Sunday Songbook Playlist

2006年07月31日 | Sunday Song Book

<07月30日プレイリスト>
[サーフィン・ホットロッド・インスト・サマーサウンド特集]
返信/竹内まりや 9月6日発売ニュー・シングル
THEME FROM "A SUMMER PLACE"/PERCY FAITH ORCHESTRA '60
HE WASN'T COME BACK/THE HONDELLS "HONDELLS" '65
SANDY/RONNY & THE DAYTONAS "SANDY" '65
SURFER'S SLIDE/RICHIE ALLEN "SURFER'S SLIDE" '63
NASHVILLE IN SUMMER/BUZZ CASON '69
POWER SHIFT/THE COMPETITORS '63
OH CALIFORNIA/MAGIC '75
I DO/山下達郎 "RARITIES" '02
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■内容の一部を抜粋
・竹内まりやのニュー・アルバムのレコーディング
新曲のデモ・テープ、プリプロを先週はやっていたそうだ。

・返信
9月16日公開の松竹映画『出口のない海』の主題歌でエンドロールにながれる。9月6日(水)にシングルとして発売予定です。竹内まりや5年振りのシングルで、カップリングは明治アーモンドチョコレートのCMソング「シンクロニシティ(素敵な偶然)」。
『出口のない海』は人間魚雷「回天」という特攻兵器に乗って散った若者たちのストーリー。監督は『半落ち』で日本アカデミー賞を受賞した佐々部清さん、脚本は山田洋次さんと冨川元文さんという充実のラインナップ。出演は市川海老蔵さん(映画初出演)、『パッチギ』に主演していた塩谷瞬さん、香川照之さん、三浦友和さんといった芸達者が揃っております。

・竹内まりやからのレポート
この「返信」は学徒動員の学生(海老蔵さん役柄)の恋人(上野樹里さんが演じている)が戦争によって愛する者を失った悲しみを歌った作品です。浩二さん(海老蔵さん役柄)が送った遺書に対する返信という形を取っています。エンドロールでながれるために、映画が終わった後に更に歌として続くという趣向になっています。「返信」のプロモーション・ビデオにも上野樹里さんが出演しているので、歌の持つ意味合いがよりリアリティーを感じさせる出来上がりになることでしょう。

・THEME FROM "A SUMMER PLACE"
2年毎に1回という割合で恒例にやっている「サーフィン・ホットロッド・インスト・サマーサウンド特集」。1曲目は景気よくエレキ・インストで行く段取りだったが、梅雨明け前ということで二の足を踏み、肩透かしでイージー・リスニングものを持ってきた。
1960年、パーシー・フェイス・オーケストラの全米No.1。あまりにも有名なマックス・タイナー作曲の映画『避暑地の出来事』の主題歌。出演はトロイ・ドナヒュー、サンドラ・リー。
「イージー・リスニング特集をやろうなんつって、もうかれこれ10年くらい前にそんなことを吹きましたがまだ実現できておりません。なかなか私の荷に重いというそういうあれでごさいます。いつか!」とタツローさん。

・THE HONDELLS
カリフォルニア・サーフィン・ホット・ロッドで名の高いホンデルズ。実はスタジオ・ミュージシャンの寄せ集まりで、でっち上げでやってるグループ。こういうものの得意なゲイリー・アッシャー(1960年代サーフィン・ホット・ロッドの重鎮)が手がけている。1965年のセカンド・アルバム『HONDELLS』に入ってる「HE WASN'T COME BACK」は作曲がゲイリー・アッシャーとロジャー・クリスチャン。二人ともブライアン・ウィルソンと深い関係を持つ。チャック・ギラードというリード・ヴォーカリストはタツローさんもカヴァーした「I DO」を歌っているキャステルズのリード・シンガー。

・RONNY & THE DAYTONAS
ジャケガイノススメ?Beautiful Covers』とタイアップで発売された紙ジャケCDの中から今まで取っておいた1枚。
ロニー & デイトナスはリード・ヴォーカルのバッキー・ウィルキンがリーダー。「GTO」という日本ですごく有名なヒット曲がある。1965年のセカンド・アルバム『SANDY』は名盤でその冒頭を飾る名曲「SANDY」。サーフィン・ホット・ロッドはほとんどがウエスト・コーストのグループばかり。珍しくナシュビルで製作されヒットした。1965年全米27位。作曲はリード・ヴォーカルのバッキー・ウィルキンとバズ・ケイスン。バズ・ケイスンはナシュビルのスタジオ・シーンで大立者。こうしたホット・ロッドはもとよりロックンロール、最近はカントリーといろいろ多方面に渡って活躍している大作曲家、プロデューサー。
「わたし、バズ・ケイスンの特集をそのうちやりたいと思っておりまして、最近集めておりますので、機会ができましたら是非バズ・ケイスンの特集をやってみたいなぁと思っております。その前にアデル/ゲルド(ピート・アデル/ゲイリー・ゲルド)、ロジャー・ニコルス、あとPFスローンも大分集まってきましたので、PFスローンの特集をやってみたいなぁと思っておりますが...」とタツローさん。

・RICHIE ALLEN
今年はアメリカの「Sundazed」からゲイリー・アッシャー関係の再発がすごかったらしい。スーパー・ストックス(キャピトルのメガ・レア)が3枚1度に出た。ホット・ドッガーズとかナイツ、ジャン & ディーンの『ポップシクル』とたくさん出ている。その中でもいちばん日本であまりかかりそうのないヤツを紹介ということでリッチー・アレンの「SURFER'S SLIDE」。
いわゆるエレキ・インスト・ギタリストのリッチー・アレン。本名はリッチー・ポードラー。'60年代はじめからカリフォルニアで活躍、プロデューサーとしてステッペン・ウルフ(「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」)とかスリー・ドッグ・ナイトを手掛けた人。リッチー・アレン & ザ・パシフィック・サーファーズでアルバムを何枚か出している。それがSundazedから素晴らしいマスタリングでCD化された。1963年のセカンド・アルバム『SURFER'S SLIDE』のタイトル曲「SURFER'S SLIDE」。作曲はリッチー・アレン。日本人ウケするメロディー。リッチー・アレン自身のギター、レイ・ポールマンのベース、ドラムはサンディー・ネルソン、キーボードはラリー・ネクテル、トム・テディスコとかその他いろいろギタリストが参加している。後のカリフォルニアの音楽シーンを背負って立つミュージシャンが1963年で勢ぞろいしている。

・BUZZ CASON
ロニー & デイトナスの「SANDY」に曲を提供したバズ・ケイスン。1969年にナシュビルの「エルフ」というレーベルに残したバズ・ケイスン自身のソロ・シングル。作詞作曲、プロデュース、バズ・ケイスン。いかにもナシュビルのミュージシャンらしいタイトルそのものずばり「NASHVILLE IN SUMMER」。タツローさんが最近手に入れたそうだ。

・THE COMPETITORS
ゲイリー・アッシャーは幽霊グループが大得意。名前を適当にでっち上げて、いろいろなところでいろんなグループ名で作品を発表している。チャレンジ・レーベルでは「フォー・スピーズ」という名前で、キャピトルでは「スーパー・ストックス」とか「ナイツ」、マーキュリーでは「ホンデルズ」、そしてドット・レーベルでは「コンペティターズ」というグループでアルバムを1枚残している。最近CD化された。

・MAGIC
マジックはブリティッシュのでっち上げグループ。1975年にアリスタから出たシングル。曲を書いているのはジョン・カーターとギル・シェイクスピアでファースト・クラスの「ビーチ・ベイビー」のコンビ。「ビーチ・ベイビー」の2年後に出た「ビーチ・ベイビー」の焼き直し。でも曲はけっこういい。ジョン・カーターのプロデュースなのでエンディングに「フラワー・ポットメン」の一節が出てくる。そういう洒落っ気のあるシングル。タツローさんが最近手に入れたそうだ。

・I DO
キャステルズのヒット・ソングのカヴァー。ブライアン・ウィルソンのペンによる作品。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
08月06日・13日・20日は、恒例「納涼リクエスト大会」
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JUSTA RADIO

2006年07月30日 | 佐野元春 Radio Days

<07月22日プレイリスト>
SOUND1:
TITLE:シーズン・イン・ザ・サンー夏草の誘い
ARTIST:佐野元春

SOUND2:
TITLE:誰かが君のドアを叩いている
ARTIST:佐野元春

SOUND3:
TITLE:The Pretender
ARTIST:東京スカパラダイスオーケストラ

SOUND4:
TITLE:ガラスのジェネレーション 2006
     (Additional recorded version)
ARTIST:佐野元春
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■内容の一部を抜粋
Shell Sound Ignition ~JUSTA RADIO~
TOKYO FMをキー局にしてJFN系38局ネット。7月22日(土)12:00PM ~ 12:30PM放送。放送日時が各地域および放送局によって異なり、fm osakaでは7月30日(日)9:00AM ~ 9:30AMに放送された。

・ゲスト3部作
今月は「JUSTA RADIO」3周年アニバーサリーということで、「ゲスト3部作」と題して、東京スカパラダイスオーケストラ、茂木欣一に縁のあるミュージシャンをゲストに迎えて放送している。先週はGLAY、今週は佐野元春、来週はくるり。

・佐野元春は大事な大事な存在
茂木欣一にとって佐野元春は十代の頃から大事な大事な存在だったという。こうして番組のゲストとして迎えて、そして会話ができることについて「う~ん、幸せだなぁ。うれしいですね」と話していた。

・楽しいパーティー
2005年12月2日から福岡 Zepp Fukuokaを皮切りに全国4ヶ所のライヴ・ツアー「SKYDRIVERS HIGH 2005 堂島孝平 feat. 佐野元春」が開催された。スカパラからはパーカッションの大森はじめ、ドラムの茂木欣一とサックスのGAMOが参加した(茂木とGAMOは東京と大阪公演のみ)。
「クリスマス・タイム・イン・ブルー」を披露した時に、茂木欣一が舞台の袖からドラムの台にのって登場した。
「あれ、受けてたね。あんな登場の仕方、普通じゃないよね」と佐野元春。
「でも"普通じゃないよね"というのは、僕は間違いなく佐野さんに教わったことだと思います(笑)」と茂木欣一。
「まあね。でもね、欣ちゃんはああいうファンキーな感じがすごく似合うな。僕は"あぁ欣ちゃんにぴったりな演出だな"と思いました。ハイ」と佐野元春。

・「ガラスのジェネレーション」の再録
「佐野元春というと"『SOMEDAY』の佐野元春"とか"『アンジェリーナ』の佐野元春"ってよく言われるんです。それはそれで間違いない。自分がソングライターとして振り返ってみた時に、『SOMEDAY』や『アンジェリーナ』もそうなんだけれども、初期のヒット曲『ガラスのジェネレーション』という曲こそ、ソングライターとしての僕がいちばんよく現れているんじゃないかなと。今回のこのシングル・コンピレーション(『THE SINGLES』)では昔の『ガラスのジェネレーション』から1曲目始まって、そして最後にリテイクの『ガラスのジェネレーション』で閉めるというそういう構成にしてみたんだよね」と佐野元春。

・客観的に佐野元春を見ているという感じ?
「そうです。そのとおりです。もうすでに25年も前でしょう。やっぱり、その当時の自分がだいぶ冷静に、客観的に"ああだったな、こうだったな"って見られるようになりましたね。3年前、4年前だとまだホットでよくわかんないんだね。自分のことですから」と佐野元春。

・『THE VIDEOS』も同時リリース
「ビデオっておもしろいのは、時代の雰囲気も一緒に写るでしょ。'80年代だったら'80年代の雰囲気も感じられたりしてね。なんか古めかしいところもあり、なんか恥ずかしい部分もあり、でも"あっ、若くてがんばってるな"みたいなところもありね、なかなか楽しいよ」と佐野元春。

・「楽しい時」にスカパラが参加
「アルバム『FRUITS』(1996)のセッションにスカパラが参加してくれて、曲のタイトルどおりなんだけれどホントに楽しかった」と佐野元春。
「楽しい時」のビデオ・クリップでは、今では禁煙したNARGO(Trampet)がタバコを吸ってる場面があって、当時はまだフィッシュマンズにいて、スカパラに合流するとは思ってなかった茂木欣一は、いろいろな思いが交錯したという。
「芝浦のどっかのビルの上だね。欣ちゃんはそれを見たことないわけだよね、それを実際には。その当時は(スカパラに合流するとは)思ってなかったわけだね」と佐野元春。

・シーズン・イン・ザ・サンー夏草の誘い
「'86年にレコーディングしました。ちょうど今の季節を思いながら書いた曲、僕は東京生まれ、東京育ちなんだけれど、この曲を書いた時には、そういう街の生活が嫌になっちゃって郊外というか自然の多いところに行って、"思い切り気持ちを広げたいなぁ"と思っていた時期でしたね」と佐野元春。

・アート・ワーク
「シーズン・イン・ザ・サンー夏草の誘い」は3枚連続リリースの中の1枚でパッケージも素晴らしくて見開きになっていた。
「M's Factoryレーベルを作ってアートワークも楽しくなくっちゃいけないという考えがあった。今で言う紙ジャケだよね。紙ジャケの見開きで工夫してみました。音楽だけじゃなくて、音楽を包んでいるアート、写真とか、グラフィックとか全体で僕たちは楽しさを得ていると思っているので、自分が音楽を作っていく限り、音楽だけじゃなくて周りのものも一緒にクリエイトしていきたいと思っています」と佐野元春。

・「彼女の隣人」
「十代の時に聴いていた曲で"あのフレーズ何の意味なのかよくわかんない"というのがあったんですけど、でも経験を重ねて30歳を過ぎた時にピーンとひらめいて"あっ、このことをあの詩は言っていたのか"って改めて聴きなおしてみると、よりわかったような気になったりして、それはすごく楽しいよね。ヒット曲があって楽しみを与えてくれるんだけれども、長い時間自分の中に留まってる曲というのもね、価値がある音楽じゃないかなと思いますね」
茂木欣一が「彼女の隣人」を最初に聴いた時はまだ二十代の前半だったが、三十代になり言葉の入り方がまた違ってきたのだという。
「『彼女の隣人』は僕がリリースした全シングルの中でもっともソウルフルな曲だと思いますね。僕も好きです。この『彼女の隣人』を書いた時は僕は三十代の半ばくらいだったんですよね。常に僕のリスナーというのは十歳くらい若くて、彼らの日々の喜怒哀楽をそっとサポートしてあげられるような、そういうロック・ソングをたくさん書きたいなと思っているんだけれども、十歳くらい年が違うと経験も違うから、時々どんな曲を書けばいいのかわからなくなっちゃう時があるんですよね。正直に言うと。でもこの曲はそういう年齢ということ関係なしにホントに正直に三十代中盤の男としての自分の心情を書き表わした曲というかな」
「僕は男性のシンガー・ソングライターなんで、男の子に常に"男ってこうだよね"ってポップソングを通じて歌ってきた感じがするんだよね。女の子が喜んでくれる曲も書きたいんだけれど、そんなに上手に女のこのことを喜ばせられないというか。でも男だったら、例えば欣ちゃんに、"こうだよね"っていうのはすごく簡単にできるんだよね。『彼女の隣人』というのも男の歌じゃないかな」と佐野元春。

・誰かが君のドアを叩いている
「これは当時一緒にやっていたハートランドのサウンドですね。これを聴いているとそれぞれのメンバー、ギターの長田、サキソフォンのダディ、そしてドラムス、ベース、みんなの顔が見えてきました」と佐野元春。

・The Pretender
スカパラの最新アルバム『WILD PEACE』から佐野元春がセレクトした曲。
「これこそが僕の中のスカパラのいわゆるオリジナル・ソングなんだよね。フィルム・ノワール的な雰囲気というのかな。フランスのギャング映画的というのかな。そういうのが体の中に入ってるミュージシャンたちだなと思って。僕もそういうのが好きなんです。だからこの『The Pretender』なんて正にそうなんだ。あとサウンドでいうと欣ちゃんのロールからはじまって、GAMOさんのソロ。GAMOさんのサキソフォンは間近で見たことあるし、彼の音はレコーディングで経験しているので、彼のマウスピースの形でさえ僕はまだ覚えているんだけど。あのちょっとつまったサキソフォンのサウンドは正にGAMOさんのサウンドと言っていいよね。あらゆる意味で今回の新しいアルバムの中ではこ『The Pretender』という曲が僕の中のオリジナル・スカパラ・サウンドだと断言できますね」と佐野元春。

・来週のゲスト「くるり」について
「面識ありますし、くるりの1枚目のアルバムを聴いた時、ホントに感銘を受けてね。で、彼らのレコードに何か推薦の言葉を書かしていただいたのを覚えています」と佐野元春。

・岸田くんに何か一言
「いいぞ」と佐野元春。
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THE SINGLES

2006年07月27日 | 佐野元春

SITEDOI」を更新しました。『THE SINGLES』のレビューを書きました。『THE VIDEOS』のほうも加筆訂正しております。

『THE SINGLES』のジャケットってiTMSで販売された「」の別カットなんです。この「光」はエピックからの発売が見送られたという経緯があります。ちょっとおもしろいと思いませんか。

ところでソニーの音楽配信サービスmoraではこの『THE SINGLES』の全曲ダウンロードができないんです。そしてなぜか38曲しかない。「彼女の隣人」がリストから外されているんです。音楽配信だったらCDのように収録時間を気にせずに済むのに、一体どういうことなんでしょう。完全版『THE SINGLES』を作ったらいいのに。
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Sunday Songbook Playlist

2006年07月23日 | Sunday Song Book

<07月23日プレイリスト>
[アリフ・マーディン追悼 PART 2]
返信/竹内まりや 9月6日発売ニュー・シングル
[BGM]LISTEN HERE/EDDIE HARRIS "ELECTORIFYING" '68
MAGDARENA/DANNY O'KEEFE "BREEZY STORIES" '73
VENGEANCE/CARLY SIMON "SPY" '79
THE MOON IS A HARSH MISTRESS/JUDY COLLINS "JUDITH" '75
I'M EVERY WOMAN/CHAKA KHAN "CHAKA" '78
WHEN I WAS A FREEPORT AND YOU WERE THE MAIN DRAG/
LAURA NYRO "CHRISTMAS AND THE BEADS OF SWEAT" '69
JIVE TALKIN'/BEE GEES "MAIN COURSE" '75
LISTEN HERE/ARIF MARDIN "GLASS ONION" '69
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■内容の一部を抜粋
・番組ディレクター長崎さんが欠席
大熱のため番組ディレクター長崎栄さんが欠席。
「いつもはたった4人でやっているのに今日は3人でございます。技術のソウミヤくん。でも彼はいつもディレクターをやってますので、こういう時にも全然大丈夫でございます。アシスタントのヤマギシさんという若い女性、彼女もディレクターができますので、別に長崎くんがいなくても全然困らないという...、ざまぁみろ!(笑)。そういうこといっちゃあいけませんね」とタツローさん。

・返信
9月16日公開の松竹映画『出口のない海』の主題歌でエンドロールにながれる。9月6日(水)にシングルとして発売予定です。竹内まりや5年振りのシングルで、カップリングは明治アーモンドチョコレートのCMソング「シンクロニシティ(素敵な偶然)」。
『出口のない海』は第二次大戦中に開発された人間魚雷「回天」(九三式酸素魚雷という人間が操縦できるように改造した魚雷。それで敵艦に体当たりしようという狂気の兵器)に志願した学徒動員の学生の話。
主人公の学生(市川海老蔵)が許婚の彼女に宛てた手紙の返信という設定の楽曲。作詞作曲竹内まりや、編曲山下達郎、歌竹内まりや。

・LISTEN HERE
エレクトリック・サックス(オクターバーのエフェクターをサックスに入れたことで有名)のエディ・ハリスが1968年に全米45位とインストゥルメンタルながらヒットさせた。

・MAGDARENA(そよ風の伝説)
アリフ・マーディンと関係の深かったSSW(シンガー・ソングライター)のダニー・オキーフはいろいろなところを放浪して曲を作って歌っていた。1970年にアトランティックと契約。1枚目は泣かず飛ばずだったが、2枚目のアルバムから「Good Time Charie, Gatta Blues」というヒット曲が出てダニー・オキーフの名前が全米に知れ渡った。3枚目の『BREEZY STORIES』(1973年)は名盤の誉れが高い1枚。ニューヨークのスタジオ・ミュージシャンでレコーディングされ、名曲がたんさん揃っている。スタジオ・ミュージシャンの中にダニー・ハザウェイがキーボードで参加していたが、「MAGDARENA」を非常に気に入って、『EXTENSION OF A MAN』でこの曲をカヴァーした。ダニー・オキーフ自身のギターとヴォーカル、ヒュー・マクラケンのスライド・ギター、ダニー・ハザウェイがエレクトリック・ピアノ、ゴードン・エドワーズのベースに、バーナード・パーティーのドラムスというニューヨーク派がずらっと揃ったアリフ・マーディンのラインナップ。

・VENGEANCE
カーリー・サイモンのアルバム『SPY』(全米49位)からのシングル・カットで全米48位。「VENGEANCE」は復讐という意味。ジョン・ホールのエレキ・ギター、デビッド・スピノザ、ドン・グローリックのキーボード、リチャード・ティー、ウォンレン・ヴァン・ハート、トニー・レヴィン、スティーブ・ガット、リック・マロッタ、錚々たるニューヨークのメンバー。

・THE MOON IS A HARSH MISTRESS(月は無情な女王)
ジュディー・コリンズのアルバム『JUDITH』はカーリー・サイモンと同様エレクトラからの発売。全米11位のプラチナ・アルバムでジュディー・コリンズの代表作の1枚。「THE MOON IS A HARSH MISTRESS」はジム・ウェッブの曲。ジュディー・コリンズ自身のピアノ、ジョー・ディマージュ(ニューヨークのウッドウィンズのスタジオ・ミュージシャン)のイングリッシュ・ホルンとフルート、ロメオ・ペンク(バリトン・サックスで有名)のバス・フルート、ジーン・オルフのヴァイオリンというニューヨークの音。

・I'M EVERY WOMAN
チャカ・カーンの『CHAKA』からのシングル・カット「I'M EVERY WOMAN」は全米ソウル・チャートNO.1。ホィットニー・ヒューストンがカヴァーしていることでも有名な曲。タツローさんは1978年12月にクールスのプロデュースでニューヨークに一月半滞在したが、その時にラジオから毎日、1時間に1回の割合でながれてきたのがこの曲だそうだ。シングルとアルバムを買って東京で死ぬほど聴いたのだという。アシュフォード&シンプソンの曲で、ドラムスがスティーブ・フェロン、ベースがウィル・リー、ピアノがリチャード・ティー、ギターはフィル・アプチャーチとアベレージ・ホワイト・バンドのヘイミッシュ・スチュワート、ヴァックグランド・ヴォーカルがチャカ・カーン、ヘイミッシュ・スチュワート、ウィル・リーというラインナップに、アリフ・マーディンの素晴らしいストリングスがかぶりマスターピースが出来上がった。

・WHEN I WAS A FREEPORT AND YOU WERE THE MAIN DRAG
ローラ・ニーロの4作目『CHRISTMAS AND THE BEADS OF SWEAT』(1969年)はアリフ・マーディンとラスカルズのフェリックス・キャヴァリエがプロデュース。アリフ・マーディンの場合、ニューヨークの白人シンガー・ソングライターを南部に連れてゆく(アレサ・フランクリンの時もそうだったが)というパターンが当時多かった。ダニー・オキーフもメンフィスに連れていってヒット曲がうまれた。ロジャー・ホーキンス以下マッスルショールズのメンバーでローラ・ニーロのレコーディングをしてオーケストレーションをアリフ・マーディン自身がやっている。ローラ・ニーロの全作品の中でもちょっと異色でありながら、ローラ・ニーロの個性が出た素晴らしいアルバムに出来上がっている。
「WHEN I WAS A FREEPORT AND YOU WERE THE MAIN DRAG」は難解な歌詞が羅列しているが、本人はプロテスト・ソングだとコメントしている。ローラ・ニーロらしいテンポが自在に変わる曲で、ロジャー・ホーキンスとかデビッド・フートとかの南部のミュージシャンは音楽センスが優れているのでよくついていってる。タツローさんの高校時代の愛聴盤。

・JIVE TALKIN'
ビージーズはアリフ・マーディン抜きで'70年代後半以降の活躍は語れない。アリフ・マーディンはビージーズをディスコ路線に変えた張本人。この曲から快進撃がはじまる。1975年の全米NO.1。ここから「Saturday Night Fiver」のメガ・ヒットまで一気に駆け上がるが、このあいだに深く関わったのがアリフ・マーディンだった。

・LISTEN HERE
アリフ・マーディンのソロ・アルバム『GLASS ONION』(1969年)から。エディ・ハリスの「LISTEN HERE」のカヴァー。マッスルショールズのスタジオ・ミュージシャンがリズム・セクションをやった上に、ニューヨークに戻り、ニューヨークのブラス・セクションでスコアを書いて演奏している。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月30日は、「サーフィン・ホットロッド・インスト・サマーサウンド特集」
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赤坂泰彦のディアフレンズ(2)

2006年07月19日 | 佐野元春 Radio Days

[06/07/19<Play List>]

[BGM]約束の橋
楽しい時 / 佐野元春
[BGM]Yeah! Soulboy
Night Life / 佐野元春
Boys Keep Swinging / David Bowie
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■内容の一部を抜粋
・'90年代に入って曲の主題が'街'から'地球'に広がっていった気がします。
「初期の3部作『Back To The Street』、『Heart Beat』、そして『SOMEDAY』ですよね。このアルバムでのメインのテーマは『ガラスのジェネレーション』の一節じゃないですけれども"つまらない大人にはなりたくない"、大人に対する反抗それから既成に対する抗いというね、それこそがロックンロールの本質だという思いが僕にもあった。そうした思いを形を変えていろいろな曲にその思いを託して書いたんですけれども。やはりソングライターとしていろいろな人生の経験を積んでいくにつれて、それだけでなくてそれ以上にもうちょっと広いテーマにも挑戦してみたいな、といって取り上げる主題がだんだん広がっていったのが'90年代以降ですね。その中には政治や環境やそうしたなかなかポップソングの中では取り上げにくいテーマを取り上げて、それを分かりやすい形のポップソング、ロックンロール・ソングに仕立て上げたい、それが'90年代最初の僕のチャレンジでしたね」
「それとそうしたトピック・ソングを書く、その何かいいロール・モデルがなかった。だから僕が書くことによって下の世代のソングライターたちが"あぁ~ああいう形でやればいいのかもしれない"といったようなそういう見方をされていたような節がありますね」と佐野元春。

・2000年以降の作品感はどうですか?
「作品の作り方ということでいえばデビューした時からさほど変わっていないと思うんですよね。根っこのところは変わっていない。ただ音楽を作る現場が変わってきたし、それはアナログからデジタル中心のレコーディングになりました。これは大きな変化でした。それとその音楽の届け方ですよね。そうした新しい時代に沿った僕らアーティストのやり口やり方というのがきっとあるはずだ。何がファンにとっていちばんうれしんだろうといったことを考えているのがちょうど2000年以降の取り組みですね。音楽リスナーあっての僕らですから音楽リスナーに楽しい利益が落ちてゆくようなやり方というのが、長い目で見ればそれが正解なんじゃないのかと僕は思うんですよね。十代、二十代の心の多感な連中たちに音楽をプレゼントして、彼らの喜怒哀楽をそっとサポートしてあげて、それで彼らから本当に恩恵を被って成り立っているビジネス、それがレコード・ビジネスだと僕は思っているんですね。それを考えるとその彼らにいちばんいい利益が落ちてゆくようなビジネスの方法が、たぶん長い目で見ると正解なんだろうな、そんなことを漠然と思っています」と佐野元春。

・『THE SINGLES』は新しくファンになった人にはいいアルバムですね。
「いちばんいいと思います。僕の音楽を十代の時、多感な頃に聴いたリスナーであれば現在三十代、四十代といったところにいらっしゃると思うんですよね。そろそろ彼らの子どもたちもこうした音楽に触れることになってしまう。だからコンサート・ツアーをやって面白いのはだいたい三世代ぐらいに渡ってお客さんが集まってきてくれるんですよね。ロック・コンサートでこうして三世代が連なってる景色というのは、けっこう珍しいと思うんです、日本ではね。かつて僕はマジソン・スクエア・ガーデンで見たジャクソン・ブラウンのライヴ。これがやはり客席を見ると三世代ぐらいの、たぶんお父さんとその息子が一緒にジャクソン・ブラウンの『STAY』という曲を歌ったり。そういう景色が"素晴らしいな"と思って若い頃見てたんですね。で、いつか自分のライヴも自然な形でこうなればいい。それが最近になってようやく実現してきている。これがうれしいですね」と佐野元春。

・このコンピレーションを編纂して
「複雑な気持ちなんです。昔の自分の曲を改めて今聴くというのは。普段はそうしたことはほとんどしません。こうしたコンピレーションを作るという時がいい機会なんですね、自分自身を知る。佐野元春というソングライターは一体どんなやつなんだということを知るいいチャンスでしたね」と佐野元春。

・「アンジェリーナ」を歌う若き佐野元春くんに今かける言葉は?
「まぁ、もうちょっと肩の力抜けよみたいな(笑)」と佐野元春。

・クルマのラジオから「Night Life」がながれて
「デビューしてからまだ半年くらいしか経ってないですから、まだ自分の曲がラジオからながれてくるということを経験したことがなかったんですね。いつかラジオから自分の曲がながれてきたら、うれしいだろうなってことを、ずうっーと思っていね。で、ある時タクシーに乗ったんですよ。そしたらそのタクシーのカーラジオから僕の『Night Life』がかかってきた。すごく小さな音だったから運転手さんに"運転手さんっ、運転手さんっ、もうちょっと大きくして!"で大きくしてもらった。しばらく聴いたらね、もう言いたくしてしょうがなかったんですね。"運転手さんっ、この曲ねぇ僕の曲なんだよ!"言っちゃいましたけどね。プロになって自分の曲がはじめてラジオからながれてきた時の感激ですよね。これは一生忘れないですね」と佐野元春。

・ソングライティング
「女性に向けて書く詩、男性に向けて書く詩、大雑把にそんな分け方ができると思うんですよ。不思議なんだけれども、男性に向けて書く場合には、大抵その男性のイメージというのは少年だったり青年だったりする場合が多い。心の少年だったり、心の青年だったりする。ただ女性に向けて書く場合には、同じように年齢を経てきているとしたらば、その同じ年代の女性に向けてメッセージなり、自分の何か思いを託す。そうした書き方をね、これすごく不思議なんですよね。う~ん」と佐野元春。

・同い年の男性に向けてはどうですか?
「あるんですよ。ただ同い年の男性に向けて書く時も、なにかその男性の中の少年性であったり、その男性の中の青年の時の強い思いであったり、そこを突いていく、こういう詩を書きがちなんですね。う~ん。不思議です。女性に向けて書く書き方と、男性に向けて書く書き方と違うんですね」と佐野元春。

・かつて少年少女だった佐野元春のリスナーに向けての曲もあるんですよね?
「もちろんある。だから男性に歌いたい時には、もちろん時を経て来ている、お互いにいろいろと経験を積んで来ているから、まぁ、こういう思いもある。でもお互いオヤジになっちゃったわけじゃないだろっていう部分もあって、僕たちの男性の魂の中にあるね、ある種の少年性とか、あるいは十代二十代多感な頃に一瞬"これは真実かもしれない"と掴んだ要素とかね、エッセンスとか。そうしたものをやっぱり僕たちの身体の中にきちんとキープしておこう、というようなメッセージを僕は歌いたいですね。ロック曲の中ではね。だからいつまでも、ちょっと誤解されてはいけないけれども、どんな大人の男に対して歌うのでも"いつまでもスウィングし続けるんだぜ、俺たちは"っていうそんな感じかな。でも女の人にはそう言えないです」と佐野元春。

・今日のリクエストは何ですか?
「そうですね。デヴィッド・ボウイの曲で正にそんなことを歌っている曲があるんですよ。リスナーの人たちに聴いてもらいたい曲は『Boys Keep Swinging 』」と佐野元春。

・ニュー・アルバム
「今ちょうど新作のレコーディングがはじまったばかりで、ここ数日間レコーディング・スタジオに籠もっていたので、こうして赤坂さんと会って音楽の話ができるというのは、なんだかすごく楽しかった」
「今回の新しいアルバムは、いつも一緒にやってるザ・ホーボーキングバンドというベテランのミュージシャンではなく、十歳くらい世代が若い、新しい世代のミュージシャンと一緒に作ってるんです。ですので出来上がりが僕自身も楽しみですね」
「目標は来年の春ぐらいにリリースできたらいいなと思っている」と佐野元春。

・EPIC ARCHIVESの今後
「'80年代'90年代、レーベルに残してきた音・映像いろいろとありますので、新世代に向けて"佐野元春はこんなことをやってきたんだよ"、それをわかりやすい形でパッケージにして出せていけたらと思っています」と佐野元春。

・音楽の神様が「何か賞を渡します」としたら何賞を貰いたいですか?
「う~ん...そうだな、僕、神様のために歌っているわけじゃないからねぇ。ファンのために歌ってるから、ファンから褒められるとうれしいけれども、神様から褒められても大してうれしくないなぁ。う~ん...う~ん...」
「これはホントに究極の問いだね。答えられないね。また十年後にここに来て、その時に答えられるようにしときます」と佐野元春。
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赤坂泰彦のディアフレンズ(1)

2006年07月18日 | 佐野元春 Radio Days

[06/07/18<Play List>]

[BGM]アンジェリーナ/ダウンタウンボーイ/ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
ガラスのジェネレーション2006(Additinal recorded version) / 佐野元春
SOMEDAY / 佐野元春
#9 Dream / John Lennon
-------------------------------------------
■内容の一部を抜粋

・EPIC ARCHIVESとはどんなプロジェクト?
「EPICレーベルに僕が残してきた楽曲、映像、クリエイティブ・グッズをきちんと批評して、再構成して、新しい世代にも楽しんでもらおう、それを目的としたひとつの集まりです」と佐野元春。

・レコードからCD、そして音楽配信へとミュージシャンにとっては、この25年間は激動だったのでは?
「非常に激動でした。僕たちからすれば作っているものはひとつですよ、音楽という...。ただそれを僕の音楽のリスナーに届ける、その形がこの20年間様々に変化してきましたね」と佐野元春。

・ガラスのジェネレーション2006(Additinal recorded version)
「これはちょっとトリッキーな形なんだけれども。当時1980年にレコーディングした僕のヴォーカルと僕の弾いたピアノだけはオリジナルのまま使って、そしてドラム、ベース、ギター、その周辺の演奏を今の僕の仲間であるザ・ホーボーキングバンドに演奏してもらった、そういう作りなんですね」と佐野元春。

・なぜそれが「ガラスのジェネレーション」なのか?
「あのね、佐野元春というと"『SOMEDAY』の佐野元春"とか"『アンジェリーナ』の佐野元春"ってよく言われるんですよね。ソングライターとして自分を批評してみると、初期に書いたこの『ガラスのジェネレーション』という曲、これはもしかしたら『SOMEDAY』や『アンジェリーナ』よりも佐野元春らしさが凝縮されてる曲なのではないかと自分自身でしているのです。したがって今回のこの『THE SINGLES』のパッケージも『ガラスのジェネレーション』で始まり『ガラスのジェネレーション』で終るというそういう構成にしてみたんですね。だからホーボーキングバンドのメンバーは当時23歳の僕とセッションしたというストーリーになったわけです。みんな不思議がってました。ちょっとしたタイムスリップというかな」と佐野元春。

・それは照れくさいものなんですか?
「いやぁ...そぉうでもないですよ。自分が23歳24歳の時ですから。これが30歳の頃ですとまだ年齢が近いですから照れくささというのもあるんだけども。当時のホントにYOUNG MOTOというか、だいぶ客観的に見られるようになってきたので、それはそれでね、誇りに感じるところもあるし、多少くすぐったいなと思うところもあるし、複雑ですね」と佐野元春。

・デビューした当時、一体何を言いたかったのですか?
「自分がデビューした1980年、振り返ってみれば確実にその古いジェネレーションとのギャップというものを感じていたんですね。自分は東京で生まれて東京で育っているので仲間たちも当然街の子たちなんだけれども。明らかに'70年代のお兄さんお姉さんの世代とは物の見方も感じ方も違ってきている。特にいちばん違いを感じたのは音楽に対する感受性というのかな、ニュー・キッズたちが自分たちにフィットする日本語による新しい音楽をみんな探していた。でもなかったんです。仲間たちなんかに囃したてられて"佐野おまえがやれ"みたいな、そういうムードがありましたね。"じゃあ一丁書いてやるよ"それが『アンジェリーナ』であったり『SOMEDAY』であったり『ガラスのジェネレーション』であったり『ダウンタウンボーイ』であったり、ホントに街の歌ですよね」
「50'S、60'Sのロックンロール、これはひとつのスタイルとして確立していたんだね。グリーサーでありポニーテールでありクルマであり女の子であり。それはそれでノスルジックなものとして素敵なんだけれども。むしろ80年代に入るとロックンロールというのはもっともっと違う価値を帯びてきていましたので、同じロックンロールといっても、形になったものよりも、もっと何か新しい意味をその音楽の中に見出したいというキッズたちが増えたんじゃないかな」
「初期にリリースした3枚、『Back To The Street』、『Heart Beat』、『SOMEDAY』。この3枚には僕の十代の東京での街の生活がいっぱい詰まっている。僕の友達についての歌、僕自身についての歌がいっぱいある。街の子どもたちのためのロックンロール、新しいロックンロールを書きたいというのが当時の僕の願いでしたね」と佐野元春。

・「夢と現実について」のトーク・セッション
「"夢"というのは大切な言葉だと僕は思うんですね。僕たちの人生の中で大切な要素。ただひとつだけ勘違いしたくないのは、己の欲望を達成することと、夢が叶うということと僕は違うんじゃないかと思っている。僕は美しい夢を信じたい。美しい夢とはどんなものだといったらば、僕も含めて僕以外の人たちも幸せになること、それが僕は美しい夢だと思うんですね。とかく"君の夢は何?"というと自分のなりたいものは何だとか、自分の欲望を満たすビジョンは何だとか、というところで答えてしまいがちだけれども、ソングライターの僕としてはもっと先のことを感じてこの"夢"という言葉を使いたいと思いますね」
「僕はレコーディング・アーティストとしてデビューする前に、ラジオ番組の制作会社にいた時期があったんです、とても短い期間でしたけれども。ある会社のオーダーで米国西海岸のFMステーションを取材してこいという仕事があったんです。当時20歳か21歳ぐらいの時。そして僕はロサンゼルス、サンフランシスコ、いろいろなステーションに行って、で、そのステーションのDJにいろいろなインタビューをしてくるという仕事だったんですね。そのうちのひとつ、黒人がマネージメントしているR&B、ソウル専門のステーションでしたね、それでその黒人のDJにインタビューをして仕事が終ったんですけれど。仕事が終った後、とても知りたいことがあって僕は唐突に質問したんですね。"ラジオの本質って何なんだ"って。そしたら彼が言ったのは"LOVE"と一言ね。すごく黒人的な答えだなと思ったんだけど、すごく本質的な答えだなって僕は思った。で僕感動したんです。うん。メディアの本質は愛だということですよね。それで僕はラジオ・メディアの見方はそのときから変わりましたね」と佐野元春。

・ジョン・レノンの「#9 Dream」をリクエストしたのは?
「ジョン・レノンというソングライターは不思議なソングライターなんですけれども。ことごとく夢に言及するソングライターなんです。だから本人の中ではきっと現実なのか夢なのかわからないその狭間に立ってイメージしているのではないかと思われる曲が結構多い。すごく素晴らしいんですね。特にこの曲は夢というところにかかっているんですけれど、是非リスナーに聴いてもらいたいなぁと思って持ってきました」と佐野元春。

・もしジョン・レノンがいて、コラボレーションするとしたらどんな曲を作っていたでしょう?
「たわいもないロッンロール曲でしょうね。よく"ジョン・レノンの曲でどんな曲が好きですか"って、みなさん『IMAGINE』とかね。ジョン・レノンのソロになった後のああした大きなテーマを持った曲、確かに素晴らしいです。でも僕にとってのジョン・レノンというのはやっぱりバッドボーイですね。そうするとすごく初期のあるシングルのB面なんですけれど『Not A Secound Time』とか、ああした曲がジョン・レノンの本質ではないかと僕は思いますね」
「僕たちは特に子どもの頃というのは、大人に抵抗するのに精一杯なんだけれど、常に大人のほうが強いですから、何か武器が欲しいと常に願っている。それが子どもである状態なんですね。大人は常に子どもたちのことを打ち負かそうとしますから、いつもやられっぱなしなんですよ。で子どもたちはくやしい。そこで何か武器が欲しいという時にロックンロール音楽はとても力強い武器になったんですね。それはその楽曲の中に含まれた詩の一節であったり、あるいはシンガーのごきげんなドライヴするヴォーカルの感じであったり。感じ方は人様々かもしれかもしれないんですけれども、ロックンロールというのは子どもたちにとって武器だった。それは見方として間違ってないと思いますね」と佐野元春。
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THE VIDEOS

2006年07月17日 | 佐野元春

本家「SITEDOI」を久し振りに更新しました。

佐野元春のDVD『THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004』のレビューです。この連休中にすべて見終えまして、取り急ぎ書いてみました。

「TVCF/OTHERS」の中に佐野元春が出演したTDKやトヨタのCMがあればうれしかった。
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Sunday Songbook Playlist

2006年07月16日 | Sunday Song Book

<07月16日プレイリスト>
[アリフ・マーディン追悼 PART 1]
アトムの子/山下達郎 "ARTISAN" '91
[BGM]THE RETURN OF THE PRODIGAL SON/
FREDDIE HUBBARD "BACKLASH" '66
A GIRL LIKE YOU/THE YOUNG RASCALS "GROOVIN'" '67
RAINY DAY/THE RASCALS "ONCE UPON A DREAM" '68
UNTIL YOU COME BACK TO ME/ARETHA FRANKLIN
"LET ME IN YOUR LIFE" '73
I KNOW, IT'S YOU/DONNY HATHAWAY
"EXTENSION OF A MAN" '73
PICK UP THE PIECES/AVARAGE WHITE BAND '74
SHE'S GONE/DARYL HALL & JOHN OATES
"ABANDONED LUNCHEONETTE" '73('74)
HEAVEN/THE RASCALS "FREEDOM SUITE" '69
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・アリフ・マーディン
アリフ・マーディンは1932年にトルコのイスタンブールで生まれた。20代前半だった1956年、イスタンブールでディジー・ガレスピーを見てインパクトを受け音楽の道を志すようになった。1958年、26歳の時に渡米しボストンのバークリー・ミュージック・スクールで学ぶ。1961年、アトランティックに入社。

・THE RETURN OF THE PRODIGAL SON
アリフ・マーディンはアトランティックで最初はジャズのミュージシャンを多くプロデュースしていた。フレディ・ハバードの『BACKLASH』は日本では一世を風靡した名盤。このプロデュースをしたのがアリフ・マーディンだった。「THE RETURN OF THE PRODIGAL SON」の邦題は「放蕩息子の帰還」。

・ヤング・ラスカルズ
1960年代になってアリフ・マーディンはヤング・ラスカルズをプロデュースする。ヤング・ラスカルズはニューヨーク出身の4人組のロックンロール・グループ。アトランティック・レコードはジャズ、ブルース、ロックンロールといった黒人音楽専門のレーベルであったが、ヤング・ラスカルズはアトランティックがはじめて契約した白人のロック・グループだった。アリフ・マーディンが関わった最初の仕事で「グッド・ラヴィン」(1965年)という大ヒットが生まれた。以降5年間アリフ・マーディンとラスカルズは切っても切れない関係を築く。ラスカルズにとってアリフ・マーディンはビートルズにとってのジョージ・マーティンのような存在である。

・A GIRL LIKE YOU
タツローさんがはじめて聴いたヤング・ラスカルズの曲は「グッド・ラヴィン」。中学生の頃だったという。2枚目のアルバム『コレクションズ』を買って聴いた時、ヤング・ラスカルズはタツローさんの青春にとって最も重要なグループになったという。
すごくグルーヴのある白人のR&Bで、ダンス・バンド的なロック・グループだったヤング・ラスカルズだが、3枚目のアルバム『グルーヴィン』の1曲目「A GIRL LIKE YOU」は、フルオーケストラで演奏が始まり、タツローさんの度肝を抜いたという。「この素晴らしいアレンジは誰がやってるのだろう?」それがアリフ・マーディンの名前を自覚した最初の瞬間だったそうだ。
ベースなしのオルガン、ギター、そしてヴォーカルという変わった編成の4人組だったヤング・ラスカルズ。まるでスタジオ・ミュージシャンが演奏しているかのような華麗なオーケストレーションに変貌した。その音楽的な指導力を発揮していたのがアリフ・マーディンだった。

・RAINY DAY
1968年にヤング・ラスカルズはラスカルズに名前を改める。もともとラスカルズという名前だったがデビューする時に同名のグループがいたためにヤングをつけて「ヤング・ラスカルズ」と名乗った。デビューして数年、そのラスカルズは影も形もなくなっていたので、もとの「ラスカルズ」に戻した。
4枚目のアルバム『ONCE UPON A DREAM』はラスカルズにとっての『SGT. PEPPERS』で、夢の世界を辿ってゆくトータル・アルバム。更にアリフ・マーディンの存在力が発揮され、いろいろな曲調、いろいろなオーケストレーションが縦横無尽に行き交う。
「この素晴らしいストリングスとオーケストレーション、それから雨のS.E.、わたしにとって[雨の歌]というとどうしてもこのラスカルズの『RAINY DAY』にいつも戻ってしまいます。アリフ・マーディンのオーケトスレーションは自己主張しないで、歌に寄り添うように出しゃばらず、でも引っ込みすぎず、そういういい塩梅のオーケストレーションでございます」とタツローさん。

・アレサ・フランクリン
アリフ・マーディン、トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラーというスタッフ・プロデューサー、エンジニア、アレンジャーの三人組で、アレサ・フランクリンをデビュー当時から手がけていた。そうして『レディ・ソウル』という金字塔を打ちたて、アレサは'60年代最大の女性R&Bシンガーに成長してゆく。

・UNTIL YOU COME BACK TO ME
タツローさんの好きなオーケストレーションということで「UNTIL YOU COME BACK TO ME」。1973年、ソウル・チャートNO.1、全米チャートNO.3。スティービー・ワンダーの作品でプロデュース&アレンジはアリフ・マーディン。アレサ・フランクリン自身のピアノと歌、バーナード・パーティーのドラム、チャック・レイニーがベース、ヒュー・マクラケンがギター、ダニー・ハザウェイがエレクトリック・ピアノ。当時のアリフ・マーディンの仕事の常連の名前が並んでいる。

・ダニー・ハザウェイ
ダニー・ハザウェイはもともとシカゴの生まれだが、ニューヨークでアレンジャー、キーボード・プレイヤーとして活躍していた。シンガーとして本領発揮をするにはアリフ・マーディンの存在が重要であった。

・I KNOW, IT'S YOU
アルバム『EXTENSION OF A MAN』はプロデューサーがアリフ・マーディン、ほとんどの曲はダニー・ハザウェイが編曲しているが、B面最後の「I KNOW, IT'S YOU」だけはなぜかアリフ・マーディンがすべてのオーケストレーションを担当した。リオン・ウェアの曲のカヴァーで、ダニー・ハザウェイ自身のピアノ、リック・マロッタのドラム、スタンリー・クラークのベース、デビッド・スピノザのギター、プロデュース&アレンジはアリフ・マーディン。
タツローさんは国内盤の発売が待てず、新宿の帝都無線で1枚だけあった輸入盤を見つけて、胸に抱くようにして帰宅して聴いたことを、昨日のことのように思い出すのだという。

・ブルー・アイド・ソウル
白人がやるソウル・ミュージックを「ブルー・アイド・ソウル」というが、アリフ・マーディンはブルー・アイド・ソウルに対しての造詣が深い。アリフ・マーディン自身が純粋なアメリカンではないから、白人音楽と黒人音楽の間に垣根を持たなかった。差別意識を持たずにクロス・オーバーを盛んに許容できたのはそういう背景があった。

・PICK UP THE PIECES
'70年代のブルー・アイド・ソウルの代表的なバンドがアベレージ・ホワイト・バンド。スコットランド出身の6人組の白人R&Bバンド。デビューの時からアリフ・マーディンがプロデュース。番組でかけたのはアルバム・ヴァージョンをタツローさん自らシングル・ヴァージョンに短く編集した「PICK UP THE PIECES」。

・SHE'S GONE
'70年代のブルー・アイド・ソウルを代表するもうひとつのグループがホール&オーツ。フィラデルフィアを代表するグループでもある。最初はアトランティックで何作か作ったもののなかなかヒットが出ずRCAに移籍した。そこからアメリカを代表するグループに成長してゆく。アトランティックでの初期の作品にはアリフ・マーディンが深く関わっている。「SHE'S GONE」は1974年全米60位という成績だったが多くのカヴァーが存在する。この曲もシングル・ヴァージョンがCD化されてないのでタツローさん自ら編集しシングル・ヴァージョンを作りオンエア。

・HEAVEN
アリフ・マーマーディンのアレンジはストリングスよりブラスのオーケストレーションが好きだというタツローさん。特にフルバンド系のアレンジが上手なのだという。そういった編曲手法の代表作。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月23日は、「アリフ・マーディン追悼 PART 2」
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Sunday Songbook Playlist

2006年07月09日 | Sunday Song Book

<07月09日プレイリスト>
[70年代日本のフォーク&ロックで棚からひとつかみ]
夏への扉/山下達郎 "RIDE ON TIME" '80
踊ろよベイビー/遠藤賢司 "KENJI" '74
ハリケーン・ドロシー/細野晴臣 "TROPICAL DANDY" '75
空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ/四人囃子 "一触即発" '74
初夏の香り/久保田麻琴 '75
らびん・すぷーんふる/古井戸 "ぽえじー" '73
L.A. BABE/円道一成 "RUN TO LIVE, LIVE TO RUN" '84
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・夏への扉
もともとは難波弘之に書き下ろした作品。難波弘之のソロ・アルバム『Sence Of Wonder』は彼の好きなSF作品のイメージ・ソングが並んでいる。その中の1曲でロバート.A.ハインラインの「夏への扉」を吉田美奈子作詞、山下達郎作曲で作品化した。1980年のアルバム『RIDE ON TIME』でセルフ・カヴァー。

・踊ろよベイビー
フォーク・シンガーの遠藤賢司はギター一本でステージを縦横無尽に走り回る。人呼んで「ハード・フォーク・ケンジ」。ロックンロールのアプローチもずいぶんあるそうだ。「踊ろよベイビー」は彼の代表作の1曲でシングルにもなった。
遠藤賢司の歌と生ギター、ドラムス林立夫、エレキ・ベースとエレキ・ギターが高中正義、キーボードが深町純、編曲高中正義というラインナップ。

・夏バテ防止法
「冬もそうですけども夏も下半身浴です。腰湯をして汗どっと出すとすごくリフレッシュします。そのあとはキヨーレオピンと鰻で夏を乗り切ります。運動はしません」とタツローさん。

・ハリケーン・ドロシー
ジョン・フォード監督の映画『ハリケーン』のイメージで作られた一作。ドロシーは主演女優のドロシー・ラムーアのこと。細野晴臣の歌とベース、ドラムス林立夫、佐藤博のキーボード、ギターは鈴木茂。ティン・パン・アレイ全盛期の演奏。
先日、竹内まりやのレコーディングでパーカッションの浜口茂外也とセッションしたらしい。そこで聞いた話によると細野晴臣は最近歌に目覚めてきて、夏の野外フェスティバルにも出演し「風をあつめて」とかを歌うのだとか。浜口茂外也はそのヴァッキングで夏フェスに出るのだそうだ。

・野外ライヴ
「わたしは野外ライヴ、はっきり言ってそんなに好きじゃないです。お客さんが多くなればなるほど、野外という条件上、お客さんが抽象的に見えますと、演奏が荒くなるんですよね。直射日光を浴びると、今は条件が良くなりましたが、わたしの若い頃、シュガーベイブの頃は弦は切れるはアンプは火を吹くはでろくな事がなかったので、あまり野外イベントに触手が動きませんので、あまりやりませんが。まぁチャンスがあればまたやる時があるでしょう...」とタツローさん。

・空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ
「四人囃子は森園勝敏さん以下、岡井大二さん、佐久間正英さん、みなさんまだ現役でバリバリやってらっしゃいます」とタツローさん。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は森園勝敏作曲でリード・ヴォーカル。この時代のメンバーは森園勝敏のギター、岡井大二のドラム、佐久間正英のベース、坂下秀実と茂木由多加の二人のキーボードという5人編成。

・ものもらい
タツローさんは胃腸が弱いのでしょっちゅう口内炎になるという。ビタミンBを一生懸命取っているとのこと。
実は今ものもらいになっていて、ものもらい用の目薬を差しているそうだ。レコードを触った手で目をこすったりするので、一年のうちに何回かものもらいになるという。

・初夏の香り
久保田麻琴と夕焼け楽団の頃のシングル「バイ・バイ・ベイビー」のカップリング。タツローさんは「バイ・バイ・ベイビー」のコーラスをやっているのでシングルをもらったそうだ。「初夏の香り」は「ギターの井上ケンイチさんの素晴らしいトーンが堪能できる」とタツローさん。作詞作曲久保田麻琴、編曲細野晴臣。

・らびん・すぷーんふる
古井戸の作品が紙ジャケでリイシューされている。エレック・レコードの復刻シリーズだそうだ。
古井戸は最初3人組だったが、のちに加奈崎よしたろうと仲井戸麗市のふたりになった。チャボ(仲井戸麗市)は古井戸からRCサクセションに移った。
「らびん・すぷーんふる」はタツローさんの好きな曲。隠れた名曲でジョン山崎というキーボードの人が作った。作詞は仲井戸麗市。
「その曲のタイトル通り、ニューヨークのテイストがちょっとあります。当時としては斬新な作品でありました。古井戸は普段はフォーク・グループなのでもう少し泥臭い作品とか、あと『さなえちゃん』とかコミカルな作品もありますが、この『らびん・すぷーんふる』というのは非常にソフィストケイトされた、古井戸としては異色なサウンドで、当時から話題になったものでございました」とタツローさん。

・L.A. BABE
円道一成は神戸生まれのシンガー。ウィルソン・ピケットの大ファンでそうしたR&Bテイストの曲をたくさん歌ってきた人。タツローさんと同じレコード会社だったのでアルバム『RUN TO LIVE, LIVE TO RUN』に2曲書き下ろしたという。
1984年のレコーディングなので、青山純のドラム、伊藤広規のベース、佐藤博のキーボード、山下達郎のギターというフォーリズム・セクションにブラスとEVEのコーラスが入っている。
「当時はサザン・ソウルを目論んで作ったが、今聴くとブラスのフレーズなんかはノーザンな、デトロイトとかシカゴとか、そういう感じがする。わたしはすごく気に入ってる一曲で、作詞は大津あきらさん。大津あきらさんと組んだのは右にも左にもこれ一回しかありません。作詞作曲山下達郎、編曲も山下達郎です」
この曲はオフィシャル・サイトで販売している『The Works Of Tatsuro Yamashita vol.1』に収録されている。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月16日は、「アリフ・マーディン追悼」
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EGO-WRAPPIN' live tour "ON THE ROCKS!"

2006年07月05日 | Live

■EGO-WRAPPIN' live tour "ON THE ROCKS!"
2006年7月5日(水) なんばHatch
1階立見 整理番号461番

雨の降る中、なんばHatchにEGO-WRAPPIN'を聴きに行った。EGO-WRAPPIN'は今年結成10周年を迎えたという。

よっちゃん(中納良恵)のパフォーマンスは3年前の「ゴンチチ夏祭り」で体験していた。いつかチャンスがあれば今度はEGO-WRAPPIN'でよっちゃんが見たいとずっと思っていた。

オープニング・テーマはトム・ウェイツの「Innocent When You Dream(78)」だった(アイランド・レーベルのコンピレーション『Beautiful Maladies』に収録)。ブランニュー・アルバム『On The Rocks!』の幻想的でサイケな雰囲気はトム・ウェイツの無国籍な音楽と通じると思っていたので正に我が意を得たりの心境であった。

トム・ウェイツの「Innocent When You Dream(78)[夢見る頃はいつも]」にのって暗がりの中登場したEGO-WRAPPIN'。メンバーにはブラスがいて、一人はマルチ・ブラス・プレイヤーの武嶋聡、もうひとりは川崎太一朗。ステージ向かって左からブラス隊(川崎太一朗が左、武嶋聡が右側)、エマーソン北村(Keyboards)、真船勝博(Bass)、菅沼雄太(Drums)、森雅樹(Guitars)。よっちゃん(中納良恵)は最後に現れた。白い燕尾服の下は真っ赤なボディスーツ。真ん中に蝶が描かれていた。

1曲目は最新アルバム『On The Rocks!』の最後の曲「inner bell」だった。よっちゃんはマイク・スタンドにかけられた工事用の赤いランプを点灯させた。工事用の赤いランプといえばトム・ウェイツが昔ライヴの中で効果的に使用していた。映画『ビッグ・タイム』の中で観ることができる。僕は真っ先にそのことを思い出した。ここでもトム・ウェイツが出てくるわけだ。

ところで「inner bell」だが、数週間前にiPodで「曲をシャッフル」して聴いていた時に、この曲がいちばんはじめに出てきた。スローなエンディング・ナンバーだが、オープニングに持ってきても盛り上がってゆくので、おもしろいと思っていたところだった。しかし、ライヴでスローな曲をトップにするというのも考えてみれば無茶な話であった(笑)。いけいけどんどんを期待していたら、肩透かしを喰らったのではないだろうか。僕はよかったのだが...

ステージには万国旗が飾られていた。イルカや月のバルーンや白い風船がプカプカと浮かんでいた。よっちゃんのパフォーマンスは必見だ。客を扇動して会場を熱くした。のっけから畳み掛けるように曲が繰り出された。『On The Rocks!』から多く選曲されたセットリストだった。

ほとんどMCはなかった。アルバム『On The Rocks!』発売直後に東名阪のクアトロでライヴがあった。心斎橋であったライヴの時、よっちゃんは体調不良だったそうだ。開始早々、その「リベンジをやります」と宣言をした。大阪出身のEGO-WRAPPIN'。凱旋ライヴはそれで大いに盛り上がったのだった。サウンドの要となっていたのはエマーソン北村のキーボードのようだった。武嶋聡のマルチ・ブラスの演奏もよかった。

EGO-WRAPPIN'
中納良恵(Vocal/Keyboards)
森雅樹(Guitars)

真船勝博(Bass)
菅沼雄太(Drums)
エマーソン北村(Keyboards)
武嶋聡(Saxophone, Flute)
川崎太一朗(Trumpet)

SetList
01.inner bell
02.カサヴェテス
03.天国と白いピエロ
04.5月のクローバー
05.A LOVE SONG
06.ロッテンマリー
07.Nervous Breakdown
08.The Ruling Class
09.Sundance
10.レモン
11.マスターdog
12.ニュースタイム
13.かつて..。
14.BIG NOISE FROM WINNETKA~黒アリのマーチングバンド
15.PARANOIA
16.くちばしにチェリー
17.Mother Ship
Encore
18.サイコアナルシス
19.色彩のブルース
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初恋

2006年07月03日 | 映画

元ちとせが主題歌を担当した映画『初恋』を観に行った。原作は中原みすずの「初恋」、主演は宮崎あおい。

-------------------------------------------
みすずにはどこにも居場所がなかった。新宿ゴールデン街にあるジャズ喫茶"B"の前で佇む彼女に声をかけたのはユカだった。"B"には亮がリーダーの不良グループがたむろしていた。

「何かあったらここにおいで。でもなるべくなら来ないほうがいい」

子どもの頃に別れた兄の亮はそう言って"B"のマッチ箱を渡した。母親はみすずを捨てた。兄の亮だけ連れて家を出て行ったのだった。

亮もみすずも何も喋らなかった。
亮の相棒の岸はランボーの詩集を読んでいた。
「子どもが何のようだ」
暗い目をした岸はそう言った。

「大人になんかなりたくない」

みすずはまっすぐにそう言った。
「合格だ」
岸はみすずの目を見てそう言った。

1968年。全共闘や新左翼諸派の学生運動が日本中に広がった。安保闘争だ。世の中を変えようとデモに参加するタケシやテツ。しかしヤスが機動隊にやられて下半身不随になってから、仲間はバラバラになってゆく。

そんな時、岸がみすずにある計画を持ちかけた。現金輸送車から三億円を強奪する計画だ。「お前が必要だ」という岸にみすずは心を決める。

何度もシュミレーションを繰り返して迎えたその日。度重なるアクシデントにみすずは「間に合わない...何も変わらないのかよ...」と諦めの気持ちになってゆくのだった...
-------------------------------------------

映画の舞台は1960年代後半の新宿。ゴールデン街にあるジャズ喫茶"B"だ。実は村上春樹の『ノルウェイの森』も同じ年代の物語なのだが、この小説の中にも新宿のジャズ喫茶が登場する。紀伊国屋書店の裏手の地下に実在したジャズ喫茶でDUGという。

DUGの経営者中平穂積についての本がある。『新宿DIG DUG物語?中平穂積読本』だ。「東京カフェマニア」というサイトでこの『新宿DIG DUG物語?中平穂積読本』を特集していて、1975年当時、国分寺でピーターキャットという名のジャズ喫茶を経営していた村上春樹がジャズ音楽誌に寄稿した「JAZZ喫茶のマスターになるための18のQ&A」の一部が掲載されている。

新宿のジャズ喫茶"B"がDUGのことなのかどうかはわからない。
もっと言うと、それは大して重要なことではないのかもしれない(笑)。

体制に抗う若者たち。亮がリーダーの不良グループに小説家志望のタケシがいる。このタケシは実在のモデルがいて、それは中上健次なのだという。そういえばタケシは関西弁を喋っていた。

70年安保闘争の時に学生だったらどうしていたのか。あの時代に多感な時期を迎えていたなら... 考えても仕方ないことだが、それは僕の心を今もビートし続けている。まぁ、きっと僕は傍観者だったのだろうと思う。

「大人になんかなりたくない」
その言葉は僕を打った。十代の頃、僕もそう思っていた。反抗の旗を掲げるのはいつも十代だ。学校も家もツマラナイ。大人になんかなりたくない。その孤独な叫びはかつての僕の声のようだった。

三億円事件というのは実際に起きた現金強奪事件なのだが、'60年代後半の民間伝承による都市伝説だったのではないかと時々思ってしまう。犯人は誰一人として傷つけずに現金を奪った。三億円には保険がかけられていたために誰も損はしなかった。そしてモンタージュの男はその後、事件とは全く無関係であったとマスコミによって暴露された。その男は銃刀法違反で捕まったことがあり、事件の何年か前に死んでいたのだ。奪われた三億円は現在の貨幣価値にするとおよそ10倍の三十億になるという。犯人は盗んだ紙幣を1枚も使用していない。1975年に刑事事件の時効が成立、1988年には民事事件の時効を迎えたが、犯人は未だ不明のままだ。

「何も変わらないのかよ...」
その諦観にも見覚えがあった。やっぱり何も変わらないのだろうか。ほんの少し力があったら、勇気があったら。ああ、でも何も変わらないのかもしれない。そうやって逡巡して、そして何かを失うのだ。

塙幸成(はなわゆきなり)監督は、大人の顔をスクリーンに出さなかった。ただ一人、顔のある大人は三億円強奪の共犯者だった。しかし、彼が共犯だとみすずが気が付いたとき、彼の姿を我々は確認できなかった。それはとても洗練された手法だと思った。

映像というとみすず(宮崎あおい)がバイクで街を駆るシーンが素晴らしかった。この映画のヒロインは暗い女の子で、かわいい顔をしていても性格が悪いといった像を、監督は思い描いていたらしい。宮崎あおいはかわいらしく透明感に溢れていたので、最初「みすず」の役には向いてないと思ったそうだ。しかし撮影が進むにつれて、とてもポテンシャルの高い演技をする彼女を見て、当初の「みすず」のイメージが監督の中で変わっていったのだという。バイクで街を駆るシーンは宮崎あおいだからこそ表現できたのかもしれない。

"それは夢のようにまるで嘘のように
残酷な朝はすべてを奪い去った"

この映画の主題歌は元ちとせの「青のレクイエム」だった。確かに映画の内容と合っている。作詞/作曲は岡本定義。COILのメンバーとして活動している。そしてこの映画の音楽はCOILが担当している。実は映画音楽があまり印象に残ってない。この「青のレクイエム」が映画でどんなふうに使われているのかが『初恋』を観る動機のひとつだったのだけど。

パンフレットには1968年12月10日の朝日新聞の夕刊のコピーが封入されている(画像)。
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Sunday Songbook Playlist

2006年07月02日 | Sunday Song Book

<07月02日プレイリスト>
[棚からひとつかみ]
MIDAS TOUCH/FRIED PRIDE "MUSICREAM" '06
GLAD ALL OVER/THE DAVE CLARK FIVE '63
WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU/
THE ROCKIN' BERRIES '65
WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU/THE DOVELLS '64
LOVE MINUS ONE/THE SOFTONES
"THE SOFTONES & FIRST CLASS TOGETHER" '80
A RAY OF HOPE/THE RASCALS "FREEDOM SUITE" '69
SCARBOROUGH FAIR/THE LETTERMEN
"PUT YOUR HEAD ON MY SHOULDER" '68
RIDE ON TIME/FAKiE "TO THE LIMIT" '06
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■内容の一部を抜粋
・FRIED PRIDE
女性のヴォーカリストと男性のギタリストのユニット。先日6月21日リリースされた6枚目のアルバム『MUSICREAM』に「MIDAS TOUCH」のカヴァー・ヴァージョンが収録されている。
「私のカヴァーしてくれる人は大体昔の曲が多いんですけど、最新新譜からカヴァーしていただいて、珍しいパターンでございます。ギターの方がとても上手です。女性の方もすごくキュートな声で、いい演奏だと思います」とタツローさん。

・GLAD ALL OVER
デイヴ・クラーク・ファイブの出世作。1963年全英NO.1、1964年アメリカでのデビュー作で全米6位。デビュー当時はビートルズのライバル・バンドとして位置づけられていたが、デイヴ・クラーク・ファイブのほうが圧倒的にクラブ・バンドとしての色彩が強い。演奏は本当にロックンロール、そしてヴォーカルのマイク・スミスの超絶的な力量もあったが、総力戦でビートルズに及ばなかった。
「そういうことは何十年も経つと関係ない、音楽さえよければいい。わたし、20数年ラジオのレギュラー番組をやっておりますが『GLAD ALL OVER』をかけるのははじめてなんです(笑)、意外ですけれども」とタツローさん。

・WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU
ロッキンベリーズは60年代中期、バーミンガム出身の5人組のヴォーカル・インストゥルメンタル・グループ。かなりポップなテイストを持った5人組で、ハーモニーのきれいなグループ。リード・ヴォーカルのジェフ・タートンは後に「ジェファーソン」という名前でソロに転向した。1965年全英24位になった「WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU」はアメリカのグループ、ダベルズのカヴァー。
ダベルズはフィラデルフィア出身の4人組のヴォーカル・グループで、「YOU CAN'T SIT DOWN」とか「BRISTOL STOMP」で有名な後期ドゥーワップに属するグループ。「WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU」は1964年のシングルで典型的なフィリー・サウンド。曲を作っているのは名アレンジャーのジミー・ワイズナーとウイリアム・ジャクソン(「SO MUCH IN LOVE」の作曲者として有名)。「ワイズナー/ジャクソン」のコンビでつくられた一作。
ちなみにダベルズはAメロという地味なメロディーからはじまるが、ロッキンベリーズは"WHAT IN THE WORLD'S COME OVER YOU"というフックのいちばんオイシイ部分からはじまる。

・LOVE MINUS ONE
1980年のソフトーンズとファーストクラスのジョイント・レコード『THE SOFTONES & FIRST CLASS TOGETHER』に収録されている。プロデュース&アレンジはジョージ・カー。
ソフトーンズはボルチモア出身の3人組のヴォーカル・グループ。フィラデルフィアで成功したが、このアルバムに関してはジョージ・カー、ニュージャージーのプロダクション。
「若い頃はソフトーンズなんてあまくてあまくて、『なんでこんなにあまい歌い方するんだろう』って思ってましたが、やっぱ年のせいか『こういうのも結構いいな』なんて思うようになってきてしまいました(笑)」とタツローさん。

・ARIF MARDIN
アリフ・マーディンが先日亡くなった。享年74歳。1932年トルコ生まれでアメリカに渡りバークリー音楽学校で学んだ。アトランティックのスタッフに参加し、アレンジャーとしてスタートし、その後プロデューサーに。プロデューサーとして12回もグラミー賞を獲った。最近ではノラ・ジョーンズのデビュー・アルバムをプロデュースしグラミーを獲得したことが記憶に新しい。トム・ダウドと並びアトランティックの屋台骨を支え続けた。あまりにも偉大なアレンジャー、そしてプロデューサー。

・A RAY OF HOPE
アリフ・マーディンはヤング・ラスカルズのスーパーバイザーで最初の成功を収めた。ヤング・ラスカルズはニューヨーク出身の白人の4人組ロック・グループ。タツローさんの中学、高校時代のアイドル・グループだった。
ラスカルズにとってのアリフ・マーディンは、ビートルズにとってのジョージ・マーティンと同じ位置を占める人であった。ラスカルズのアレンジメント、オーケストレーションの素晴らしさはどれだけ言葉を尽くしても語り足りない。
今は時間が足りないので何週間か後にアリフ・マーディン追悼特集を是非やってみたいということでした。今日は1曲だけ、ヤング・ラスカルズ1969年全米24位の「A RAY OF HOPE」。ヴェトナム戦争真っ盛りの時代のメッセージ・ソング。エンディングのコーダのところで聴けるブラスのアレンジが素晴らしい、とタツローさん。

・ビートルズ特集
来日40周年ということでリスナーから「ビートルズの特集をやってほしい」との要望が来ている。しかし「他でいくらでもあるでしょう」とタツローさん。でも、もし自分で選曲するとしたら、タツローさんはジョン・レノン派なので初期のビートルズばかりになるだろうとのこと。

・レターメンの「SCARBOROUGH FAIR」
シンコー・ミュージック社のディスク・ガイド・シリーズ「ソフト・ロック」の36ページに「彼らのアカペラ・コーラス『SCARBOROUGH FAIR』は山下達郎さんに絶賛されたこともあり...」と書いてあるらしい。
「レターメンはヴォーカル・グループでございますけれども、アカペラのレコーディングが意外と少ないんです。そんな中でいちばんよく出来ているのが1968年のアルバム『PUT YOUR HEAD ON MY SHOULDER』のB面の最後にサイモン&ガーファンクルのSCARBOROUGH FAIRのアカペラ・ヴァージョンが入っています。なかなかよく出来たアカペラ・ヴァージョンだと思います。まだCD化されておりませんので板起こしですので若干スクラッチがございます。お許し下さい」とタツローさん。

・FAKiE
アコースティック・ギターの男性と女性ヴォーカリストのユニットFAKiEのアルバム『TO THE LIMIT』にタツローさんの「RIDE ON TIME」のカヴァー・ヴァージョンが収録されている。ダイズ・レコードというインディー・レーベルから6月28日リリースされた。
「この女性もすごく表現力がある歌ですし、このギターの男性もFRID PRIDEのギターに負けず劣らず。みんなテクニックあります、今の若い人は」とタツローさん。

・「ARIF MARDIN」の画像がオフィシャル・サイトにアップされています。また、先週告知した「山下みらいちゃんを救う会」のバナーが貼ってあります。


■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月09日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
コメント (2)
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