Life in America ~JAPAN編

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イリノイ南下の旅 その3~リンカーンの町へ。州都スプリングフィールド

2008-06-05 03:34:50 | 旅行
アーミッシュの町を名残惜しく後にし、次に向かうは州都、Springfield(スプリングフィールド)。



ダウンタウンに入り、市内のホテル9時過ぎにやっとチェックイン。
さて夕食を、と町に出たはいいが午後10時前にはもうどこの店も次々と閉店。予定外のレストラン難民と化す。

「え?ここって州都ちゃうのん?」

結局この晩は、ただ一軒あいていたスポーツ・バーで若者たちの絶叫を聞きながらビールとチキンウィングでおしまい。とほほ。


**  **  **  **  **  **  **  **  **

6月2日、日曜日。

今日の目的は、「リンカーンを知り尽くす」。
スプリングフィールドはリンカーンが大統領になるまで弁護士としてキャリアを積んでいた町。当時の住まいもそのまま残されている。
とにかくどこへ行っても、リンカーン一色。本当にアメリカ人はリンカーンがお好き。

さて、今日一番に訪れたのは、もちろんここ。「リンカーン・ミュージアム(Abraham Lincoln Presidential Museum)」




あなどるなかれ、この博物館、見所満載、仕掛けいっぱいで時間がいくらあっても足りないほどの充実ぶり。
館内を大きく分けると、リンカーンの歴史を展示物で追った「歴史の旅」コーナー、(ここはさらに「幼少期から大統領になるまでの時代」と、「ホワイトハウス時代~暗殺されるまで」の二つのブースに分かれている)、リンカーンの人物像を紹介する映像シアター「The Union Theater」、リンカーン・ライブラリーを舞台に、ここに住みつくさまざまな“亡霊たち”が次々と現れる「Ghosts of the Library」、リンカーンに関しての一問一答コーナー「Ask Mr. Lincoln」などで構成されている。

館内を一歩入ると、まず広場にはリンカーン一家が。


頼んでもいないのに、カメラを持ってここにいるだけで「撮りましょうか?」と係りのおばちゃんに声をかけられた。
断るのもなんなので、観光写真を一枚。


リンカーンの身長はPちゃんよりも高かった、というのがまず新鮮な驚き。
リンカーンには4人の息子がいたが、次男のエドワードは5歳のときに病死。ここにいるのは長男ロバート、三男ウィリアム、四男トーマス。
しかし、ウィリアムはリンカーンが大統領就任後すぐ、ホワイトハウスで病死(11歳)、トーマスも1871年に18歳で亡くなっている。
これを知ってここに立つと、一見“肝っ玉母さん”の妻、メアリー・トッドにこの後訪れる運命が切なく胸をしめつける。



リンカーンが幼少期を過ごした家が再現。ここからリンカーンの歴史ツアーその1がスタートする。


独学で読み書きを学んだ幼少期、ミシシッピ川をいかだ船で下ったときに始めてかいま見た奴隷売買の衝撃、初恋の女性を亡くして絶望のどん底をさまよった日々、その後ふたりの女性との婚約、そしてメアリー・トッドとの結婚。
弁護士としてのキャリアを着実に築いたのち、州議会議員へ、そして大統領への立候補とドラマは続いていく。
1860年、4候補がしのぎを削った大統領戦の様子が、現代のニュース風に再現されていて、アンカーが選挙戦の行方を「What a mess!」と締めくくるのもいかにもアメリカらしい仕掛けで笑えた。

「ホワイトハウス時代」は、南北戦争時代そのものでもあった。
大統領就任後は自らの政策(信念)の遂行と戦争との間でもがき苦しむことになる。61年と65年(亡くなる前)当時のマスクが展示されていたが、一見しただけでわずか4年間での疲労困憊ぶりがわかる。65年のマスクを見た彫刻家は「これは紛れもなくデスマスクだ」と語ったという逸話も紹介されている。
「奴隷解放宣言をした偉大で尊敬すべき大統領」としてアメリカの子どもたちは教科書でリンカーンを学ぶけれど、奴隷は真に解放されたわけではなかった。第2次大戦を超える戦死者を出した壮絶な戦いを招いたのもまた、リンカーンなのだ。
“ヒーロー”には必ず裏と表がある。
リンカーン礼賛度100%に脚色された館内には黒人の姿はひとりもなかった。今も変わらないアメリカの「白人の正義化・ご都合主義」に少し辟易として浮かんだ言葉は、「勝てば官軍」。

とはいえ、多くのことを学んだ。
特にPちゃんは博物館や美術館に行くと必ず一日仕事になるくらいのめりこんでしまうので、結局閉館近くまで時間をたっぷりつかってしまったが・・。

そのあとは走るようにあとの観光名所に駆け込む。


旧州議事堂(Old State Capitol)とその内部



で、これが現在の州議事堂


この人が「リンカーンとのディベートで」有名になったダグラス。
政治家としてのキャリアは彼の方が長かったが、リンカーンのカリスマ的演説にはかなわなかった。
それを見て思い浮かぶのがオバマ氏。彼も初めは劣勢だったのに神がかり的ともいえる演説で逆転劇を演じた。
アメリカで奴隷開放の歴史的一歩をふみだした15代大統領リンカーンは、44代に初の黒人大統領になるかもしれないオバマ氏をあの世から見守っているだろうか。




旅の最後の観光ポイントは「リンカーンの家」。
このあたりは「リンカーン・ネイバーズ」といって当時のご近所の様子がそのまま保存されている。
大統領になりこの町を華々しく出て行ったリンカーンが再び戻ったのは、暗殺後の長い長い葬儀の最後だった。


さぁ。これから帰路は55号線をシカゴに向かって北上するのみ。
これがあの、旧“ルート66”だ。


帰りは私が3時間ぶっとおしで運転手。
あのRt.66をぶっ飛ばしているのかと思うとなんだか達成感がふつふつと沸いてくるのであった。

(おわり)
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