Sunday Song Book #1115

2014年02月23日 | Sunday Song Book

2014年02月23日プレイリスト
「アカデミー主題歌賞で棚からひとつかみ」
1. 光と君へのレクイエム / 山下達郎 '13
2. THE WAY YOU LOOK TONIGHT / FRED ASTAIRE '36
3. OVER THE RAINBOW / JUDY GARLAND '39
4. WHEN YOU WISH UPON A STAR / CLIFF EDWARDS '40
5. SECRET LOVE / DORIS DAY '53
6. HIGH NOON / TEX RITTER '52
7. LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING / THE FOUR ACES '55
8. MOON RIVER / HENRY MANCINI & HIS ORCHESTRA '61
9. BORN FREE / MATT MONOROE '66
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■内容の一部を抜粋
・近況
先週、昼間はまりやさんの新曲のレコーディング。夜は一月がずっと忙しかったので遅めの新年会をレコーディングのスタッフとか、オフィスのスタッフとかとやったそうだ。スタッフは大体、二十代、三十代がほとんど。みんなとにかくよく呑んだのだという。

・アカデミー主題歌賞で棚からひとつかみ
今週は聴取率週間。これまでずっといろいろとやってきたので、そろそろネタが切れてきて、放送局のほうから「アカデミー賞が近いのでアカデミーでやってくれ」というオファーがあったとか。達郎さんはロビーイングに基づいた賞レースにはあんまり興味がないという。アカデミーといっても『タイタニック』とか『愛と青春の旅立ち』とかベタな曲をかけてもしょうがないので、今回はサンデー・ソングブックらしく、めちゃくちゃ昔の曲で、戦前からはじまって'60年代の頭くらいまでの有名な曲、なるべくオリジナル・サウンドトラック、アカデミー主題歌賞を獲ったときの本人のレコーディング、オリジナルまで遡る。「アカデミー主題歌賞で棚からひとつかみ」。

・光と君へのレクイエム
いちばん最初に自分の曲をかけるので映画音楽にこだわって、直近の「光と君へのレクイエム」。

・THE WAY YOU LOOK TONIGHT
アカデミーは今年で86回目。3月2日、日本時間で3月3日に行われる。もともと1928年にはじまった。歌曲賞、いわゆる主題歌賞は1934年に発足。昭和9年だから大変なもの。トーキーができたので映画に音楽が乗るようになった。1930年代、いちばん最初期の授賞曲からはじめる。1936年のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演した『有頂天時代』(ジョージ・スティーブンス監督)の主題歌「THE WAY YOU LOOK TONIGHT」、邦題「今宵の君は」。達郎さんの世代ではレターメンで知られている。歌はフレッド・アステア、作曲はジェローム・カーン。当時のチャートではNO.1が6週間続いた。

・OVER THE RAINBOW
1939年、ジュディ・ガーランドが主演して一世を風靡した『オズの魔法使い』(ビクター・フレミング監督)。昭和14年。戦後にこの映画を観て「そんな国と戦争してたのか」と達郎さんのお母さんも言っていたという。ジュディ・ガーランドのレコーディングされた音源で大ヒットした「OVER THE RAINBOW」、邦題「虹の彼方に」。作曲はハロルド・アーレン。

・WHEN YOU WISH UPON A STAR
1940年の「WHEN YOU WISH UPON A STAR」。『ピノキオ』の主題歌で邦題は「星に願いを」。曲を書いたのはリー・ハーライン。当時のディズーニーのスタッフ・ライター。監督はベン・シャープステンでディズニー映画のスタッフ。歌ってるのは『ピノキオ』の映画の中に登場するコオロギ、ジミニー・クリケットの声優をしていたクリフ・エドワーズ。

・SECRET LOVE
1953年の映画『カラミティ・ジェーン』の主題歌「SECRET LOVE」。この時代になると映画音楽を作るプロが出てくる。サミー・フェンも何度かノミネートされて何度かアカデミー主題歌賞を獲る。これが最初の受賞作品。歌っているのはドリス・デイ。1953年にコロンビアから発売されてNO.1を4週続けた。ここまでは主演俳優が主題歌を歌っている。

・HIGH NOON
1952年のフレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパー主演の傑作西部劇『真昼の決闘』の主題歌「HIGH NOON」。歌っているのはテックス・リッター。この人もカントリー・シンガーで俳優。独特の泣き節。

・ツアー中のストレス対策
リスナーから「ツアー中は毎日、寝るところが違うわけですよね。枕が変わると、なんて言ってられないと思いますが、ストレス対策は何ですか?」という質問。
浅田真央さんが宣伝しているエアー・ウィーヴを何年も前から愛用していて、それと枕は持参しているそうだ。

・LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING
1955年にドリス・デイの「SECRET LOVE」を作曲したサミー・フェンが再び主題歌賞を獲る。映画『慕情』(ヘンリー・キング監督)の主題歌「LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING」。達郎さんはオリジナル・サウンドトラックを持っているが、昨日探したものの出てこなかったとか。「LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING」はいろんな人がカヴァーしていてヴォーグスやレターメンなどが有名。今日は「LOVE IS A MANY-SPLENDORED THING」で最も売れた1955年のフォー・エンセスのシングル。1955年のミリオンセラー。NO.1を5週間続けた。いわゆるバーバーショップのヴォーカル・グループ。

・MOON RIVER
'60年代の映画音楽の巨匠というとヘンリー・マンシーニ。1961年、1962年と続けて主題歌賞を獲っている。1961年の映画『ティファニーで朝食を』(ブレーク・エドワーズ監督)の主題歌「MOON RIVER」。アンディ・ウィリアムスのヴァージョンであまりにも有名だが今回はオリジナル・サウンドトラックからヘンリー・マンシーニ & ヒズ・オーケストラの「MOON RIVER」。

・BORN FREE
今回の最後は映画『いそしぎ』の主題歌をかけようと思っていたそうだ。しかしこの映画のオリジナル・サウンドトラックもどこかへ行って見つからなかったそうだ。ジャック・シェルドンというトランぺッターが映画で吹いていて、それをかけたかったという。しょうがないので1966年の映画『野生のエルザ』の主題歌「BORN FREE」。作曲しているジョン・バリーはイギリスの映画音楽の巨匠。この歌で最も有名なのがマット・モンローのヴァージョンで、ジョン・バリーがアレンジを担当してる。

03月09日は、「ひなまつり・ガールシンガー・ガールグループ特集」
http://www.tatsuro.co.jp
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Motoharu Radio Show #177

2014年02月20日 | Motoharu Radio Show

2014/02/18 OnAir - 3rd. Week - 大滝詠一追悼特別番組 ~ありがとう、大滝さん~ 第四回
01.はっぴいえんど:春よ来い
02.はっぴいえんど:田舎道
03.はっぴいえんど:外はいい天気
04.大滝詠一:びんぼう
05.大滝詠一:空飛ぶくじら
06.小林 旭:熱き心に
07.ハナ肇とクレイジー・キャッツ:実年行進曲
08.大滝詠一:カナリア諸島にて
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■内容の一部を抜粋

佐野元春 : さて、昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方も多いと思います。謹んでお悔やみを申し上げます。'70年代から現在まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップ・ミュージックにひとつの可能性を開いてきました。これまでMotoharu Radio Showでは四回に渡って大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」を放送してきました。今夜はその最終回になります。'80年代、Motoharu Radio Showから現在まで、過去30年間に渡る貴重なアーカイヴをもとに、リスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。

大滝詠一追悼特集。今週はその最終回。今夜の放送は先週に引き続いてミュージシャンとして、またソングライターとしての大滝さんを振り返ってみたいと思います。「Motoharu Radio Show」2011年4月12日の放送から大滝さんご自身のそれまでの音楽活動について、はっぴいえんどのこと、そして曲作りのことを楽しく語っています。そのときの放送を聴いてみます。

●Motoharu Radio Show 2011年4月12日放送 アーカイヴ

佐野元春 : はっぴいえんどのレコードを聴いてるとわかるのは、僕なんか聴くと、あっ、大滝さんはロックンローラーだなぁって思うんですよね。

大滝詠一 : いやぁ、そう言っていただけるのはありがたいですね。

佐野元春 : はい。で、何かの記事で読んだんですけれども、細野さんに「ロック・シンガーはシャウトだよ」って言われたって。

大滝詠一 : ふふふ。細野さんが言ったのよね。

佐野元春 : あの...「春よ来い」では大滝さんはしっかりとシャウト...

大滝詠一 : シャウトしてるんだけど、あの、なんていうの、嬌声というか奇声というか、ほらリトル・リチャードのような、ジョン・レノンも「Slow Down」とかさ、そういうようなときにやるね、あのシャウトはまだやってないねって言うから(笑)。それで「びんぼう」のときに無理矢理入れたの。

佐野元春 : あぁ。いや、ごきげんなシャウトですよ。「びんぼう」なんかね。

大滝詠一 : ですかね。

・春よ来い

佐野元春 : 1970年、アルバムゆでめん(『はっぴいえんど』)から作詞松本隆、作曲大瀧詠一「春よ来い」聴いてみました。

●Motoharu Radio Show 2011年4月12日放送 アーカイヴ

佐野元春 : はっぴいえんど3枚目といえば、僕らロック・ファンが聴けば、それまでの2枚に比べて、こう言ったら失礼かもしれないけれど、格段に録音がしっかりしている。それからメンバーのそれぞれのソングライティングに、それぞれ個性が見えはじめた。こういうふうに僕なんか見てるんですけれども、大滝さんははっぴいえんど3枚目についてご自身ではどういうふうに評価していますか?

大滝詠一 : ロサンジェルスの音がするっていうね。やっぱりバッファロー・スプリングフィールドとか、ああいうロサンジェルスのバンドの音を目指していたわけですから、最後に本地でね、しかも『Pet Sounds』、僕が「外はいい天気だよ」で使ったオルガンは『Pet Sounds』のときにブライアン・ウィルソンが使ったオルガンだったんですよ。

佐野元春 : あぁ、そうだったんですか! へぇっ!

大滝詠一 : だからメインのスタジオじゃなくて、ダビングでよく使ってたサンセット・サウンド・スタジオってところだったんですけれども。で、そこでやってたんですね。録ったエンジニアのウェイン・デイリーという人が、直前にデイヴ・メイソンの『Headkeeper』というアルバムをエンジニアしていた人で、僕が「田舎道」を歌ったら、「おまえ、デイヴ・メイソンにそっくりだ」っていう(笑)、お世辞か皮肉なんだかよくわからないことを言われて。そのときにウェイン・デイリーのレコーディングの仕方っていうのを僕はちょっと垣間見た。

佐野元春 : 録音技術ですよね。

大滝詠一 : そうそうそう。ピアノは全部閉じてあるとかね、ドラムも全部セッティングして釘で打ってあるスタイルですよね。そういうようなこととか、録音のやり方みたいなことなんかもちょっと、ヘッドフォンでやってるとかね。ミックスをヘッドフォンでやってから、それで後で大きいスピーカーで出すとか、そういうスタイルとか、いろんな... アル・シュミットって、あの大立て者のエンジニアでいるんだけれども、師匠がその人だって言ってましたね。

佐野元春 : 1枚目、2枚目と明らかに違ってるのはドラムのサウンドだと思うんですけれども。ドラムのマイキングなんかもずいぶん参考になりましたか?

大滝詠一 : ドラムのセットもそこにある。

佐野元春 : スタジオに? ああそうですか!

大滝詠一 : うん。そこのセット。スネアぐらいなものなんじゃないですか。全セット持って行ってないんでね。だから、あそこのスタジオから出る音が同じような音になるとかっていうようなこともひとつはあると思いますよ。持ち込む人もいると思うけれど、セットを持って行くとあったね。

佐野元春 : このアルバムではアディショナル・ミュージシャンとしてヴァン・ダイク・パークスも参加していましたけれど。僕、大滝さんに伺いたいのは、大滝さんはその後あまり海外でのセッションというのは...

大滝詠一 : 全くありません。あれが最初で最後。僕は個人的に。

佐野元春 : これは僕、大滝さん独自の何か見解があるんじゃないかと思うんですけれども。日本でのレコーディングにこだわる理由というのは何かあるんですか?

大滝詠一 : あぁ~。う~ん。めんどくさいからね。飛行機嫌いだからね。

佐野元春 : あははは。ヴァン・モリソンと同しですね(笑)。

・田舎道
・外はいい天気

佐野元春 : はっぴいえんど、1973年、アルバム『HAPPYEND』から「田舎道」、「外はいい天気」2曲聴いてみました。

以前僕はNHK Eテレで「ザ・ソングライターズ」という番組をやっていました。国内の優れたソングライターに曲作りについていろいろな話を聞いていくという内容でした。番組では錚々たるソングライターのみなさんがゲスト出演してくれましたが、唯一お話できなくて心残りだったのは桑田佳祐、そして大滝さん、このふたりでした。そうしたところ、後日、大滝さんからうれしい提案がありました。自分はテレビ出演は苦手なんだけれどもラジオだったらやってもいいよ、ということで、なんとこの「Motoharu Radio Show」で「ザ・ソングライターズ」ゲスト大滝詠一が実現することになりました。今夜聴いていただいてるのはそのときの放送から抜粋したものです。大滝さんのソングライティングに対する考え方、ものの見方、やはりとても個性的ですね。ちょっと聴いてみたいと思います。

●Motoharu Radio Show 2011年4月12日放送 アーカイヴ

佐野元春 : ソングライターの大滝さんが選ぶ言葉というのは心に引っかかりをもたせる言葉というんですかね。濁音を使うのがひじょうに上手だなと思うんですね。初期の詩においては「びんぼう」ですね。これ完全に濁音ですよね。これがロックのリズムに合いまると、ぴったりというか韻律を感じるというかね。この「びんぼう」という曲を書いたときのことを覚えてますか?

大滝詠一 : 覚えてますよ、もちろん。ジム・リーブスにあるんですよ。「Bimbo」。♪Bimbo, Bimbo Where you going to go e o , Bimbo, Bimbo(一節歌う) うん、これは「びんぼう」で行こうと(笑)。

佐野元春 : あははは。

大滝詠一 : なんかね、ホーボーとかね、旅して歩いてるとか、そういう人たちの歌なんだよね、どういうわけだか。それでこれは「Bimbo(びんぼう)」はおもしろいなぁと思って。たったそれだけ。あとは意味性、何にもないですよ。

佐野元春 : 意味はあとから(笑)...

大滝詠一 : もちろんです。意味はないんですよ。追及されるとひじょうに困る、ない(笑)。

佐野元春 : 宝くじ買って十時 あたって余った金がザクザク だけど びんぼう どうしてもびんぼう びんぼう びんぼう ひまだらけ

大滝詠一 : だから宝「くじ」だから「十時」にしただけでしょ。

佐野元春 : ふふふ。しかし、ここで韻律を踏んでるわけですよね。

大滝詠一 : まっ、言えばね(笑)。

佐野元春 : 当時このようなライミングしてる人っていうのは、それほど多く...

大滝詠一 : ライミングっていうの、これ(笑)。ふふふ。

佐野元春 : あはははは。

大滝詠一 : 駄洒落だよ、ただの(笑)。ふふふ。

・びんぼう

佐野元春 : はっぴいえんどが解散間際だったでしょうか? シングル盤で「空飛ぶくじら」。これは...

大滝詠一 : '72年の5月ぐらいなんですよ。ソロの第二弾でソロ・アルバムが出るよりも半年以上前の話なんですよ(笑)。

佐野元春 :あぁ、そうでしたか。これは当時ラジオでよくかかったんですよ。

大滝詠一 : かかったんだよね。ちょっと出版社をとあるところに変えたのでね。で、そこの出版社と僕、未だに続いてるんですけれども(笑)。それが第一号だったんですね。よくったってね、僕は2回ぐらいしか聴いたことないですよ。深夜放送で。

佐野元春 : そうですか。僕は中学生だった頃、よく...

大滝詠一 : 深夜でしょ?

佐野元春 : 深夜です、はい。で、大滝作品にしては何て言っちゃいけないんですけれども、とってもわかりやすくて、ポップなメロディがありましたよね。そして言葉もおもしろい。だから12歳ぐらいの僕でも...

大滝詠一 : よかったですか?

佐野元春: この曲は楽しいって率直に思いましたよね。

大滝詠一 : 僕はジョン・レノンのファンなんで、まぁ、ポールも大好きなんだけれども。ポールのほうがなんか一般的にわかられているという考え方だったのね(笑)。当時はね。ジョンはわかりにくいというね、ブルース・コードが多いしね。ポールはいろんな、「Yesterday」とかわかりやすい音楽を作る人だという印象があったので。ポールのような歌作りはしないっていうのが(笑)、はっぴいえんどのときの、なんとなく全員の不文律というか。別にジョンというわけでもないんだけれど、あんまりわかりやすい曲じゃないものをやろうというのが暗黙の了解であったと思いますよ。

佐野元春 : しかし大滝さんの中にはそれをやりたいという気持ちがあった...

大滝詠一 : いやソロだから。ソロだから違ったことをやったほうがいいのではないかっていうことで、あえてソロだからやったんですよ。だからB面の「五月雨」っていうのは適当な長唄で、ベース以外全部自分でやるとか、そういう遊びだったんですよ。多少、今にして思えばメロディメーカー的なものの端緒がそこであるのかもしれないけれど。なんせねぇ、曲を作って二年目だからね。幼稚さはご勘弁願いたいね(笑)。

佐野元春 : 珍しい楽器を使ってたんです。クラリネットかなんかですよね。

大滝詠一 : あの頃はね。ポールが、ほら「Honey Pie」だとか。

佐野元春 : ノスタルジックな響きがありました。「空飛ぶくじら」というのはね。

大滝詠一 : また、あのクラ(リネット)の人上手かったんだよねー。

佐野元春 : スタジオ・ミュージシャンの方ですか?

大滝詠一 : うん。佐野さんだったかな、上手い人だったなぁ。

・空飛ぶくじら

佐野元春 : 大滝詠一、1972年のレコード「空飛ぶくじら」聴いてみました。
大滝さんの仕事を見てわかるのは、自分の憧れに向けたリスペクトがそこにあるということではないかと思います。自分がよい影響を受けたものに対するありがとうという気持ちですよね。フィル・スペクター、ジョー・ミーク、ジャック・ニッチェ、バッファロー・スプリングフィールド、小林旭、そしてクレイジー・キャッツ。それは音楽だけではありません。野球の長嶋茂雄、落語の古今亭志ん生、映画の成瀬巳喜男。とても研究熱心で、これだと思ったものについてはとことん勉強していました。自分の憧れに向けたリスペクト。実際、大滝さんが残した仕事の中でいうとクレイジー・キャッツと一緒にやった「実年行進曲」がありますね、そして1985年のレコード、作詞阿久悠、作曲大瀧詠一、小林旭が歌ってヒットした「熱き心に」。このふたつのレコードが思い浮かびます。大滝さんのそうした活動を見て、僕も微力ながら最近雪村いづみさんのプロデュースをしました。プロデュースにあたって雪村さんの映像の資料を集めていたところ、雪村さんが出演した昔の映像なら自分が持ってるよ、いつでも貸し出すよ、と言ってくれた大滝さんがいました。雪村いづみさんとコラボレーションした「トーキョー・シック」というレコード、今月出たばかりですけれども、誰よりも早く大滝さんに届けたかったです。ではMotoharu Radio Show、「ザ・ソングライターズ」ゲスト大滝詠一に戻ってこのあたりの話、ちょっと聴いてみたいと思います。

●Motoharu Radio Show 2011年4月12日放送 アーカイヴ

佐野元春 : しかし大滝さんは日本の歌謡の歴史に詳しいことで知られていますよね。今更ここで僕が言うまでもないんですけれども、大滝さんの持論であるいわゆる「分母分子論」ですよね。これは日本のポップスを、世界史分の日本史で捉えたという、なるほどなっていう理論だと思うんですけれども。この理論は発表された後、考え直しが入ったり、あるいは更新したりということは今あるんですか?

大滝詠一 : そうですね。あれが基になっていろんなものになって... NHK-FMで'90年代に二回やったんですけれども、「日本ポップス伝」というものをね、湊プロデューサーのもとにやりましたけれども。あれは「分母分子論」のラジオ版だったっていうふうに思ってます。明治から1970年までっていうようなことを二度に渡ってやったんですけれども、いろんなことをやろうと思えばまたやれると思うんですけれど、だいたい各論的に大筋はあんなもんなんですよ。だから部分部分のところを掘り下げるっていうようなことは必要だなっていうふうに思いました。それ以降、なんと演歌の大御所、船村徹さん、遠藤実さん、作詞家の星野哲郎さん、そのお三方にインタビューを試みました。それで小林旭さんを中心に当時昭和30年代の歌謡がどういうものであったかというのを、直に私が質問しましたところ、「これは異種格闘技である」っていうふうに言われました(笑)。確かに向こうの人は僕のことなんか知らないわけですよね。全く畑違いなわけだから、なんだけれども大先生は本当に懐が深いというかね、話を聞いてくれて、こっちの拙い質問もちゃんと丁寧に答えていただいたんですけれども、そういうふうな各論に行くんだと思ってます。それからもうひとつはね、「日本ポップス伝」の前に「アメリカン・ポップス伝」というのを実は僕はやってるんです。ただそういう名前じゃなくて「Go! Go! Niagara」というラジオ番組がですね、'75年から3年間やりました。あれが実は「アメリカン・ポップス伝」だったんです。先に「アメリカン・ポップス伝」をやっていたので、のちに「日本ポップス伝」をやったということなんです。

佐野元春 : リスナーの中には「Go! Go! Niagara」聴いた方もいるかもしれません。1975年、ラジオ関東からはじまり、次はTBS?

大滝詠一 : に移りましたね。'80年代に。

佐野元春 : で、その後、そこでアーカイヴスとしてラジオ日本で2001年までやりましたね。これは、「アメリカン・ポップス伝」と言い換えていいと思うんですけれども、これは続きがあるんですか?

大滝詠一 : それでラジオ関東のときは「アメリカン・ポップス伝」って名はうってないんですね。途中で終わると思ってなかったので未完で終わってるんですよ。ですから「日本ポップス伝」のような「アメリカン・ポップス伝」をやろうと思ってます。

佐野元春 : あぁ、それは興味深いですね。うんうんうん。これはもうステーションとか決められてるんですか?

大滝詠一 : あの心の中では決めております。今晩、夜、個人的に誰かに発表するかもしれません。ふふふふ。まだ誰にも話しておりません。

佐野元春 : わかりました。大滝さんの中では「Go! Go! Niagara」と「日本ポップス伝」というのは対象は違えども...

大滝詠一 : 同じですね。

佐野元春 : 論の展開の仕方としては共通であると、こういうふうに認識していいわけですか?

大滝詠一 : 認識しています。「分母分子論」の論になる前のものは、すでに混沌とした形ではあったけれど提示していたと。今度僕『NIAGARA CD BOOK 1』という12枚組のボックスを出したんですけれど、その中に入ってる12枚というのも、それが「分母分子論」なんですよ。実は。作品の中に評論活動を入れたっていう、ちょっとかっこよく言えばの話ですけれど。言っときますよ、大した歌じゃないですよ。ここはね、強調しときますからね。真面目に聴いちゃあダメですよ。こういうのは聞き流すのがいちばんいいんですけれど、ただそういうつもりになっていますね。結果的にそうなってると思いました。

佐野元春 : そうですか。敢えてこの番組で「分母分子論」とはなんぞやみたいなことは喋っても時間が長くなるので割愛しますけれども、今、インターネットのリソースの中で、大滝さんの持論である「分母分子論」、本当にこれはね、日本の歌謡の在り方をひとつ独特な視点で捉えた素晴らしい論であると、僕思うので興味のある人は是非、自らちょっと調べてみてください。

大滝詠一 : ありがとう、そんなにお褒めいただいて、本当に(笑)。

佐野元春 : いえ。先ほど小林旭さんのお話が出ました。大滝さんといえば他のシンガーに曲を提供してますけれどもね。僕が大滝さんが他のシンガーに書いた曲で好きなのはやはり小林旭さんの「熱き心に」ですね。今でも小林旭さんご自身のコンサートのオープニングをこの曲を歌って...

大滝詠一 : オープニングとクロージングは必ずこの曲を使っていただいてるんですよねー。

佐野元春 : 光栄な話ですよねー。

大滝詠一 : 本当に有り難いっていうか、身に余る光栄ですよ。だって1曲しか書いてないんですから。

佐野元春 : 大滝さんの世代から見て小林旭さんといえばやはりスターという感じですか?

大滝詠一 : 大スター。映画スターでもあるけれど僕は歌も好き。すごく好きだったんです。

佐野元春 : これは大滝さんのほうからオファーしたんですか?

大滝詠一 : これは向こうから。向こうからって旭さんでもないのよ。CM。CM会社の人がいて、旭さんを起用するってアイディアが絵のほうから出たと。音は誰かないだろうかってことで、それは僕がCMを最初にやったのは'73年なんですけれども、'73年からずっーと付き合ってるCMの会社があるんですね。で、そこの人が福生に来て録音なんかしていくわけですよね。来ると暇なのでいろんな話をするわけですよ。そのときに僕が編集した小林旭ビデオというのを見したりしてたの(笑)。で、僕がファンだってのを何年も前から彼は知ってたのね。で、ホントに'85年になったときに、久々に現れて未だに忘れられない、「大滝さん、今度は断れませんよ」って(笑)。あのひとことは忘れられないですね~。あぁ、ようやく来たか~って感じでしたね。で、僕も全身全霊を込めて。で、僕が作ったっていうよりも、やっぱり旭さんとか、総体のね、それまでの作家の人なんかのアレを全部たまたま代表してまとめることができたっていうようなことだと思いますよ。

・熱き心に
・実年行進曲

佐野元春 : 大滝詠一プロデュース、小林旭「熱き心に」、ストリングス・アレンジは前田憲男さんです。そして今聴いたのはクレイジー・キャッツで「実年行進曲」。2曲聴いてみました。

●Motoharu Radio Show 2011年4月12日放送 アーカイヴ

佐野元春 : さて『A LONG VACATION』30周年おめでとうございます。このアルバムを聴いて思うのは'80年代の空気感ですね。今聴いて思うんですけれども、言葉で言っちゃうとちょっと軽くなっちゃうかもしれないですけれども、'80年代のあの景色を思い出してみると、例えばシティボーイとか。

大滝詠一 : 佐野くんだって4月でしたか? '80年の「アンジェリーナ」。シングル...

佐野元春 : は3月。アルバムが4月だったと思います。

大滝詠一 : 4月。デビューの年だから、佐野くんにとってはものすごい鮮烈に覚えてる1980年なんじゃないですか?

佐野元春 : そうです。景色ですね。海辺のドライヴとか、そういった景色を僕は『A LONG VACATION』聴くと思い出すんですよ。『A LONG VACATION』30周年アニバーサリー・エディションは今のリマスタリングで提供しているという理解でいいんですよね?

大滝詠一 : これ以上のことはないというふうに思いました。最早。ええ。CD第一号にしてもらってね、たまたま第一号になってしまったのでCDとずっと付き合いましたけれども、そろそろCDという形態も終わるっていう噂もありますけれども(笑)、30年やってきて、大体行き着いたところはこんなもんだったなって感じですかね。

佐野元春 : 『A LONG VACATION』という、あの作品が持ってる質感についてお話したいんですけれども。正に'80年代初期の日本の景色を描いたのか、それとも『A LONG VACATION』があのような内容だったので、そのように日本の景色がなっていったのか、定かじゃないんだけれども、今聴いても時代をすごく感じるんですよ。

大滝詠一 : 確かにそうだと思いますよ。'80年の4月にはじめて8月にオケは全部録り終えてるんですよ。本来は'80年の728に出る予定で作っていたんです。だから'80年の景色ってんだか、そういうものが缶詰されてる音だとは思いますね。リゾート法っていうのも'79年だったらしいんだよね。社会的に。あとになって調べた話ですけれど。それがあるのと、あとは'80年のウォークマンの登場というんですか、それが音楽が外に出たとか一般的な言われ方をされましたけれど。

佐野元春 : たぶんリアルタイムで『A LONG VACATION』という傑作を聴いてる人はこの番組のリスナーの方に多いと思うんですけれど。1曲目がはじまった途端にその時代の景色がよみがえるというか、ひじょうにノスタルジーを喚起させる力が強いんですよね、『A LONG VACATION』という作品は。

大滝詠一 : 最初出たときからという意味ですか? リアルタイムのときから?

佐野元春 : いや、リアルタイムのときは時代と並走しているから心地よく聴けたんですね。大滝さんのメロウなヴォーカル、心地よく聴けた。これが10年経つ、20年経つ、30年経って今聴くと、今の時代にはない独特の'80年代のあの時代の雰囲気というものを強く喚起させるというか...

大滝詠一 : そうですか。特別覚えてないですよ、佐野くんの「アンジェリーナ」だって'80年だし、みんなあの頃の人たちいっぱい出してるから、共通なものなんじゃないですか?

佐野元春 : そうですよね~。なんだけれども『A LONG VACATION』の持ってる情緒性というんでしょうかね。もう何か良質なノスタルジーが最初からパックされていたかのような...

大滝詠一 : 詩のせいだと思うよ。言葉だと思います。やっぱり言葉の力は強いんですよ。これは「あたりはに わかにか きくもり」と歌ってたらなんともなんないでしょう(笑)。

佐野元春 : ははは。はっぴいえんど時代とは全然違いますけれどもね(笑)。吉田保さんと大滝さんが構築した独特の透明なリバーブ感というか...

大滝詠一 : あのレコーディングはね、'80年代にもう行われてないレコーディング方法をやったんですよ。「君は天然色」、「Velvet Motel」、「カナリア(諸島にて)」、それから「(恋する)カレン」、「フォー・タイムス・ファン(FUN×4)」の5曲は一発録りなんです。ツーチャン(ネル)の一発録り。だから半分はツーチャン(ネル)で一発録りです。あとはバラード、「スピーチ・バルーン」とか「(雨の)ウェンズデイ」とかは普通のマルチ録音ですけれど。それがちりばめられてるというのが、ひょっとしたら聴き飽きることのない音の関係性かもしれないと思いましたけれど。それは確信犯です。ツーチャン(ネル)で一発録りするということをやってみました。

佐野元春 : そうでしたか。ミュージシャンたくさんスタジオに集める。そこでレコーデットしている時点で、エンジニアである吉田保さんと大滝さんは最終の音像みたいなものが確実にあったと、こういう理解ですか?

大滝詠一 : 僕はナイアガラその前の5年間でエンジニアをずっーとやっていて、何度もトライしてるんですよ。それが『ナイアガラ・ボックス(NIAGARA CD BOOK 1)』でありますから聴いてください。自宅のスタジオでずいぶんいろんなトライをしてるんですよ。その試行錯誤を大きなスタジオでやったということと、吉田保さんのようなプロのエンジニアが誰かいてくれると、僕のエンジニア部分の労力が代理でやってもらえるし、インチキな詩を書かなくていいしね、松本くんのいい詩がアレだしね。詩は松本くんに書いてもらう、エンジニアは吉田保さんにやってもらうということで、僕はふたつの重荷から解放されてるわけですよ。完璧にサウンドだけに集中することができたというのがこのアルバムなんですよ。あの頃はみんなマルチ録音で24になった。16チャンネルから24チャンネルになってるし、『TRIANGLE 2』のあとの『EACH TIME』は24同期させてるんですよ。48でやってるんですけれど、そういうふうな時代だからこそツーチャン(ネル)一発録音のようなものが、福生でもやってるんですけれど、それを大きなスタジオでやろうということを長年構想して温めていたんですね。

佐野元春 : 『多羅尾伴内楽団』の演奏を聴いてみると確かに一発録りの筋の通った演奏感みたいなものを確かに感じますね。言われればね。ダビングして録ったんじゃないなという感じはありますね。全員で滑走しているという感じ。

大滝詠一 : そうそうそう。クールなものはダビングの、あの個別な音がクリアに聴こえるというようなものは、バラードなんかはいいんですけれども、やっぱりロックンロールはね、一気にやらないとダメですよ。だからリマスターしながら、遊びながら、「君は天然色」のアコースティック・ギターのだけっていうのがあるんですよ。ほれでね、後半すっごい音が大きくなってるの。(上原)ユカリ(裕)のドラムが乗ってきて、あの、かぶりがすっごい大きくなってるの。最初はすっごい小さいんですよ。で、アコースティックだけのって、アレがやっぱりねぇ、一発録りの良さですよね。まわりの演奏も盛り上がってきてるから、アコースティックの連中もかき鳴らし方が力が入ってくるわけですよ。そういう自然感も録音したかったというのがあって一発録りにしたんですけどね。そういうようなことで、もしね、中身よりも何度聴いても飽きない音だっていうふうに思われてもらえるなら、原因はそこにあるのかなぁっていうような気がするんですよね~。

佐野元春 : そうしたサウンドでいうと、よく大滝詠一流フィル・スペクター・サウンド、ウォール・オブ・サウンドなんていうような説明のされ方もありましたけれども...

大滝詠一 : 『A LONG VACATION』の中では3曲しかないですけれどね、スペクター・サウンド(笑)。ふふふ。冬の歌あるしね(笑)。

佐野元春 : 僕、不思議なのは、当時'80年代、フィル・スペクターのレコーディングの現場などは、例えば今だったらYouTubeに載ってますけれども、当時はそういう資料みたいなものは書物でしかなかったんじゃないですか?

大滝詠一 : ないですね。ありません。想像です。全部想像。で、僕はアメリカはフィル・スペクター、イギリスはジョー・ミークというプロデューサーが好きで、「(さらば)シベリア鉄道」というのはジョー・ミークへのトリヴュート・ソングなんですけど。その前に『多羅尾伴内楽団』でジョー・ミークには何曲もトリヴュートしてたんですね。で、最近、ジョー・ミークのところのライヴ・ビデオが出たんですよ。で、福生の鏡がないので、演奏者に行くときは戸を開けるんですよ。戸は二重になってるんですよね。音が洩れないように。で、開けて「あぁ、あそこのとこどう、これこう」と言って帰ってきて、それでエンジニアを閉じてやるというのを、ジョー・ミークがやってた(笑)。あの人も八畳ぐらいの狭い部屋だったのね。それでやっぱり閉じてて、ガラスがなくて、ほんでミュージシャンに指示するときに、いちいち戸を開けんの(笑)。それはね、同じだったのでびっくりして。それでベース、ドラムの音の代わりにバスタブに入って全員で足、ドーン、ドーン、ドーンっていうふうにやったとかね。

佐野元春 : バスタブのリバーヴを使った。

大滝詠一 : そうです。僕、『多羅尾伴内楽団』で4人にブーツ履かせて、木の板を踏ませましたけど(笑)。みんな、やってんですよね。いや~驚きましたねぇ。でも、そういうの観てね、あぁ、やってんだっていうね(笑)。

佐野元春 : そうですよね~。昔はそういう手作りの録音でしたよねー。

大滝詠一 : そういうことしかできなかったのでね。自宅のスタジオの良さっていうのか、ああいうような、いろんなことを試すことができたので、ようやく『A LONG VACATION』のときにそれが生きたと思いましたね。

佐野元春 : 結局、時代を経てみると、そういう手作り的な音、マニファクチュアな音のほうが人々に長く聴かれますよね。

大滝詠一 : と思いますよ、僕は。いろんな工芸品なんかとか、ああいう大量生産のものは、そのとき安かったり、大量に出たってものは残らないんじゃないですか。

佐野元春 : 僕もそう思いますね。はい。

大滝詠一 : そう思いますよ。

佐野元春 : 思い返せば'70年代当時、演歌、歌謡曲ばかりの中で垢抜けた音楽を聴かせてくれたそのセンス。その後の影響は'70年代からはじまり、僕の世代、そして次の世代へと無言のまま受け継がれて行っています。大滝詠一に連なる流れは決して痩せ細ることなく、支流と支流とが合流して大きな流れを作って行くことだろうと思います。その流れの先にナイアガラという大きな滝がかたち作られて行くのだろうと思います。
そうですね。大滝さんのことで僕は二回泣きました。一回はアシスタントから大滝さんが亡くなったという報せを聞いたとき。もう一回は大滝さんの曲「カナリア諸島」を一人聴きながら一緒に歌ったときでした。しかし僕は気づきました。もう大滝さんを思い出して寂しくなることはないんじゃないかと。なぜなら僕の音楽の中に大滝さんの音楽は生きているからです。大滝さん、ありがとう。
ではここで'80年代のヒット・アルバム『A LONG VACATION』からこの曲を聴いて追悼特集の最後としたいと思います。「カナリア諸島にて」。大滝詠一。

・カナリア諸島にて

・番組ウェブサイト
「番組ではウェブサイトを用意しています。是非ご覧になって曲のリクエスト、番組へのメッセージを送ってください。待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

・番組終了のお知らせ
佐野元春 : さて、残念なお知らせとなりますが、Motoharu Radio Show、この番組は今年の3月をもって終了することになりました。まずは長い間、番組を愛聴してくださったみなさんに、心から感謝したいと思います。どうもありがとう。最終回までまだ後3回あります。最後まで楽しんでください。
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Sunday Song Book #1114

2014年02月16日 | Sunday Song Book

2014年02月16日プレイリスト
「棚からひとつかみ」
1. ひととき / 山下達郎 "メロディーズ" '83
2. A REAL MOTHER FOR YA / JOHNNY GUITAR WATSON "A REAL MOTHER FOR YA" '77
3. YOU AIN'T GOING NOWHERE / THE BYRDS "LIVE AT ROYAL ALBERT HALL 1971" '08
4. BUTTERFLY / THE HOLLIES "BUTTERFLY" '67
5. SQUIB CAKES / TOWER OF POWER "HIPPER THAN HIP" '13
6. I'M SORRY / MARY WELLS '65
7. ターナーの汽罐車 / 山下達郎 "アルチザン" "オーパス" '91
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■内容の一部を抜粋
・近況
また雪。東京は明け方に雨となり先週よりは幹線道路は楽かなという感じだとか。それにしても交通にいろいろと被害が出ている。アメリカのフィラデルフィアでは高速が追突事故の影響でまひしているとニュースに出ており、全世界的に寒波が襲来してるそうだ。また何日かあとに雪の予報があり「嫌ですね、本当に。まぁ、冬だからアレなんですけれども。どうぞみなさま、お大事に。羽田で寝た人とかいらっしゃるようで大変です。ご無事にお家に帰られることを」と達郎さん。

・棚からひとつかみ
細かな仕事が3つ4つ重なりバダバタしてるので今週はレギュラー・プログラムの「棚からひとつかみ」。先々週の放送でオンエアしたワーナーから出た千円シリーズが品切れとなってるそうだ。今週も最近出たオールディーズもののカタログの中から気に入ったものをかける「棚つか」。

・ひととき
仙台市のリスナーからのリクエスト。大雪の被害を心配しつつリクエストに応えて1983年のアルバム『MELODIES』から「ひととき」。

・A REAL MOTHER FOR YA
ジョニー・ギター・ワトソンのCDが2イン1で再発になった。いわゆるテキサス・ブルースの範疇に入る人だが、'70年代に入るとウエストコーストで一世を風靡した。ちょっととぼけた味がある。彼の代表作1977年のアルバム『A REAL MOTHER FOR YA』からタイトル曲で「A REAL MOTHER FOR YA」。全米ソウル・チャート5位。ドラムとホーン以外は自分で全部やってるからマルチ・タレントの要素がある。

・YOU AIN'T GOING NOWHERE
ザ・バーズのライヴ『LIVE AT ROYAL ALBERT HALL 1971』がアメリカのサンデイズドから出た。1971年の5月にイギリスのロイヤル・アルバート・ホールで行われたライヴ・レコーディング。メンバーはロジャー・マッギン、クラレンス・ホワイト、スキップ・バッティン、ジーン・パーソンズという最後のバーズ。クラレンス・ホワイトのギターがうまいのでいい味をしている。1968年のアルバム『SWEETHEART OF THE RODEO(ロデオの恋人)』からボブ・ディランの有名な作品「YOU AIN'T GOING NOWHERE」。

・ウルトラマンの消印
福島県のリスナーからのお便りで福島県須賀川市から郵便を出すとウルトラマンの消印になるので須賀川市まで行ってハガキを投函したという。須賀川市はウルトラマンの生みの親、円谷英二さんの出身地だとか。しかし達郎さんの手元に届いたハガキにはウルトラマンの消印が付いてなかった。気になったので調べたら実はウルトラマンの消印は昨年までで、今はクルマのナンバー・プレートがウルトラマンのキャンペーンをやってるそうだ。

・BUTTERFLY
ワーナーがイギリスのパーロフォンのカタログを獲得した。もちろんビートルズは入ってないけれど、ホリーズなどのブリティッシュ・ビートが紙ジャケ、SHMCDでどっと出ることになった。そんなパーロフォン・レーベルの契約から今回ワーナーが出したのが「ブリティッシュ・ビート50周年記念紙ジャケット・コレクション」のシリーズとしてホリーズ。1967年のアルバム『BUTTERFLY』から「BUTTERFLY」。ホリーズがただ一度来日公演を行ったのはこのアルバムの直後で、グラハム・ナッシュがカラオケで「BUTTERFLY」を歌ったのがとっても印象に残ってると達郎さん。中学一年の頃に観たそうで今でもベスト・ライヴのひとつだと思ってるとか。今回の解説を書いてるのは犬伏功さん。このライナーは丁寧で素晴らしいと達郎さん。このアルバムと一枚前の『FOR CERTAIN BECAUSE』が達郎さんのお勧め。

・SQUIB CAKES
今日の一押しはタワー・オブ・パワーの1974年のスタジオ・ライヴ・アルバム『HIPPER THAN HIP』。イーストコーストのロングアイランドのWLIR FMのためのスタジオ・ライヴで1974年5月14日に行われている。たぶんアルバム『BACK TO OAKLAND』のプロモーションだと思われる。タワー・オブ・パワーやオークランド・ファンク好きだったらマスト・バイ。タワー・オブ・パワーのもともとのライヴよりもいいかもしれないと達郎さん。全曲かけたいくらいで番組前半をこのアルバムの紹介にしようと思ったとか。そういうわけにもいかないのでいちばんすごかったやつ、アルバム『BACK TO OAKLAND』に入ってた「SQUIB CAKES」。9分半全部オンエア。

・スケジュール帳
サンデー・ソングブックは昨年2013年11月10日に放送1100回を突破。22年目に向かって躍進中。「1」並びの放送1111回を超えたことを記念して、リスナーのみなさんの日頃のご愛顧に感謝してプレゼントを用意している。「サンデー・ソングブック」の新しいロゴが入った文庫本サイズのスケジュール帳を50名にプレゼント。2014年の4月スタートの年度スケジュール帳。締め切りは2月28日の金曜日。

・プレゼント
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」プレゼント係
http://www.tatsuro.co.jp

・わたしのハワイの歩きかた
達郎さんが1月ずっと仕事していたのはまりやさんの新曲で映画の主題歌。6月14日全国公開『わたしのハワイの歩きかた』というオール・ハワイ・ロケの映画で、監督は前田弘二さん。『婚前特急』で新人賞を獲った方でこの脚本を書いた高田亮さんとまたタッグを組んで作られた映画。主演は榮倉奈々さん。
http://www.watashinohawaii.com/

この映画の主題歌をまりやさんが書き下ろした。主題歌のタイトルは「アロハ式恋愛指南」。詳しくはワーナーのまりやさんのスペシャル・サイトにて。
http://wmg.jp/artist/mariya/

・アカデミー音楽賞で棚からひとつかみ
来週はまた聴取率週間。今回はFM TOKYOから「アカデミー賞が近いのでアカデミーの主題歌で特集してほしい」というオファーがあったとか。ただいま選曲中だそうで、アカデミーの主題歌を並べて聴くとあまりおもしろいものではないから、'30年代、'40年代、'50年代のなるべく古いもの、のちにスタンダードとなった、普段あまり聴けないオリジナル作品からピックアップするとのこと。

・I'M SORRY
最近達郎さんが買ったCDからメアリー・ウェルズ。メアリー・ウェルズはモータウンで「MY GUY」という大ヒット・ソングがある。そのあとモータウンを解雇されていろいろと彷徨うことになる。その時代の作品にけっこういいものがあるそうだ。20世紀フォックスでレコーディングされてる'60年代の作品にいいものが多いが、ようやくアルバム2枚とシングル・オンリーの作品を足したものがCDになったとか。この中から1965年のシングルで「I'M SORRY」。こんな感じで3月になればガール・グループ、ガール・ポップの特集を予定してるとのこと。

・ターナーの汽罐車
こういう季節はリクエストがばらけてひとり一曲が多い。今日は仙台市のリスナーのリクエストに応えて1991年のアルバム『ARTISAN』から「ターナーの汽罐車」。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2014年02月23日は、「アカデミー音楽賞で棚からひとつかみ」
http://www.tatsuro.co.jp
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Motoharu Radio Show #176

2014年02月14日 | Motoharu Radio Show

2014/02/11 OnAir - 2nd. Week - 大滝詠一追悼特別番組 ~ありがとう、大滝さん~ 第三回
01.はっぴいえんど:颱風
02.大滝詠一:君は天然色
03.大滝詠一:雨のウェンズデイ
04.大滝詠一:指切り
05.大滝詠一:それはぼくぢゃないよ
06.大滝詠一:五月雨
07.大滝詠一:1969年のドラッグレース
08.大滝詠一:あつさのせい
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋

佐野元春 : さて、昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方も多いと思います。謹んでお悔やみを申し上げます。'70年代から現在まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップ・ミュージックにひとつの可能性を開いてきました。Motoharu Radio Showでは四回に渡って大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」を放送しています。今夜はその第三回目。'80年代、Motoharu Radio Showから現在まで、過去30年間に渡る貴重なアーカイヴをもとに、リスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。

大滝さんといえば「ゴー・ゴー・ナイアガラ」。ミュージシャンとしてだけではなく、ディスク・ジョッキーとしても素晴らしい仕事をなさっていました。選曲、構成、そしてトーク。大滝さんの番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」は時代を超えて多くの音楽ファンを魅了しました。前回までは「Motoharu Radio Show」アーカイヴから抜粋してそのDJ、大滝詠一の名調子を振り返ってみました。大滝詠一追悼特集。今週と来週はミュージシャンとしての、またソングライターとしての大滝さんを振り返ってみたいと思います。

以前僕はNHK Eテレで「ザ・ソングライターズ」という番組をやっていました。国内の優れたソングライターに曲作りについていろいろな話を聞いていくという内容でした。そのとき真っ先に話を聞いてみたいと思ったのが大滝さんでした。そこで出演について相談したところ、自分はテレビ出演は苦手なんだけれどもラジオだったらやってもいいよ、ということで、なんとこの「Motoharu Radio Show」でゲスト、大滝詠一が実現することになりました。そのときの放送をちょっと振り返ってみたいと思います。

●「Motoharu Radio Show」2011年4月5日放送アーカイヴ

佐野元春 : 自分、NHKで「ザ・ソングライターズ」という番組をやっていまして...

大滝詠一 : 失礼しました、本当に。佐野くんから出演依頼がきましてね。いや、本当に僕はアレだったんですけれど、今日はその「ソングライターズ」のラジオ版ということでひとつ、あのお許しいただければというようなことで。

佐野元春 : ははは。ありがとうございます(笑)。うれしいです。'69年と言えばウッドストックがあったりとか、当時のロック・ジャーナリズムは「ニュー・ロック」なんていう言葉で、いろんな新しいバンドが出てきた、本当に激動のときだったんじゃないかと思うんですけれども、はっぴいえんどでとにかくやりたかったことは何だったんですか?

大滝詠一 : 何だったんですかね。とにかく日本語のロックというのは細野さんが考えたキャッチフレーズですから、えーっと思ったわけですけれどね(笑)。あの頃にもよく訊かれたんだけれども、日本語のロックって、日本語で歌ってどうでしたかって、よく訊かれるんですけれどもね、まず第一感はノリが悪いんですよ。こんなもん歌ってかっこ悪い(笑)。これが第一感です、やってる側の。自慢じゃないですけれど。どうやったら、なんからしく聴こえるようになるんだろうかということの闘いだったですね、三年間はね。

佐野元春 : 僕らの世代で聴いて思ったことは、はっぴいえんとの詩、例えば大滝さんが書かれた「颱風」という曲があって、英語の音韻を、日本語の音韻に置き換えて歌うというか、詩を書くというか、それをやった初めての世代かなって僕思ってるんですけれども。これも意識的にやってました?

大滝詠一 : 意識的にやりました。それ以前の人たちの、あと、前の聴いてみるとね、日本語で歌ってるんですよ。日本語っていうより漢字で歌ってるんですよ。で、松本くんは漢字が多いでしょ。字面はね。漢字で自分がおそらくノリが悪かったのは、漢字で歌っていたからだと思うの。だから全部音(オン)に分解したんですよ。だから僕の歌詞カード全部ローマ字になってるとよく言われたんだけれども。

佐野元春 : リスナーのみなさん。今、大滝さんのこの証言はとっても大事なことを言われてるんですよね。僕、「颱風」の歌詞、今一度手元にあるんですけれど、ちょっと読んでみたいんですよ。「四辺(あたり)は俄にかき曇り窓の簾(すだれ)を冽(つめ)たい風がぐらぐらゆさぶる」。こういう情景からはじまるんだけど...

大滝詠一 : それはね、例えばフォーク・ソングだと、"四辺(あたり)はー 俄にー かき曇りー" とか "窓の簾(すだれ)をー 冽(つめ)たい風がー" とか、こうなるんですよ。必ずこうなるんですよ。こうなって何がおもしろいもの? つまり、それは誰かがやってるし、誰でもやるから、誰もやらないことはないかと考えた(笑)。それで文節切るっていうくだらないアイディアを思いついた。

佐野元春 : まるでその日本語を英語のように...

大滝詠一 : 日本語英語ということもあるんだけど、ただ要するに、音に分解して文節切るということ。だから「四辺(あたり)は俄に」じゃなくて「あたりはに」で止めた。次は「にわかにか」で止めたっけね(笑)。馬鹿だよね。ふふふふふ。

佐野元春 : 馬鹿じゃなくて(笑)。これはとっても大事なことなんで、ちょっと僕、復唱したいんですけれど。「四辺(あたり)は俄にかき曇り」ですよね。普通のシンガーだったらば「四辺(あたり)は 俄に かき曇り」ですけれども、はっぴいえんど、大滝さんという歌手がやったのは「あたりはに わかにか きくもり」(笑)。これ、はじめて聴いた人は何なんだろうなって思いますよね。

大滝詠一 : 思いますよね(笑)。

・颱風

佐野元春 : 1971年、はっぴいえんど、アルバム『風街ろまん』から曲は「颱風」聴いてみました。

●「Motoharu Radio Show」2011年4月5日放送アーカイヴ

佐野元春 : 僕ら、レコーディングしていて楽器の録音はいいんだけれど、いちばん気を遣うのはヴォーカルのダビングですよね。で、大滝さんも自分は『A LONG VACATION』のときに、大滝さん、どんなふうにヴォーカル・ダビングしてるのか、人から聞いたんだけれど...

大滝詠一 : 見たことないよね。

佐野元春 : はい。見たことないです(笑)。

大滝詠一 : 見た人がいないんだよ。今のところ。

佐野元春 : なんか話によるとスタジオにこもってひとりでパンチイン、パンチアウトしながら...

大滝詠一 : やりますよ。結局、だってFUSSA STUDIOの5年間があってね、で、自分でエンジニアをやってたわけなので、そのときひとりしかいないわけだよね(笑)、当然。だからそのときに全部ひとりでやってましたから、もう『A LONG VACATION』のときはミキサー歴5年目6年目とか、7年目ぐらいのときですから。お手のもんですよ。

佐野元春 : 僕らだと大抵ディレクターとか、第三者がいて、歌を聴いてもらいつつ、ダビング進めてゆくというのが普通のやり方なんだけれども、大滝さんがひとりでヴォーカル・ダビングするというその理由は、やはり完全に曲のアレンジから、トーン・マナーから、全部知りつくしてるので、自分しか適切なヴォーカル・ダビングできない自信からなんでしょうか...

大滝詠一 : いやぁ、3つぐらいあるんですよ、理由が。それももちろんあるんだけれども、人がいるとやっぱり嫌なんだよ。

佐野元春 : あはははははは。はい(笑)。

大滝詠一 : それとか「どうぞ」とか言われるのも嫌なんだよ(笑)。

佐野元春 : 「歌ってください」とか「いいね」とか。

大滝詠一 : 「お願いします」って言われるの嫌なんだよね(笑)。自分でお金を出して、で、自分でミュージシャン集めてね、スタジオ代払ってだよ、自分でやってんだから。どうして僕はお願いされなきゃいけないのかっていうようなことをいろいろ考えたりとか。それから今はうまくいかないから、ちょっと元に戻してとか、どこまで戻すとか、そういうのを言ってるあいだが嫌なのよ。あそこでテンション落ちるもん、大抵。だから自分だとすぐ戻せるし、一曲だけパンチイン間違えてオケ消したことあるけどね。

佐野元春 : それは悲劇でしたね(笑)。

大滝詠一 : そうだよね(笑)。「論寒牛男(ロンサム・カウボーイ)」という『NIAGARA MOON』の後半のところで(笑)、あっ! と思ったね。すぐに止めて編集しましたけどね、後でね。それがひとつは人がいるのが嫌。人がいるとどうも自分の実力が出ない。人見知りがひとつ。それから人に命令されるのが嫌という我が儘な気質。

佐野元春 : 大滝さんらしいです。わかります。

大滝詠一 : あとは自分がエンジニアっていうか、自分がアシスタントというか、自分以上に自分の、どういうのかな申請にあったエンジニアリングとか、助手のやり方、僕以上にうまくやる人絶対にいないという(笑)。その3つぐらいですかね。

・君は天然色
・雨のウェンズデイ

佐野元春 : 1981年、アルバム『A LONG VACATION』から「君は天然色」、そして「雨のウェンズデイ」。2曲聴いてみました。大滝詠一追悼特集続いています。振り返ってみると大滝さんは常にレコーディングの技術についてとても意識的なミュージシャンでした。かつて大滝さんはレコーディング・エンジニア吉野金次さんと仕事をしていました。その影響もあって僕はアルバム『SOMEDAY』のエンジニアリングを吉野金次さんに頼んだという経緯があります。よいサウンドを作るにはよいレコーディング・エンジニアとの出会いが大事だ、そのことを教えてくれたのは大滝さんでした。「ザ・ソングライターズ」ゲスト大滝詠一に戻って吉野金次さんとの出会いについてこんなことを語っています。

●「Motoharu Radio Show」2011年4月5日放送アーカイヴ

佐野元春 : 当時は、レコーディング機材について訊きたいんですけれど、卓は何チャンネルだったんですか?

大滝詠一 : あれは16です。

佐野元春 : 確かエンジニアは吉野金次さん...

大滝詠一 : 吉野金次さんでした。だから吉野金次さんに教わって僕はあそこでエンジニアリングの面白みを味わうことができて。

佐野元春 : 当時はメインストリームは歌謡曲という音があり、そして大滝さんたちが、新世代たちが作ろうとしていたオルタネイティブな音がある。その音の違いは何かと言ったときに、やっぱりそれは録音にあるんだということに気づいた最初の世代だと思うんですけれども。大滝さん、細野さん...

大滝詠一 : だと思いますね。

佐野元春 : 当時は吉田保さん、そして吉野金次さん、このふたりがのちのロック、ポップのね、レコーディングの礎を作ったノウハウを持っていた唯一の二人でしたね。当時、レコーディングでソロを作られるときに吉野金次さんというエンジニアに求めるものは何でした、大滝さんは?

大滝詠一 : 吉野さんはね、とにかく自分の音と、ドラムなんか自分で持ち入りしますからね。リミッターも自分で、小型のポータブル型の持ってきて音作りのアレとか、マイキングですよね。マイクがこうどういうのとか、そのマイクの種類とかそういうようなことをいろいろと研究していた人だったので、我々と本当すごく話があったんですよ。

佐野元春 : 仲間という感じがした?

大滝詠一 : そういやね、「指切り」という曲があるんですよ(笑)、ソロ・アルバムに。

佐野元春 : いい曲ですよね。

大滝詠一 : あれね、一回歌ったきりなんです、アレ。あなたと一緒(笑)。リハーサルの曲なのよ。あれからちゃんとした、普通に出すもので、とりあえずガイドの歌ですよというつもりで、一回やったら吉野さんが「これがいい」って言うのよ。今のガイド・ヴォーカルなんだけどって言ったんだけれど、「絶対これだ」って。「これOKにしてくれなきゃ降りる」って言ったんだよ(笑)。

佐野元春 : 大滝さんはご自身でエンジニアリングをやられることでよく知られていますけれども、そのサウンド・メイキングだとか、一体レコーディング自体に興味を持ったきっかけというのは何だったんですか?

大滝詠一 : おそらくラジオだと思いますね。我々の世代は鉱石ラジオを(笑)、自分で作ったり、39スーパーだとか、59スーパーとか自分たちで組み立てたりとか、そのラジオで音楽が流れたきてというようなところからだと思いますよ。中学二年であとテープレコーダーを買ったので、そのときの録音の楽しみですかね。

佐野元春 : そしてナイアガラ・レーベルを設立なさいましたよね。'75年でしょ? このレーベルでもちろんプロデューサーとしてもやられたんですけれども、エンジニアリングも同時にやられた...

大滝詠一 : 人がいなかったから。全部ひとりでやらなきゃいけなかった。掃除する人もいないからね(笑)。掃き掃除からはじまるわけですよ。でマイク立てたりね。それからですよ。みんなが来て、譜面渡して。んでエンジニアの箱に入って、で行ったり来たりしてね。どうのこうのっていう。

佐野元春 : その後、時代はしかし、プロデューサー/エンジニアといってプロデュースもできるし、エンジニアリングもできる、そういう人がレーベルを作って、スターを育てて、それでレコードをヒットさせる。これ時代がのちにやってきますよね。その先駆けだったと思うんですけれども。ナイアガラ・レーベルでいちばん最初にレコーディングした日のことって覚えてますか?

大滝詠一 : はっぴいえんどから、つい最近、2003年の最後のレコーディングまで細かく覚えております。どのレコーディングがどういうふうにして行われたかっていうようなことは覚えております。自分でやってますからね、結局。

・指切り
・それはぼくぢゃないよ

佐野元春 : 1972年のレコード、アルバム『大瀧詠一』からレコード・エンジニア吉野金次さんとの仕事です。曲は「指切り」、「それはぼくぢゃないよ」2曲聴いてみました。大滝詠一追悼特集、Motoharu Radio Show、2011年4月5日の放送からゲストに大滝さんを迎えた回振り返って聴いています。

●「Motoharu Radio Show」2011年4月5日放送アーカイヴ

佐野元春 : 大滝さんがいちばん最初にポップ・ソングを聴いたっていうのは何歳ぐらいのとき、意識的にポップ・ソングに目覚めたのは何歳ぐらいのときですか?

大滝詠一 : それは'62年ですね。中学二年ですね。意識的なっていうのは。

佐野元春 : やはりラジオですか?

大滝詠一 : ラジオです。その前からラジオを聴いてましたが、いちばんの自分にとってのメインになる年は1962年なんですね。

佐野元春 : 中学二年生のときですか?

大滝詠一 : そうです。エルヴィスがリヴァイヴァル・ヒットしたんですよ。『ブルー・ハワイ』(笑)っていう映画が日本で大当たりして、それで昔の曲を再プレスしたらベスト10に入っちゃったっていうくらい、それが「Hound Dog」と「Don't Be Cruel」冷たくしないで、というカップリングだったんです。そのときにはじめて聴いたんです。

佐野元春 : エルヴィス・プレスリーは確か1956年にデビューですから...

大滝詠一 : 初シングル「Heart Break Hotel」はね。

佐野元春 : '62年というとかなりエルヴィスはスターとしてはもうオーソライズされていて、で、大滝さんにとってエルヴィスというのはどれくらいの存在だったんですか?

大滝詠一 : 『ブルー・ハワイ』で流行っている人みたいなふうですかね(笑)。ああいう♪Night and you And blue hawaii のね。ビング・クロスビーの持ち歌を自分のものにしちゃったんだからね。それは考えてみりゃすごい話ですよね。美空ひばりの持ち歌をあややが全部取ったみたいな感じだからね。そういう意味合いではすごい話ですよ。ちょっと例えが思い浮かばなかったんで、何なんだけれど。

佐野元春 : はい(笑)。

大滝詠一 : そういうようなことだったんだけれども、「Hound Dog」と「Don't Be Cruel」のカップリングを聴いたときにちょっとすごいと思いましたね。

佐野元春 : なるほど。その頃大滝さんはすでに楽器など弾かれてたんですか?

大滝詠一 : いや、全くない。僕は楽器は本当にはっぴいえんどになってから(笑)、やったに等しいですよ。だから本当に素人? もいいところで、以下のものでしかないです、どれも。どれもだめです。

佐野元春 : '62年、そのような出会いがあり、その後どんな音楽に興味を示しました?

大滝詠一 : '62年デビューがフォーシーズンズとビーチボーイズなんですよ。フォーシーズンズ、ビーチボーイズが'62年にデビューしてるので、本当にリアルタイムに彼らが出てきた第一曲目から「Sherry」と、まぁ日本では「Surfin' USA」だったですけれど。ここからずーっと出るもの追いかけてみたいな。だからこれ以降の人たち、'62年以降デビューのものは全部ずーっと'67年まで追いかけましたね。

佐野元春 : つまり、そうするとその後にビートルズが'64年にハプニングしますけれども、ビートルズ以前、ビートルズ以降をリアルタイムで経験している世代...

大滝詠一 : リアルタイムでした。ですからエルヴィスのリヴァイヴァル・ヒット、エルヴィスで産湯をあの、タイムライン的には遅いんですけれどね。エルヴィス史の中では遅いんですけれど、まぁエルヴィスのほうがメインだったわけですよ。だからビートルズが出てきたときにはビートルズ何するものぞという感はあるんですよ。いっぽうではね。とはいいながらもビートルズの魅力にも抗し難いというのでイギリス勢のほうに入っていくっていうのと、あのときにエルヴィスを友だちに任した。

佐野元春 : あはははは。

大滝詠一 : '64年以降は友だちが買ったんです、エルヴィス(笑)。で、友だちが買ってきてそれで聴くっていうのにして任して、あとはビートルズ以降のイギリス勢を聴きました。

佐野元春 : なるほど。その後、実際に楽器を持ったり、自分で曲を作ってみようと思ったのは何歳ぐらいのときですか?

大滝詠一 : たまたま高校三年のときにドラムが、持ってる人がいて、買わないかって(笑)、いうふうに言われて。買う前にどんなものかっていうので借りて、田舎だったものですから、友だちの田んぼの真ん中の一軒家のところに行って(笑)、柱のところにバスドラをとめて。それでそこでドラムを叩いたのが最初の僕のあの、最初はドラマーなわけですね。

佐野元春 : リズムからはじまったんですね。

大滝詠一 : 最初に叩いたドラムの音ですけど、録音はあるんです。はじめて叩いたときから一応テープの。下手ですけど一応ビートをトンスタタントンと叩いてました。

佐野元春 : 当時もちろんオープンリールのテープレコーダーですよね?

大滝詠一 : あのときもう'67年だからカセットの第一号みたいなのが出てきて、それで二人持ってたので、あの頃ダビングみたいにことをやったりもしました。

佐野元春 : 大滝さんはじゃあリズムからはじまった、ドラマーからはじまったっていうことですよね。興味深いですね。

大滝詠一 : 僕はドラマーだと自分では思ってます。ときどきだから、ドラムのフレーズなんかはほとんど自分が考えてるものが多いと思います。今までのものの中では。

佐野元春 : その後の大滝さんのソロのいろいろな楽曲なみられるリズム・アレンジはいろんなヴァリエーションがあるんですけれども、これはやっぱり大滝さん、いちばん最初に手にしたのがドラムだったという...

大滝詠一 : ドラマーだったという。だからドラムが気になるんですよ。さっきも「Surfin' USA」でもアル・パーマー、誰が叩いてるというようなことに耳がいってしまうんですけどね。

佐野元春 : ひじょうに興味深いですね。その後、自分で曲を作ったり詩を書いたりするんですけれども、同時に多重録音というものにも興味を持ちはじめるでしょう?

大滝詠一 : そうでしたね。だからカセットが二台あったら多重録音ができるんだっていうことを高三ぐらいなときに、誰でもね、あの頃買った人はやったりしてるんですけれど。あれをひとりでやったらおもしろいんじゃないかっていうことを、で、ソロ・アルバムですね。さっきの吉野金次さんとやったソロ・アルバムの中でずいぶん多重録音自分でひとりで。あの「空飛ぶくじら」のB面の「五月雨」っていうのがあるんですけど、あれはベース以外全部自分でやってるんです(笑)。で、「それはぼくぢゃないよ」は全部自分でやってますね。スチール以外は。だから一人多重録音に凝ったのが'72年から'73年にかけてですね。

・五月雨

佐野元春 : 大滝詠一、1972年のレコード、「五月雨」。シングル・ヴァージョンで聴いてみました。
以前僕がNHK Eテレでやっていた「ザ・ソングライターズ」という番組で、松本隆さんをゲストに迎えた回がありました。1984年の大滝さんのアルバム『EACH TIME』。このアルバムに「1969年のドラッグレース」という曲があります。作詞松本隆、作曲大瀧詠一。「君が言うほど時間が無限に 無かったことも今ではよく知ってる だけどレースはまだ 終わりじゃないさ ゴールは霧の向こうさ」そんなふうに歌っています。そのあたりの経緯について大滝さんに尋ねてみました。最後のほうで大滝さん、ちょっと意味深なこと言ってます。

●Motoharu Radio Show2011年4月12日放送アーカイヴ

佐野元春 : 「ザ・ソングライターズ」で松本隆さんをゲストとして迎えたときにね、「1969年のドラッグレース」あの曲の詩は松本隆さん言うところによると、暗に大滝さんに送ったものだと仰ってたんですよ。大滝さんもそう思いますか?

大滝詠一 : '69年に細野さんと僕と松本くんと一緒に、松本くんが運転して、軽井沢からぐるっとひと周りする旅というものをやったんです(笑)。あのときの歌です。結局ね、曲ができなかったんだよね(笑)。彼曰く、あのときの思い出を曲にしたんだと思います。

佐野元春 : あの詩というのは、やっぱり大滝さん、松本さん、細野さんが共有していた景色というふうに僕ら思っていいわけですよね。

大滝詠一 : 思っていいと思いますけどね。はっぴいえんど以前というか直前ですね。はっぴいえんどはじめるぞというような、それがおそらく'84年になって、15年経ってたわけですよね、『EACH TIME』のときには。そのときに、「まだ終わりじゃない」というようなことを、彼は言いたかったわけじゃないですか。僕は終わるつもりだったですけどね(笑)。

・1969年のドラッグレース

佐野元春 : 大滝詠一、アルバム『EACH TIME』から「1969年のドラッグレース」聴いてみました。
大滝詠一追悼特集、Motoharu Radio Show、2011年4月12日の放送からゲストに大滝さんを迎えた回振り返って聴いています。そうですね、もちろんこの「1969年のドラッグレース」のように松本隆さんと組んで作った曲も素晴らしいんですが、大滝さん自身が詩を書いた曲も魅力的です。大滝さん自身はいつも「作詞のほうはどうも」と謙遜していましたが、僕は個人的には大滝さんの書く詩は好きです。初期のレコード「あつさのせい」ごきげんなロックンロール。この曲について大滝さん、おもしろおかしくこんなふうに語ってくれました。

●Motoharu Radio Show2011年4月12日放送アーカイヴ

佐野元春 : それともうひとつは今回大滝さんが来てくださるということで、大滝さんが作詞をし作曲をした曲をピックアップしたんですけれども。

大滝詠一 : すいません、わざわざ、なんか気を遣っていただいて。大した歌はないですよ。言っときますけど僕の詩はね(笑)。

佐野元春 : 初期の作品においては擬音が多いですよね。どどどど、とか、いらいらいら、とか。

大滝詠一 : 多いですよね~。あれはオノマトペ。宮沢賢治は僕は一回も読んだことはないんだけれども(笑)、オノマトペが多いというのはあとで聞きましたね。やっぱり同県人だからなんでしょうか。

佐野元春 : 言葉の韻律というものに焦点を合わせて見ていくと、大滝さんはじめてやった楽器がドラムということで、リズムから先にくる人なんだなということがわかった。

大滝詠一 : リズムです。

佐野元春 : ソングライティングにおいても歌詞を書くときに、その意味性よりも韻律のほうに先に...

大滝詠一 : 仰る通り。意味性よりもというより意味性なし。音律100%。

佐野元春 : あはははは。けっこう意味が出てると思うんですけれども(笑)。

大滝詠一 : あとでこじつけ。意味は全く考えたことないですよ。自慢じゃないですけど。「あつせのせい」ってのがあって、みんな言ってて。「あっ! と驚くためごろう~」のがあの頃流行ってたのよ。「あっ!」っていうふうに言ったら、次に人は「と驚くためごろう~」と頭に浮かぶだろうと。で「つさにのぼせあがった」と違うの言ったら、ガクっとくるだろうっていう。そういう(笑)。ふふふ。ウケた? ウケてるね~。いいよ(笑)。

・あつさのせい

・番組ウェブサイト
「番組ではウェブサイトを用意しています。是非ご覧になって曲のリクエスト、番組へのメッセージを送ってください。待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

・番組終了のお知らせ
佐野元春 : さて、残念なお知らせとなりますが、Motoharu Radio Show、この番組は今年の3月をもって終了することになりました。まずは長い間、番組を愛聴してくださったみなさんに、心から感謝したいと思います。どうもありがとう。最終回までまだ後4回あります。最後まで楽しんでくださいね。
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Sunday Song Book #1113

2014年02月10日 | Sunday Song Book

2014年02月09日プレイリスト
「1づくしで棚からひとつかみ(1111回記念)」
1. 一本の音楽 / 村田和人 "ひとかけらの夏" '83
2. ONE / HARRY NILSSON "AERIAL BALLET" '68
3. MY ONE AND ONLY JIMMY BOY / THE GIRLFRIENDS '63
4. THE ONLY ONE FOR ME / TOMORROW'S PROMISE '74
5. YOU'RE THE ONLY ONE / DOLLY PARTON "GREAT BALLS OF FIRE" '79
6. ひとつだけ / 矢野顕子 "ごはんができたよ" '80
7. THE ONLY ONE / ROY ORBISON "MYSTERY GIRL" '89
8. ONE LITTLE TEARDROP / GEORGE GRANT & THE CASTELLES '89
9. ONE NIGHT STAND/ 竹内まりや "ヴァラエティ" '84
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・近況
番組は前日(8日土曜日)に収録していて東京は雪ががんがん降ってるという。達郎さんはスタッフが収録後に家に帰れるのかと心配しているそうだ。ときどき東京で大雪が降る。達郎さんの記憶だと30年前、15年前にも降ったとか。今回は風が強くて飛行機が飛ばないなどもあり、被害に遭われた方にお見舞いの言葉として、「もしかして大変な思いされてる方いらっしゃいましたらお見舞い申し上げます。風邪引かないように。ノロウィルスこないように気をつけてください」と達郎さん。

・1づくしで棚からひとつかみ
先々週、1月26日の放送で番組はめでたく「1111回」を迎えた。そのときは青山純さんの追悼特集だったためズレてしまったが、「1111」というのはめったにないので何かやってみようと思ったのだそうだ。何の根拠もないが「1111」と「1」が並んでるので今週は「1づくしで棚からひとつかみ」。「シャレです、シャレ」と達郎さん。ただ「1」が付いてるだけで普段の「棚つか」と何も変わらないとか。

・一本の音楽
村田和人さんの「一本の音楽」にリクエスト。達郎さんのプロデュース作品で1984年『ひとかけらの夏』からのシングル・カット。

・ONE
ニルソンの「ONE」。スリー・ドッグ・ナイトの1969年のミリオン・ヒットで有名。オリジナルは作詞作曲したニルソン。1968年のアルバム『AERIAL BALLET(空中バレエ)』に収録している。スリー・ドッグ・ナイトがカヴァーして全米ヒットした。達郎さんはニルソンの内省的なヴァージョンのほうが好きなのだとか。「大変歌のうまい人ですが、シンプルないいヴァージョンです」と達郎さん。
  
・MY ONE AND ONLY JIMMY BOY
ザ・ガールフレンズは3人組の黒人ヴォーカル・グループ。リード・ヴォーカルのキャロイン・ウィリスはのちにハニー・コーンに行ってヒットをたくさん飛ばした。ガールフレンズの唯一のヒット曲、1963年全米49位まで上がった「MY ONE AND ONLY JIMMY BOY」。作詞作曲・プロデュース・アレンジ、デヴィッド・ゲイツ。いわゆるウォール・オブ・サウンズ。昨年、オーストラリアのレア・ロッキン・レコーズというレーベルからデヴィッド・ゲイツの作品集が出た。「サンソン聴いて作ったのかなという感じでありますが」と達郎さん。今回はそのCDからいい音でオンエア。

・THE ONLY ONE FOR ME
スィート・ソウルからトゥモローズ・プロミス。キャピトルで3枚、マーキュリーで2枚、合計5枚のシングルが確認されてる。いわゆるスィートもので、その筋の方には評判のいいグループだが実体はあまりわかってない。3人組とか4人組とかいわれている。1974年、キャピトルからのシングルで「THE ONLY ONE FOR ME」。

・YOU'RE THE ONLY ONE
カントリー系からドリー・パートン。1979年のアルバム『GREAT BALLS OF FIRE』からのシングル・カット。全米59位、カントリー・チャート2位。ディーン・パークスのプロデュースによる素晴らしい作品で「YOU'RE THE ONLY ONE」。

・ひとつだけ
「1づくしで棚つか」は今週洋楽編で来週邦楽編をやってみようと思ってたそうだが、邦楽を物色したところ頭数が揃わなかったという。今週一週限りとなったが邦楽の中からいろいろ聴いた中でこの曲がダントツだった。矢野顕子さんの1980年のアルバム『ごはんができたよ』の1曲目に入ってる「ひとつだけ」。
曲をかけ終えて
「このときアッコちゃん25、(高橋)幸宏さんが28ですかね。つーことは大村憲司さんが31、坂本(龍一)くんも27,8ですね、細野(晴臣)さんが32,3という。驚くべき演奏力です(笑)。しかもこれ、クリックでやってるんですから。クリックでこれだけのグルーヴ。全然重さが違います(笑)。素晴らしい。演奏力の差ですね。久しぶりに聴いて感嘆してしまいました」と達郎さん。

・スケジュール表
サンデー・ソングブックは昨年2013年11月10日に放送1100回を突破。先々週の放送で1111回。ここからまた22年目に向かって躍進中。そこでリスナーのみなさんの日頃のご愛顧に感謝してプレゼントを用意している。「サンデー・ソングブック」の新しいロゴが入った文庫本サイズのスケジュール表。50名にプレゼント。2014年の4月スタートの年度スケジュール表。締め切りは2月28日の金曜日。

・プレゼント
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」プレゼント係
http://www.tatsuro.co.jp

・わたしのハワイの歩きかた
達郎さんが1月ずっと仕事していたのはまりやさんの新曲で映画の主題歌。6月14日全国公開『わたしのハワイの歩きかた』というオール・ハワイ・ロケの映画で、監督は前田弘二さん。『婚前特急』で新人賞を獲った方でこの脚本を書いた高田亮さんとまたタッグを組んで作られた映画。主演は榮倉奈々さん。
http://www.watashinohawaii.com/

この映画の主題歌をまりやさんが書き下ろした。主題歌のタイトルは「アロハ式恋愛指南」。詳しくはワーナーのまりやさんのスペシャル・サイトにて。
http://wmg.jp/artist/mariya/

そしてまた次の新曲のオファーが入ってきて、まりやさんは曲書き、達郎さんはまりやさんの違う曲のアレンジをやってるとか。いよいよアルバム・モードに入ってきたそうだ。

・THE ONLY ONE
ロイ・オービソンの1989年のアルバム『MYSTERY GIRL』はロイ・オービソンが亡くなったあとに発売された遺作。その中から「THE ONLY ONE」。今調べたらロイ・オービソンが亡くなったのは52歳のとき。「そんなに若かったんだという。美空ひばりさんとか石原裕次郎さんとおんなじですね。僕の最も好きなロカビリー・シンガーの一人でございます。歌い方の手本みたいな人であります。表現の塊」と達郎さん。ギターはスティーヴ・クロッパー、ドラムはジム・ケルトナー。トム・ペティのハートブレイカーズのメンバーとスティーヴ・クロッパーの混成、それにメンフィス・ホーンズが入ってる渋い編成。

・ONE LITTLE TEARDROP
もう一曲、残りものには福ということでドゥーワップ。ザ・キャステルズはフィラデルフィアのドゥーワップ・グループ。リード・ヴォーカルのジョージ・グラントはスィートな甘い声で、フィラデルフィア・スィート・ソウルの元祖。’50年代に活躍したキャステルズ。ジョージ・グラント&ザ・キャステルズという名義で1989年にシングルを出した。未発表の作品だが’50年代と何も変わらないテイストで達郎さんの好きな一曲「ONE LITTLE TEARDROP」。

・ONE NIGHT STANDド
まりやさんの1984年のアルバム『VARIETY』から「ONE NIGHT STAND」。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2014年02月16日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
http://www.tatsuro.co.jp
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Motoharu Radio Show #175

2014年02月07日 | Motoharu Radio Show

2014/02/04 OnAir - 1st. Week - 大滝詠一追悼特別番組 ~ありがとう、大滝さん~ 第二回
01.Crosby, Stills, Nash & Young:Woodstock
02.Neil Young:The Loner
03.Stephen Stills:Love the One You're With
04.Eagles:Take It Easy
05.James Taylor:You've Got a Friend
06.大滝詠一:乱れ髪
07.ナイアガラ・トライアングル:A面で恋をして
08.Little Feat:Dixie Chicken
09.Van Dyke Parks:Occapella
10.はっぴいえんど:さよならアメリカさよならニッポン
11.Dr. John:Iko Iko
12.Johnny Rivers:Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu
13.金沢明子:イエロー・サブマリン音頭
14.ナイアガラ・トライアングル:幸せにさよなら(シングルバージョン)
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋

佐野元春 : さて、昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方も多いと思います。謹んでお悔やみを申し上げます。'70年代から現在まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップ・ミュージックにひとつの可能性を開いてきました。Motoharu Radio Showでは前回から4週に渡って大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」を放送しています。今夜はその第二回目。'80年代、Motoharu Radio Showから現在まで、過去30年間に渡る貴重なアーカイヴをもとに、リスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。

大滝さんといえば「ゴー・ゴー・ナイアガラ」。ミュージシャンとしてだけでなく、ディスク・ジョッキーとしても素晴らしい仕事をなさっていました。選曲、構成、そしてトーク。大滝さんの番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」は時代を超えて多くの音楽ファンを魅了しました。最近ではここNHK-FMで「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝」という番組をやっていました。エルヴィス・プレスリー、デビュー前後からはじまって、'60年代のポップスまで、大滝さん独自の視点で米国ポップ音楽の歴史を追究していました。話によるとシリーズはこれからも続く予定だったということ。こうしてラジオDJとしてオールディーズを体系的に語れる人は今とても少なくなっています。それだけに大滝さんのDJがこれからは聴けないというのはとても残念なことだと思います。さて、ラジオということでいうと、大滝さんはこのMotoharu Radio Showとも深い縁がありました。1986年9月。僕が海外レコーディングでどうしても番組に出られないときがありました。そのとき番組リスナー・ファンのために代理としてDJをやってくれたのが大滝さんでした。大滝詠一追悼特集、ここで、Motoharu Radio Show、1986年9月29日の放送から大滝詠一、ディスク・ジョッキーとしての彼の名調子を振り返ってみたいと思います。

●「Motoharu Radio Show」1986年9月29日放送アーカイヴ

大滝詠一 : さて先週は'60年代中期から'60年代後半までのフォーク・ロック・ムーブメントを中心に、フラワー・ムーブメントを中心にお送りしました。で、最後は我々はっぴいえんどというグループを作ってましたが、そのはっぴいえんどのアイドルであったところのバッファロー・スプリングフィールドの曲をたくさんかけましたけども、そのへんの流れが'70年代に入ってどういうふうに流れていったかというのを本日は特集していこうと思います。

・Woodstock

大滝詠一 : クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングでお送りしました。「Woodstock」でした。で、僕らちょうどこの辺が大学の時代でしたけれども。ですから個人的に申しますと僕の場合はエルヴィスでロックを知って、そしてビートルズを経て、ビートルズ・ジェネレーションでもあり、そしてウッドストック・ジェネレーションとも呼ばれるところの範疇に入ってるはずですけれども。というくらいこのウッドストックのコンサートはすごかったということですね。それではこのニール・ヤングも、このクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングにも参加したり、個人的にもソロ・アルバム出していましたけれども、ニール・ヤングの曲を聴いてみましょう。ひじょうに好きな曲でございます「The Loner」。

・The Loner

大滝詠一 : ニール・ヤングでお送り致しました「The Loner」という曲でした。ひじょうにかっこいい曲でねぇ、これははっぴいえんど時代に「春よ来い」という曲を作りました、この曲に影響されて。というふうに、途中で入るストリングスなんかも、ひじょうにロックの中でこう入ってくるという、まぁもちろんビートルズなんかいろいろやってましたけれどもね。ストリングス・アレンジャーとして、またこれが僕が大好きなフィル・スペクターというプロデューサーがいますが、そこでアレンジャーとして活躍していたジャック・ニッチェの名前を、大体そう7,8年ぶりぐらいにこのニール・ヤングのアルバムで見たというのも、ひじょうに感激したものでございました。さて、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの中でもちろんリーダー格はスティーヴン・スティルスでしたね。バッファロー時代からも彼がリーダーでしたけれども。彼もソロ・アルバムを出しています。この曲聴いてみましょう「Love the One You're With」という曲でございます、スティーヴン・スティルス。

・Love the One You're With
・Take It Easy

大滝詠一 : ジャクソン・ブラウンのペンによりますところの「Take It Easy」、イーグルスのデビュー・ヒットでした。この曲がものすごくヒットしていた頃というのはちょうどはっぴいえんどが解散する頃でして、イーグルスの曲がよくかかっていました。イーグルスも最初はこういうふうにどちらかというとカントリー・ロック的な感じのデビューをしておりますね。で、ウエストコースト・グループにひじょうに特徴的なのはやはりコーラスがこうキレイという感じが、ビーチボーイズ以降ずっとあるような感じがありますけれどもね。で、イーグルスといいますと現在でもご存知の通りグレン・フライとか、それからドン・ヘンリー、この人たちが在籍していたグループでありましたね。さて、こういうふうにグループから独立してソロ活動するというのが、だんだんこういうブームになってきたわけですけれども。うーん、ソロ・シンガーといいますかね、フォーク・シンガーの人たちもだんだん出てまいりまして、その人たちを大体シンガー・ソングライターというふうに今度呼ぶようになりました。ですからシンガー・ソングライターの時代というのが来るわけです。それのいちばん代表曲というふうになったのは、たぶんこの曲ではないかと思います。ジェームス・テイラーの「君の友だち」というタイトルでしたかね、「You've Got a Friend」1位になりました。ジェームス・テイラー。

・You've Got a Friend

佐野元春 : 「Motoharu Radio Show」1986年9月29日の放送から大滝さんのDJを振り返ってみました。オンエアした曲は当時全て大滝さんが持ってきたアナログ盤でかけています。途中、プチプチプチというアナログ盤特有のノイズが聴こえていたと思います。懐かしいですね。Motoharu Radio Show、番組ではこれまで何回かゲストとして大滝さんを招きました。僕の拙い質問に大滝さんはいつも誠実に、また時折ユーモアを交えて優しく答えてくれました。この放送は1986年6月7日、音楽の普遍性について語っています。

●「Motoharu Radio Show」1986年6月7日放送アーカイヴ

大滝詠一 : どうなんだろうな? だからメロディとしてさ、割に生きるものっていうのは長く残るみたいだよね。リズムがすごく強烈なものは瞬間的に時代に突き刺さる威力が強いみたいだけど。メロディとして残るか残らないかというのはひとつのアレになるみたいだね。

佐野元春 : 普遍性があるかどうかの証になるね。

大滝詠一 : それは時代と共に変わっていく部分も、普遍性に変わっていくものを入れるのはひじょうにおかしいとは思うけどもさ。普遍性の中にも少しずつ変わっていかざるを得ないところがあるわけでしょ。だからその時代その時代でどう読めるかというのはちょっとわかんないんだけどね。

・乱れ髪

佐野元春 : 作詞松本隆、作曲大瀧詠一。1972年リリース、アルバム『大瀧詠一』からの曲「乱れ髪」聴いてみました。このあとはナイアガラ・トライアングルについて語っています。

ジェイムス・ダーレン、シェリー・フェブレー、ポール・ピーターセンのアルバム『Teenage Triangle』のもじりが大もと。「3」という数字には三人寄れば文殊の知恵とか(長嶋茂雄の背番号「3」そういうの)もあったかもしれない。役割意識というのは誰が入ってもあるようで、ひとりが中心で右と左というのは据わりがいいし、見た目の数としても。決して前にいた人間の位置だというのではなくて「3」という限られたときの各々の役割分担というというのがある。そういうことなんじゃないかと大滝さん。

トライアングルの3人が全部上向きのベクトルがないと、どんなにビッグなアーティストが集まっても、それなりの強い力が出て来ない。弁証法という言葉にもあるように三角形にも当てはまると思うんだと元春。

みんな1ぐらいの力を軽く出したとしても、せーのでピッタリ合ったりすると10ぐらいの力になったりすることもある。例えば二人が10ずつ出しても、ひとりがマイナスのベクトルを持ってたりすると0にもいかない。20の力もなくなってしまうぐらい恐いもの。そういう発想から下げてきた企画がほしい。今だとあるものをどうしたらいいのかというものしか出ない。そういうのだったら発想なんて出るわけない。これとこれしかいないから何やろうか、そうじゃない。最初にこういうのあったらどうだろうかというところから持って来なければいけないと大滝さん。

・A面で恋をして

佐野元春 : 曲は大瀧詠一プロデュース『Niagara Triangle Vol.2』から「A面で恋をして」。さて、『Niagara Triangle Vol.2』が出た同じ年1982年、僕はアルバム『SOMEDAY』を出しました。そのアルバム『SOMEDAY』のリリース20周年のときに、大滝さんから何かコメントをいただきたいと思って頼んだところ、快く引き受けてくれました。このコメントをいただいたときは本当にうれしかったですね。僕の曲「SOMEDAY」について語ってくれています。ラジオをお聴きのみなさんにも紹介したいので是非聴いてみてください。

大滝詠一 : 佐野くん、そして佐野元春ファンのみなさま大滝詠一でございます。先日は僕のラジオ・プログラム「スピーチ・バルーン」にゲストで出ていただきまして、どうもありがとうございました。実に久し振りに杉くんとも3人でトライアングル対談を行いましたけれども、実に楽しいものでしたね。なかなか音楽でも3人とも、コンビネーションうまくいきましたけれども、ああいうトークでも我々はうまくいけるなという感じがしますね。レツゴー三匹の後がまも狙えるというか、例えが古かったです。脱線トリオの後がまも狙えるかという(笑)、ふふふ、さらに古いですけれども。さて、そこで『トライアングル』もそうでしたが『SOMEDAY』も20周年ということでおめでとうございます。リマスタリングされましたこのアルバムを久々にまたじっくり聴きましたけれども。この前の「スピーチ・バルーン」の中でも佐野くんは、たまたま僕のセッションを見に来て云々ということを、僕を立てて発言しておられましたけれども。こと「SOMEDAY」をまた聴き直しましたが、やはりひじょうに佐野元春そのものが出ているといいますか、多少のきっかけになりましたけれども、直接的には僕は何の関係もなく、佐野元春が中に眠っていたもの、それから常に思っていたもの、こうしたいというものが、この一曲に集約された、そういう時期だったんだなというようなことを思いますし、聴けば聴くほど本当に名曲だと思いますね。アーティストというのはあまり1曲、それだけを語られるというのはね、ある種面映いものがあるんですけれども、しかし20年も経ったことを考えてみますと、他の楽曲はもう消えつつあるというか、ほとんど消えてるものばかりですので、これは本当に'80年代の名曲として残っているベスト3に入る名曲だというふうに思いますし、それはそれで本人もそうですしょうけれど、大事にしていきたいと思ってるでしょうし、大事にしていってほしいなと思う楽曲でございます。大滝詠一でした。

佐野元春 : そうですね。思い返せば「SOMEDAY」というこの曲、大滝さんのレコーディングを見学したことがきっかけで曲のデザインが決まりました。まだ自分の経験が浅くて何もわからなかったときに、レコーディングの方法を教えてくれたのが大滝さんでした。「SOMEDAY」という曲は大滝さんとの出会いがなければ生まれなかった曲だと思っています。Motoharu Radio Show、大滝詠一追悼特集続いてます。ではここで再びDJ大滝詠一に登場願って、1986年10月6日の放送からはっぴいえんど時代の海外レコーディングについて、またヴァン・ダイク・パークスとの出会いについて語っている貴重な証言といっていいと思いますね、ちょっと聴いてみたいと思います。

●「Motoharu Radio Show」1986年10月6日放送アーカイヴ

大滝詠一 : さて、先週バッファロー・スプリングフィールドの第二世代ということでイーグルスをかけたりしましたけれども、やはり他にも第二世代のグループが出てきまして、特に素晴らしかったのはリトル・フィートというグループでした。で、ちょうどこのときにはっぴいえんどは解散するために3枚目のアルバムを作りにロスへ行ったんですけれども、このリトル・フィートがちょうどこの『Dixie Chicken』というアルバムを製作中でした。

・Dixie Chicken

大滝詠一 : リトル・フィートでお送り致しました「Dixie Chicken」でした。名曲ですけれどもね。ロスのクローバー・スタジオでしたかね、そこへ見に行ったときにレコーディングやってました。この曲ではなかったんですけれども、そのレコーディングがこういう名作中の名作といわれるアルバムになるとは、そのときは気がつきませんでしたけれども。しかしこのタイトなリズム隊とか、それからリード・ヴォーカルがロウエル・ジョージという人でしたけれども、この人の声とか、それからギターとかなかなかに見るからにすごいものがありました。で、リトル・フィートのアルバムなどにはヴァン・ダイク・パークスの名前、クレジットなども見られまして、大体ヴァン・ダイク・パークスという人はそういうふうにいろんなセッションに顔を出すというか、割合トラブル・メーカー的にいろんなところに、お呼びでないのにしゃしゃり出るというパターンもけっこうあったようですけれども。まぁ、しかしながらこのリトル・フィートはなかなか素晴らしく、で、伊藤銀次がリーダーだったグループ、ココナツ・バンクというグループがいまして、そのグループはリトル・フィートをお手本にしようと、はっぴいえんどがバッファローをお手本にしたので、ココナツ・バンクはリトル・フィートをお手本にしてバンドのサウンド作りというのをやりました。さて、当のヴァン・ダイク・パークスという人もちょっと前ぐらいにレコーディングを終えてまして、アルバムが出ておりました。それが『Discover America』という、これはまた名作中の名作で、マニアのあいだではひじょうに評判が高いアルバムですけれどもね。当人のヴァン・ダイク・パークスのアルバムから1曲聴いてみましょう。「Occapella」。

・Occapella

大滝詠一 : ヴァン・ダイク・パークスでお送り致しました「Occapella」でございましたけれどもね。こういうふうにロスの音楽というのは割合ニューヨークなんかに比べるとのんびりとした感じありまして、で、やっぱりウッドストック以降は、どういうんですかね、進歩というかそういうのではなく、少しゆっくりしようという感じみたいなのが全般的にありまして、レイドバックなどという言葉も流行ったりしました。さて、ちょうどこの頃にロサンジェルスのサンセット・サウンド・スタジオというとこへ行って、鈴木茂、松本隆、細野晴臣と最後のアルバムを作っていたんですけれども。みんなひとり、茂と細野と僕と4曲ずつ書けば12曲になるというので、みんな分担が4曲というふうに決まったんですが(笑)、僕は曲がなかなかできなくて、2曲しかなくて3曲目を作ろうと、なんかいろいろセッションみたいなのをやっていたところにふらりと現れたのが、実はヴァン・ダイク・パークスがふらりと現れたわけなんです。それで急にその曲のプロデュースを突然はじめたんですね。そこで、さっき「Do Re Me」という曲のアレンジャーで、カービー・ジョンソンという人がアレンジしてましたけれども、その人が突然現れて、突然セッションになったというのがこの曲でございました。はっぴいえんどの「さよならアメリカさよならニッポン」。

・さよならアメリカさよならニッポン

大滝詠一 : はっぴいえんどの「さよならアメリカさよならニッポン」でしたけれども。このときにスライド・ギターで、ライ・クーダーよりうまいスライド・ギターがいるというんで、えへ(笑)、スタジオに来たのがそのリトル・フィートのロウエル・ジョージでして。この曲でロウエル・ジョージがスライドを弾いてます。それからピアノはヴァン・ダイク・パークスが「Remember Pearl Harbor!」などと怒鳴りながら自分でひとりで弾いておりました(笑)。というようなことで僕らはここで、まぁヴァン・ダイク・パークスはブライアンなんかとも一緒にやってたわけですけれども。フィル・スペクターもロサンジェルスのスタジオでゴールド・スターというスタジオでやってましたし。ですからフィル・スペクターから、ブライアン・ウィルソンから、それからヴァン・ダイク・パークスとこう、ロサンジェルスのひとつの曲のプロデュースの仕方というか、そういうようなものが一線に繋がったというか、目の当たりにすることができたという、そういう貴重な体験をこのはっぴいえんどの最後のアルバムですることができたわけでした。で、ヴァン・ダイク・パークスの『Discover America』にしても、リトル・フィートの『Dixie Chicken』にしても、行く前に聴いてたんじゃなくて、帰って来てからこんなにすごかったのかなってな感じで聴いたわけです。

・Iko Iko

大滝詠一 : Dr.ジョンでお送り致しました「Iko Iko」でした。Dr.ジョンという人もひじょうに活動が古い人でリトル・リチャードの頃に本名のマック・レベナックでいろいろとやっていた人ですけれどね。'70年代に出てきましたけれども。今のようなドラミング、このマーチのようなドラミングをセカンドライン・ドラミングと言いました。僕は未だにこのドラムが大好きです。さて、他にもたくさんニューオーリンズにはいろんなリズム&ブルースのアーティストがいたわけですけれどもね。特にヒューイ・スミスとクラウンズという人たちは割合ニューオーリンズではすごく有名です。で、ポップ・チャートでの大ヒットはないんですけれども。その曲をカヴァーするという白人ロックンローラーが現れました。ジョニー・リバースという人でこの人は「Memphis」というヒット曲、チャック・ベリーの「Memphis」をカヴァーして出てきたロックンローラーですけれども。この人がヒューイ・スミスとクラウンズの「Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」というひじょうに長いタイトルの曲をカヴァー致しました。ジョニー・リバース!

・Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu

大滝詠一 : ジョニー・リバースでお送り致しました「Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」でございました。

佐野元春 : 大滝さんの音楽といえば僕が感じるのはちょっとしたユーモアのセンスです。ご存知のとおり大滝さんはクレイジー・キャッツの研究家でもあります。実際「実年行進曲」というクレイジー・キャッツの曲を曲プロデュースしていました。大滝詠一音楽の中にある諧謔の精神ですよね。それがどこからきてるのかこんなふうに語っています。

●「Motoharu Radio Show」1986年9月1日放送アーカイヴ

元春が前から訊きたかったとして「いちばん失敗したと思う作品は何だったのか」と質問。

ナイアガラのヒストリーは圧倒的に成功が少なくて失敗談でできてる。8割以上失敗談で1,2割の成功もあまり成功と呼べるものでもない。1個、1個についてこれはこう失敗したというのは全部明確にある(笑)。例えば1枚目のシュガーベイブの『Songs』だったら、山下くんとぶつかって「あそこメロディックにしたかったのにリズミックにした」と未だに怒られたりもするんだけどね(笑)。『Niagara Moon』だったら音をもうちょっとよくすればよかったとか、『Go Go Niagara!』だったら一晩で5曲詩を書いて歌入れてミックスしたとか、『Go Go Niagara!』のときがいちばんひどかった。例えば今、時間をかけて、お金もかけて、ふんだんにどうのこうのと言うけれども、一晩で5曲詩を書いて歌入れてミックスという悪夢は一生拭い去れるものではないですけれどね、と大滝さん。

「逆に自分でいちばん成功したと思われるチューンは?」と元春。

「自分のものはあまり成功しないんですよね」と大滝さん。

「最近、他の人をプロデュースしたのは小林旭さん?」と元春。

クレイジー・キャッツの「実年行進曲」を今年1曲書いて、今年はそれ1曲だけ。本当に1曲だけ。普通シングル書くときはB面も一緒に書くでしょ。私は書かないの。去年は小林旭の「熱き心」1曲だけ、と大滝さん。

「このふたりというのは大滝さん個人的に関わりのあった...」と元春。

クレイジー・キャッツがなければこういうふうにひねくれた精神になってなかったと思うし(笑)、小林旭のようなああいう、歌うことの気持ちよさというのかな、とにかく目一杯声出して、張り上げて。それで両方とも共通しているのがコミカルなものが半分、クレイジー・キャッツはメロディックなものはないけれどね(笑)。メロディックなものがあるし、思想的なところもあれば、エンターテインメイントみたいなところもある。そっちの方が自分でおもしろいんですよ、と大滝さん。

・イエロー・サブマリン音頭
大瀧詠一プロデュース、金沢明子の歌で「イエロー・サブマリン音頭」。

CD聴いて思ったけども、レコードってすり減るでしょ。本なんかも何度も見ると手あかがついて真っ黒になるけども、そういう種類のことができなくなるというのは、あまりにもセンチメンタルな意見かなと思いましたね、大滝さん。

「思入れの度合いがビジュアルで見える(笑)」と元春。

これからもちろん思い入れの回数ってあるんだけどね。そういうこと自体がいいか悪いか別にして、ある種の楽しみ方というのはひょっとすると残念なことにジェネレーション的なことになるかもしれないですね。どんなジェネレーションにも思い込みはあるんだけれども、CD以降の人たちの思い込みというのは、どういうふうなかたちとなって現れるのかなって、と大滝さん。

「それは興味深いです。CDに指紋つけるとか」と元春。

何度か聴いていくと変色するとかね(笑)。千回超えるとだんだん光ってくるとか。そういうのがあるのかと思ったりしましたね、と大滝さん。

佐野元春 : CDの次の世代ということで、現在はダウンローディングの時代ですよね。しかし、どんなに時代が変わってもレコードは愛情を込めて作るもの。それを教えてくれたのも大滝さんでした。大滝詠一追悼特集、その第二回目。'70年代に出した『Niagara Triangle Vol.1』。山下達郎、伊藤銀次が参加しました。このアルバムからシングル・カットされたこの曲。伊藤銀次作詞作曲、達郎、銀次、大滝さんと一小節ずつ交代でヴォーカルを取っています。「幸せにさよなら」シングル・ヴァージョン。今夜はこの歌を聴いてお別れです。

・幸せにさよなら

佐野元春 : 今夜のMotoharu Radio Show、楽しんでもらえましたか? しかし、不思議ですね。僕は未だに大滝さんにメールを出せば、いつものようにすぐ返信があるような気がしています。ですのでこうした追悼番組をやっていることがな何か不思議な気がしますね。来週も引き続き大滝詠一追悼特別番組「ありがとう、大滝さん」その第三回目をお届けします。お楽しみに。
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Sunday Song Book #1112

2014年02月02日 | Sunday Song Book

2014年02月02日プレイリスト
「棚からひとつかみ」
1. ヘロン / 山下達郎 "コージー" "オーパス" '98
2. I HEAR YOU KNOCKING / DAVE EDMUNDS '70
3. TRYING TO GET TO YOU / EUGENE RECORD "TRYING TO GET TO YOU" '78
4. CABBAGE ALLEY / THE METERS "CABBAGE ALLEY" '72
5. JUST AIN'T GOOD ENOUGH / JOHNNIE TAYLOR "BEST OF THE OLD & THE NEW" '82
6. YOUR LOVE IS / NEW BIRTH "BEHOLD THE MIGHTY ARMY" '77
7. MAGIC TOUCH / 槇原敬之 "リッスン・トゥー・ザ・ミュージック 3" '14
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■内容の一部を抜粋
・近況
達郎さんは明後日2月4日が誕生日。61歳になるそうだ。
「二十代の頃がなんかほんの昨日のようなことに思います。来年でバンドを作ってデビューしてからちょうど40年を迎えることになりますが、したがいまして40年前はシュガーベイブで活動してたわけでございますがですね。不思議な気がいたします。気だけが若いのかなという感じもしますが。私たちの世代の、モラトリアム世代とかいろんなこと言われておりますけれども、そうしたものなのかもしれませんけれども。いい年になってきましたですがね。毎年毎年一所懸命働きたいと思っております。一所懸命働いております、実際ですね」と達郎さん。

ようやくまりやさんの新しい作品のミックスダウンが終わり、今月はいよいよ、まりやさんの新しいアルバムのレコーディングに入る。そのあいだにまた新曲のオファーがきて、まりやさんは曲書き、それを2月一杯までアレンジするというスケジュール。

・ヘロン
冬期オリンピックが近づいてきたからなのか、妙に「ヘロン」へのリクエストが増えてるそうだ。達郎さんの1998年のシングル。

・棚からひとつかみ
仕事と仕事の合間で番組のほうも一段落ついて今週はレギュラー・プログラムの「棚からひとつかみ」。昨年末までツアーだったので、オールディーズもののリリースも追いきれなくて、家に山のように積んであるそうだ。暇を見つけて聴くようにしてるけれど、けっこういいものがたくさんあり、そういうものを選んで聴いていただくプログラム。ほぼワーナーのカタログからで、ワーナーの回し者で「棚からひとつかみ」。

・I HEAR YOU KNOCKING
昨年の後半はずーっとツアーだったが、その間も引きも切らずオールディーズもののCDが続々と廉価版でリリースされている。ワーナーのあの千円シリーズの怒濤のリリースもあるし、モータウンもすごい。パッケージの終焉前夜ということもあるかもしれない。日本が世界中でいちばんパッケージが売れてるマーケットになってしまった中で、お金がいくらあったって足りないほど、いいカタログがたくさん出ているという。

ワーナーがイギリスのパーロフォンのカタログを獲得して、ビートルズは入ってないけれど、ホリーズなどのブリティッシュ・ビートをはじめ、カートム、カーティス・メイフィールドのカートム・レーベルまで入ってきて、いろんなものが出るうれしい何ヶ月となっている。そんなパーロフォン・レーベルの契約から今回ワーナーが出したのが新・名盤探険隊のシリーズとしてデイヴ・エドモンズの紙ジャケが出た。ラヴスカルプチャーというバンドでデビューして、ソロになって出したこの曲が1970年全英NO.1、アメリカでも4位の大ヒットになった。もともとはブルース・シンガーのスマイリー・ルイスの1955年のヒット・ナンバーをカヴァーしたもの。デイヴ・エドモンズがひとりマルチプレイで録音して大ヒットした「I HEAR YOU KNOCKING」。アルバム『ROCKPILE』からのシングル・カット。

・TRYING TO GET YOU
ユージン・レコードのワーナーでのソロ・アルバム。1978年のセカンド・アルバム『TRYING TO GET YOU』が世界初CD化。日本でマスタリングして昨年の9月25日リリース。達郎さんの大好きなアルバム1曲目の「TRYING TO GET YOU」。'60年代、'70年代、シカゴを代表するシンガー、チャイライツのリード・ヴォーカルとして一世を風靡したシンガー、ソングライター、そして偉大なプロデューサーでもあるユージン・レコード。2005年に亡くなった。「'70年代シカゴの風が吹くきれいにエコーが堪能できます」と達郎さん。トムトム84のアレンジも冴えて、ドラムはモーリス・ジェニングス、ベースはルイス・サターフィールドでトロンボーンも吹く、フェニックス・ホーンズ、アース、ウィンド&ファイアのブラス・セクションの人。

・CABBAGE ALLEY
ミーターズのワーナー、リプリーズ・レーベル移籍第一弾『CABBAGE ALLEY』は1972年のアルバム。世界初CD化。「ATLANTIC R&B BEST COLLECTION 1000」から出ている。
http://wmg.jp/special/randb1000/

達郎さんが大瀧さんの家に初めて行ったときかかっていたアルバムだとか。プロフェッサー・ロングヘアーの元ネタで、「これがニューオーリンズだよ」と大瀧さんに教えてもらったのを思い出すという。アルバム『CABBAGE ALLEY』からタイトル・ソングの「CABBAGE ALLEY」。途中で大騒ぎする様子がシュガーベイブの「SUGAR」に受け継がれて行く。「時代の雰囲気でございますね」と達郎さん。

・前厄
リスナーから「今年主人が前厄なんですが、お祓い以外に何かしたほうがよいのでしょうか?」という質問。
達郎さんは「厄というのは体質が変わることとすごく深く関係がある」とお医者さんから聞いたことがあるそうだ。達郎さん自身は40ちょい前ぐらいからサプリメント、例えば乳酸菌とかを欠かさず、定期的に、朝摂るようにしているそうだ。20年ぐらい続けていて、それが四十代、五十代の健康維持に繋がってると思ってるとか。そういうものをそろそろはじめたり、健康診断、人間ドックは40過ぎたら行ったほうがいいと。達郎さんはそのようにして生きてきたという。サプリメントとか一日杯一杯の漢方とかは10年、20年続けるとすごく効果が出てくるそうだ。

・JUST AIN'T GOOD ENOUGH
ジョニー・テイラーは1980年代の前半にビバリーグレンというレーベルでレコーディングしていた。パトリック・モーテンというプロデューサーのもと作品をいくつか作っていて、その頃のジョニー・テイラーが達郎さんは好きなのだとか。そうした1980年初期のビバリーグレン時代の作品がまとめて『BEST OF THE OLD & THE NEW』としてリリースされた。その中から1982年の「JUST AIN'T GOOD ENOUGH」。

・スケジュール帳
サンデー・ソングブックは先週の放送で1111回を迎えた。そこでリスナーのみなさんの日頃のご愛顧に感謝してプレゼントを用意しているそうだ。「サンデー・ソングブック」の新しいロゴが入った文庫本サイズのスケジュール帳。50名にプレゼント。2014年の4月スタートの年度スケジュール帳。締め切りは2月28日の金曜日。

・プレゼント
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」プレゼント係
http://www.tatsuro.co.jp

・邦楽ロック
リスナーから「邦楽ロックは聴かれますか? 聴くとしたら誰ですか?」という質問。
達郎さんは自分と同じ傾向の音楽をほとんど聴かないという。系譜でいうとアナーキー、ブルーハーツ、イースタンユース、ミッシェルガン・エレファント、ロッソ、バースデイ、ハイロウズ、クロマニョンズというような、オルタナ系のハード・サウンドが好きだとか。ジャズもフリー・ジャズばっかりしか聴いてないそうだ。自分ではできないので逆に憧れるというかたちでもあると達郎さん。

・YOUR LOVE IS
ニューバースはレスリー・ウィルソンの素晴らしいヴォーカルが冴え渡る大所帯バンド。RCAからワーナーに移籍して、ワーナー移籍のセカンド・アルバム、1977年の『BEHOLD THE MIGHTY ARMY』。過去に何度かCD化されてるが今回はリマスタリングがいいそうだ。ワーナーの千円シリーズからなので買い直しても「買い」なのだそうだ。ニューバースの最高傑作と達郎さん。2曲目のバラード「YOUR LOVE IS」はレスリー・ウィルソンしか歌えない超絶な素晴らしいヴォーカル。

・MAGIC TOUCH
いろいろな人が達郎さんの曲をカヴァーしていて、月に何枚もサンプル盤が送られてきたり、許諾の書類が届いたりしてるそうだ。槇原敬之さんのカヴァー・アルバム『LISTEN TO THE MUSIC 3』が1月22日に発売となり、その中に達郎さんの曲が3曲取り上げられている。ほかには小田和正さん、久保田利伸さん、ユーミン、中島みゆきさんがそれぞれ3曲ずつみたいな感じで取り上げられている。達郎さんのカヴァーは「RIDE ON TIME」、「GET BACK IN LOVE」、そしてなぜかDISC 1の1曲目に「MAGIC TOUCH」。「MAGIC TOUCH」は未だかつて人にカヴァーされたことがなく、達郎さんの中では地味なあまり成功しなかったシングルの一曲。「槙原さんにはとても合ってる、すごくいいのでですね。私、人にカヴァーしてもらうのあまり聴かないのですけど、このMAGIC TOUCHは槙原さんならではの味で、歌の世界が合ってる感じで、すごく好きなトラックなので、今日はお聴きいただきたいと思います」と達郎さん。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2014年02月09日は、「1づくしで棚からひとつかみ(1111回記念)」
http://www.tatsuro.co.jp
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