はもう3人、二日目が12人くらい。でも三日目にはなぜか満員になって、前のほうに女の子たちがきゃあきゃあ言ってくれて、どうしたんだろうねっていう感じ。それがね、いちばん最初なんですよ。プロモーターの人が一生懸命宣伝してくれたのかもしれない」
かとみき「でも一日目から三日目までで満員になるというのはご自身もびっくりですね」
元春「びっくりしたし、はじめてだったんですよ。そのローカルで演奏し... それまで東京でしか演奏したことがなかったんでね。だからもううれしくてね、あっ、これでなんかやっていけそうだなって、ちょっとこう思った。それが大阪の最初のライヴでした」
かとみき「女の子が前にいてきゃあきゃあ言うのは、ちょっとうれしかったんじゃないですか?」
元春「いや、すごくうれしかったです、はい」
かとみき「うふふふ。でも、どちらかというと今でも女性もすごく多いですけれども、男の人の声も多いですからね」
元春「僕のファンはそうですね、大体半分半分くらいじゃないかな。だから次のライヴも男性に負けないくらい女性も、また女性に負けないくらい男性も声援欲しいな(笑)。はい」
かとみき「黄色い声出してもだいじょうぶ?(笑)」
元春「もちろんです。今回のライヴはね、パーティーですから」
かとみき「いろんなライヴがあったと思いますけれども、生なのでライヴというのは。ハプニングもあったかなと思うんですが。あちゃーみたいなハプニングとかあります?」
元春「思い出したくもないようなものもたくさんありますからね(笑)。ある曲イントロがはじまって、さあ歌いだすぞというときにどーしても一行目が出てこない。もう何回となく歌ってきてる曲なのになぜかその夜出てこないですよ。何気なくバンドのメンバーに、ちょっと一行目なんだっけって聞いても、みんな首を横に振ってるしね。全く埒あかなくって。そのまま1,2,3,4でジャーンと終わったときがあります」
かとみき「えっ!? いきなり? うふふふ(笑)」
元春「ええ。だからファンからしたら、なんか短いインストだねみたいな(笑)。それもあんまり有名な曲のイントロじゃなくて、よく僕はステージでアレンジ変えたりしますから...」
かとみき「気がつかないうちに...」
元春「お客さんのほうを見たら、みんなお客さんの頭の上にちっちゃなクエスチョンマークがいっぱい出てたのが見えました」
かとみき「あははは(笑)。そのまま次の曲に行く感じですか? 何も喋らずに?」
元春「元気に次の曲に歌い始めました(笑)」
かとみき「ちょっとかわいい佐野さんですけれどもね。ツアーの最中にメンバーとのハプニングなんかあったりするんですか?」
元春「ホーボーキングバンドのメンバーはひとりひとりミュージシャンとしてもすごいんですけれど、人間としても面白い人たちが集まっているんですよね。だから毎回毎回何かしら面白い話があります。はい」
かとみき「ホーボーキングバンドとも10年ですからね。みんな変わってきました?」
元春「うーん... 変わってないね」
かとみき「今、ニヤッとしながら[かわってないな]、全員の顔を思い浮かべた感じでしたね」
元春「彼らも本当にプロデューサーとして新進ミュージシャンを育てたりする立場になってきたけれどね。ホーボーキングバンドにみんな帰ってくると、なんか自分ちの庭みたいな、もう傍若無人許されるみたいなね、そんな感じでいるんじゃないかな。でも、そのなんかゆるい感じが僕は好きです」
かとみき「いつもはね、人のアレンジをしたり、プロデュースをしたり、そして誰かのサポートでもまとめる役だったりする人たちですからね」
元春「そう責任のある仕事をしているから。でもホーボーキングバンドに来ると責任者僕なんでみんな気楽に(笑)」
かとみき「いちばんやんちゃができる場所なんですね(笑)。わがまま言ったりしないですか?」
元春「すごいわがままですね、みんな。何気なく」
かとみき「ちなみにいちばんわがままなのは」
元春「佐橋くん?(笑)」
かとみき「あははは(笑)。あっ、そうですか。どんなわがままをおっしゃるんでしょう?」
元春「ははは(笑)。そうわがままじゃないですけどね。いちばん、こう...僕から見てたら弟っぽい感じ」
かとみき「弟っぽい感じ。いちばんかわいい感じ? みんな、かわいいでしょうけれどもね」
元春「kyOnは同級生って感じ。うん。実際一歳くらいしか年離れてない。kyOnとは同じ景色を見てきた同級生って感じだね。はい」
かとみき「ふんふん。拓夫さんは?」
元春「彼はなんか僕から見ればプロフェッサーみたいな... すごい理論的で、プレイも素晴らしいしね。うーん、すごいクールで冷静なミュージシャンって感じかな」
かとみき「ふうん、やっぱりでも仲間ですよね。佐野さんご自身も一緒にいると楽しいんでしょうね」
元春「うん。ホーボーキングバンドともう十年以上ですからね。なんかライヴ盤も出してみたいなという思いもあるし、これからも僕らのミュージシャンとしての絆というのはずっと続いて行くと思います」
かとみき「はい。その絆の音を楽しみにしております」

・メッセージ
かとみき「親子でいらっしゃる方も多いのかなと思いますので、そんなみんなにメッセージを最後にいただけますか?」
元春「大阪でのライヴ。今回はずっとお世話になってきた大阪フェスティバルホールでの最後のライヴということで、僕もその最後を飾るにふさわしい楽しくて素晴らしいライヴを展開してみたいと思っています。そのためには集まってくれたファンの皆さんの力が必要なので、みんなでパーティーな気分で楽しいライヴにしたいと思います。よろしくお願いします」

・Rock & Roll Night
かとみき「最後にですね、この曲をお送りしたいと思いますけれども。ちょっと懐かしい曲も[再会]ということなのでやって下さるのかなと思いまして、こんな曲で佐野さんを通して自分の思い出にも会う、そんなお客さんが多いのかなぁという感じで、この曲を選んでみたんですけれども...」
元春「そうだねぇ。この曲はちょっと長いよ。ラジオでこれかけてくれるんですか?」
かとみき「全く問題ない」
元春「すごくうれしいですよね。僕の'80年代初期のアンセムですよね、はい」
かとみき「これやる?」
元春「ライヴでやります!」
かとみき「言っちゃった(笑)」

Playlist
君が気高い孤独なら - Sweet Soul, Blue Beat / 佐野元春
君の魂 大事な魂 / 佐野元春
Rock & Roll Night / 佐野元春
コメント (8)
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PRIME HITZ 802

2008年01月29日 | 佐野元春 Radio Days

■PRIME HITZ 802
2008年1月28日(月) FM802 19:00 - 22:00
DJ: 尾上さとこ
GUEST: 佐野元春
http://funky802.com/service/homepage/index/119

Playlist
ラジオ・デイズ / 佐野元春
悲しきRadio / 佐野元春
--------------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・COUNTING CROWS
元春が出演する前にカウンティング・クロウズの1993年のヒット曲「Mr. Jones」がかかった。元春はこのバンドが大好きで、以前やっていたラジオ番組でプッシュしていたことを話した。

・COUNTDOWN JAPAN WEST
802では「COUNTDOWN JAPAN WEST」の会場から生中継でフェスの様子を伝えるという企画をやっていたそうで、元春も本番前に電話出演したらしい。
元春「あれは本番前のざわざわしているときだったので、僕も慌てて喋っていた気がするけれど大丈夫だったのかな?」
尾上「ええ。ゆったり喋っていらっしゃいました(笑)」

・浅草寺
毎年初詣に参るのだという元春。今年は「COUNTDOWN JAPAN WEST」に出演したので東京に戻ったのは2日。それから浅草寺へ初詣に行ったという。屋台が多くて、明るくて、活気に溢れたお正月が見られると元春。賽銭箱に辿り着くにはコツがあるらしい。でもそれは人には教えないのだとか(笑)。浅草には元春のおじいさんがやっていた鰻屋さんがあって三代続いているらしい。

・下町
神田明神下出身の元春。「ディープ神田。銭形平次の町ですね」と元春。
袋小路が多くて鬼ごっこするとすぐ捕まっちゃうので、地形を把握するのがなかなか難しいのだそうだ。
子どもの頃は人のうちに勝手に入り込んだりする厚かましい感じが嫌いだったとか。大人になってからは「そういうのもいいのかな」と思えるようになったらしい。

・フェスティバルホール公演
TOUR 2008 "Sweet Soul, Blue Beat"では3月9日にフェスティバルホールでのライヴがある。
元春「'80年にデビューしてずっとフェスティバルホールで演奏してきて、数々の思い出のあるホールですよね。そのホールが今年リニューアルのためクローズされると聞きました。ですのでこれまでの感謝を込めて、特別な思いで、大阪フェスティバルホール最後の佐野元春ライヴをがんばってやりたいと思います」
尾上「3月9日ですからサンキューの日ですよね(笑)」
元春「いいですよね」

・ラジオ
昔やっていたラジオ番組を思い出して曲にしたのが「ラジオ・デイズ」。
元春には「悲しきRadio」という曲もある。
「(ラジオは)体温が伝わるメディアだと思います」と元春。

・鈴木みち子さん
声のきれいなDJで大ファンだったという。14歳のときはじめてリクエストしたのが「ウッドストック」という曲。ハガキにはイラストを書いて、周りを真っ赤に塗って目立つようにしたとか。リクエストが採用されたときは「うれしくて死にそうだった」と(笑)。

・TOUR 2008 "Sweet Soul, Blue Beat"
ツアーの成功と、スタッフが健康で安全にのりきれるよう願いを込めてお守りをいつも持って行くという。
ツアー中の食事は朝がフルーツ、お昼はいつもしっかりと食べて、夜はステージ前は食べないそうだ。ツアー中の昼のメニューは決まっていてペペロンチーノを100グラムとグレープフルーツジュースを食べるのだそうだ。
元春「フェスティバルホール最後のライヴとなるので万感の思いを込めてステージをやってみたいと思います。集まってくれたオーディエンスのみなさんには、今回のセットリストはすごく楽しい曲を集めてるので、世の中不景気でしょ、パッと行きたいなという気持ちもあって"パーティー"みたいな感じでやってるのでね、オーディエンスのみなさんと一緒に、2時間、3時間楽しみたいと思っています」
コメント (2)
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Super J-Hits Radio

2008年01月22日 | 佐野元春 Radio Days

■Super J-Hits Radio
2008年1月20日(日) FM802 19:00-21:55
DJ:加藤美樹
http://funky802.com/sjr/index.php

21時に佐野元春 and The Hobo King Bandの大阪公演(3/9)の番組先行チケット予約があり佐野元春がコメント出演しました。

佐野元春「FM802 Super J-Hits Radioリスナーのみなさん、そしてDJ 加藤美樹さん。こんばんは。佐野元春です。2008年、いよいよ僕の全国ツアーがスタートします。佐野元春 and The Hobo King Band TOUR"Sweet Soul, Blue Beat"。今回のツアーのテーマは[再会]です。友達との再会、恋人との再会、そして家族との再会。それぞれのSweet Soul、それぞれのBlue Beatを抱えて、マトモなヤツもイカレたヤツもライヴ会場で楽しんでもらえたらうれしいです。主催はもちろん僕ら佐野元春 and The Hobo King Band。みんなを最高のパーティーに招待したいと思います。3月9日、大阪フェスティバルホール。聞くところによると今年閉館してしまうということ。とても残念です。これまでこのホールではとてもメモリアルなライヴを行ってきました。'80年代はオノヨーコ、ショーン・レノンとの共演。'90年代はジョン・サイモン、ガース・ハドソンを招いてのライヴ。そして今回が僕にとっての最後のフェスティバルホール公演となります。これまでの感謝を込めて大阪のみんなには最高のパフォーマンスを見ていただきたいと思います。ぜひ、チケットを手に入れて会場で会いましょう。待ってます。佐野元春でした」

なお、佐野元春は「Super J-Hits Radio」にゲストで登場する予定があるそうです。
2008年2月3日(日) FM802 19:00-21:55

3月9日、大阪フェスティバルホール公演の一般発売は今週末1月27日(日)午前10時から。
http://www.moto.co.jp/live/live_info/info_top.html
http://www.kyodo-osaka.co.jp/schedule/E004135-1.html
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Music Storage

2007年07月22日 | 佐野元春 Radio Days

■Music Storage
2007年7月22日(日) TOKYO FM(fm osaka) 0:00-0:30
DJ:行達也, KOTOKO
GUEST:佐野元春

Playlist
Wild Hearts
君が気高い孤独なら
荒地の何処かで
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・ソングライター
アルバム『Cafe Bohemia』を出した頃からあまり成長してないと話す元春。
元春「ロックンロール音楽に向かう気持ちとか、それから演奏している時の感じとか、ソングライティングの感じとかね、今でも26、27歳頃の自分にすぐ帰れるというか、ワープできるというかね、ソングライターというのは面白いなと思います。曲を書く中で自分が何歳にでもなれちゃう。舞台でも自分が18際の頃に書いたロックンロール曲を歌うと、なんか18歳になっちゃったような気になる(笑)」
KOTOKO「それはでも、今、佐野さんは簡単に仰ってますけど、誰でもできることではないかなって思いますけどね~」
元春「逆にね、僕は曲の中で自分より年上の人を主人公にして書くこともあるんです。その場合には、その人に成り代わるということではないんだけれども、その人の気持ちにたって歌いますから、やっぱり時間を越えますよね。ソングライターというのは面白いなってつくづく思います(笑)」
行「表現者として、以前に、まずそうやって作るところから...」
元春「ソングライティングだけは自分のいちばん得意としているところなので、過去と同じものを作り続けるのではなく、いつも僕のファンの人たちに新しい何かを感じてもらえるような曲を作りたい、ここだけはきちんと言ってます」

・できるだけよいオーディオでラウドに
行「(6月13日発売ニュー・アルバム『COYOTE』には)[できるだけよいオーディオでラウドに聴いてほしい]というメッセージがありますけれどね」
元春「僕なんかもiPodは使うんだけれどね、どうしても耳に装着して聴くというリスニング・スタイルが流行ってて、それはそれでいいんだけれども、でかいスピーカーで空気に震えた音も最近聴きたいなと。でかい音ってそれだけでメッセージがあると思うんですよ。そこで何が歌われてるとかを超えてね、音自体にすごいメッセージがあるんで、バカでかい音で聴きたいな(笑)」
行「ははは。なかなか住宅事情でね、難しかったりするんですけどね」
元春「僕たち、レコーディングの現場ではね、僕たちの演奏を出来るだけいい音で録音して、工夫に工夫を重ねて、サウンドを作ってるんですね。上手に音をミックスして。今回もマスタリング・エンジニアはニューヨークのテッド・ジャンセンという本当に確かな腕を持ったマスタリング・エンジニアに依頼して、僕のファンにはホントに第一級のよいサウンドを聴いてもらいたいと工夫しているので、できるだけ、iPodもいいんだけれども、別のよいオーディオ機器があったら爆音で聴いて欲しいなっていうのは、僕の気持ち(笑)」
KOTOKO「なるほど~。その録音した時の空気感も感じるような...」
元春「そうそうそうそう。音自体にメッセージがあるので、言葉の意味も、メロディーも大事なんだけれども」

・バンド
元春「深沼くんがひとつのキーになっているんじゃないかな。今回こうした仕事ができる前に、深沼くんがメロウヘッドというプロジェクトで1曲僕に持ってきたんです。『エンプティー・ハンズ』という曲をね。で[佐野さんにも歌ってほしいんだ]ということでデモ・テープ聞かせてもらって。その楽曲がすごくよかった。リリックもよかったし。深沼くんの佐野元春音楽への真摯なリスペクトみたいなものを感じさせてもらって、素晴らしいなと思ったんだよね。僕も個人的にプレイグス大好きだし、深沼くんのゴキゲンなロックンロール、ハイトーン・ヴォイスだよね、それと彼の書く乾いたリリックも個人的に好きということで、自然な形でそのコラボレーションはレコードになったんです。『エンプティー・ハンズ』ですね。それがやっぱりきっかけかなって最近思ってますね」
行「前にね、深沼さんがゲストでこの番組に出ていただい時も、佐野さんへの思いを熱く語っていただいて」
元春「そうですか」
行「バンド名って別にこれないですよね?」
元春「今のところね。ないんですよ。そういえばそうなんですよね」

・君が気高い孤独なら
元春「"Sweet Soul, Blue Beat"ってレコーディングの時、すごく楽しかったんだけれど。片寄くん、それから小松くんと深沼くんとか、最近ステージで一緒にやってるフィーメイル・バッキング・ヴォーカルのTTシスターズとか、みんな集まってゴキゲンに歌ってくれた」
KOTOKO「ちょっと雑誌のコメントを読ませていただいたんですけれど、深沼さんが[佐野さんと音楽をやってるとかわいくなれるんだよね]というコメントを目にしたんですけれど...」
元春「ふふふ。よくわかんないね。それは」
KOTOKO「この曲を聴いてるとすごくその意味がわかってくる感じがしましたね。本当に音楽が好きで続けられてるんだなって思いましたね」
元春「音楽というか、ロックンロールだよね。十何歳かの時に触れてパッと発情しちゃってね。それからずっと発情しっぱなし、ロックンロールに。それがたぶん片寄くんとか深沼くんとか、今回このレコーディングに参加してくれたね、ミュージシャンたちもみんなどっかでそうだと思うんですよ。今の曲でも"Sweet Soul, Blue Beat"って、これは僕の中ではロックンロールの本質ですね。"Sweet Soul"というのはポップな状態。"Blue Beat"っていうのは反逆だよね。"ポップ&反逆"、これはロックンロールの本質なんだよね」
KOTOKO「あぁ、なるほど~。ポップな要素も含まれて、やっとロックなんだ」
元春「反逆だけでも駄目だし、ポップだけでも駄目だしみたいな(笑)」
KOTOKO「それは目から鱗という感じがしますね」
行「大衆性あっての音楽だから、そこは確かにそうですよね」

・DaisyMusic
元春「4年目だね。一作目が『THE SUN』。これはレーベルを発足してドタバタの中で出したアルバムだったので、それはそれでいいんですけども。今回のこの『COYOTE』というアルバムがレーベルからの真の第一作目のような気がしてます」
行「そもそも独立レーベルという形でやろうと思ったのはなんでなんですか?」
元春「そうですね。僕は1980年にレコーディング・アーティストとしてメジャー・カンパニーと契約して、それから随分長い間、メジャー・カンパニーでやってきた。'80年代、'90年代と。レコード・ビジネスも面白かったよね、'80年代とかね。だからメジャー・カンパニーとやっていても楽しいことがいっぱいありました。しかし、最近になって2000年ぐらいに入ってから、メジャー・カンパニーは少し手詰まりになってきている。レコード・カンパニーが誰かアーティストを見つけてきて、デベロップして世に売り出すというのは、これはもう古い業態のレコード・カンパニーだと思うんだよね。僕は新しいレコード・メーカーのイメージというのは、割とみんなスモールなんだけれども、それぞれすごく充実しているレーベルがたくさんあって、基本的には独立独歩で行くんだけれども、必要な時にはユナイテッドするっていう。そこでベテランも新人も等しくデベロップされてゆくという、そういうイメージを描いているんです」
行「なるほど。レーベル自体を大きくしていこうとか...」
元春「資本的に大きくしていこうというつもりは全然ないです。それはもう旧来のレコード会社の在りようなんだよね。それでうまくいってきているかというと、冷静にみて結局うまくいってない。そしてリスナーのほうも随分聴き方が変わってきているよね。お店行ってレコードを買うだけじゃなくて、今ではダウンロードして音楽を聴くといったように。リスナーのほうで聴く環境が変化してるんだとしたら、レコードを作る側、音楽をデリバリーする側もどんどんフットワーク軽く変わっていく時代だと。残念ながらメジャー・カンパニーはあまりにも大き過ぎて、フットワーク軽くできない。自由に楽しくというのが原則ですね。そして音楽を欲している人のところに、彼ら彼女らが欲している音楽をきちんと届けるというのが、最終的な役割だと思っています」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月19日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月19日(木) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春

Playlist
I Saw The Light / Todd Rundgren
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・自分は人々に生かされてる
雅俊「佐野さん、おもしろいのは、千代田区神田生まれって(笑)、銭形平次みたいな感じが...」
元春「いや、正に銭形平次です。はい、あの町です」
雅俊「すごいですね。小説に出てきそうな感じじゃないですか。神田の明神下で鰻屋に生まれてみたいな、なんか浅田次郎の小説に出てきそうな感じじゃないですか」
元春「あはは。ですから学校から帰って来ると、畳屋さんがお仕事してたりとか、それからおうちの二階からお三味の音が聞こえてきたりだとか、そういう地域ですよね」
雅俊「絵に描いたような感じですよね。それでセントポール大学へ行って、広告代理店に勤務しつつ、ラジオ番組のディレクターをして、アーティストになるっていう...」
元春「ラジオ番組、広告の仕事というのは、それほど真剣ではなかったですね。学校に行きながら、何か、[将来何をやろうかな]と迷ってた時に、[こちらのほうかな]と迷いながら、一時就いていた仕事という印象です。その後、米国に行って、あるきっかけがあって、帰国してから、ソングライターとしてね、ちゃんとやっていこうと決心した。それが1980年でしたね」
雅俊「ふ~ん。佐野さんはもう半世紀も生きてて(笑)」
元春「ははは」
雅俊「いろんな出来事があったと思いますけど、話聞いただけでもドラマチックな感じで、仕事的にとか、もう一回、別なこともやってみたいとかいう希望とかあるんですか?」
元春「僕はね、新聞記者になりたかったですね。自分で写真を撮り、自分で取材をし、自分で文章を書き、新聞に載せる。そういうなにか、ジャーナリストになりたいと思ったこともあったんですね。それから音楽に突然目覚めて、ソングライティングというのは素晴らしいなと思って。そのソングライティングする時でも、"I Love You, You Love Me"の世界だけではなくてね、世の中を自分なりに見て、ジャーナルな視点をそのソングライティングに持ち込む。そういうことを考えると、結局、小さい頃から思っていたものが、いろいろソングライティング、音楽というところに全部まとまってきてるんだなと思いますね」
雅俊「考えてみると、こうやって話を聞いてると、ホントに小ちゃい時からはっきりと自分のやりたいこと、ちゃんと持ってて立ち向かって、自分なりの結果を出して、でまた次に行くっていうのをやってきたんですね」
元春「ありがとうございます。しかし、どうでしょうかね。夢を持ちながらも、その夢を実現できないまま、報われないまま来ているという人も多いし、僕なんかも全部の夢を叶えられてるかっていうと、決してそうは思っていない。しかし、そこで思うことは、自分がどういう時代に生きて、どういう人々と関わって、どういう人々の中で自分は生かされて来てるのかっていうことは、時々しっかり考えるようにしています」
雅俊「なるほどね。実は生かされてるというのがね、それは考え方としては素敵な考え方ですよね」
元春「そうですかね。はい」

・マイ・フェイバリット・ソング
雅俊「この番組ではマイ・フェイバリット・ソングという、思い出の歌、好きな歌をゲストの方に聞いてるんですけど。まぁ、佐野さん、いろいろな曲と出会ってると思いますけど、1曲だけなんですけど」
元春「そうですね。今日、用意してきたのはトッド・ラングレンというソングライターの曲で、曲のタイトルは『I Saw The Light』という曲です」
雅俊「『I Saw The Light』を聴きながらお別れしたいと思います。どうもありがとうございました」
元春「どうもありがとうございました」

・中村雅俊の感想
雅俊「初めてお会いしてですね、お話させていただいたんですけど、すべてかっこいいですよね。ひじょうに、あの、信者が多いというのが頷けますね」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月18日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月18日(水) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・アーティストとしての夢
雅俊「佐野さんって、ひじょうに興味があったのは、大学卒業してから広告業界に進んだっていう...」
元春「そうですね、大学在学中ですね。広告の仕事に興味があって、しばらくやってました」
雅俊「ということは例えばコマーシャルの製作とか?」
元春「コマーシャルの製作やってましたね。はい」
雅俊「それからラジオ番組の制作もやってたという、つまりディレクターということですか?」
元春「そうですね。はい」
雅俊「そうですか。ラジオで、マイクの前で喋りながら、一方では[これ、編集どうすんだ?]とか、いろんなことも踏まえて...」
元春「そうですね。ラジオ自体が子どもの頃からとても好きで、いつも自分の傍らにはトランジスタ・ラジオがあったんですね。ラジオの製作のほうも興味があって、そちらのほうもやりましたし、レコーディング・アーティストとしてキャリアをスタートした後も、ラジオ番組を持って、民放、NHK、今まで5番組、6番組くらい担当してきてます」
雅俊「あっ、そうなんだ。ということは自分が生まれて興味を持ったものはモノにしてるというか...」
元春「ラジオについて言えばそうですね。でも、欲しいと思ったものはほとんど手に入れてないですね」
雅俊「例えば?」
元春「ええ、そうですね...友達が座るための大きな椅子とか」
雅俊「あはは。なんですか、それは(笑)。 あ、そう。自分の夢とか、そういう意味ではどうなんですか? 例えば今、アーティスト、長いですよね」
元春「いちばんの興味はソングライティングですね。よい曲を書いて、聴いてくれた人に、[よかったね]って言ってもらうという、それが僕のいちばんの興味であるのと同時に、それを仕事と思ってないですね、どっか。ただ、そこでファンの方達からの感想がそこにあり、毎回喜んでいただき、そして何曲かがある人にとっての大事な曲になったということを、例えばライヴなどで実感すれば、それはそれでとても素晴らしいことだなと思います」

・立教大学客員講師
雅俊「あの、佐野さん、母校立教大学の客員講師ということで、これはまた、どういう経緯で?」
元春「そうですね。母校、立教大学ですね。そう、真面目な学生ではなかったんですけれどもね(苦笑)。その大学から連絡をいただいて、[『言葉と音楽』ということをテーマに講義をやってみないか]と申し出があって、僕も長年のソングライティングがありますので、何か考えをまとめてみたいなと思っていた時期なのでね、[是非、やらしてください]ということで、この秋から始めようと思ってます」
雅俊「ということはまだ教壇には立ってないんですね?」
元春「はい。これからです」
雅俊「えへへへ、どうなんですかね?(笑)」
元春「たぶん、学生といえば十代後半から二十代前半なんですよね。その世代と直接触れることも日常ではないので、僕自身はすごく楽しみにしてます」
雅俊「なるほどね~。へぇ~。一応、文学部の学生ということですよね? そうですか。ということは名刺も作らなきゃならないことになりますよね」
元春「あっ、僕は名刺を作ったことはないですね。これを機会に。なんかうれしい気がします」
雅俊「これはいいんじゃないですか? どういう肩書きになるのかわかりませんけど、立教大学文学部、何ですかね?」
元春「客員講師? 教授? よくわかりませんが」
雅俊「佐野元春というのは本名ですか?」
元春「そうです」
雅俊「そうですか。俺の同級生もね、会計士だったんですけど青山学院大学の教授になったんですよ。そしたら今まで会計士の名刺を持ってたんだけど、青山学院大学の教授の名刺になったとたんに、みなさんのリアクションが変わっちゃって、[あらっ、教授ですか!]みたいな感じでね。やっぱ、世の中っていうのは大学の先生だっていう...」
元春「ははは。イメージがあるんですかね?」
雅俊「ありますよ。ええ。佐野さんは改めて[ワァー]って言われるかどうかわかりませんけど(笑)。楽しみのひとつではありますよね?」
元春「ええ。すごく楽しみにしています」
雅俊「それよりも教壇に立つというのが、ひじょうにエキサイティングな話ですよね」

・プライヴェート
雅俊「佐野さんは、今回アルバム作りとか、曲を作ることも含めて、ひじょうにエネルギーと時間を費やしていますけど、コンサート・ツアー以外の自分の時間というのは、プライヴェートとかは何をやってることが多いんですか?」
元春「ホントによく多くの方に聞かれるんですけれど、[普段、何やられてるんですか?]って。普段も曲のことを考えたり(苦笑)、詩のことを考えたり、音楽のことを考えたり。食事をしていても、人と話をしていても、プールで泳いでいても、なんか考えてる」
雅俊「今、[泳いでても]と言いましたけど、よく泳ぐんですか?」
元春「泳ぐのは好きですね。ジムに行って1回千メートルくらい泳ぐとスキッとします」
雅俊「千メートルって何分くらいですか? 20何分、30分弱くらい?」
元春「いや、20分弱くらい」
雅俊「早いですね、それは」
元春「十往復ですよね。はい」
雅俊「ということは、けっこう泳ぎ慣れてるということですよね」
元春「泳ぎは小さい頃から好きで、よく[泳いでると疲れませんか?]って言われるんですけれど、何メートルかまでは疲れるんですけれど、そっから先はずっーと泳げるような身体になるんです、水に馴染んできて。そっから先はすごく気分がいいですよね」
雅俊「じゃあ、ジムに行って、身体を鍛えて...」
元春「鍛えるとか、その、楽しんでるという感じですね(笑)。はい」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月17日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月17日(火) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・『コヨーテ、荒地を往く』
雅俊「実は来月、幻冬舎から『コヨーテ、荒地を往く』、この単行本なんですけれど、これは小説なんですか?」
元春「いや、これはね、ルポルタージュ、それからインタビューですね」
雅俊「インタビューって誰をインタビューしたんですか?」
元春「はい。僕は'90年代に雑誌を作っていたことがあるんですよ。その雑誌を通じて自分が影響を受けた主に英米の作家たちにインタビューをして、その記事を、その雑誌に掲載していたんですね。今回、その当時のテキストを全部まとめて、単行本として出そうということです」
雅俊「ということは『コヨーテ、荒地を往く』というタイトルを付けてますけど、実はコヨーテというのは佐野さん自身ですかね。そういう意味では(笑)」
元春「ははは。どうなんでしょうね(笑)」
雅俊「でも、これはまたおもしろいですね」
元春「おもしろいんです。やはり別の文化に生きている表現者たちというのはすごくおもしろいんですね。興味深い。ゲストでもインタビューして、いろいろと聞き出そうという感じですね」
雅俊「そういう意味ではいろいろな方々と出会えて...」
元春「そうですね。特に詩人アレン・ギンズバーグ氏とか、ゴレゴリー・コルソー氏とか、主に'50年代にビート文学なんてふうに、ジャーナリスト達は呼んでたんですけれどもね、そのジャンルにいる作家達へのインタビューも、残念ながら、その彼らも現在は亡くなってしまったんですけれども。その意味でも'90年代、自分が行った彼らへのインタビューというのは、資料として貴重かなと思います」
雅俊「若い頃に影響を受けたアーティスト達に接するということだけでも、インタビューであっても、自分の夢を一つ一つ消してゆくような、そういう出来事ですもんね。でも、それが一冊の本になるというのは、読者の人たちも喜ぶけれど、本人もかなり...」
元春「そうですね。ホント、うれしいですね。最初、自信なかったんですけれども、原稿まとめて、出版社の方が励ましてくれましたね。[これはひじょうに貴重で価値のあるテキストなので、是非、新しい世代の人たちにも読んでもらいましょう]っていうふうに言ってくれたんでね。すごくうれしかったです」
雅俊「これが来月発売ということになりますけど、是非、みなさんも。あの『COYOTE』というCDも出てますけれど」

・ポールorジョン
雅俊「あの、ぐっさんと一緒に深夜に(テレビで)いろいろとやってますけれど。ジョン・レノン型とポール・マッカートニー型。人の行動をそういうふうに分けてますね」
元春「そうなんです。テレビのとてもおもしろい企画でね。僕が考えたんじゃないですけれどね」
雅俊「あっ、そうですか?」
元春「TVプロデューサーが考えたんですけれども...」
雅俊「それ、あります? ジョン・レノン型とポール・マッカートニー型とどういうふうに分けてるんですか?」
元春「いや~、テレビの企画的には人の行動をジョンかポールか二つに分けてしまおうというね、多少無理のある企画なんですけれども...」
雅俊「あぁ、そうですか(笑)。俺なんかもビートルズ世代なんで、えっ、ジョン派かポール派かというと、どういう基準で分けてるんだろって。ちょっと、どうなんですか?」
元春「僕はね、すごくおもしろいと思うんですよ。僕なりのジョンの性格とポールの性格っていうのがあるのでね、それに強引に当てはめてやってるんですけれどもね」
雅俊「人の行動を見て、どうだとかなんとかっていう?」
元春「それはね、視聴者の方が投稿してくださるんです。例えば、干した布団をずっーと叩き続けるのはポールですか、ジョンですか?」
雅俊「ははは。はい。これは何ですか?(笑)」
元春「それはね、両方とも優秀なミュージシャンなので、布団を叩くというアクションはね、二人は好きだと思うんですけれども、ずっーと叩き続けて楽しく感じるのはジョンでしょうと」
雅俊「ああ、なるほど、なるほど。そうですか。フーン、じゃあ俺なんか分かります?」
元春「そうですね、中村さんは、そうですね、まぁ、そうですね...」
雅俊「なんかエピソード言わなきゃいけないんですか?」
元春「そうです。それをきっかけに僕が判断しなくちゃいけなんですね」
雅俊「俺はね、エピソード...急に出てきませんけど(苦笑)、工事現場をずっーと見てるのが好きなんですけどね」
元春「そうですか。ふん。あの、そうですね。工事現場に興味を示すのはジョンでしょうとかね。そんなふうに進んで...」
雅俊「ウーン...そうですね、若い時はポールのメロディーは好きだったんですけどねぇ。あの、どっちと言われると断言できないところありますけどねぇ」
元春「そうですね。二人共作してる部分もあったでしょうからね」
雅俊「ずいぶん影響受けましたよね。ジョンに会うとか、ポールに会うっていったら、夢のまた夢でしたね。そういう経験ないですか?」
元春「ポール・マッカートニーにも会いましたし、ジョン・レノンにも会いました」
雅俊「あら(笑)。そんな何気なく言わないで下さい。あっ、そうですか」
元春「それはロンドンに自分は長くレコーディングに行っていた、半年間ぐらい行ってた時なんですけれど。ちょうど自分が使っていたレコーディング・スタジオ、自分が一階でレコーディングしてたんですけれど、二階がポール・マッカートニー氏のレコーディングで、UKのレコーディング・スタジオだと、キッチンというかダイニングが一緒なんですよね。だからお昼とか夜とか、みんな一緒に食事したりとか、お話しました」
雅俊「あらららら。それはまた... またジョンとも?」
元春「それはニューヨークに住んでた頃ですね」
雅俊「ダコタハウスですか?」
元春「ダコタハウスにいらっしゃった頃ですね。あの、公園歩いていて」
雅俊「セントラルパーク?」
元春「そうです。その時お会いしました」
雅俊「そうですか。それはまたいいですね」
元春「うん。そう(笑)」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月16日 | 佐野元春 Radio Days

新潟、長野で地震の被害に遭われた方々のお見舞いを申し上げます。

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月16日(月) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春

Playlist
君が気高い孤独なら
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■内容の一部を抜粋
・6月13日発売ニュー・アルバム『COYOTE
雅俊「どういうことで『COYOTE』というネーミングにしたんですか?」
元春「昔から興味があったんですね。コヨーテという動物に。最初に触れたのは絵本の中で。狐とも犬とも違う、何か独特の性格を持った動物だなと子どもの頃から思っていたんですね。それと自分がアメリカにいた頃、ボストンの郊外だったんですけれども、実際コヨーテを見ました。友達と一緒にいたんですけれどもね。[あれコヨーテだよ]って。自分はコヨーテというのは山間部に生息している動物かと思っていたので、そんな街の外れで見れると思っていなかったので、びっくりしたんですけれどもね。第一印象は、とても何か、いい感じだなと思いましたね。基本的には一人で生きていけるんだけれども、必要な時には群れを成して事を成すっていった性格だとかね。そういう一つ一つのコヨーテの物語、コヨーテの性格を知るにつれ、興味深い動物だなと思ってました」
雅俊「聞いたところによると、もうすでにコヨーテという男を主人公にして映画のシナリオもできてるとか」
元春「今回ね、『COYOTE』というアルバムを作って、アルバムを作る時に、アルバム作るのも映画を作るのも似たようなものかなと思い、そしてシナリオを書きはじめたんですね。メイン・アイディアとしては、コヨーテと呼ばれる男が荒地をずっと歩いていく、その道行きの中で、いろいろな人と出会い、過去の関係のあった女性のことを思い出し、その一つ一つが曲となるという、そういうアルバムを作ってみようと思いました」
雅俊「ある意味、映画音楽みたいなアルバムですよね」
元春「はい。そうなんです。このアルバムのほかに、きちんと書かれたスクリーン・プレーがあるんですよ」
雅俊「これは、でも、実現がすぐに可能なことなんじゃないですか?」
元春「どうかな。面白いねと言ってくれる監督がいればの話なんですけれどもね」
雅俊「言ってるんですか? 誰かに」
元春「誰にも言ってません」
雅俊「あは。そうですか(笑)」
元春「あはは」
雅俊「こういうのは言わないとダメなんですよね」
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