新歳時記

2006年03月29日 | 山下達郎
今日、たまたま関西ローカルのテレビ番組「ちちんぷいぷい」を見ていたら新季語の話題が出ました。

月刊ヘップバーンというのは俳句の雑誌のようなんですが、そこで読者や会員から新季語を募集しているそうです。その新季語の一覧がネットにアップされています。その「夏」と「冬」の季語に「山下達郎」が登録されています。

ところで話は前に戻りますが「ちちんぷいぷい」が4月から4時間になるそうなんですが、そのお知らせがビートルズのアニメ版『イエロー・サブマリン』のパロディになっています。上のリンクで見ることができます。この「ちちんぷいぷいイベント」も楽しそうですね。
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ゴンチチの花鳥風月音楽

2006年03月28日 | Live

■GONTITIニュー・アルバム『我流一筋』発売記念インストア・イベント
2006年3月26日(日)
タワーレコード梅田NU茶屋町店6Fイベント・スペース
整理番号131番

ゴンザレス三上(Guitar, Soprano Guitar)
チチ松村(Guitar, Ukulele)
辻コースケ(Percussion)

Set List
1.My Favorite Things
2.楽しみな週末
3.青天白日
4.桜舞う道
5.忘我の調べ
6.しじま
7.緑の性格~黒い蟻の生活

ゴンチチのふたりはこのところ定着した感のあるストライプのダーク・スーツを着て現れました。今回は辻コースケさんという若手のパーカッショニストと3人のユニット。実はこのユニットで昨年(2005年)のフジロックやライジングサンにも出演したそうです。

インストア・ライヴはチチ松村さんの「やります」という一言ではじまりました。ゴンチチのライヴは結成25周年の夏祭り以来になります。なんと2年7ヶ月振り。昔はよく聴きに行ったものだけど最近はご無沙汰しております。

こういうインストア・ライヴは早めに行くとリハーサルの模様が見れたりします。「My Favorite Things」はリハーサルでやっていました。曲が終ってチチ松村さんが「最初から飛ばしすぎて血圧が上がった(笑)」と話してました。

2曲目に入る前、仕切りの向こうのレジから「チン」という音がしました。三上さんは「物凄いキレイな音ですねぇ。僕たちの演奏はいくらやってもアレには勝てないです(笑)。点数が出たんじゃないですか」と言うと、松村さんが「レジでしょうね。合計が出た音じゃないですか?」と。「今どきあんな音のレジはないでしょ(笑)」と三上さんは言って、「いいですか? ちょっと...。あの、喫茶店やるんですよ」と喫茶店トークをいきなり話しはじめました。「NU茶屋町で『ネー』という喫茶店をやるんです。それでノン定食で。ぬー、ねー、のー...」、さぁーと引き潮が(笑)。

2曲目からは新作『我流一筋』から。ジャック・タチの映画音楽を思わせる曲調の「楽しみな週末」。パーカッショニストの辻さんはぶっつけ本番で初めてあわせたそうです。

3曲目の「青天白日」はその辻さんが休みでゴンチチふたりだけの演奏でした。『我流一筋』はアルバムのジャケットが和風調で、サウンドにも「和」のテイストを採り入れているそうです。それを代表する楽曲が「桜舞う道」で4曲目に披露しました。

5曲目の「忘我の調べ」はレコーディング中に辻さんとセッションする中で出来た楽曲だといいます。この曲では三上さんがソプラノ・ギター、松村さんが8弦ウクレレの演奏を披露しました。三人が紡ぎ出すグルーヴが気持ちよかったです。

6曲目はアルバムのラスト曲「しじま」。再びふたりだけの演奏。聞くところによると故中島らもさんの追悼コンサートでも演奏したそうです。演奏中にまた「チン」という音がしました。三上さんは「たぶん、店員さんが電子レンジで何か作って食べてるんじゃないですか。静かな曲の時にマクドナルドとか食べたくなるんですよ」と言ってました。

最後はアンコールのような扱いで「緑の性格~黒い蟻の生活」。激しい演奏の後、松村さんが「終わりです」と言ってインストア・ライヴは終了しました。

画像はアルバム『gontiti 25th Anniversary CD』とイベント参加特典のサイン色紙、そしてイベント参加チケット。実はイベント参加チケットを家に忘れてきて、会場でスタッフに泣きついたのでした。それで本当は新作だけイベント参加の対象商品だったのだけど、救済処置で旧譜でも参加チケットを渡すということにしてもらったのでした。というわけで買いそびれていた『gontiti 25th Anniversary CD』を急遽購入したわけです。
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Sunday Songbook Playlist

2006年03月26日 | Sunday Song Book

<03月26日プレイリスト>
[宮川泰さん追悼特集]
JODY/山下達郎 "BIG WAVE" '84
ふりむかないで/ザ・ピーナッツ '62
何も云わないで/園まり '64
ウナ・セラ・ディ東京/ザ・ピーナッツ '64
シビレ節/植木等 '66
シャボン玉ホリデーのテーマ/ザ・ピーナッツ '61
恋のオフェリア/ザ・ピーナッツ '68
何が何だかわからないのよ/植木等 '66
恋のバカンス/竹野屋セントラル・ヒーティング
(未発売) '80

■内容の一部を抜粋
・先週亡くなった作曲家宮川泰さんの追悼特集
・「恋のオフェリア」は竹内まりやのリクエスト。
・最後は宮川泰が作曲した「恋のバカンス」のカヴァー。

・アサヒ本生アクアブルーのCMに「JODY」が使われています。
「青いっすね」、「青いね」の例のCMです。昨年までは佐野元春でした...

・中島みゆきのDVDに山下達郎の名前があるけれど、
その人はプロモーターで同姓同名の方だそうです。

■プレゼント
・山下達郎がスタジオで使用しているのと同じヘッドフォン(番組ロゴ入り)[7名]、
・番組特製携帯ストラップ[100名]
・締め切り今月末

プレゼントの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
04月02日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
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映画『ノー・ディレクション・ホーム』(第二部)

2006年03月24日 | Bob Dylan

第一部のラストは駆け足で1966年まで紹介されました。アメリカでは二夜に渡り放映されたので、第二部の予告編的な意味合いがあったかもしれません。だから第二部は1966年の英欧ツアーからはじまり、時間を遡る形で1963年に戻ってスタートします。

1966年の英欧ツアーは映画『ドント・ルック・バック』を撮ったD.A.ペネベイガーがディランをドキュメンタリー撮影しています。これは後にディラン自身が監督し、映画『イート・ザ・ドキュメント』として、一部の劇場で公開されたのですが、ドキュメンタリーとしては失敗作で、今のところ正式な製品として発表されていません。

イギリスの街頭に出たディランはペットショップの看板を見て、パズルのように言葉の配列を換えて楽しんでいます。トピカル・ソングからプロテスト・ソングへと、表現の枠を広げていったディランの詩作が、また新しい領域に入ったことを示す貴重な映像です。

古い歌のメロディーに時事の事柄を描いた歌詞をつけて歌うのがトピカル・ソング。ディランも「風に吹かれて」でトピカル・ソングを歌うシンガーとして注目を浴びます。しかし、ディランはアルバム『時代は変わる』を発表し、ただのトピカル・ソングを書くシンガーではないことを証明します。

1963年12月に開催された緊急市民自由会議でディランは主催者側を強烈に皮肉るスピーチをすると、政治的な発言が注目されるようになり、ディランの書く歌はプロテスト・ソングだと認識されるようになります。こうして「若者の代弁者」としてディランは祭り上げられるようになります。

しかし、ディランは政治的な歌手としての立場を拒否するようになります。ジョーン・バエズとの関係も次第に距離が生じはじめます。1964年に発表された『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』は作風がより個人的なものへと変わります。

1965年になるとエレクトリック・サウンドを導入した「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を発表します。ディランは「歌を表現するのにエレクトリック・サウンドは必要だった」と話しています。この曲が収録されたアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』が発表されるとイギリス・ツアーに出ます。このイギリス・ツアーの模様を収録したのがD.A.ペネベイガーの映画『ドント・ルック・バック』です。

イギリスではビートルズとの出会いがあり、お互い大いに刺激を受けます。直後、ディランは「ライク・ア・ローリングストーン」をレコーディングします。レコーディングに呼ばれたアル・クーパーが当時の模様を証言しています。

7月に開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したディランは、夜の部でエレクトリック・セットのステージ・パフォーマンスを披露します。出演者は大体1時間の演奏時間が与えられているのに、ディランは僅か15分でステージを降りてしまいます。楽屋裏ではピート・シーガーが斧でケーブルをぶった切ろうとしていたり、時間が短すぎるとオーディエンスは騒ぎ出すわで、司会のピーター・ヤーロウは困ってしまいます。結局、ディランはジョニー・キッシュにアコースティック・ギターを借りて「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」を歌います。

ちょうどその頃、バーズが「ミスター・タンブリン・マン」をフォーク・ロック・サウンドでリメイクすると大ヒットを記録します。しかしディランは「フォーク・ロックは嫌いだった」と回想しています。8月にはチャート2位を記録した「ライク・ア・ローリングストーン」が収録されたアルバム『追憶のハイウェイ61』を発表。ディランはポップスターになります。

バンドを連れてライヴ・ツアーに出るとディランはあちこちでブーイングを浴びるようになります。同時にちぐはぐな質問を繰り返すマスコミによる取材がディランのストレスになっていきます。

1966年には英欧ツアー。チケットは完売なのに会場はブーイングの嵐。イギリスのマスコミも「バンドを従えて歌いだすと観客はひとりもいなくなった」と嘘の報道。この時のことをディランは「休養することを考えはじめた」と話しています。

そして5月17日のマンチェスター公演で事件は起こります。エレクトリック・セットの途中で観客の一人が「ユダ(裏切り者)!」と叫びます。ディランは「嘘つき。オマエなんか信じない」と応酬します。そしてバンドのほうを振り返り「プレイ・イット・ファッキン・ラウド!(でかい音でいくぜ)」と叫んで「ライク・ア・ローリングストーン」を歌います。このシーンには震えてしまいます。大きな音で演奏される「ライク・ア・ローリングストーン」ですが、演奏シーンは現存していないのか観客席上空の照明が映し出された後、エピローグになります。

ツアー終了後の7月29日、ディランはウッドストックでバイク事故を起こし活動を停止します。1年ほど隠遁生活をした後、活動を再開しますが、ライヴ・ツアーをはじめるのは8年後の1974年になってからになります。
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■国内盤DVD『No Direction Home』のリリースが決定しました。発売予定日は6月23日です(2006年5月10日記)。
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映画『ノー・ディレクション・ホーム』(第一部)

2006年03月23日 | Bob Dylan

「本当の自分の家を探して旅をしているようなものだ」
ボブ・ディランは半生を振り返りそう言って映画ははじまります。回想するディラン。場面は吹雪のミネソタ州北部の鉱山町ヒビングになります。ロックンロール音楽に触れ、ジェームス・ディーンに憧れる少年期をここで過し、ミネアポリス大学に入学した頃からフォーク・ミュージックに傾倒していきます。ディランの初期の歌声を録音した友人のトニー・グローヴァーや、ディランに貴重なフォーク・ソングのレコードをごっそり盗まれたポール・ネルソンの証言が紹介されます。

やがてニューヨークに出て、グリニッヂ・ヴィレッジで活動するようになります。ここで登場するのはアレン・ギンズバーグ、ディランに騙されて嘘の経歴を作らされたフォークロア・センターのイジー・ヤング、噂の彼女スージー・ロトロ、ヴィレッジの音楽仲間マリア・マルダー、自伝にも登場したデイヴ・ヴァン・ロンクなど。ディランの演奏シーンが出てきます。

ウディ・ガスリーから多大な影響を受け音楽的に成長したディラン。ミネアポリスに帰郷した時、その変身ぶりに誰もが驚いたといいます。ロバート・ジョンソンのように「悪魔に魂を売ったのさ」とうそぶくディラン。

やがてコロンビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドと契約を交わしレコード・デビュー。デビュー・アルバムはしかし自作が少なかったので出来としては不満だと話しています。2枚目『フリー・ホイーリン・ボブ・ディラン』に収録された「はげしい雨が降る」を聴いたギンズバーグは感銘を受けたと証言。

そしてディランのマネージャーにアルバート・グロスマンが就いた時から快進撃がはじまります。グロスマンは自分が手がけていたピーター,ポール&マリーにディランが書いた「風に吹かれて」を歌わせます。これが時代の潮流と合いヒットします。

この頃、恋仲だったといわれるジョーン・バエズの証言もあります。ディランは汚いかっこうしていたので、ホテルに宿泊を拒否されたことがあったそうです。ジョーン・バエズは差別だと怒りホテルに抗議、その夜の体験をディランはすぐに歌にしたというのです。それが「船が入ってくる時」だそうです。

1963年には2年間休催されていたニューポート・フォーク・フェスティバルが再開されディランが初出演。ジョニー・キャッシュとの出会いがあったそうです。ディランはこのフェスで「風に吹かれて」を歌い喝采を浴びます。時代の寵児として迎い入れられた瞬間でした。

ここで第一部は終わり。自伝を読んでると割りに知ってる部分が多くて、やや退屈な場面もありました。でも、関係者の証言は貴重でした。特にアレン・ギンズバーグ。一体いつ撮影したのでしょう。もう亡くなってから随分と経つんじゃないでしょうか。聞くところによると映画の完成まで3年半ぐらいかかったといいます。もともと締め切りのない仕事だったそうですが。アレン・ギンズバーグは「チベットの僧のことわざにある。自分を超える弟子を持たないものは師ではない」と語ります。ディランは物凄いスピードであらゆるものを追い越していったんですね。この映画は1962年3月のレコード・デビューから1966年7月のオートバイ事故まで。僅か4年と4ヶ月のあいだのドキュメントです。
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Sunday Songbook Playlist

2006年03月19日 | Sunday Song Book

<03月19日プレイリスト>
[棚からひとつかみ]
ドリーミング・デイ/山下達郎 "NIAGARA TRIANGLE" '76
パレード/山下達郎 "NIAGARA TRIANGLE" '76
YOU'RE THE ONE/DION "BRONX IN BLUE" '06
I CAN'T SEEM TO FORGET YOU/HEAVEN & EARTH "I CAN'T SEEM TO FORGET YOU" '76
MELOW MELLOW RIGHT ON/LOWRELL '79
CASTLE ON THE CORNER/THE GOLDEBLAIRS
"STRAIGHT AHEAD!" '64
色・ホワイトブレンド/竹内まりや "REQUEST" '87
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■内容の一部を抜粋
スタジオ作業ばかりだと煮詰まるので、文楽やTHE WHOの『四重人格』のミュージカルの来日公演を観に行ったり、映画『ウォーク・ザ・ライン』と試写で『プロデューサーズ』(メル・ブルックスのリメイク)を観に行ったりという日々だそうです。

竹内まりやのニュー・アルバムはプリプロ(レコーディングの前段階でアレンジのアウトラインなどを決定する)を行っているとのこと。

3月21日(火)に大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次のコラボレーション作品『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition』がリリース。

ディオンの「You're The One」は新作『Bronx In Blue』から。ブルースの弾き語りアルバム。いつも寝る時に聴いているという山下達郎お薦めの作品。ディオンのライヴDVDを見たが現役としてのオーラを放つ素晴らしいパフォーマンスだったという。まもなく67歳になるディオンだが、溌剌としていて本物だとべた褒め。

明日3月20日は竹内まりやの誕生日。

■プレゼント
山下達郎がスタジオで使用しているのと同じヘッドフォン(番組ロゴ入り)、
番組特製携帯ストラップ

プレゼントの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
03月26日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
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恋するふたり

2006年03月15日 | 大滝詠一

CX系月9ドラマ『東京ラブ・シネマ』(2003年4月14日スタート)の主題歌として、5年半ぶりに発表された新曲。レベルゲートCDを採用しているソニー・ミュージックだが、こちらの盤はCD EXTRA仕様で、エクストラ・トラックとしてパソコン用のプログラムを収録。

ドラマの中ではじめて聴いたとき、松田聖子に曲提供した「風立ちぬ」(1981年)に似ていると思ったが、鳥肌が立つほど痺れた。そう、これは僕がよく知っている大滝詠一そのものだった。このシングル・ヴァージョンにはTVサイズ・ヴァージョンに入っていた手拍子が消えて、全編にカスタネットがフィーチャーされている。その他にもたぶん差し替えが行われたのでは? と感じるぐらい仕上がりに違いがある。余談だが松田聖子のアルバム『風立ちぬ』(1981年)は僕が最初に買った大滝詠一作品(A面をプロデュース)である。また、「恋するふたり」は当初「春立ちぬ」という仮タイトルが付いていた。

作詞は「幸せな結末」と同じ多幸福。これは大滝詠一のペンネームでテレビ関係者との合作の時に使われるそうだ。ほかに小野小福というペンネームもある。市川実和子の『PINUP GIRL』(1999年)は、作詞が小野小福で"Produced by 多幸福, Concept by 小野小福, Sound Produced by 大瀧詠一 & 多幸福"とクレジット。小野小福と多幸福の線引きはどこに? このあたりはナイアガラーにとって最大の謎でもある。

インターネットで参加しているナイアガラ・メーリング・リストに、この新曲の情報がながれたのは2003年3月14日のことだった。林立夫の公認ファンサイトに「3月4日に大滝詠一さんのシングルレコーディングに参加」と書かれていたことが判明したのだ。それ以上の詳しい情報は何もなかったが、やがて能地祐子や萩原健太といった周辺からフォローする情報がながれた。それとともに、読売ジャイアンツ前田幸長投手が東京ドームで登板する際には「恋のナックルボール」(1984年の『EACH TIME』収録曲)が使われ、なんとそれは新たに編集されたヴァージョンであると発表されたのだった(2003年のシーズン)。なんでも、曲の冒頭のバットがボールを捉えるカーンという音と、"消えてゆく"という歌詞が、打たれたという印象を与えるので削られているということだ。現在のところ未発表。

恋するふたり
オリジナル・リリース 2003年5月21日
オリコン・チャート初登場7位(2003年6月2日付)

1. 恋するふたり
2. 恋するふたり(STRINGS VERSION)
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イーチタイム

2006年03月15日 | 大滝詠一

僕は『EACH TIME』をアナログ盤(LP)で2枚、CDで4枚所有している。この20周年記念盤を合わせると全部で7枚にもなる。LPとCDで全く同じ音源が使われていればリマスターの度に買い直す必要はないのだろうが、『EACH TIME』の場合はリイシューの度に内容が異なるので結局何枚も手元に所有することになった。僕は別にコレクターを自負しているわけじゃないので、同タイトルのCDを多数所有していることに困惑している。

アナログ盤の『EACH TIME』は1984年3月21日にリリースされた。発売1週目はマイケル・ジャクソンの『Thriller』に阻まれ1位になれなかったが、2週目からは3週連続でチャート1位になった。 『ロンバケ』も『トライアングル2』も結局チャートの1位にはなれなかったので『EACH TIME』は大滝詠一にとって最初で最後のNo.1を獲得したアルバムだった。

1984年4月1日には『EACH TIME SINGLE VOX』(アナログ盤12インチシングル5枚組)が、4月21日にはMASTER SOUND『EACH TIME』(デジタル・マスタリングのアナログ盤)が発表された。

SINGLE VOXでヴァージョン違いの曲が登場するわけだが、ファンの間で最も話題になったのが「レイクサイド ストーリー」の大エンディングだ。オリジナル盤ではフェイドアウトされた後にもう一度寄せ返す波のようなエンディングを迎える。しかしその大エンディングはオリジナル盤だけで、以降のリイシューではすべてフェイドアウト・ヴァージョンに差し替えられている。また、SINGLE VOXには「ペパーミント・ブルー」のインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されているのだが、こちらは現在まで未CD化のままになっている。

1984年3月21日に発売された『EACH TIME』のCD(35DH_78)はデジタル・マスターが使われているが、この後にリイシューされたリマスターCDはすべてアナログ・マスターからデジタル化されている。1989年6月1日発売の『EACH TIME』(27DH_5303)は曲順が変更されて曲の一部が差し替えられていた。1991年3月21日にリイシューされた廉価版のCD選書(CSCL_1664)は、オリジナル盤と同じ曲順なのだが「レイクサイド ストーリー」のエンディングはフェイドアウト・ヴァージョンとなっている。

1985年11月1日にはアルバム未収録のシングル「フィヨルドの少女/Bachelor Girl」がリリースされた。その2曲を追加収録したのが『Complete EACH TIME』(1986年6月1日発売)。オリジナルLP盤発表時にはカッティング技術の問題で9曲収録が限界だったそうだが、2年後にその問題が解決されたので完全版の『EACH TIME』として発表されたということだった。

『EACH TIME』20周年盤はまた曲順が入れ替わっている。音源自体はやはりオリジナル盤アナログ・マスターからだと思う。曲によってはフェイドアウトが長くなっているようだ。「レイクサイド ストーリー」のエンディングはフェイドアウト・ヴァージョンとなっている。もっともヴァージョン違いを指摘するほど聴き込んでいないし、もともとマニアックでもないのでよくわからない。

ボーナス・トラックには『NIAGARA CM SPECIAL』にも収録されていた「Cider'83」に、「恋のナックルボール」のファースト・レコーディング・ヴァージョンが初登場。『EIICHI OHTAKI SONG BOOK 2 大瀧詠一作品集 VOL.2(1971-1988)』に収録されていた「ゆらりろ」が「マルチスコープ」というタイトルになって収録されている。「ペパーミント・ブルー」のインストゥルメンタル・ヴァージョンは残念ながら収録されず。

『EACH TIME』は『ロンバケ』以降続いた作詞松本隆/作曲大滝詠一の最後の作品。アルバム製作の途中で一度コンビを解消しレコーディングが中断、そのためレコードの発売が延期となった(もともとの発売日は大滝詠一の誕生日の7月28日)。『EACH TIME』のアルバム・コンセプトは"時をテーマにした物語"で、楽曲はどれも長くほとんどが4分台だった。2番が終わったらストーリーが完結してて3番の歌詞がないなどということもあったそうだ。詳しくは語られてないが、共同作業ゆえに生じる力学的な問題や精神的なものの絡みあいを整理し直す意味で一度コンビを解消したという。

そうしてようやく完成した『EACH TIME』には意味深な歌詞が多く存在するようだ。誰かへの当てこすりじゃないかと思わせる部分もある。あるいはただ深読みしているだけのことかもしれない。今回1曲目となった「夏のペーパーバック」には"ありふれた終わり方なら ぼくなりに書き換えたいね"という印象的な歌詞がある。その言葉通り、曲順を変えたり、ヴァージョン違いの曲で、アルバムを常に書き換え続けているのだろうかなどと思ってしまう。

こうして何年振りかで聴いていると、確かにヴォーカル・アルバムとしての側面を強く感じる。実際、ウラ話として歌詞を覚えてからしか歌入れはしなかったと聞く。歌いまわしを微妙に変えて、最良のメロディを引き出すよう、1曲100回は歌ったとか。1週間ずっと同じ曲を歌い続けていることもあったらしい。そうやって更にいい部分をチョイスしたそうだ。

『EACH TIME』はスローな曲が素晴らしいと思う。そのスローな曲で僕のベストは今も昔も変わらず「ガラス壜の中の船」。「レイクサイド ストーリー」も捨てがたいけれど。ボーナス・トラックの「恋のナックルボール」ファースト・レコーディング・ヴァージョンも楽しい。

今回のCDには"ファイナル"というステッカーが貼られている。宣伝用のチラシには"ナイアガラ20周年企画の最後を飾る"とも書かれている。本当にこれで最後の『EACH TIME』なのだろうか。「20周年企画が終わりなら次は30周年」と気の早いファンの声が聞こえて来たりしている。2005年はナイアガラ・レーベル30周年なのだ。僕としてはニューアルバムのほうを期待したい気分。いつかきっとその願いが叶えられることを望んでいる。

EACH TIME 20th Annniversary Edition
チャート最高位39位

夏のペーパーバック
Bachelor Girl
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
魔法の瞳
レイクサイド ストーリー
フィヨルドの少女
Bounus Tracks
Cider'83
恋のナックルボール
(1st Recording Version)
マルチスコープ

■EACH TIME
アナログ盤オリジナル(28AH_1555)

魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット

1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー


■EACH TIME
CD盤オリジナル(35DH_78)
*デジタル・マスターを唯一使用している

魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー

■EACH TIME SINGLE VOX
アナログ盤(50AH_1706~1710)
*12インチシングル5枚組

夏のペーパーバック(イントロが違う)
木の葉のスケッチ(フェイドアウトせずに終わる)

1969年のドラッグレース
銀色のジェット

魔法の瞳(ロング・ヴァージョンで収録)
恋のナックルボール
(SEのMIXがにぎやかになり最後に大滝のつぶやきが入る)

レイクサイド ストーリー(フェイドアウトで終わる)
ガラス壜の中の船

ペパーミント・ブルー
ペパーミント・ブルー(Instrumental)大滝詠一楽団

■Complete EACH TIME
アナログ盤(28AH_2001)

夏のペーパーバック
Bachelor Girl
魔法の瞳
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット

1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
フィヨルドの少女

■Complete EACH TIME
(32DH_555)
*CDはSINGLE VOXのマスター+2曲追加という内容

夏のペーパーバック
Bachelor Girl
魔法の瞳
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
フィヨルドの少女

■EACH TIME
(27DH_5303)

1969年のドラッグレース
Bachelor Girl
ペパーミント・ブルー
恋のナックルボール
銀色のジェット
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
フィヨルドの少女
レイクサイド ストーリー

EACH TIME
(CSCL_1664)

魔法の瞳
夏のペーパーバック
木の葉のスケッチ
恋のナックルボール
銀色のジェット
1969年のドラッグレース
ガラス壜の中の船
ペパーミント・ブルー
レイクサイド ストーリー
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ナイアガラ・トライアングル Vol.2

2006年03月15日 | 大滝詠一

萩原健太「常に20年の時を経てリマスター盤発売ですか(笑)」
大滝詠一「『トライアングル』も答えが半分以上出てるんだけどね。これは面白い。しかも、まだ来年までに何か新しい技術なり何なりが出てくる可能性もあって。いつも言ってる通り、俺が今回の結論だって言うと、みんなそれがファイナル・アンサーのように思うんだよ。違うんだよね。私の場合はいつも仮説なんだよ。そこをみんな取り違えるんだよ。昨日あれだって言ったじゃないですかって必ず言うんだよ。でも、違うの。常に仮説なのよ。明日また、いや1時間後まったく違うことを言うかもしれない。やっぱりデジタルに未来はないとか(笑)。だからその時々の自分ね」
レコード・コレクターズ2001年4月号Vol.20 No.4

『A LONG VACATION 20th Anniversary Edition』同様、中域とボーカルがオンになり歌がまえに出てパフフルになっている。

大滝詠一のコメント
「歌がでているんですよ、グッーと。で、あの頃(1982年の発売当時)は、僕ら新しい音楽だと自分たちで思って、対歌謡曲ということで10年やってきた時期だったんですよ。で、歌謡曲はあまりにも歌が大きすぎるということで、我々は敢えて埋めたんですよね。ちょっと埋めすぎたかなー(笑)。ちょっと埋めすぎたかなーという印象が無きにしも非ずだったんですよ。で、それがねー、機械がうまい具合に中域がでたもんですから、あっ、これはいいなと思ってね、聴いたら気持ちよかったですねー。やっぱり人間の声、真ん中に持ってくるのはやっぱりいいんですね。歌謡曲はいいね」
ニッポン放送スーパーステーション枠特番「2002年ナイアガラの旅」3月16日放送より

『A LONG VACATION』は発売当時(81年)、車の中や浜辺などのアウトドアで聴くリゾート・ミュージックといったイメージがあった。プールサイドを描いたアルバム・カバー(永井博のイラスト)の印象が鮮烈で、ファッションのなかに取り込まれていったのだろう。実際にこの『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』の「夢みる渚」に、"渚のカセットはくり返すいつも LONG VACATION"という歌詞が登場しているのをみても、そうしたユース・カルチャーの一翼を担っていたのが窺がえる。

『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』にしても同じようにリゾート・ミュージック的な側面がある。「夢みる渚」もそうだけど、いきなりサビで"セニョリータ"なんて主人公がラテン系になる「週末の恋人たち」からの流れ(「オリーブの午后」~「白い港」)がそうだ。逆にいうとそこの部分だけ色濃く夏の風景画としてアルバムに飾られているようだ。

ただ「ハートじかけのオレンジ」の最後のSEが、『Pet Sounds』(ビーチボーイズ)を髣髴とさせる奇妙な歪みを露呈している。アルバム・トップの「A面で恋をして」へとエンドレスで続いてゆくかのように見えて、しかし何故だかシュールに閉じている。

『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』をめぐる時系列またはその胎動期
1980年2月、大滝詠一は須藤薫に「あなただけI LOVE YOU」を提供する。杉真理も須藤薫との関わりがあり、佐野元春も1980年か1981年に須藤薫と一緒に曲を作っていたという(結局レコード化はされなかったらしいが)。

ニューミュージックの錚々たるメンバーが参加した最初のケースが吉田美奈子だった。荒井由実や竹内まりやも似たようなケースだったが、須藤薫にもそうしたバックアップ体制があったという。この後、それぞれ作家として松田聖子に曲を提供するわけだが、もし須藤薫がその時点でブレイクしていたのなら、ポップスの歴史は変わっていたのかもしれない。

3月21日、佐野元春が「アンジェリーナ」でデビュー。
4月には松田聖子がデビュー。大滝詠一は『A LONG VACATION』のレコーディングを開始する。
4月21日、佐野元春がデビュー・アルバム『BACK TO THE STREET』をリリース。
5月1日、山下達郎がアルバム『RIDE ON TIME』をリリース。チャートの1位を獲得。
6月21日、杉真理が「HOLD ON」をリリース。
7月21日、杉真理がアルバム『SONGWRITER』をリリース。
7月28日、大滝詠一32歳の誕生日。当初の予定ではこの日に『A LONG VACATION』が発売される予定であった。完成には至らなかったが、この頃までに6割か7割できていたという。10月16日には「カナリア諸島にて」と「Velvet Motel」が完パケとなっている。
9月26日、原宿レスター会館3階で開催された大滝詠一の講習会に、佐野元春と伊藤銀次が現れる。そして10月のはじめ頃に、佐野元春と伊藤銀次が大滝詠一のレコーディング・セッションを見学。この日のセッションでは「白い港」を録音していたが、結局この日のバージョンはオクラになったそうだ。佐野元春の「Someday」のアイデアは、大滝詠一のレコーディング・セッションを目撃した時に生まれたという。

佐野元春のコメント
「とにかくレコーディングを始めてまだ間もないからね、右も左もわかんないし、バンドで録ってりゃ楽しいからそりゃいいんだけど、でも大滝さんのアコースティック・ギターが4台、アコースティック・ピアノが2台、そこにパーカッショニストがいて、もうそこで奏でられてる、生音だけでオーケストレイテッドなわけなんだよね。それでもう舞い上がっちゃってね、レコーディングはこうすりゃいいんだって思って(笑)」
「スピーチバルーン」2002年3月23日(土)放送より

12月には林義雄の「ユア・ヒットしないパレード」で佐野元春の「アンジェリーナ」が大賞、大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」がホープ賞を獲得。その授賞式で大滝詠一は佐野元春のライヴ・パフォーマンスを観る。

1981年2月、佐野元春がアルバム『Heart Beat』をリリース。当時、佐野元春は沢田研二に「彼女はデリケート」を提供している。大滝詠一は自身が沢田研二に提供した「あの娘に御用心」(75年)との符号を「彼女はデリケート」に見つける。佐野元春と『トライアングル2』で共演するのなら、どうしても「彼女はデリケート」をやってもらわなければいけないと思っていたらしい。大滝詠一は運命論者的に、佐野元春の「彼女はデリケート」が『トライアングル2』のスタートと決めたそうだ。

NIAGARA TRIANGLE Vol.2 20th Anniversary Edition
チャート最高位45位
A面で恋をして
彼女はデリケート
Bye Bye C-Boy
マンハッタンブリッヂにたたずんで
Nobody
ガールフレンド
夢みる渚
Love Her
週末の恋人たち
オリーブの午后
白い港
Water Color
ハートじかけのオレンジ
Bounus Tracks
彼女はデリケート(Single Version)
こんな素敵な日には
ラストナイト
ROCK'N ROLL退屈男
ハートじかけのオレンジ
A面で恋をして(CM Version)
コメント (2)
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ロンバケ

2006年03月15日 | 大滝詠一

2001年3月21日に『ロンバケ』がデジタル・リマスタリングを施し、『20th Anniversary Edition』としてリイシューされた。『ロンバケ』91年盤はアナログの音に近づきはしたけれど凌駕するものではなかったそうだ。かなりの試行錯誤の中でようやく完成した『20th Anniversary Edition』。デジタル・オーディオの新しい面が出ないのであれば91年盤のままでいいんじゃないか、大滝詠一はそう思ったいたらしい。

萩原健太「とすると、今回のリマスターは?」
大滝詠一「天守閣の復元がどうだ...っていうことみたいなことなんだよ、どうやら。どうも、こうだったようだ、と。アナログを聞いたり、10年前のCDを聞いたりして想像はできるけれども、もう一度、20年経った復元図ってことなんだよ。架空のものなんだよ。もはやないのよ。そこがポイントなんだけど」
萩原健太「20年前の精巧な復元になったんですか」
大滝詠一「いや、あれはあれ、これはこれになった。そうならなければやめようと思った。『ロンバケ』のアナログ盤が出て、'82年にCDになった時、CD自体のレベルの問題があってね。デジタルのピークをマイナス20デシベルに抑えたとき、VUのマイナス0に抑えられるくらいのものが当時のオーディオだったのよ。それ以上にでかいとスピーカーが飛んだ。というか、当時マイナス20に抑えても飛んだっていう話があって。それが『イーチ・タイム』を出した時にマイナス16になって。その次の『ビーチ・タイム・ロング』(85年)の時に14にして、91年の"CD選書"で12にした。で、今回は8。もちろん、20でも自分で20デシ上げて聞けばちょうどいいんだよ。理屈から言えばね。数値的には同じになる。でも、同じ音はしないよ。同じものでも等価じゃないところがオーディオの面白いところなんだけどさ。そういう時代の流れがあって、マイナス20、16、14、12ってなっていって。"選書"のときから10年間いっさいリマスタリングしてなかったの。でも、世の中では12から徐々に上がっていて。時々ラジオでかけられると、俺の音だけが下がってるのよ。レベルが。でも、今日の日があるために待ってたの。10年間。しないで。チャンスはないことはなかったの。95年に旧譜をリマスターして、『ナイアガラ・ムーン』(75年)とか出した時とか。あの時もチャンスだったんだけど、2001年まで待ってたの、10年間も」
萩原健太「ということは、その段階でもう2001年の新作はないぞって気持ちだったんですか」
大滝詠一「どうかな。でも、テンションが全然盛り上がらないのとね、新作アルバムと呼ばれるものは俺の中ではやっぱり、"天守閣の夢よ、もう一度"なのよ。安土城の話なのよ。でも、安土城の天主はもう死んだんだよ。渡り鳥の心情っていうのがあるの。結論めいてるんだけど、渡り鳥っていうのはその時々の自分の気持ち高まりなの。だから今なら今、なの。気持ちの高まりがないものはやらないことにしている。だから...」
レコード・コレクターズ2001年4月号Vol.20 No.4

『20th Anniversary Edition』はオリジナルコンフィデンス(オリコン)のアルバム・チャートで最高位13位、現在までの総売上枚数は約6万6千枚(オリジナルコンフィデンス2001年8月20日号より)。また、2001年の4月よりスタートしたオリコンのカタログ・リイシュー・チャートでは、記念すべき初代1位に輝いている。

1991年にリリースされた同アルバムの選書版は、オリコンのデータで推定6万9千枚売れたことになっているのだが、この10年での売り上げ実数は45万枚なのだそうだ。90年代に何もなかったといわれる大滝詠一だが、『ロンバケ』だけでもそれだけ売ったのだと反論する。近頃は宇多田ヒカルが700万枚売ったとかいわれているけれど、三橋美智也は1億枚以上売ってるし、美空ひばりだって8000万枚以上だ。発売時1週間に45万枚売れるのと、10年で45万枚を売り上げるのと、数値が同じなら、数値の評価は1週間であろうが10年であろうが同じであるべきだと。

これまで17年新譜を出してない大滝詠一。それは新たな(休止期間の)記録になるのではないかと騒がれている。が、しかし新譜を出せなくなったり、そのまま消えてしまった人もいるわけで、休止期間の記録を作るには新しいアルバムをリリースしなければ駄目らしい。

「なんか対策を考えなければならないね。今日インタビューして良かったね。危うく記録を逃すところだった。それでは記録達成を目指すことにします。素晴らしい指摘ありがとうございました」
大滝詠一(オリジナルコンフィデンス 2001年8月20日号より)。

■A Long Vacation 20th Anniversary Edition
チャート最高位13位

君は天然色
Velvet Motel
カナリア諸島にて
Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
我が心のピンボール
雨のウェンズデイ
スピーチ・バルーン
恋するカレン
FUN×4
さらばシベリア鉄道
Bounus Tracks-Instrumental-
君は天然色
Velvet Motel
カナリア諸島にて
Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
我が心のピンボール
雨のウェンズデイ
スピーチ・バルーン
恋するカレン
FUN×4

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3月21日(火)に大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次のコラボレーション作品『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition』がリリース。
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このアルバムにつきましてはこちらにエントリーしています。
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Sunday Songbook Playlist

2006年03月12日 | Sunday Song Book

<03月12日プレイリスト>
[一週遅れの「ひなまつりガール・シンガー特集」]
フェニックス/山下達郎 '03
JOHNNY GET ANGRY/JOANIE SOMMERS '62
DON'T DRAG NO MORE/SUSAN LYNNE '64
HE'S MINE/ALICE WONDER LAND '63
LOST SUMMER LOVE/SHELLEY FABARES '64
JERRY(I'M YOUR SHERRY)/TRACY DEY '62
MAKING UP IS FUN TO DO/TINA POWERS '62
THIS IS GOODBYE FOREVER/MANDI MARTIN '62
リンダ/竹内まりや "IMPRESSIONS" '94
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■プレゼント
山下達郎がスタジオで使用しているのと同じヘッドフォン(番組ロゴ入り)、
番組特製携帯ストラップ

プレゼントの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
03月19日は、レギュラープログラム「棚からひとつかみ」
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musicunited. vol.4(1)

2006年03月09日 | 佐野元春ポッドキャスティング

このポッドキャスト番組"music united."はJFN (Japan FM Network) が運営するサイト「reco」や、iTunes Music Storeからダウンロードすることができます。

chapter.1(17分28秒)をお送りします。

深沼元昭のウェブサイト(2006.2.1の日記)には「子供の頃からふりかけが好きで今でも好きです」と書いてあるそうです(笑)。佐野元春は「のりたま」は発明だと言ってます。フリーズドライの技術が発達していて、フリーズドライの味噌汁とかある。あれは素晴らしいとのこと。

8つ上のいとこがいて多重録音をやっていたんだそうです。だから中学1年からカセットの4トラックで自宅録音をやっていたという。ギターは小学4年からクラシック・ギターを習っていて弾けたんだそうです。曲を書き始めたのも中学生の頃だとか。

バイト先で知り合った神奈川県厚木市出身の岡本と知り合い、1992年にプレイグスを結成。佐野元春はプレイグスの音楽を聴いて、自分もソングライターなのでリリックに惹かれたし、ギターを中心にしたトリオという編成を生かしたサウンドを聴いて、新世代のミュージシャンが出てきたという印象を得たんだ、といいます。

横浜を中心に活動していたので、東京のシーンの影響を受けることなく、地方都市で育まれたサウンドだったといいます。結局、プレイグスはオリジナル・スタジオ・アルバムを7枚残し、活動休止となります。

佐野元春はレア・トラック集の『イスカンダル』を聴いて、きちんと自分たちの音楽を批評していて感銘を受けたといいます。あれこそがプレイグスの本質なんじゃないかと評価しています。
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musicunited. vol.4(2)

2006年03月09日 | 佐野元春ポッドキャスティング
「Mellowheadは新しいコンセプトをもって、全く新しいことをはじめた。プレイグスで見られなかったブレイク・ビーツに挑戦したり、新しい現代的な音楽を取り込もうという果敢な努力が見えた。チャレンジとして素晴らしいなと思った。サウンド・クリエイターとしての深沼くんがこのあたりから見え始めてくるんだよね」と佐野元春はMellowheadを評価しています。

深沼元昭のプロデューサーとしての活動にも触れています。最初にプロデュースしたのがChocolatだそうです。その後、深田恭子の「イージー・ライダー」で広く注目されるようになったとか。最近では及川光博のプロデュースをしているそうです。

Mellowhead feat. 佐野元春の「Empty Hands」については、佐野元春がメジャー・カンパニーのいろいろなやり方に疑問を持ちはじめていて、もう少し自由に創作できる環境を自分自身の手で作りたいと思っていたところに、オファーがあったんだとか。オファーがあった時点でバックトラックがあり、メロディーがあり、言葉もあったんだそうです。「僕が"NO"と言える隙間は端からなかった」と佐野元春は言います。

深沼元昭によると、佐野元春に最初のデモを渡すまでに、ボツになったトラックは数え切れないくらいあったんだそうです。自分が納得できる形で、「もうこれしかない」と思えるまではオファーさえできないと思っていたんだそうです。佐野元春のアルバム『THE SUN』を聴いて、凄くよかっただけに、「これと同じじゃ駄目だな」と思ったんだそうです。ここにない、でもそれまでの佐野元春のいろいろなキャリアの中でやってきたことを踏まえたうえで、「『THE SUN』とは違った佐野元春の良さをちゃんと引き出せるような楽曲とは何なのか?」という日々があったんだそうです。

「『Empty Hands』に関しては深沼くんからやんわりとプロデュースされたなというその感覚が、自分にとっては凄く新鮮だったし、またなぜ僕のある部分を上手に引き出せるんだろう? そんな人は世の中にそう多くはなかったのに、という思いがあります。だから実際自分があの曲に触れて、歌詞を読み、自分のスタジオでヴォーカルをダビングして、何回か聴いたときに、見る見るうちにあの曲の虜になっていた。だから自分の曲として扱うことができたというのは、自分にとっては不思議な体験、はじめての体験だった」と佐野元春は話しています。

その後、Mellowheadのライヴ「Mellowdrome 2005」の東京公演にゲスト参加した佐野元春ですが、「ポテンシャルのある素晴らしいバンドだった」とバンドを高く評価しています。そしてそのバンドで3トラックEP「星の下 路の上」をレコーディング。「星路バンド」と佐野元春は呼んでいます。深沼元昭は久し振りに大きなスタジオでバンドの一員としてギターを弾いて楽しかったと話しています。
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musicunited. vol.4(3)

2006年03月09日 | 佐野元春ポッドキャスティング
Mellowheadの新しい活動について聞いています。片寄明人が参加した新しい作品をレコーディングしている最中なのだとか。たぶん5月以降にリリースとなる予定だとか。

30代後半(37歳)となった深沼元昭が今感じている音楽とはどういうものなのか、を佐野元春は聞きます。深沼元昭は開き直って楽しんでいるということを話してます。歌の主題で困ったことはプレイグスの3枚目くらいの頃に悩んでいたが、今はあまりないと話しています。

「映画作家にしても、作家にしても、僕らソングライターにしても、タイプは二つあって、ものすごくいろいろな主題に挑戦したがりの作家と、ほぼ一つか二つくらいの重要な主題について、そのヴァリエーションをもって表現してゆくタイプとある。深沼くんは後者なのかな」と佐野元春は言う。

「Empty Hands」は僕のファン・コミュニティーでも人気が高くて、あの曲は僕のファンだけではなくて、プレイグス・ファン、深沼くんファンおいてもひとつのクラシックになってゆくんだと思うし、そうした音楽に参加させてもらって本当に感謝している、と佐野元春は話しています。

深沼元昭が新しく買ったというトヨタ・レクサスについても話しています。新しいクルマの音響設備はデフォルトでもすごいということです。
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バート・バカラックの『At This Time』

2006年03月06日 | Rock

バート・バカラックの『At This Time』。輸入盤は昨年の秋に発売されていました。インフォメーションも何もなくて、あまりに唐突にリリースされたものですから、最初は買うのをためらっていたのです。

その後、今年になり日本国内盤が発売されることになりました。BMGジャパンのサイトには次のように紹介されています(以下引用します)。

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SONY BMG UKと契約して完成させた待望の新作アルバム。すでに50年を超えるキャリアを誇るバート・バカラックは、レコード音楽の世界で数多くのスタンダード・ナンバーを持ち、音楽史のなかでも名実ともに傑出した第1級の優れたソングライターであり、実際に世界中で最もよく知られている作曲家だといえるでしょう。
今回の『At This Time』は、彼のソロ名義のオリジナル・アルバムとしては、1977年にA&Mからリリースされた『フューチャーズFutures』以来、実に28年ぶりの新作にあたるもの。アメリカのポピュラー音楽を代表する彼のひさしぶりのアルバムにはHIP-HOP界からドクター・ドレーが、ジャズ界からクリス・ボッティ、そしてエルヴィス・コステロ、ルーファス・ウェインライト、など、多彩な豪華ゲストが参加!!
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SONY BMG UKのヘッド、ロブ・ストリンガーは「"今のバート・バカラック"を表すものを作ってほしい。売れるアルバムでなく、いいアルバムを作ってほしい」と言って口説いたそうです。バカラックはそんな申し入れに「今の自分の人生や考えを伝えたいという気持ちが芽生えた」とプロモーションで話してます。

「私の"今"、聞き手の"今"、私の子どもたちの"今"。今、この地球上で起こっていることを考えたら、一体何を子どもたちに残せるのか真剣に悩んでしまう。一体彼らはどういった環境で生きてゆくことになるんだろう。そんな気持ちを一種のステートメントとして音楽で伝えることがこの上なく重要だと感じたんだ。私が今感じてる怒れる気持ちをストレートに表現する必要があったんだ」とバカラックは話してます。

そこでバカラックは初めて作詞に取り組むことになりました。1曲目の「Please Explain」ではかつての代表曲「What The World Needs Now Is Love」の一節を引用し、"私は覚えている「What The World Needs Now Is Love」と歌っていた歌を / その愛はどこにあるんだ / どこへ行ってしまったんだ / 太陽も月も今や泣いている / 夢はどこにあるんだ / 誰が私たちのハートを壊してしまったんだ / さあ私達にわかるように説明してください"と歌っています。

他にも子どもたちの将来を心配する楽曲や、アメリカを支配する指導者に抗う気持ちを歌にした楽曲などが続きます。絶望した気持ちが交差しながら、状況が好転することを切に願うようにアルバムは閉じていきます。

「ここにあるのは一対一のラブ・ソングではない。荒んだ世界に向けたラブ・ソングなんだ」とバカラックは言ってます。
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