Sunday Song Book #1172

2015年03月29日 | Sunday Song Book

2015年03月29日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 5」
1. I CAN'T GET IT / THE MIDNIGHT MAIL '66
2. LOVE YEARS COMING / STRAWBERRY CHIDREN '67
3. MARIONETTE (DEMO) / JIMMY WEBB "SONGBOOK" '6?
4. MARIONETTE / ART GARFUNKEL "WARTERMARK" '78
5. ONE OF THE NICER THINGS / JIMMY WEBB '68
6. FINGERPAINTING / JIMMY WEBB "THE NAKED APE OST" '73
7. FINGERPAINTING / ART GARFUNKEL "WATERMARK"(REPLACED) '77
8. ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK / HAL BLAINE '68
9. ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK / REG WILSON '68
10. PIANO (DEMO) / JIMMY WEBB '04('72)
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■内容の一部を抜粋
・近況
早いもので三月も終わり。年度末になるとラジオのメディアは番組改編の時期。この季節になると「大丈夫なの?」というお便りが届くとか。
「全然大丈夫です。何事もなかったように四月に入るんです。お陰様で来年度もちゃんとやりますので(笑)、引き続きよろしくお願いします」と達郎さん。
達郎さんは今、スタジオに入ってて、今月一杯が締め切りの仕事なのでウンウン(唸って)テンパってるそうだ。今日は番組を前倒しで収録しているという。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 5
結局、三月は5週間ジミー・ウェッブ特集になった。これが本来のこの番組のはじめたときの姿で、ここ数年間は柔らかくなったが、昔はパツンパツンにオタクな番組だった。最近はそうじゃなくなっていて反省はしてないけれども、たまにはソングライター特集を。ジミー・ウェッブ特集をはじめたときは3週間の予定だったが5週間でも足らないぐらい。キャリアが長いので大変。今回はジミー・ウェッブ自身の歌を中心に特集するが'70年代以降の作品化されてないデモとかCD化されてないものがほとんど。でも曲はいい曲が並んでいる。

・I CAN'T GET IT
キャロル・キングもバリー・マンももともとは歌手志望だったが、夢叶わずにソングライターになって、その後にまた歌いはじめた。キャロル・キングはソングライター時代にデモ・テープも自分で歌っていたが、それが高じてシンガー・ソングライターとしてソングラターに勝るとも劣らない成功を収めた。日本の作曲家でいうと筒美京平さんは自分で絶対歌わない。彼のデモ・テープは全てキーボードの演奏だという。どうしても歌いたいというソングライターがいて、ジミー・ウェッブは正にどうしても歌いたい人で、ソングライターで大成功しても、自分の歌は自分で表現したいという衝動が初期からあった。モータウンで下働きをしていた後に、オーディオアースというマイナー・レーベルで下働きをしていたときに出させてもらったシングルがある。ミッドナイト・メールというグループを作って、作詞作曲ジミー・ウェッブ、ザ・ミッドナイト・メール・フィーチャリング・ジム・ウェッブというクレジットで「I CAN'T GET IT」(1966年)をリリース。

・LOVE YEARS COMING
ソングライターとしてジョニー・リバースに認められてヒットが出かけた頃に、ジョニー・リバースから「お前、自分で何かやってみろ」と言われてジョニー・リバースのレーベル、ソウルシティで出したのが、友達と作ったバンドのストロベリー・チルドレンという名義で、作詞作曲・アレンジ、ジミー・ウェッブ、プロデュースがジョニー・リバースの「LOVE YEARS COMING」(1967年)。

・MARIONETTE (DEMO)
・MARIONETTE
ジミー・ウェッブはソングライターとして脚光を浴びてスタート。書き溜めた曲を世の中に出すためにはデモ・テープというものを作る。その多くはピアノの弾き語りのデモで、'60年代の末に出たと思われる2枚組のプロモーション用のアルバム『SONGBOOK』にその多くは収められている。3面と4面に既成の曲、例えばフィフス・ディメンションの曲の後にジミー・ウェッブのピアノ弾き語りが8曲入っている。その中から後にレコーディングされた「MARIONETTE (DEMO)」。1971年のジミー・ウェッブのアルバム『AND SO ON』、1978年にはアート・ガーファンクルのアルバム『WARTERMARK』に収録される。せっかくなのでアート・ガーファククルの「MARIONETTE」を続けて。
"マリオネット びしょ濡れじゃないか 雨の中を誰かに置き去りにされたのかい? それとも君の頬に可愛い涙の粒が光ってるのは心が痛んでるからかい? 雨が雨漏りするためかい? 僕が君を新しく生まれ変わらせてあげよう 僕は君の瞳をブルーに塗って かつての僕がそうだったように 君を若返らせてあげよう そして棚の上に座らせてあげよう 操り人形師がまた君を連れて行くまで" メタファーに満ちたジミー・ウェッブらしい歌詞。

・ONE OF THE NICER THINGS
1970年には『JIMMY WEBB SINGS JIM WEBB』がコロンビアからファースト・ソロ・アルバムとしてリリースされた。これは当時のデモ・テープを勝手に出されたものらしくて、ジミー・ウェッブは全く納得していないそうだ。「実際に私は昔聴きましたが、歌は決してうまいとは言えませんので今日はかけませんが」と達郎さん。本格的にシンガー・ソングライターをはじめる前にジミー・ウェッブが歌ってる作品の中で、いちばん出来がいいのはダンヒル・レーベルから1968年にリリースされたリチャード・ハリスに提供した曲のオケをそのまま使って自分で歌っている「ONE OF THE NICER THINGS」。これはなぜか奇跡のように日本盤が出たという。達郎さんは日本盤が出たときに買ったとか。邦題は「想い出のきずな」で、東芝がまだダンヒルを持ってる時代。写真付きで達郎さんは「ほー、ジム・ウェッブはこんな顔してるんだ」と思ったとか。シンガーとして活動するときにジミー・ウェッブになったのかわからないが、このときはもうジミー・ウェッブになっている。
曲をかけてるときに調べたら年代的にジミー・ウェッブのバージョンが先に出て、リチャード・ハリスのバージョンは一年後に出ていることがわかった。

・FINGERPAINTING
この時代は売れっ子で映画のオファーがたくさん来て、その中から1973年に雑誌プレイボーイがレコード業界、音楽業界に進出したときに作られた映画『THE NAKED APE』(たぶん日本未公開だと思われる)のスコアをジミー・ウェッブが担当して2曲歌っている。そのオリジナル・サウンドトラックから「FINGERPAINTING」。

・確定申告
リスナーから「山下さんのような方が税理士さんに任せず確定申告を御自身でなさってるとは意外でした」というお便り。
「ちょっと言葉が足りませんでしたね。もちろん税理士さんにお任せしますが(笑)、でも領収書の項目とか整理は自分でやんなきゃダメなんです。で領収書をまとめてその税理士さんに渡すという、そういうことです。自分そんなことできません。税金大変です。頑張って下さい。もう終わったか、うん」と達郎さん。

・FINGERPAINTING
「FINGERPAINTING」はジミー・ウェッブのピアノのデモが残っていて、そのデモでもよかったのだが、アート・ガーファンクルも歌っている。アート・ガーファンクルの1978年のアルバム『WARTERMARK』は全曲ジミー・ウェッブの作品で占められているが、なぜか一曲だけサム・クックの「WONDERFUL WORLD」のカバーが入ってる。ジェームス・テイラーとポール・サイモンが一緒にやっていて大ヒットしたので、アルバムに無理矢理入ったのだと達郎さんは思っていたとか。何年か前に人から聞いた話では、当初『WARTERMARK』は全曲ジミー・ウェッブの作品で、ヒット曲の「WONDERFUL WORLD」が足されたことにより、一曲差し替えられてしまった。それが「FINGERPAINTING」。オランダでテスト盤で1977年に一度発売されたが、すぐに回収されて今出回ってる『WARTERMARK』になった。アルバムの曲順も違うそうだ。達郎さんも持ってないレアなアルバムだが、その友達にDATでコピーしてもらった音の悪い音源があるので今日はその中から「FINGERPAINTING」。

・ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK
この5週間聴いてもらったらわかるように、ジミー・ウェッブの初期の作品は、いわゆるレッキング・クルーといわれるカリフォルニアのスタジオ・ミュージシャンの力なしでは、とても成り立たなかったということがよくわかる。その中でも取り分けドラマーのハル・ブレインという人はひじょうに貢献度の高い人。番外編としてジミー・ウェッブがプロデュースしたハル・ブレインのシングル、ハル・ブレイン・ヒズ・ドラムス・アンド・オーケストラと銘打たれて、1968年にダンヒル・レーベルからリリースされた「ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK」という「マッカーサー・パーク」のアップテンポの部分を引っ張り出して、アレンジ・コンダクト・プロデュース・ジミー・ウェッブで展開している恐ろしい一作。「マッカーサー・パーク」がヒットしたのでダンヒル・レーベルはインストを出そうという目論見があり、この直後にモンコヒギーズが「ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK」をシングル・カットしていて、本当はそれをかけたかったがシングルを注文したが届かなかった。その代わりにピアニストのレグ・ウィルソンがヒズ・ピアノ・アンド・オーケストラで1968年に「ALLEGRO FROM MAC ARTHUR PARK」を出している。ジャズ・ミュージシャンにもこの実験性が認められたという証拠になる。いかに当時のレッキング・クルーの演奏が凄いかを証明するために聴き比べ。「同じアプローチでもフレッシュさというかアレが違うという、それをお聴きをいただければ十分でございます」と達郎さん。

・PIANO (DEMO)
ジミー・ウェッブは'70年代に入るとバラードが多くなり、まったりとした感じになるが、今でも現役で歌っている。「いつまでもお元気で二十世紀を代表するソングライターでございます。いつまでもお元気で。日本の片隅で応援しております」と達郎さん。最後の曲は達郎さんが取り分け好きな一曲。1972年のジミー・ウェッブのアルバム『LETTERS』に収められている「PIANO」という曲。いかにもミュージシャンらしい一曲で、このデモ・バージョンが2004年にライノから出た'70年代のジミー・ウェッブの作品を全部CD5枚組に詰め込んだボックス・セットに入ってる。
"最後の日が来た もう別れを告げる相手もいない 残されたのはお前だけだよピアノ どうせ聞いちゃいなんだろうし 聞こうともしないだろうけれど お前のために一曲捧げるよ いつもこんな感じだったよな お前がそこにどっしり構え 大きな口を開けてはバカみたいに笑ってる前で 俺は椅子をくるくる回していた 最後の歌を君に捧げよう 一晩中起こしておくつもりはないんだ だからメゾピアノのやさしいナンバーにするよ 俺もなんだか疲れたんだ しゃんと背を伸ばすようにはしてるんだけどね お前のようににこやかに笑ってこの歌を捧げるよ にこやかに笑いながら一緒にこの歌を歌おう 一緒に優しく終幕の音楽を奏で そして俺たちはゆっくりとゆっくりと消えてゆく"

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年04月05日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
http://www.tatsuro.co.jp
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Sunday Song Book #1171

2015年03月22日 | Sunday Song Book

2015年03月22日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 4」
1. THE MAGIC GARDEN / THE 5TH DIMENSION "THE MAGIC GARDEN" '67
2. WHEN IT WAS DONE / HUGO MONTENEGRO "COLORS OF LOVE" '68
3. MONTAGE / PICARDY '68
4. CRAZY MIXED-UP GIRL / PIPER GRANT '69
5. LITTLE TIN SOLDIER / BARBRA STREISAND "WHAT ABOUT TODAY" '69
6. THE MOON IS A HARSH MISTRES / JUDY COLLINS "JUDITH" '75
7. SOMEONE ELSE / ART GARFUNKEL "WATERMARK" '78
8. SHE MOVES, EYES FOLLOW / KENNY RANKIN "HIDING IN MYSELF" '88
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■内容の一部を抜粋
・近況
新曲のレコーディングがはじまったそうだ。先週までデモ・テープを作っていたが、スタジオに入って具体的な音を作る作業に入ってるとか。久しぶりのスタジオ仕事なのでノリがつかめるまで時間がかかるという。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 4
3週の予定ではじめたが、やればやるほどどんどん出てきて、とても終わりそうにないので三月いっぱいジミー・ウェッブ特集をすることにしたそうだ。5週間ソングライター特集をやったのはギャンブル / ハフだけで、リーバー / ストーラーが4週間、バリー・マン、キャロル・キングが3週間。キャロル・キングは全曲ワンコーラスずつという感じで、今回のようにフルコーラスかけていたら二月ぐらいやってもいいような感じ。ジミー・ウエッブ特集、前3回は基本的に時系列だったが今週は達郎さんの好きなジミー・ウェッブの作品を中心に。来週はジミー・ウェッブのシンガー・ソングライターとしてのソロ作品やレアなデモ・テープの音源を中心に番外編というかたちでお届けする。今週がいちばん曲の粒が揃っているという。

・THE MAGIC GARDEN
フィフス・ディメンションの1967年のセカンド・アルバム『THE MAGIC GARDEN』は全面的にジミー・ウェッブの作詞作曲・アレンジ。プロデュースはエンジニアのボーンズ・ハウ。'60年代、カリフォルニアの最高のサウンド。この中から「THE MAGIC GARDEN」。一枚目のアルバム『UP,UP & AWAY』はベスト10に入ったものの、このアルバムは100位に入ることができなかった。ちょっと実験色が強すぎたという感じ。同時期に出たテルマ・ヒューストンも同じで、評価は高いけれどチャート的にはあまり成功したとはいえない。今聴くと全然そんなことなく関係なく良し悪しで皮肉なもの。

・WHEN IT WAS DONE
1967年、1968年のジミー・ウェッブの曲の多さはもう寝ないで書いてるんじゃないか、毎日書いてるんじゃないかというほど多い。リチャード・ハリスの「WHEN IT WAS DONE」は1968年に作られた曲だが、1970年に映画音楽の作家ヒューゴ・モンテネグロが『COLORS OF LOVE』というアルバムで取り上げている。アルバムには作詞作曲ジミー・ウェッブでリチャード・ハリスがオリジナルという作品の「DIDN'T WE」と「WHEN IT WAS DONE」の2曲が収められている。

・MONTAGE
ジミー・ウェッブの作品はロックンロールというよりかはどちらかというとミドル・オブ・ザ・ロード。やさしいメロディとやさしい曲調が特徴なので、どちらかというとそうした分野からオファーがたくさん来る。ほっとかないのが映画業界で「映画音楽をやらないか?」というオファーが来てサウンドトラックを手がけるようになる。そのいちばんとっかかりの一作、1968年の映画『HOW SWEET IT IS』。デビー・レイノルズ、ジェームス・ガーナー主演の映画のサウンドトラックに収められてる「MONTAGE」。映画には「MONTAGE」と「HOW SWEET IT IS」の2曲を提供している。歌ってるのはピカルディ・シンガーズで、たぶんスタジオ・ミュージシャンのグループだと思われる。ダンヒル・レーベルからこの2曲がカップリングでシングル・カットされた。作曲・アレンジ・コンダクト・プロデュースはジミー・ウェッブ。この時点ではもうジミー・ウェッブとクレジットされている。シングルはピカルディのクレジット。この時代のアナログ・シングルはラジオのプレイの音圧を稼ぐためにものすごくレベルを入れてるので、しばしば音が歪(ひず)む。もともとの歪みから来ているので盤質が良くても歪む。そういう時代。サウンドトラック盤『HOW SWEET IT IS』のほうがいい音かもしれないので、もう二月も前に中古レコード屋にオーダーしたがまだ来ない。最近個人輸入が滞っているのはテロの影響だという話。シングルが歪んでいるのでサントラでかけようと思ったそうだがオンエアには間に合わなかった。「また機会があれば」と達郎さん。

・CRAZY MIXED-UP GIRL
この時代のジミー・ウェッブの作品はいろんな人にカバーされて「マッカーサー・パーク」なんて何人がカバーしているかわからないほど。「DIDN'T WE」もそう。この曲もそのうちの一曲でタイトルは「MIXED-UP GIRL」。テルマ・ヒューストンの1969年のシングルがオリジナルなのか、イギリスの女性シンガー、パイパー・グラントのほうがリリースが先なのかわからない。微妙にところで、多分同時期であると思われる。そこからはじまりダスティ・スプリングフィールド、ジミー・ウェッブが自分でやってるやつ、ナンシー・ウィルソンからアレサ・フランクリン、いろんな人がカバーしている。ジミー・ウェッブの作品としては有名な一曲。達郎さんは何といっても1969年のダンヒル・レーベルから出たイギリスの女性シンガー、パイパー・グラント、一説によるとピケティ・ウィッチのポリー・ブラウンの変名という説もあるがわからない。ボーンズ・ハウのプロデュースでエンジニアリング。アレンジがボブ・アルシバー、ビル・ホールマンというウェストコーストのミドル・オブ・ザ・ロード系のアレンジャー。このパイパー・グラントのバージョンだけ「CRAZY MIXED-UP GIRL」というタイトルでリリースされた。イギリスの女性シンガー、パイパー・グラントだが、録音はL.A.なのでハル・ブレインの炸裂したドラムが聞ける。
"あなたを手放せば引き留めることができるのはわかってる 私はなんて哀れなんだと嘆き悲しみ あなたに芽生える罪悪感で行く手を遮ることもできる 二人の間に時は過ぎ 今ではあなたが去っても去らなくても何も変わらない そう私が諦めてることをあなたも知ってる なぜ私は誰かを必要としないのか なぜあなたまで混乱してしまったのか 私みたいな混乱した女と一緒に"という冷めた恋の歌。

・LITTLE TIN SOLDIER
1969年にリリースされたバーバラ・ストレイサンドのアルバム『WHAT ABOUT TODAY』に収められた「LITTLE TIN SOLDIER」。「ニューヨークのレコーディングですのでオーケストレーションがまた一味違って素晴らしいテイストになっております」と達郎さん。

・芸術選奨 文部科学大臣賞
達郎さんが昨年行われた“Maniac Tour ~Performance 2014~”の功績が認められて平成26年度(第65回)芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞した。
「先週も申し上げましたが芸術選奨をいただきましたが。この番組宛にもたくさんのお便り、お祝いのおハガキ、お手紙、祝電まで下さる方がいらっしゃいまして、本当にありがとうございます。マスコミに報道が出ましたら各方面の方からたくさんのお祝いをいただきまして、じぶんの誕生日とか還暦のアレのときの数倍来まして、じぶんが思ってるより凄かった(笑)。私はそんなもんかと思っていたんですが、あとからだんだんだんだん恐ろしくなってきましてですね、とんでもないものいただいちゃったという感じでございますが。本当にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。今後とも精進してまいりたいと思いますので、何卒ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます」と達郎さん。

・THE MOON IS A HARSH MISTRES
1970年代に入るとジミー・ウェッブ自身のシンガー・ソングライターの活動へと軸足が移って行く。ヒット曲の数がガタッと落ちてしまうが、それでも書き下ろし、その他のジミー・ウェッブが録音した曲のカバーというかたちで名曲が残っている。この「THE MOON IS A HARSH MISTRES」もそのうちの一曲。ジミー・ウェッブは小さい頃からSFが好きでロバート・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』というタイトルをそのままとって「THE MOON IS A HARSH MISTRES」という一曲を作った。1975年にジュディ・コリンズが最初にレコード化して、ジョー・コッカー、ジミー・ウェッブ自身、グレン・キャンベル、リンダ・ロンシュタッド、いろんな人がカバーしている。なんといっても最初のジュディ・コリンズのバージョンはアリフ・マーディーンのプロデュースで、ジュディ・コリンズがじぶんでピアノを弾いてる、なかなか情緒あふれるテイクになっている。
"彼女が空を飛ぶ様子を見てごらん 黄金の翼で空を駆ける 手が届きそうなくらい近く見えるけれど気をつけて 黄金のように温かく見えるけれど月は無情な夜の女王 月は過酷なまで冷たくなれる"となかなか深い意味を持った詩で綴られる。1975年のジュディ・コリンズのアルバム『JUDITH』から「THE MOON IS A HARSH MISTRES」。ロバート・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』は月が地球の植民地で、そこから独立して革命を起こすというような話。

・SOMEONE ELSE
ジミー・ウェッブをカバーした最高のアルバムはアート・ガーファンクルの1978年の『WATERMARK』だと思います、と達郎さん。全曲ジミー・ウェッブではなく、なぜか一曲だけサム・クックの「WONDERFUL WORLD」のカバーが入ってる。実は全曲ジミー・ウェッブのカバーで出される予定だったが、その話はまた来週。このアルバムの中で達郎さんが好きなのは「SOMEONE ELSE」。ジミー・ウェッブのインタビューでは「もう一曲ないか」とアート・ガーファンクルが言ったので、じぶんが若い頃にいちばん最初に作ったような曲があると言って弾いたら、「これをやろう」ということになった、と話している。
"誰か他の人 前から僕にはわかっていたんだ 君は僕のものじゃないし これからだってそうはならないだろうって 誰か他の人 昨日の晩僕は君を見かけたんだ 彼にしがみついてた そう僕ではない誰か他の人 でも僕は彼を憎めないんだ だってこの苦しみはいつか彼も味わうことになるから そう絶対にいつか そして彼にはわかるんだ 他のだれかはそこら中にいるってことを 僕が今知ったように"とジミー・ウェッブらしい一作。達郎さんは'70年代しばらくジミー・ウェッブを聴いてなかったが、このアート・ガーファンクルのアルバムを聴いて、ジミー・ウェッブは全然健在だなと思った記憶があるとか。もうブラック・ミュージックどっぷりの時代だったがこのアルバムはよく聴いたという。

・SHE MOVES, EYES FOLLOW
1988年のケニー・ランキンのアルバム『HIDING IN MYSELF』から「SHE MOVES, EYES FOLLOW」。ジミー・ウェッブの作詞作曲・アレンジ・コンダクトを務めたケニー・ランキンとのコラボレーション。
"彼女が動く 視線が這う 触れてみたい 誰もが彼女の虜 じっと見つめている 彼女が笑う 笑い声が広がる 石の波紋のように プールに落ちる雨のように 彼女の立ち振舞うところ 僕の目がそこに釘付けになる"と珍しく素直。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年03月29日は、「ジミー・ウエッブ特集 Part 5」
http://www.tatsuro.co.jp
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大滝詠一『NIAGARA CD BOOK Ⅱ』

2015年03月21日 | 大滝詠一

個人サイトに山下達郎、佐野元春の関連作品として
大滝詠一『NIAGARA CD BOOK Ⅱ』を取り上げています。
よろしくお願いします。

僕は'80年代のナイアガラ世代なんでこのボックス・セットはうれしいですね。
一時期、ナイアガラにハマっていた時代があって
公式に発売された作品はほとんど手に入れることができました。



これから時間を見つけてゆっくりと聴きたいと思ってます。

◼︎大滝詠一『NIAGARA CD BOOK Ⅱ 発売記念ゴーゴーナイアガラTV』



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Sunday Song Book #1170

2015年03月15日 | Sunday Song Book

2015年03月15日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 3」
1. THIS IS WHERE I CAME IN / THE CONTESSAS '65
2. TAKE IT EASY / DON RAY SAMPSON '66
3. MY CHRISTMAS TREE / THE SUPREMES "MERRY CHRISTMAS" '65
4. ONE STANDS HERE / JOHNNY MANN SINGERS "GOODNIGHT MY LOVE" '67
5. 5:30 PLANE / CONNIE STEVENS '70
6. THIS IS YOUR LIFE / BUDDY GRECO '68
7. WHATEVER HAPPENED TO CHRISTMAS / FRANK SINATRA "SINATRA FAMILY WISH YOU A MERRY CHRISTMAS" '68
8. NAME OF MY SORROW / RICHARD HARRIS "A TRAMP SHINING" '68
9. THEN / THE VOGUES "TURN AROUND, LOOK AT ME" '68
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■内容の一部を抜粋
・近況
曲書きをしているため今週は前倒しで収録しているという。確定申告が15日までなので領収書の整理をしてるそうだ。
「わたしもう一所懸命ですね、領収書整理して、ちゃんとやらなければなりませんが。なにしろ去年、一昨年あたりは忙しいので、4ヶ月分ぐらい溜まってしまいますとですね、鬼のように領収書があります。延々夜中一人でやってたりしますが。なんか辛気臭い話ですみませんけれど。この番組をお聴きの方も自営業の方たくさんいらっしゃると思いますが、大変ですね、確定申告。本当に(笑)。ちゃんと税金はいいところに使ってもらいたいものだと思いつつ、下らないことを言っとりますが(笑)」と達郎さん。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 3
ジミー・ウェッブ特集は全3回の予定だったが全然間に合わないので来週も引き続いて特集することになったとか。先週まではヒット・ソング中心だったが、今週からは達郎さんの好きなジミー・ウェッブの作品と、せっかくなので少しレアなものも入れて選曲したという。「ギャンブル & ハフのように5週間続くかわかりませんけれど」と達郎さん。
今回の特集のため音を集めたそうだが、思ったほどCD化されてなくて、'50年代初期のリーバー & ストーラー、キャロル・キング、そうした人たちに比べて圧倒的にジミー・ウェッブの作品はCD化されておらず、昔CD化されたものも、今は廃盤で手に入らないので、YouTubeで聴くしかないとか。せっかくなので隠れた名作を中心に今回はお届けするそうだ。ヒット曲は一曲もない。

・THIS IS WHERE I CAME IN
3月1日の放送でオンエアした4人組の白人ヴォーカル・グループ、ザ・コンテスサッスの1965年のシングル「I KEEP ON KEEPING ON」。あの曲はB面で今日はA面の「THIS IS WHERE I CAME IN」。作詞作曲、アレンジ、コンダクト、ジミー・ウェッブ。イーというマイナーのインディー・レーベルから出ている。テルマ・ヒューストンとかリチャード・ハリスがその後、カバー・バージョンを発表した。

・TAKE IT EASY
同じくイー・レコードから1966年に発売されたドン・レイ・サンプソンという男性シンガーの歌で「TAKE IT EASY」。曲の面白いつまらないは別にして資料的価値があるもので、二十歳そこそこのジミー・ウェッブのアレンジのやり方とか興味深い一曲。

・MY CHRISTMAS TREE
3月1日の放送で触れたいちばん最初に印税をもらった曲が、シュープリームスのクリスマス・アルバム『MERRY CHRISTMAS』に入ってる「MY CHRISTMAS TREE」で、350ドルという印税をもらったとジミー・ウェッブ本人はインタビューで語っている。1965年の「MY CHRISTMAS TREE」。後にテンプテーションズもカバーする。駆け出しのソングライターとってシュープリームスのようなビッグ・ネームに曲が使われるのはうれしくてしょうがないもの。

・ONE STANDS HERE
'60年代の後半にいきなり脚光を浴びて時代の寵児になったジミー・ウェッブ。作風はどちらかというとやさしいメロディなのでバート・バカラックとかロジャー・ニコルスとかそうした人たちと同じでミドル・オブ・ザ・ロード系のシンガーにたくさん取り上げられることになった。そんなような中から割と出来のいい曲を選曲。
ウェストコーストで活躍したスタジオ・コーラス・グループのジョニー・マン・シンガーズのアルバム『GOODNIGHT MY LOVE』に収められてる「ONE STANDS HERE」。もともとは1967年にジミー・ウェッブ自身のユニット、ストロベリー・チルドレンの名義でシングルがリリースされたもののカバー。ジョニー・マン・シンガーズの「GOODNIGHT MY LOVE」はクレジットを見るとアレンジをしている人はラブ・ジェネレーションのジョン・バーラー。

・5:30 PLANE
コニー・スティーヴンスの1970年の「5:30 PLANE」。プロデューサーがディック・グラッサー、アレンジがアーニー・フリーマンなのでボーグスのプロダクション。もともとは1967年にピカルディ・シンガーズが先で、ジミー・ウェッブが自分でやっている。達郎さんはコニー・スティーヴンスのバージョンの方が好きなんだとか。

「ソングライター、ジミー・ウェッブの特集。当初は3週間で終わる予定だったんですがとても無理です。来週も引き続き(笑)、行きます。三月全部やっちゃおうかな。ソロまで辿り着かないんです、このままいくと。今日は割とコレクター向けのカルトなやつですけれど、来週はもうちょっと戻ってですね、有名なところを少しフォローしようと思っておりますが。いろいろ考えましたけれどもジミー・ウェッブは結構研究してる人がたくさんいるのでですね、なるべくオンエアされないCDになってないやつを努めて選ぶようにしております。今日がいちばん濃いかもしれません」と達郎さん。

・アルバム『TRAD』がマエストロ賞
昨年出たまりやさんの7年ぶりのオリジナル・アルバム『TRAD』が第七回CDショップ大賞2015年部門賞「マエストロ賞」を受賞。これはCDショップの店員さんが選ぶもので「長年に渡り音楽シーンを牽引し、目覚ましい功績を残しながら、今尚第一線で活躍しているアーティスト作品に贈られる賞です」と書いてあるそうだ。

・出雲市特別功労表彰
まりやさんは島根県の出雲出身で、2013年に「愛しきわが出雲」という曲を作ったり、そうした楽曲の提供と、出雲を全国に情報発信するのに貢献したとして、出雲市から特別功労者として表彰されたそうだ。詳しい情報はワーナーの竹内まりやスペシャルサイトをご覧くださいとのこと。
http://wmg.jp/mariya/

・芸術選奨 文部科学大臣賞
達郎さんが昨年行われた“Maniac Tour ~Performance 2014~”の功績が認められて平成26年度(第65回)芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞した。
詳しい情報はワーナーの山下達郎スペシャルサイトをご覧くださいとのこと。
http://wmg.jp/tatsuro/

「褒章というものはいろいろご意見ございましょうが、ミュージシャンにとっても一人でやってるわけじゃありませんので、私の場合はスタッフがたくさんいますので、例えばレコード会社のスタッフは福井の親戚にこれで報告するとですね、そういう仕事をやってるのかという、そういうスタッフを含めた褒章だという解釈で、まぁ下さるものはありがたくいただくという、そういう感じでやっております。それもこれもリスナーのみなさまのご支援の賜物と厚く厚く御礼申し上げます。今後とも精進してまいりたいと思っております」と達郎さん。

・THIS IS YOUR LIFE
バディ・グレコはフィラデルフィア出身のクラブシンガー。1940年代、50年代にベニー・グッドマンと一緒に活躍した一昔前の人。この人は楽曲選曲に長けてる人でたくさんアルバムを出している。1968年のシングルで「THIS IS YOUR LIFE」はプロデュースがジミー・ウェッブとジミー・ボーエン、アレンジがジミー・ウェッブ本人でやってる珍しいパターン。資料によるとこれがオリジナル・レコーディングで、このあとフィフス・ディメンションとかテルマ・ヒューストンがカバーしている。

・WHATEVER HAPPENED TO CHRISTMAS
残りはすべて1968年の曲でペシミズムに満ちた歌。
フランク・シナトラが三人の子供たちと一緒にクリスマス・アルバム『SINATRA FAMILY WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』を1968年にリプリーズからリリース。この中に一曲ジミー・ウェッブの作品が収められている。「WHATEVER HAPPENED TO CHRISTMAS」も暗い歌で"クリスマスは一体どこに消えたのか どうしてしまったのか 君は何があったのか いいクリスマスはみんな消えてしまった"という歌。この曲はシナトラがソロで歌っていてシナトラの声で救われる。一度こうしたことになるとスタンダード然とした曲が書ける。作風の広さ、しかも作詞作曲だからすごい。アレンジはドン・コスタ。

・NAME OF MY SORROW
リチャード・ハリスの1968年のアルバム『A TRAMP SHINING』から「NAME OF MY SORROW」。この曲も悲しい歌で別れた女の子をずっーと列挙して"彼らがみんな僕の悲しみの名前だ で今は君なんだ"というオチの歌。'60年代のジミー・ウェッブの作品はほとんどが恋は成就しない。それがこういう甘美なメロディで「美しいペシミズム」という世界。

・THEN
ジミー・ウェッブが'60年代末にソングライターとして時代の寵児になったので、コロンビアが勝手にジミー・ウェッブのデモ・テープを出してしまった。それが実質的にジミー・ウェッブのファースト・ソロ・アルバムになり、本人は再三にわたり不満を述べてるという。歌がとにかく拙いのでそれが嫌だという話だが曲は粒より。その中から「THEN」はとても悲しい歌。"あの頃 あの頃未来はとても輝いて映ってた あの頃すべてうまくいってた でも今はとても寂しい夜を過ごしてる 君のことをあれこれ思いながら あの頃は気にすることなんてなしに愛し合ってた あの頃は二人はいつもそこにいた でも今は別れた二人 君のことをあれこれと思いながら あの頃は泣くことはなかった 今は死ななきゃという気分 君のことを思って"という暗い歌。 この歌を同じ年にヴォーカル・グループのザ・ボーグスがカバーした。ヒット曲「TURN AROUND, LOOK AT ME」のカップリングでアルバム『TURN AROUND, LOOK AT ME』にも収められた。アーニー・フリーマンのアレンジでディック・グラッサーのプロデュース。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年03月22日は、「ジミー・ウエッブ特集 Part 4」
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Sunday Song Book #1169

2015年03月08日 | Sunday Song Book

2015年03月08日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 2」
1. 希望という名の光 / 山下達郎 '10
2. DIDN'T WE / RICHARD HARRIS "A TRAMP SHINING" '68
3. WICHITA LINEMAN / GLEN CAMPBELL '68
4. GALVESTON / GLEN CAMPBELL '69
5. EVIE / BILL MEDLEY '69
6. ALL I KNOW / ART GARFUNKEL '73
7. HIGHWAYMAN / THE HIGHWAYMEN '85
8. ADIOS / LINDA RONSTADT "CRY LIKE A RAINSTORM, HOWL LIKE THE WIND" '89
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■内容の一部を抜粋
・近況
この一週間は家に籠ってひたすら曲書き。声を出したりするので多少声が嗄れ気味なんだとか。

・希望という名の光
「来る3月11日で東日本大震災4年を迎えることになりました。東京なんかはもう、何事もなかったようにですね、毎日が過ぎておりますけれども。未だに23万人近くの方々がですね、避難生活を送ってらっしゃいます。長引くそうした不自由な生活の中でですね、いろいろな心の問題出てきてるようであります。心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い安定した日常生活に戻れることを陰ながらお祈り申し上げております。わたしミュージシャンですので具体的に何をできるということではありませんけれども、一所懸命働いて世の中を回してですね、それで少しでもお役に立てられればというようなことを考えつつ音作りをやっております。今年もツアーは出かけますので、是非ともお出かけいただきたいと思います。希望という名の光」と達郎さん。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 2
ジミー・ウェッブ特集のパート2。今ではシンガー・ソングライターとしてのほうがステイタスがあるけれど、今回の特集ではソングライターとしてデビューした時代の'60年代末から'70年代にかけての主要作品を取り上げている。なかなか手強くて作品数が多いのと今でも現役バリバリなので追いついていけないとか。今週は'70年代から'80年代にかけてのヒット・ソングの数々をオンエア。

・DIDN'T WE
先週の終わりはリチャード・ハリスの「MAcARTHUR PARK」をかけたが、この曲が収録された1968年のアルバム『A TRAMP SHINING』は当時センセーショナルな受け止め方をされて、このアルバム中から他の歌手がカバーするカバー・バージョンがたくさん生まれた。特にシングル「MAcARTHUR PARK」のB面としてリリースされた「DIDN'T WE」はリチャード・ハリスの作品が1969年に全米チャート63位、いろいろな人がカバーしてジム・ウェッブの作品でも代表的な隠れた名曲として知られている。ジミー・ウェッブが脚光を浴びた頃の作風はほとんどブロークン・ラブ・ソング、女の子と別れたというペシミスティックな歌ばかり。「DIDN'T WE」も今度こそうまくいくと思ったんだけれど、結局愛は手の中から砂のようにこぼれてしまったという歌。達郎さんはこの頃のジミー・ウェッブの作風を「美しい
ペシミズム」と呼んでるそうだ。きれいなメロディの曲なのでミドル・オブ・ザ・ロードのシンガーにたくさん取り上げられた。フランク・シナトラ、メル・トーメ、ジョニー・マティス、ビッグ・ダナーなど数え切れないくらいの人が取り上げてるジミー・ウェッブの初期の代表作。

・WICHITA LINEMAN
この時代、ジミー・ウェッブとパートナーを組んで最もヒットが大きかったのはグレン・キャンベル。1968年、全米3位のミリオンセラーとなった「WICHITA LINEMAN」。カンサス州ウィチタの道路をクルマで走っていたら、荒野の中で電気(電線)工事の男がひとりきりで仕事をしているの見てインスパイアされて作られた曲。

・GALVESTON
翌1969年、全米4位のミリオンセラーとなったグレン・キャンベルの「GALVESTON」。ガルベストンはテキサス州の都市。いわゆるご当地ソングみたいなもの。この一連のヒットでグレン・キャンベルは一挙にスターダムにのし上がり、作詞作曲のジミー・ウェッブも時代の寵児として脚光を浴びることになる。L.A.でスタジオ・ミュージシャンをしていたグレン・キャンベルはシンガーとしての夢が叶い大スターの道を歩むのはジミー・ウェッブとのコラボレーションのおかげ。この曲と「WICHITA LINEMAN」の間奏はグレン・キャンベル自身がトワンギング・ギターというチューニングを下げたギターを弾いていると言われてる。ギタリストなので自分の曲で弾いている。

・EVIE
この時代、達郎さんは高校生でジミー・ウェッブに入れ込んでいて、ジミー・ウェッブと書いていたら日本盤を片っ端からお小遣いを貯めて買っていたという。その時代に手に入れたシングルでビル・メドレーの「EVIE」。ライチャス・ブラザーズから独立してソロ・シンガーになったビル・メドレーが、ブラジル音楽祭に出品して賞をとったシングル。アメリカではヒットしなかったがブルジルでは結構知られた曲。なぜか日本盤が奇跡のようにポリドールから発売されて、達郎さんは一所懸命聴いたとか。アルバムに入ってないのでまだCDになっていない。ジミー・ウェッブの作品はCDになってないものが多いそうだ。アレンジはビル・メーカー。

・ALL I KNOW
1968年、1969年は凄まじい数の曲を書いたが、'70年代に入りジミー・ウェッブは職業作家に対して疑問が生じて、作家としての道を捨てシンガー・ソングライターの道を歩み始める。シンガー・ソングライターとして発表した作品の評価が高く、彼のアルバムの中から曲を取り上げて歌うシンガーがたくさん出てきた。ミドル・オブ・ザ・ロードのシンガーが中心で、そんな中からアート・ガーファンクルが1973年にサイモン&ガーファンクルから別れてソロ・シングルを出した。名盤『ANGEL CLARE』からシングル・カットされた「ALL I KNOW」は1973年、全米9位のベストテン・ヒットになった。この後、アート・ガーファンクルはジミー・ウェッブとコラボしてゆくことになり、アルバム『WATERMARK』では全曲ジミー・ウェッブの作品を取り上げている。そのコラボのとっかかりになった曲「ALL I KNOW」もひじょうにペシミスティックな曲。"君を傷つけてしまった 君も僕を傷つけるし 僕たち簡単に傷つけすぎる あんまり簡単に怒りを見せてしまうんだよ 愛してるんだ 僕にわかるのはそれだけさ 終わりはいつかやってくるもの 時の経つのは早すぎる 未来が来るのも早すぎて 過去はなかなか終わらない 愛してる それだけだ"という辛い歌。達郎さんは日本盤を持ってるそうだが邦題が「友に捧げる賛歌」で内容と異なるタイトルがついてるという。作曲ポール・ウィリアムス、作詞ロジャー・ニコルスとなっていて1曲目の「TRAVELING BOY」と間違ってるとか。

・PROMOTIONAL COPYとかNOT FOR SALEの文字
リスナーから「番組のプレイリストにアナログ・レコードのレーベルが掲載されることがありますが、そこにPROMOTIONAL COPYとかNOT FOR SALEの文字が書かれているのをよく見かけますが、これは通常の市販品よりも非売品の方が中古市場に出回って状態も良いということなのでしょうか?」という質問。
「別にそういうわけではありません。プロモ盤を売る人がいてそれがセコハン屋に回るということなんですけれども。プロモ・シングルだからといって別にコンディションがいいというのは、必ずしもそうではありません。ただ単に来たものがプロモ盤、売ってるのがプロモ盤でそれを買ってきたというアレです。全然プロモ盤でもボロボロのもありますし、ちゃんと売ってる正規盤でもきれいなやつもあります。答えになってないかもしれません。すみません」と達郎さん。

'70年代入ってジム・ウェッブは職業作曲家からシンガー・ソングライターに転身する。自分の作品を中心に活動するが、歌がそれほどうまい人ではないので、アルバム・チャートのトップ100に一枚も入ったことがない。作品はますます内省的になり、ミドル・オブ・ザ・ロードの歌のうまいシンガーによく取り上げられるようになる。作詞作曲なので歌詞がとても深いから、いろいろな人に取り上げられる。そんな中からカバーというかたちでヒットが生まれる。そこから代表的なものを選んで後半にオンエア。

・HIGHWAYMAN
1977年にジミー・ウェッブがアトランティックから発売したアルバム『EL MIRAGE』の1曲目に収められた「HIGHWAYMAN」は1985年にウィリー・ネルソンとウェイロン・ジェニングスとジョニー・キャッシュとクリス・クリストファーソンのスーパー・グループのザ・ハイウェイメンという名義で発売されて、全米カントリー・チャートNO.1、その年のカントリー・ソングのグラミー賞を獲った。"かつて俺は馬に跨り馬車道に出没する追い剥ぎだった 剣と銃を手に 女たちはたやすく俺に抱かれ 命知らずの若者は俺のナイフに倒れた ついに俺は捕らえられ 25歳の若さで縛首 でも俺はまだ生きている" これが一番で二番は "かつて俺は船乗りだった この船乗りは嵐に巻き込まれて 事故に遭って死んだと言われたけれど 俺はまだ生きている" その次がダムの建造者になって "この人はコンクリートに身体を打ち付けられ死んだ 埋葬されたんだけれども 今でもこの世を彷徨ってる" 最後は "宇宙船に乗って 宇宙の向こう側にある あの世の旅に出よう そしてこの世から切り離された別世界に着いたら 安らかに魂を永眠させる場所を探したい もしかしたら来世はまた荒野の追い剥ぎとして生まれ変わるかもしれない もしくは単に雨のひとしずくとして それでも俺は生き続け そして必ずこの世に帰ってくる" そうした輪廻の不思議な歌をカントリーの御大が4人がかりでやってNO.1にさせた。ジミー・ウェッブはコード・チェンジの激しい曲の反面でカントリー・フレーバーの曲もたくさん作っている。グレン・キャンベルも当時はポップ・カントリーといわれて一世を風靡した。

・ADIOS
アート・ガーファンクルと並んでジミー・ウェッブの作品を好んで取り上げたのがリンダ・ロンシュタッド。リンダ・ロンシュタッドの1989年のアルバム『CRY LIKE A RAINSTORM, HOWL LIKE THE WIND』はアルバム・チャート全米7位だがダブル・プラチナ・アルバムの大ヒット・アルバムになった。まぁリンダ・ロンシュタッドは全部プラチナ・アルバムなんでアレなのだが。その中でジミー・ウェッブの「ADIOS」を取り上げている。ソングライター、ジミー・ウェッブが好きな人にはよく知られた一曲。"17歳のときにあなたと一緒に家を飛び出した カリフォルニアの海辺でマルガリータを飲みながら 古びた酒場で夜を明かした カリフォルニアの海辺をあとにした私を恩知らずと思わないで そんな怪訝な目で見ないで さよならごきげんよう 二人じゃダメなのよベイビー どんなにそばにいても さよならごきげんよう" 駆け落ちしたんだけれども結局別れてしまったという歌。リンダ・ロンシュタッドの名唱。プロデュースはおなじみのピーター・アッシャーで、なんとコーラスにブライアン・ウィルソンが参加していて当時話題になった。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年03月15日は、「ジミー・ウエッブ特集 Part 3」
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Sunday Song Book #1168

2015年03月01日 | Sunday Song Book

2015年03月01日プレイリスト
「ジミー・ウエッブ特集 Part 1」
1. TAKE MARION FOR EXAMPLE / MILLIE RODGERS '64
2. I KEEP ON KEEPING ON / THE CONTESSAS '65
3. THIS TIME LAST SUMMER / DANNY DAY '65
4. UP,UP & AWAY / THE 5TH DIMENSION '67
5. BY THE TIME I GET TO PHOENIX / GLEN CAMPBELL '67
6. WORST THAT COULD HAPPEN / THE BROOKLYN BRIDGE '68
7. MAcARTHUR PARK / RICHARD HARRIS '68
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■内容の一部を抜粋
・近況
先週はクルマの免許の更新に行ってきたという達郎さん。優良ドライバーなのでこれから5年間更新しなくてもいいそうだ。「次、書き換えるときは67かよ! ちょっとぞっとしたりしましたけれど。それでも、まぁ眼鏡使用でもなく、なんとか迎えられておりますが。免許書き換えのとき、そういうことしみじみ思ったりいたしますが」と達郎さん。

・ジミー・ウエッブ特集 Part 1
番組ではこれまでソングライター特集をバリー・マンを筆頭にキャロル・キング、リーバー/ストーラー、ブルース・ジョンストン、デイヴィッド・ゲイツ、トム・ベルにギャンブル/ハフとR&B関係までたくさんやってきた。昔からやってみたかったのがジミー・ウェッブ。達郎さんの青春時代に一世を風靡したソングライターで、その後、シンガー・ソングライターに転身して自分の作品もたくさん出している。ジミー・ウェッブの特集をずーっとやってみたかったそうだが、この二年間忙しかったのと、ジミー・ウェッブは作品がものすごく多くてチェックしきれない、そして昔のものが手に入りにくいという難しい人で、ずいぶん長いことうーうーやっていたが、ようやく機会が訪れたのだとか。今日から三週間の予定で今週はそのパート1。'60年代の中期から活動をはじめて今でも現役、今はどちらかというとシンガー・ソングライターとしてのスタンスが大きい人だが、'67、8、9は文字通り一世を風靡したソングライターだった。綺羅星のごときヒット曲が並ぶ時代を中心に'60年代から'70年代にかけての作品を中心に三週間特集する。
達郎さんが高校に入る頃から、当時はジム・ウェッブといっていたが、FENとかそういうところから流れ出して、「なんて素晴らしい作家なんだろう」と高校から二十歳過ぎるまで、その頃はまだソングライターだったのでジミー・ウェッブの書いた作品を一所懸命レコードを集めたものだった。そういった自分の記憶と自分史の中から見たジミー・ウェッブの作品の素晴らしさを今週から三週間の予定でお届けする、と達郎さん。今週は最初期の隠れた作品から、ヒットが出るようになって、超一流の作家になってゆくその過程、来週はヒット・ソングの主だった曲、再来週はレアものと、シンガー・ソングライターになってからのソロ作品と重要なものという予定。

・ジミー・ウェッブ
1946年8月15日オクラホマ生まれ、現在68歳。1964年に家族が南カリフォルニアに移住して、1965年に大学に入学。お母さんが亡くなった後、教会の宣教師のお父さんはオクラホマに戻り、ひとりジミー・ウェッブはカリフォルニアに残って、レコーディング・スタジオの雑用から、モータウンの出版社の作曲契約をして曲を書いたが、なかなか芽が出なかった。十代の後期から二十代前半は苦難の下積み生活を経ている。

・TAKE MARION FOR EXAMPLE
最初にモータウンの出版社と契約して、自分で初めて書いた曲で印税をもらったのがシュープリームスのクリスマス・アルバム『MERRY CHRISTMAS』に入ってる「MY CHRISTMAS TREE」だとジミー・ウェッブ本人はインタビューで語っている。1965年のことだというが、実はその前に1964年に発表された曲というものがある。この曲が一番最初にレコーディングされた曲ではないかと、最近の研究でいわれている。全くヒットしなかったしシングルのB面だったので本人はあまり語りたがらないのかもしれない。ミリー・ロジャースという女性シンガーが歌っている「TAKE MARION FOR EXAMPLE」。作詞作曲ジム・ウェッブ。

ジミー・ウェッブが最初に書いた作品「MY CHRISTMAS TREE」はまた再来週オンエア予定。生まれて初めて350ドルという印税をもらったという話。

・I KEEP ON KEEPING ON
4人組の白人ヴォーカル・グループ、ザ・コンテスサッスの1965年のシングルはA面B面ともジミー・ウェッブの作詞作曲、アレンジ、コンダクトと一人で全部やっている。1965年の「I KEEP ON KEEPING ON」。聴いた限りでは先ほどのミリー・ロジャースと声が似ている気がするが本人かどうかはわからない。

・THIS TIME LAST SUMMER
1965年のダニー・デイという男性シンガーの「THIS TIME LAST SUMMER」。この曲はフォー・トップスの「BABY I NEED YOUR LOVING」という感じのする曲。

なかなか芽が出なくて本人自身のインタビューでホームレス同然のような生活をしていたときに拾ってくれたのがジョニー・リヴァースだったとか。ジョニー・リヴァース自身もひじょうに苦労してスターの座を手に入れた人なので人を見る目がある。ジミー・ウェッブの作る作品が気に入って一曲採用した。当時、ジョニー・リヴァースはそれまでのロックンロール・シンガー、クラブ・シンガーから脱皮を計っていて、1965年に作ったアルバムが『CHANGES』、要するに路線変更でスタンダードをたくさん歌ってる中に一曲取り上げたのがジミー・ウェッブの「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」。もともとモータウンの出版社で働いてるときにポール・ピータースンのために作ったが、はっきりしたフックがないということでボツになっていた。この曲を気に入ったジミー・ロジャースがジミー・ウェッブの才能に目をつけて自分のところに連れてきて、いろいろな曲を書かせたり、持ってる曲を使ってやったりした。

・UP,UP & AWAY
フィフス・デイメンションは黒人5人組のヴォーカル・グループで、もともとはバーサタイルというグループでジミー・ウェッブがモータウンの出版社で働いている時代からの知り合い。フィフス・ディメンションをプロデュースしていたのがジョニー・リヴァースで、エンジニアリングをしていたボーンズ・ハウがオーケストレーションをジミー・ウェッブにアドバイスして、全面的に育ててもらってできた作品が「UP,UP & AWAY」(邦題「ビートでジャンプ」)。1967年、全米7位でフィフス・ディメンションがブレイク。その年のグラミーまで獲ってしまう。

「UP,UP & AWAY」のプロデュースはジョニー・リヴァースとマーク・ゴードン。モータウンのL.A.の出版部門はマーク・ゴードンが代表だった。フィフス・ディメンションのマネージャーもやっていた人なので仲立ちの役割。ここにルー・アドラーが関わってくる。ひじょうにラッキーな拾われ方をしてジミー・ウェッブは人気作家となる。「UP,UP & AWAY」は大学時代に友人と気球の映画を作ろうとしていたときに作った曲。映画自体はボツったそうだ。

・BY THE TIME I GET TO PHOENIX
1966年の暮にジョニー・リヴァースのアルバム『CHANGES』の一曲目として「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」は取り上げられたが、この曲をグレン・キャンベルがカバーした。1967年、全米27位。この曲もまたグラミーを獲り、二年連続してグラミーを獲ってしまい、いきなり時代の寵児にジミー・ウェッブが躍りでる。
「BY THE TIME I GET TO PHOENIX」はオクラホマ生まれのジム・ウェッブがガール・フレンドと別れた体験をもとにして、フェニックス、アルバカーキー、オクラホマと帰って行く時間経過とともに、彼女の行動を想像するという歌。ストーリーテリングの歌で、中三の山下達郎少年はひじょうに感動したという。アメリカのソングライターは作詞家と作曲家がチームを組んでソングライティングするのがほとんどだか、ジミー・ウェッブは作詞作曲するソングライターで歌詞も曲も優れているひじょうに珍しい作家。ちなみに作詞作曲でグラミーを獲ったのは今のところジミー・ウェッブただひとりなのだという。

・FM群馬
来週、3月8日はJリーグ中継が行われるため、FM群馬の放送時間は夜7時からに変更するとのこと。

・WORST THAT COULD HAPPEN
カリフォルニアのスタジオ・シーンはレッキング・クルーと呼ばれるハル・ブレイン、ジョー・オズボーンをはじめとする素晴らしいリズム・セクションのスタジオ・ミュージシャンたちのおかげで素晴らしい作品がたくさんできる。フィフス・ディメンションの1968年のアルバム『MAGIC GARDEN』に入っていた「WORST THAT COULD HAPPEN」が、同じ年にニューヨークのブルックリン・ブリッジがカバーして1968年に全米3位、1969年春にはミリオンセラーになった。「WORST THAT COULD HAPPEN」(邦題「恋のハプニング」)ジミー・ウェッブ作詞作曲。ブルックリン・ブリッジのリード・ヴォーカルはジョニー・マエストロ。

・MAcARTHUR PARK
リチャード・ハリスの「MAcARTHUR PARK」もジミー・ウェッブの作詞作曲・アレンジ、オーケストレーション、ピアノまで弾いている。もともとはアソシエーションに提供したが断られて、イギリスでリチャード・ハリスと仕事したときに、この曲を持って行って、聴いて気に入ったリチャード・ハリスがレコーディング。はじめはどこのレコード会社も発売をしてくれなかったが、ルー・アドラーのダンヒル・レーベルが発売したところ1968年、全米2位の大ヒットになった。

■リクエスト・お便りの宛て先:
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「山下達郎サンデー・ソングブック」係

2015年03月08日は、「ジミー・ウエッブ特集 Part 2」
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